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==起源== |
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==各国でのバレンタインの形== |
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恋人たちの愛の誓いの日とされ、世界各地で様々な祝い方がある。 |
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[[ヨーロッパ]]などでは[[花]]や[[ケーキ]]、[[カード]]などを恋人に贈る習慣がある。これは[[日本]]とは違い、女性から男性のみとは限らない。 |
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女性が男性に[[チョコレート]]を贈る習慣は日本で始まったもので、欧米ではみられないといわれるが、英語版wikipediaに「バラ、チョコレート、宝石などの贈り物」という表記があり、英語圏でもチョコレートを贈るのはごく普通である。ただ日本のようにチョコレート一色という状況はない。最も「甘く、スウィート」ということで、この菓子が選ばれたとされる。 |
女性が男性に[[チョコレート]]を贈る習慣は日本で始まったもので、欧米ではみられないといわれるが、英語版wikipediaに「バラ、チョコレート、宝石などの贈り物」という表記があり、英語圏でもチョコレートを贈るのはごく普通である。ただ日本のようにチョコレート一色という状況はない。最も「甘く、スウィート」ということで、この菓子が選ばれたとされる。 |
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現在ではチョコレートの年間消費量の4分の1がこの日に消費されると言われるほどの国民的行事となっている。当初は女性が男性に愛の告白をする日とされていたが、恋人や夫妻の間でも行われるようになり、さらには女性社員が上司などにチョコレートを贈る「義理チョコ」という習慣も生まれた。 |
現在ではチョコレートの年間消費量の4分の1がこの日に消費されると言われるほどの国民的行事となっている。当初は女性が男性に愛の告白をする日とされていたが、恋人や夫妻の間でも行われるようになり、さらには女性社員が上司などにチョコレートを贈る「義理チョコ」という習慣も生まれた。 |
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===韓国・台湾=== |
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[[韓国]]や[[台湾]]などのバレンタインデーでは、日本のようにチョコレート一色ということはないが、日本の影響で、よく贈られるものの一つにチョコレートは挙げられる。しかし、台湾では男性が送り手である場合が多い。 |
[[韓国]]や[[台湾]]などのバレンタインデーでは、日本のようにチョコレート一色ということはないが、日本の影響で、よく贈られるものの一つにチョコレートは挙げられる。しかし、台湾では男性が送り手である場合が多い。 |
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台湾には、8月の旧暦[[7月7日]]にあたる日にも[[情人節]]というバレンタインデーと似た行事が行われる。 |
台湾には、8月の旧暦[[7月7日]]にあたる日にも[[情人節]]というバレンタインデーと似た行事が行われる。 |
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==バレンタインデーから派生した文化== |
== バレンタインデーから派生した文化 == |
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日本では、1か月後の[[3月14日]]を[[ホワイトデー]]と呼び、この日に返礼のプレゼントをする習慣が生まれている。代表的な贈り物は[[クッキー]]であるが、バレンタインデーでのチョコレートほど画一的ではない。台湾では、ホワイトデーでもやはり男性からプレゼントがある。韓国ではホワイトデーは日本と同様であるが、近年若者の間では[[4月14日]]にはここまで何ももらえなかった人が寂しく[[チャジャン麺]]を食べる[[ブラックデー]]がある、といった具合に毎月14日に何かの日を設定したものが流行している。 |
日本では、1か月後の[[3月14日]]を[[ホワイトデー]]と呼び、この日に返礼のプレゼントをする習慣が生まれている。代表的な贈り物は[[クッキー]]であるが、バレンタインデーでのチョコレートほど画一的ではない。台湾では、ホワイトデーでもやはり男性からプレゼントがある。韓国ではホワイトデーは日本と同様であるが、近年若者の間では[[4月14日]]にはここまで何ももらえなかった人が寂しく[[チャジャン麺]]を食べる[[ブラックデー]]がある、といった具合に毎月14日に何かの日を設定したものが流行している。 |
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==バレンタインデーの歴史== |
== バレンタインデーの歴史 == |
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バレンタインデーの歴史は、[[ローマ帝国]]の時代にさかのぼる。当時、ローマでは、2月14日は女神[[ユノ]]の祝日だった。ユノはすべての神の女王であり、家庭と結婚の神でもある。翌2月15日は、豊年を祈願する(清めの祭りでもある)[[ルペルカリア祭]]の始まる日であった。当時若い男たちと娘たちは生活が別だった。祭りの前日、娘たちは紙に名前を入れた札を桶の中に入れることになっていた。翌日、男たちは桶から札を1枚ひいた。ひいた男と札の名の娘は、祭りの間パートナーとして一緒にいることと定められていた。そして多くのパートナーたちはそのまま恋に落ち、そして結婚した。 |
バレンタインデーの歴史は、[[ローマ帝国]]の時代にさかのぼる。当時、ローマでは、2月14日は女神[[ユノ]]の祝日だった。ユノはすべての神の女王であり、家庭と結婚の神でもある。翌2月15日は、豊年を祈願する(清めの祭りでもある)[[ルペルカリア祭]]の始まる日であった。当時若い男たちと娘たちは生活が別だった。祭りの前日、娘たちは紙に名前を入れた札を桶の中に入れることになっていた。翌日、男たちは桶から札を1枚ひいた。ひいた男と札の名の娘は、祭りの間パートナーとして一緒にいることと定められていた。そして多くのパートナーたちはそのまま恋に落ち、そして結婚した。 |
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聖バレンタインに関する伝説は複数あり、没年が異なっていたり、