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「JR福知山線脱線事故」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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2008年5月20日 (火) 16:02時点における版

JR西日本207系電車(事故車両と同型の車両)-JR徳庵駅にて撮影

JR福知山線脱線事故(ジェイアールふくちやませんだっせんじこ)は、2005年4月25日午前9時18分頃にJR西日本福知山線(JR宝塚線)塚口尼崎駅間で発生、107名の死者を出した列車脱線転覆事故である。

列車は塚口~尼崎駅間の曲線で脱線し、先頭の2両が線路脇のマンションに激突した(概要の節で詳述)。また事故を起こした列車は、直前の停車駅である伊丹駅で停車位置通過および超過(オーバーラン)を起こしていたことから、事故後に他の路線鉄道会社において発生した列車のオーバーランについても大きくクローズアップされる。さらに、JR西日本が事故当日に行った発表の中で、線路上への置き石による脱線の可能性を示唆したことから、愉快犯による線路上への置き石や自転車などの障害物を置くといったことも相次ぐ。それ以外にも、事故に便乗した犯罪が発生した。

報道では、事故が起こった路線名の表記が分かれた。朝日新聞神戸新聞サンテレビは「JR宝塚線(福知山線)」の愛称を使用しているが、それ以外のマスメディアでは正式名称の「福知山線」を使用している。

概要

JR神戸線・福知山線の宝塚・尼崎付近路線図

事故は、JR福知山線の兵庫県尼崎市久々知の半径300mの右カーブ区間(北緯34度44分19秒 東経135度25分46秒 / 北緯34.73861度 東経135.42944度 / 34.73861; 135.42944(日本測地系。世界測地系では北緯34度44分30秒 東経135度25分35秒 / 北緯34.74167度 東経135.42639度 / 34.74167; 135.42639)、塚口駅の南約1km、尼崎駅の手前約1.4km地点)で発生した。 事故列車は宝塚片町線(学研都市線)同志社前行きの上り快速電車(5418M列車、7両編成(前4両は、網干総合車両所に所属の神ホシZ16編成207系0番台(クハ207-17+モハ207-31+モハ206-17+クハ206-129)同志社前行き。後ろ3両は、同所所属の神ホシS18編成207系1000番台(クモハ207-1033+サハ207-1019+クハ207-1033)京田辺行き。))である。列車の前5両が脱線して先頭2両は線路横の9階建てマンションに激突し原形をとどめない形で大破した。同時刻には並行する下り線に、新大阪城崎温泉行きの特急北近畿3号」が接近中であったが、事故を目撃した近隣住民の機転により近くの踏切の非常ボタンが押されて特殊信号発光機が点灯したために運転士が異常を察知し、およそ100m手前で停車して防護無線を発報している。そのために、二重事故が回避されている。事故後、現場の半径300mの曲線区間は制限速度70km/hから60km/hに、手前の直線区間は120km/hから95km/hへとそれぞれ変更された。なお、これはカーブ区間においては、運輸省令における制限速度算式での300R97Cの制限74km/h台を5km/h単位に丸めて制定したものであるから、安全に掛かる技術的な必要性から制限を厳しくしたわけではない。

事故列車は4両編成と途中の片町線(学研都市線)京田辺駅で切離す予定であった3両編成を連結した7両編成で運転していた。前から1・4・5・7両目に、列車の運行状態(非常ブレーキ作動の前後5秒間)を逐一記録する「モニター制御装置」の装備があり、航空・鉄道事故調査委員会が解析を行ったところ、前から5両目(後部3両編成の先頭車両)と7両目に時速108kmの記録が表示されていた。但し、これが直ちに脱線時の速度を示しているとは限らない。

先頭車両が脱線、急減速した影響で車列が折れ、連結器部分で折り畳まれるような形になったために玉突きになって被害が拡大したものとされる。当時、事故車両の1両目は片輪走行で左に傾きながら、マンション脇の立体駐車場と同スペースに駐車していた乗用車を巻き込みマンション1階の駐車場部分へと突入して壁にも激突。続く2両目も片輪走行しながら、マンションに車体側面から叩きつけられる状態に加えて3両目に追突されたことによって、建物に巻きつくような形で大破。3両目は進行方向と前後が逆になる。4両目は、3両目を挟むようにして下り方向(福知山方面)の線路と西側側道の半分を遮る状態でそれぞれ停止した。救助作業は、駐車場周辺においてガソリン漏れが確認されたため引火を避ける目的や被害者の安全のためにバーナーや電動カッターを用いることができないことにより難航する。また、3両目から順に車両を解体する作業を伴い、昼夜を問わず24時間続けられ3日後の4月28日に終了した。

被害

事故の犠牲者は、運転士を含む死者107名、負傷者は555名。(住民への巻き添えはなし。)犠牲者の多くは1両目か2両目でほとんどが多発外傷や窒息で亡くなっていて、クラッシュ症候群も確認されている。事故の規模は、死亡者の数に限定するならば戦後の旧国鉄時代を含めると1962年三河島事故に次ぐ大惨事となり、JR発足以降に限定すると1991年信楽高原鐵道での衝突事故を抜いて史上最悪の鉄道事故となった。

後に、事故では負傷しなかった同列車の乗客やマンション住人、救助作業に参加した周辺住民なども心的外傷後ストレス障害を発症するなど大きな影響を及ぼした。

また、マンションには47世帯が居住していた。倒壊した場合などに備えてJRの用意したホテルなどへ避難して、2世帯が残っていたが8月上旬までに順次マンションを離れていった。

対応

阪神・淡路大震災兵庫県南部地震)の経験が生かされ、迅速な対応が行われた。事故発生当時、いち早く現場へ駆けつけて救助にあたったのは近隣の人々であった。負傷者の半数近くは近隣の人々が医療機関に搬送しており、震災当時にみられたボランティアの精神が生かされている。後に、救助・救援活動の功績を讃えて、同年7月に76企業・団体と1個人に対して国から感謝状が、8月には48企業・団体と34個人に対して兵庫県警から感謝状が、9月には32企業・団体と30個人に対して尼崎市から感謝状がそれぞれ贈呈された。また、11月には1企業と1個人に対して紅綬褒章が授与された。

また、救急医療関係者が事故現場周辺に展開して大量の負傷者が発生した場合のトリアージを実施している。事故から約2時間後には、尼崎市により事故現場からとても近くにある中学校が開放され避難所として利用されたほか、緊急車両の待機場や消防防災ヘリコプターの臨時ヘリポートとして活用される。兵庫県は緊急消防援助隊の応援要請、広域緊急援助隊の出動要請、また現場に近い伊丹に駐屯する陸上自衛隊第3師団への災害派遣要請をそれぞれ行った。

救急搬送

広域消防相互応援協定により、複数自治体から応援があった一方で、負傷者の搬送先はそのほとんどが兵庫県下の病院となった。尼崎市と隣接する大阪府への搬送は転院が中心であり、直接の搬送は数件にとどまる。

原因

現在、兵庫県警及び航空・鉄道事故調査委員会による事故原因の解明が進められている最中である。 はっきりとした原因については、現時点では未だ不明である。原因が複合的である可能性もある。

乗用車衝突説

事故発生当初は、現場に大破した乗用車の存在と列車の脱線の事実のみが伝わったことから、「踏切内で乗用車と列車が衝突し、列車が脱線した」との憶測が飛び交うなど情報が錯綜した。そしてJR西日本の当初発表が「踏み切り内での乗用車との衝突事故」であったため、報道各社はこのJR西日本発表を流した。塚口駅から同列車が脱線した地点までの区間に踏切は1つも存在しておらず、また乗用車が近隣の建造物や立体駐車スペースから線路内へと落下した痕跡も確認されなかったことから否定される。報道各社はJRが発表しているとの理由で、テロップや配信ニュースでは乗用車との衝突事故との表現が続けられ、乗用車との衝突が否定された後も誤った情報を流しつづけた事をすぐに説明しなかった。

線路置石説

JR西日本は事故発生から約6時間後の25日15時の記者会見の中で「粉砕痕」の写真を報道機関に見せるなどして、「置石」による事故を示唆した。しかし、事故列車の直前に大阪方面へ向かう北近畿6号が通過するなど列車の往来が激しい区間であることや、当初「置石」があった証拠として挙げられたレール上の「粉砕痕」は、航空・鉄道事故調査委員会の調査結果でその成分が現場のバラスト(敷石)と一致し、「脱線車両が巻き上げたバラストを、後部車両が踏んで出来たものと考えるのが自然である」との見解が出されたことにより、この説は否定された。また、JR西日本の置石説発表後に国土交通省が置石説を否定する発言を行ったためにJR西日本も置石説を撤回する発言を行う。

列車速度超過説

速度の記録から、現場の制限速度を大幅に越えた走行をしていたことが判明している。

事故を起こした列車は、直前の停車駅である伊丹駅で約70mオーバーランしたため、伊丹駅を1分30秒(異説あり)遅れで発車していた。また、始発の宝塚駅や次の停車駅である川西池田駅に入線する際にも、それぞれ停止位置を間違える等、極めて不自然な運転を繰り返していたことも判明している。運転士がその遅れを取り戻そうと制限速度を越えた可能性がある。

現場のカーブは前述の通り半径300メートルで制限速度は時速70km。当該線区に設置されていた自動列車停止装置 (ATS-SW) はJR西日本では最も古いタイプのものとされ、あたかもこれが事故を防げなかった原因であるかのような報道がされているが、当該装置でも速度照査用の地上子等の設備を設置すれば速度照査機能の付加は可能であり、ATS-SWそのものが直ちに事故原因に繋がる訳ではない。ちなみに事故現場には速度照査用の地上設備は設置されていなかった。また、当該線区には新型のATSである自動列車停止装置 (ATS-P)の導入が予定されていたが、ATS-Pでも速度照査用の地上設備が設置されていないと、速度超過した列車を自動で減速あるいは停止させることはできないのは、ATS-SWと同様である。

速度超過から脱線に至る原因は、せり上がり脱線説と横転脱線説の大きく2つの説があるが、レールの傷跡から後者と断定される。

非常ブレーキ説

カーブ通過中に運転士が非常ブレーキをかけて車輪が滑走した場合、車輪フランジの機能が低下して脱線に至る可能性が大きいという説があり、当初、非常ブレーキを掛けなければ脱線および横転の可能性は少なかったといわれた。 のちの解析の結果、運転士はカーブ進入後車体が傾きだしていたのにもかかわらず常用ブレーキを使用していたことが判明。非常ブレーキは脱線・衝突の衝撃で連結器が破損したことによって作動していた。

また、それ以前に運転士が数回にわたって非常ブレーキを掛けていた原因は、0番台の車両と1000番台の車両のブレーキの掛かり方の違いによるものであるという見方もある。0番台と1000番台ではブレーキの動作が違っているため、207系の運転経験がある運転士は(他形式とは違い)20メートルほど手前から転がして微調整をかけるような運転の仕方が必要と話す。

せり上がり脱線説

運転士が、カーブ手前でそれに気づき非常ブレーキをかけたために(後に否定される)車輪のフランジとレールとの間で非常に強い摩擦力が起き、2000年3月8日に発生した「日比谷線事故」と同じような車輪がせり上がって脱線した「せり上がり脱線」が起こり事故がおきたという見方もある。 しかしながら、通常のせり上がり脱線が発生するためには車輪に非常に高い横圧がかかることが必要で、現場の半径300メートルのカーブ程度では通常は考えにくい。

とはいえ、現場の枕木に残された走行痕からせり上がり脱線(乗り上がり脱線)も起きたことは事実であろう。これは転覆に至る過程で、車軸が傾いたことによってレールに対する実質のフランジ角が減少して比較的低い横圧でもせり上がり脱線に至ったのではないかという見方がある。

横転脱線説

また、あるところでは、せり上がり脱線ではなく上記に示したとおり「非常ブレーキ」の作動によって列車のバランスが崩れ、進行方向(尼崎方面)向かって右側の車輪が浮き上がりそのまま左側に倒れ込んだ「横転脱線」ではないかとする見方もある。しかし、前述のとおり、乗務員が使用したのは「常用ブレーキ」であり、「非常ブレーキ」が作動したのは脱線によって連結器が破損した後であると判明している。(4月28日現在、この説が有力といわれている。)

油圧ダンパー(ヨーダンパー)故障説

複数の乗客から「油くさい臭いがした」「異常な揺れを感じた」との証言があり、事故発生直前に車掌からも輸送指令に「(揺れがひどく)列車が脱線しそうだ」と無線連絡していたことから、新幹線などの高速車両にも搭載されている横揺れを抑える「油圧ダンパー(ヨーダンパー)」が故障していたのではないかとの説がある。

油圧ダンパーの故障で空気バネをうまく制御できなかった事により、直線区間で異常な揺れが発生し(油圧ダンパーや空気バネが正常であれば高速走行をしても極端な揺れなどは感じない)カーブに入ったときに「空気バネの跳ね返り現象」(油圧ダンパーが故障していたことにより、カーブ突入時に本来内側に傾いたままであるはずの車体がバネの跳ね返りで外側に傾いてしまう現象)が起こり、車体全体が外側に傾いていたときに、たまたま運転手の焦りから通常減速すべきカーブを減速しないで加わった強力な横の重力もあって転覆に至ったのではないかとされている。

油圧ダンパーが故障したとすると、空気バネの制御ができなくなるのと関連してブレーキの制動具合にかなりの影響を与えるという意見がある。つまり、乗客が多い場合と少ない場合で同じ位置に停止させようとすると異なるブレーキ力を働かせなければならないので、その調整を空気バネの制御で行っているのである。今回の事故において空気バネの制御ができなくなっていたとするとブレーキの作動が非常に悪くなっていた可能性があることが専門家から指摘されている。

ただし、本来油圧ダンパーと空気バネは独立したものであり、207系自身、また類似構造の台車を履く221系も当初ヨーダンパーを装備していなかったことから、ブレーキの効き具合にも直接の影響はないといえる。

事故の間接的要因

同事故においては多くの問題が指摘された。

JR西日本の経営姿勢が抱える問題

  • 古くは国鉄時代から並行する関西私鉄各社との激しい競争に晒されており(全国的に見ても競合する区間が非常に多い)、その影響からか、民営化後のJR西日本社員の間でも競合する私鉄各社への対抗意識が強かったとされる。
  • 私鉄各社との競争に打ち勝つ事を意識する余り、スピードアップによる所要時間短縮や運転本数増加など、目の前のサービスや利益だけを優先し、安全対策が十分ではなかったと考えられる。
  • また、同社においては、先述の競争の激しさや、長大路線を抱えている点が、ダイヤが乱れた時における乗客からの苦情殺到をかなり恐れていたとの指摘もある(悪天候などによる、鉄道会社の責任の範囲を超えるダイヤの乱れが発生した時でも、乗客が駅員に文句を並び立てる光景は全国各地で見られる)。
  • 同社の安全設備投資に対する動きが鈍かった背景には、先述の私鉄各社との競争などによるサービス競争を優先させたほか、阪神淡路大震災で一部の施設が全壊ないし半壊する等の被害を受けた事や、山陽新幹線のコンクリート崩落問題で多額の支出を強いられた事、更には一部の株主が利益に対する配当を優先させる要求に出た事(ゆえに一部の同社ローカル線において、工事に伴う昼間時運休や、一部区間での極端な低速運転になるなどの影響が出たのは有名である)などが挙げられる。

ダイヤ面での問題

  • 事故発生路線のJR福知山線(JR宝塚線)においても、阪急電鉄の主要な複数の路線(宝塚本線、神戸本線、伊丹線)と競合しており、他の競合する路線対抗策と同様に、秒単位での列車の定時運行を目標に掲げていたとされる。
  • 元々、全体的に余裕の無いダイヤであった上、停車駅が増加したのにも係わらず、所要時間はダイヤ改正前と同じとなっていた為、制限速度を超えての運行と遅延が常態的であった。特に該当列車においては、他の時間の列車よりも速いダイヤで、特に、事故発生区間である塚口~尼崎間でそれが顕著であった。
  • 事故調委が全国のJR・私鉄・公営鉄道事業者のダイヤを調べたところ、余裕時間の無いダイヤを組んでいたのはJR西日本だけであった。

路線の設備での問題

  • 当該事故発生前は運行本数が多く、速度も比較的高い大都市近郊路線であるにもかかわらず、速度照査用の設備が設置されていなかった。信号用の自動列車停止装置には旧型の速度照査機能がないATS-SWが利用されていた。
ただし、ATS-SW形式でも信号とは独立の速度照査機能を付加して、必要箇所に地上子対を設置すれば、速度超過に対する緊急停止機能が動作する。有名な例ではJR東海の主要路線でこの形式が採用されている。
  • 過去の線路付け替えで曲線半径が小さくなった。マンション前は軌道敷地内であるが、この区間はもともと下り線のみの区間であり上り線は現場マンションを挟んだ東側にあった。JR東西線との直通に対応した尼崎駅の改良に伴い、下り線に併設されていた尼崎市場への貨物線跡地等を利用する形で現在の上り線が敷設された。
この時点で東西線区間には新型ATSが設置されたが、福知山線においては付け替え区間を含めて設置されなかった。
  • 事故発生現場の半径300メートルのカーブに脱線防止ガードは設置されていない。国土交通省の定める脱線防止ガードの設置基準にも該当しない。ただし、脱線防止ガードがあったとしても、今回のように極端な速度超過による転覆脱線を起こした場合はほとんど効果が期待できない。
  • カーブでの高速運転をするためにカントを付けるが現場は緩和曲線長が短くて上限105mmより少ない97mmなのでその分制限速度が5キロ少ない。半径300メートルでカント105mm(上限値)では制限速度は75キロ。従前の「本則」では60km/h~65km/h。

車両の問題

メカニズム面

  • 207系7両編成の前4両(0番台・Z16編成/日立製作所製)と後3両(1000番台・S18編成/近畿車輛製)では、主電動機(モーター)の出力などの性能に微妙な差異がある(0番台は155kW・1000番台は200kW)。また、制御装置にも違いがあり前4両のうちモハ207-31,206-17に三菱電機PTrVVVF制御装置、後ろ3両はクモハ207-1033に東芝GTOのVVVF制御装置である。
ただし、同社の場合、他にも界磁添加励磁制御221系VVVF制御223系1000・2000番台との、全く異なる制御方式の系列同士の併結運転が行われている事や(新快速系統の223系列への置き換えの過渡期に多々見られ、現在でも稀に見られる)、私鉄各社でも制御方式の全く異なる車両を併結させることは珍しくなく、中には近鉄30000系ビスタカー22000系ACEのように特急列車での高速運転の例もある(先述の221系と223系列同士の運用の場合、最高時速は120km/h)。
また、かつては国鉄でも101系以降の新性能電車の臨時増結に、釣り掛け駆動の旧型車を使用したこともあった(国鉄では当初カルダン駆動方式の「新性能電車」は全て2電動車ユニット方式とした為、緊急に1両単位で増結するときに旧型車は重宝した)。
  • 車両によってブレーキの利き方に違いがあり、事故車の先頭車は特に癖のある車両だったとの運転士の証言がある(前4両のZ16編成は、パワートランジスタを搭載していたためブレーキを作動させると他の車両より違和感がある)。
ただしこれも上記の通り、ブレーキ読み替え装置を使っての電磁直通ブレーキ・単純発電ブレーキの旧型車と電気指令ブレーキ・回生ブレーキの新世代車を連結して高速運転している例は多くあり、各鉄道会社の運転士からは「(特定の編成または複数の編成の組み合わせによっては)癖があって正確に停車させるにも苦労する」と言う話は多数あれど、それが直接的・間接的要因となって発生した事故は皆無である。これもマスコミによるJR西日本攻撃の為にオーバーにクローズアップされた感が否めない。
  • 「使用している鉄道車両の台車がヨーダンパ付ボルスタレス台車(端梁なし台車DT50・TR235)であって、ねじれに弱い」と鉄道評論家の川島令三氏などが指摘している。そのねじれによりヨーダンパが跳ね上げ運動を起こし脱線した可能性もある。京浜急行電鉄京阪電気鉄道阪急電鉄などでは、台車は安全上軽量化すべき箇所ではないという考え方からボルスタアンカ付の台車を採用している。
しかし一方で、軟弱地盤を抱えながらも高速運転を行っている東武鉄道では、古くからボルスタレス台車が使用されてきた他、鉄道ジャーナルに鉄道評論家・交通研究家の久保田博による反論文が掲載された。

車体面

  • 事故を起こした207系車両がステンレス鋼製で、従来の重い鋼鉄製と比べると車体側面からの衝撃に弱いと言う報道が相次いだ。
しかし、一般的に、長尺物はその材質に関わらず側面方向の衝撃が一点にかかるとそこにエネルギーが集中するので破壊がおきやすい(飲料水などの金属製の缶類がわかり易い例として挙げられる)。
ステンレス鋼自体も普通鋼と比べると、鋼板の粘りなどで有利な面もあり、一概に強度が弱いとは言えないと言う反論もある。また、錆が出ないため経年劣化が著しく少ない点でも有利である。
また、207系車両は従来の車両に近い構造の車体設計となっており、後に登場した同社の223系2000番台や321系においても、製造コスト削減と量産体制の簡素化を図りながら、従来の車両と同等の強度を確保する事を両立させる為、梁を省略する代わりに車体側板の強度を上げる事により、車体全体を支える設計思想に基づく車体構造となっている(これはJR東日本209系以降の通勤・近郊型車両でも、ほぼ同じ設計思想である)。
実際に同年12月に発生した羽越本線特急脱線転覆事故でも、国鉄時代に製造された、旧来の普通鋼製車体の485系3000番台車両の一部が『九の字型』に折れ曲がると言う結果からも、このような状況では車体強度への批判は殆ど意味を成さない(要はこのような状況を未然に防ぐシステムの構築の方が遥かに重要)と言う見解に落ち着きつつある。

保守面

  • 車輌のメンテナンスが大味であるとの指摘もある。ほかの鉄道会社の車両でも日常的におこっている車輪が滑走した際にできる偏磨耗の補修放置が最たる例で、放置すればするほどに車輪が真円でなくなり、走行中に非常に耳障りな音がでる。裏を返せばそれだけの負担を車輌にかけなければならない運行体制であるともいえる。
但し、この傾向は他のJR各社でも多かれ少なかれ見られる面もある(JR東日本においても、最近まで房総地区で特急列車に運用されていた183系などは、車体の塗装が剥げて錆が浮いた状態でも定期運用に就いていた事や、中央快速線で運用されている201系が、JR西日本所属車と比べて過酷な運用となっている為か、一部では『ジェット音』と呼ばれるような異音を鳴らす車両が多い事でも有名である)。
  • 4年に1度速度計の精度を検査するよう義務付けられているにもかかわらず、車両メーカーからの納入後1度も検査していなかったことがわかる。2%までの誤差は許容範囲とされているが3~4%の誤差があった可能性があるという。
ただし、仮にそのような誤差があったとしても、事故現場の制限速度が発生当時は70km/hとなっていた事から4%の誤差があったと計算して約73km/hとなる事から、これで事故が発生すれば発生現場での速度制限値自体の問題となり、該当事故の直接的な原因にはならなかったとの見方が強い。

事故乗務員の問題

  • 事故を起こした運転士は運転歴11ヵ月で、運転技術や勤務姿勢が未熟であった可能性がある。
この背景には、国鉄分割民営化後の人員削減策で、特にJR西日本においては他のJR各社と比べると長期間にわたって職員の新規採用者を絞り、定年退職者がまとまった数になったのを契機に採用者を増やしたため、運転士の年齢構成に偏ったばらつきが出て、運転技術を教える中堅およびベテラン運転士が少なくなったと言われている。
  • 始発である宝塚駅の構内へと進入する際、ATS(自動列車停止装置)が作動し、本来の停車位置より手前に停車。修正しようと進行し、今度は本来の停車位置をオーバーランするなどトラブルを起こしていた。また、同駅で車掌とのコンタクトを取らなかった。
  • その後、伊丹駅で起こした70mのオーバーランについて、運転士が車掌に依頼し、当初は8mのオーバーランと過少申告したとされている。
このオーバーランについて事故を起こす30秒前に指令所と車掌との無線連絡を聞いていて、その内容は指令所から1分以上の遅れについて遅れを取り戻すように何度も催促するものであった。
  • その後、尼崎駅JR神戸線の列車と相互連絡するため、自らのミスによる約2分のダイヤの遅れを取り戻そうとしていた事が、速度制限を大幅に超過する運転行為に繋がったとされる。

日勤教育の問題

  • また、目標が守られない場合に、乗務員に対する処分として、日勤教育という、再教育などの実務に関連したものではなく懲罰的なものを科していた。それが十分な再発防止の教育としての効果に繋がらず、却って乗務員のプレッシャーを増大させていた温床との指摘も受けている。
日勤教育については事故が起こる半年前に、国会において国会議員より「重大事故を起こしかねない」として追求されている。また、日勤教育は「事故の大きな原因の一つである」と、多くのメディアで取り上げられることになった。
事故を起こした当該運転士は過去に運転ミスなどで3回日勤教育を受けていたが、心理学に詳しい者からは、該当の運転士の事故直前の行動から、何らかの注意障害ADHDアスペルガー症候群など)を抱えていた疑いもあり、会社側としての適切なフォロー(採用時の社員の適性チェックや、業務の適性に合わない者に対する配置換えなど)が欠けていたが為に、過去のミスの事例を詳細に分析する事を怠った結果、事故を未然に防げなかったとの見方も出ている。

その他の問題

  • JR西日本が絡んだ重大な列車事故として、1991年5月に発生した信楽高原鉄道での同社線内列車とJR西日本からの直通列車との正面衝突事故があるが、JR西日本は信号システムを信楽高原鉄道に全く連絡せずに改変するなどの行為があったとされたが、結局刑事告訴はされないままに終わった。
当該事故とは性質は大きく異なるものの、先の事故を起こした体質に対する反省が無されぬまま、再び当該事故を招くことになったとの指摘がある。
  • 同電車にJRの運転士が2人乗車していたが、運転区長の業務優先や大阪支社長の講演会への出席の指示により救助活動を行わなかった。
  • JR西日本管内のATSで制限速度の設定を誤っていた箇所が多数確認される。
  • この事故の影響で通勤電車の車輌不足が発生し、JR東日本にて余剰となっていた103系電車8両を購入する。

路線の周辺環境

  • 電車が激突したマンションは2002年11月下旬に建てられた。
  • 線路とマンション間の距離は6mに満たなかった。海外メディアは事故当初、この点について強く指摘していたが、日本の都会の土地・住宅事情を考慮すればやむを得ないことであり、そのような場所は日本全国に多数存在している。

(参考―フランスのTGVでは、開業当時の線路と最寄の住居の距離は150mだった。-出典『科学大辞典-MEGA』講談社)

運休から運転再開へ

この事故により福知山線の宝塚駅~尼崎駅間で運転が休止された。また、同線を経由する形で運行されている特急列車(北近畿、文殊タンゴエクスプローラー)も福知山駅以北の区間のみの運行となった。なお運休による減収は1日約3000万円が見込まれている。

復旧工事は同年5月31日から開始された。その後、同年6月7日から試運転を開始。2006年3月までの暫定的な運転ダイヤグラムを提出し、同年6月19日午前5時、55日ぶりの全線運転再開となった。

振り替え輸送

福知山線の運転休止期間中、福知山線沿線である三田・宝塚・川西・伊丹周辺と、大阪・神戸周辺を結ぶ経路において、振り替え輸送が実施される。

事故後、福知山線利用者の多くは競合している阪急電鉄の振り替え輸送を利用し、事故から約1ヶ月後の5月23日には阪急ホールディングスが1日平均で約12万人の乗客を振り替え輸送していることを発表した。

阪急電鉄を利用する方法で大阪と宝塚の間を移動する場合、所要時間そのものは福知山線を利用した場合に比べて約10分多く要する程度であるが、これに乗車駅や降車駅での乗り換え・乗り継ぎに要する時間がそれぞれ加わることによって、合計で20~30分程度の時間が余分に必要となり、通勤・通学など利用者の大きな障害となる。

また、振り替え輸送を行った路線では、事故以前からの既存利用者にも列車・バスの車内や駅などの混雑という形で影響が及び、ゴールデンウィークがあけた5月9日からは、混雑緩和のため阪神電気鉄道や同線に至る路線などが新たに追加された。

区間
  • 阪急電鉄
    • 宝塚本線:梅田駅~川西能勢口駅~宝塚駅
    • 神戸本線:梅田駅~塚口駅~西宮北口駅~三宮駅
    • 今津線:
      • 宝塚駅~西宮北口駅
      • 西宮北口駅~今津駅(5月9日~)
    • 伊丹線:伊丹駅~塚口駅
  • 阪神電気鉄道
    • 本線:梅田駅~尼崎駅~今津駅~元町駅(5月9日~)
  • 神戸高速鉄道
    • 東西線:
      • 阪急三宮駅~高速神戸駅~新開地駅
      • 阪神元町駅~高速神戸駅(5月9日~)
    • 南北線:新開地駅~湊川駅
  • 神戸電鉄
    • 有馬線:湊川駅~谷上駅~有馬口駅
    • 三田線:有馬口駅~横山駅~三田駅
    • 公園都市線:横山駅~ウッディタウン中央駅
  • 阪急バス
    • 尼崎線(56系統):川西バスターミナル~阪神尼崎(5月9日~)
  • 阪神電鉄バス
    • 尼崎宝塚線:宝塚~阪神尼崎(5月9日~)
    • 杭瀬宝塚線:宝塚~阪神尼崎駅北(5月9日~)

不通特約

振り替え輸送の他にも不通特約の切符を発行する措置もした。不通特約の切符とは、みどりの窓口の駅員が普通の切符に赤いペンで手書きで「不通特約」と書いただけの切符のことなのだが、この切符は福知山線経由と同じ料金で山陰本線などのほかの路線経由で目的地まで向かう事が出来る。主に宝塚~尼崎間またぐ長距離の利用客に発行された。発行された例として、山陰本線京都駅経由の新大阪~福知山がある。

復旧工事

復旧工事は5月30日午前8時から始まる予定であった。しかし、周辺の住民の同意を十分に得ないまま工事が行われようとしたとして一部から抗議が寄せられたため、工事は午前9時頃から中断し、30日の工事は中止になった。30日はJR西日本の担当者が周辺の住民を戸別訪問し了解を取る作業を続ける。住民の同意が得られたとして工事が31日午後1時から始まり6月3日に終わる。そして、住民への戸別訪問による工事終了の説明をして完了する。

試験運転

6月7日以降に行われた。7日には221系網干総合車両所A9編成・201系同所C32編成による走行試験、8日には207系同所F1編成によるATS-P作動試験が行われた。

運転再開

  • 6月19日に宝塚~尼崎間で運転が再開された。しかし「まだ原因もはっきりしていないのに運転再開とはどういうことか」等といった一部からの反発もある。
  • ダイヤは事故前から大きく変更されて快速電車の朝ラッシュ時間帯の所要時間はおよそ1分30秒伸ばされ20分になる。
  • 当面の間宝塚~尼崎間の最高速度は120km/hから95km/hに、また遺族や近隣住民への配慮の点から事故のあったカーブの制限速度は70km/hから60km/hにそれぞれ引き下げられ、実際の列車走行時には更にそれより低い速度で運転される事も珍しくない。
  • 尼崎 - 新三田間に拠点P方式のATS-Pが導入され、6月19日から運用を開始する。従来のATS-SWも存置されているが、速度照査用地上子が設置され、事故現場に於いてATS-SWでの速度照査も開始された。(詳細はJR西日本の速度照査に記載)
  • 再開翌日の夕方、現場のカーブを通過しようとした特急列車「北近畿15号」が速度超過により緊急停車した。場所が場所、時期が時期なだけに報道陣の目の前での停車となって、皮肉にも速度照査機能が正常に作動した事を証明した形となる。即日のうちに、国交省より注意を受ける。

その後

  • 事故を起こした列車の列車番号「5418M」は欠番となり、同時刻を走る列車は「5818M」を名乗るようになる。
  • 2006年春に予定されているダイヤ改正において、同社の路線全体におけるダイヤの余裕時分を増やし(例:新快速列車の三ノ宮駅-大阪駅間の所要時間が、現行の19分から20分に)、駅ごとの乗降数に応じて停車時間も10秒~1分ほど延長されるほか、それに伴って乗務員が不足する状況への苦肉の策として、同社の路線全体で140本の列車を削減するとの発表が行われた。
現時点では、JR神戸線須磨駅-西明石駅間の各駅停車列車を現行の毎時8本から4本に半減させるなど、昼間時の利用率の低い区間の列車が削減対象の一部に入っているとマスコミ各社で報じられているが、事故発生路線であるJR福知山線における詳細は不明である。
  • 事故の後、乗客の一部がJR西日本の安全性、企業の姿勢に不安を感じ阪急宝塚線に流れているが、JR西日本の発表によると9割方の乗客が戻っている。ただし実数は未調査のため不明である。
塗色の塗り替えが進む207系(住道駅・2005/12/10 by O.k.)
  • 遺族感情への配慮などのため、その後に登場した321系のラインカラーが、当初予定されていた青2色から、紺・オレンジを基本とする配色に変更された。また、事故列車と同じ207系も同年11月25日から同様に配色変更された車両の営業運転が順次開始されており、2006年3月末までに対象車両全477両の配色変更を終わらせる予定である。

補償問題

JR西日本は電車が激突したマンションを買い取り、慰霊碑を建てる事を検討していることを発表した。しかし、マンションの住民のうち買い取りを望んでいない住民もいる。現場の保存も検討しているとした。2006年までに解決する予定である。

沿線への影響

運休が2ヶ月近くに及んだため、駅周辺の商店街の利用者が激減し、営業時間の短縮・休業により商店街への売り上げの影響を受けている。福知山線の駅周辺の商店街が経営難に陥り閉店する恐れがあると懸念されていると報道された。

伊丹駅周辺

この事故で復旧するまでの間、JRと阪急の駅の客足が大きく変化している。伊丹市の玄関口は阪急伊丹駅が震災で全壊したのを期にJRの伊丹駅に移り、事故後にJRが不通になると阪急伊丹駅の乗客数は震災前の乗客の多かった時期を超えて増え、事故前の乗客数23000人に対し事故後は47000人と阪急にシフトしている。駅ビルのおよそ1200台収容できる地下駐輪所はすぐに埋まり、自転車放置禁止の場所にまで駐輪する人がでてきている。しかし、JR伊丹駅周辺のおよそ2000台収容できる駐輪所はガラガラの状態であった。JR伊丹駅周辺のダイヤモンドシティテラスも、JRを利用して訪れる客は2割はいるので影響を被っていて、事故後に1割ほど減っている。

JR西日本人事への影響

事故があまりにも甚大だったため、経営陣の引責辞任は不可避であると見られていたが、後継人事は難航した。 結局、2006年2月1日付で南谷昌二郎会長と垣内剛社長は退任し、山崎昌二郎副社長が社長に昇格、外部(住友電工)から会長として倉内憲孝氏を迎えることになった。 なお、相談役であり国鉄民営化の立役者としてJR西日本への影響力が強かった井手正敬氏もその職を辞した。

マスメディアへの影響

番組編成

テレビ各局は事故がおきて約一時間後、通常放送を中止し、報道特別番組に切り替えたり、番組の内容をすべて変更して列車事故に関するニュースを19時まで報じた。関西の一部民放局では19時以降も通常番組を中止し、報道特別番組を放送した。

報道のあり方について

「ATS-Pが導入されていたら速度超過で自動的にブレーキがかかるので事故は防げた」という報道が多くなされた。しかしATS-Pだけでなく旧型のATS-SWであっても速度照査の機能は比較的安価に追加可能であって、事故現場にそれが設置されていなかったのが問題である。だがマスメディアは速度照査についてJR西日本が導入を予定していたATS-Pを主にとりあげ、ほかの型の速度照査についてあまり詳しく説明しなかった。

事故直後のマスメディアの報道は、事故当日に同社社員が救助や阪神・淡路大震災以来の待機体制である「第1種A体制」を優先せずにボウリング大会などの懇親行事を取りやめずに開催して、時間とともに事故の規模が判明していき犠牲者も増えているのにもかかわらず中止せず、ボウリングをどのような様子でしていたのか、居酒屋などで4次会までしてどのような飲食をしたのかといった事故をおこした会社の社員としての自覚や事故の原因究明、再発防止をないがしろにしていないかと懐疑的な報道をした。それは行き過ぎたJR西日本叩きであって、事故再発防止のための正しい報道であったとは言いがたいのではないかといった声もある。

また、全国各地での直ちに危険に繋がるものではないオーバーランや数メートル程度のささいなオーバーランも昔から日常的に発生しているものであるが、この事故を契機に、各地で相次いだ事件とインシデント(事故を引き起こす危険性が高い事態であったが、実際には事故にならなかった案件)が連日取り上げられて報道される。

この事故の夜のJR西日本の記者会見で、読売新聞の記者が感情的発言を繰り返し、会見をテレビニュースやインターネット等で見た視聴者などからの苦情・抗議などにより他のマスメディアからも批判を受ける。

さらに、事故当時、一部のマスメディアが取材ヘリを現場に飛ばし、救出活動を妨げた(要救助者の声や生体反応をローター音で遮ってしまう)。これは新潟県中越地震でも一度問題になっていた直後だった為、インターネットにおいて更なるマスコミ批判を呼んだ。


番組への影響

その他の影響

社内スポーツ活動への影響

脱線事故を受け、社内運動部であるJR西日本硬式野球部はすぐに活動自粛を発表、7月には日本野球連盟に休部届を提出して、現在も活動休止状態にある。毎年行われていたJRグループの対抗戦も中止となった。

海外の反響

この事故は、海外でも大きな反響を集め、各国の報道機関が報道している他、ジャック・シラクフランス大統領、ヨシュカ・フィッシャードイツ外務大臣、コンドリーザ・ライスアメリカ合衆国国務長官、王毅中華人民共和国大使も日本政府に弔意を表明した。

鉄道模型メーカーへの影響

  • Nゲージ鉄道模型の大手メーカーであるトミーテック(TOMIX)が207系のモデル(1000番台)を発売していたが、遺族や被害者、沿線住民の感情を考慮して、同製品を生産中止した。
  • 同じく、Nゲージ鉄道模型大手メーカーの関水金属(KATO)が207系のモデル(2000番台)を製品化する予定だったが、トミーテックと同様の理由から製品化中止となった。

事件

事故発生後、これに関連・便乗した事件が発生している。以下はその一部である。

  • 事故には直接関係のないJR西日本の運転士がホームで蹴られるなど、乗務員や駅員への暴行や嫌がらせなどが相次いで発生。乗務員の交替の際に警備員が警護する事態に発展する。
  • 振り替え輸送を行う路線において、混雑が増したのに便乗した痴漢などの犯罪が増加する。
  • 広島県内の山陽本線や可部線、千葉県内の東金線など、脱線事故を真似て線路上に自転車を置いて列車に衝突させる事件が相次ぎ、逮捕者が出る。
  • 事故列車に乗り合わせていたと偽り、JR西日本から見舞金をだまし取った詐欺容疑で複数人が逮捕される。
  • 事故を引き合いにして、直接関係が無いJR九州の駅設備などを酔って破壊した男が逮捕される。
  • 電留線に止めてあった電車に事故に関連した内容の落書きが書かれる。

関連項目

関連書籍

外部リンク

ウィキニュース ウィキニュースに、JR福知山線脱線事故に関連するニュースがあります。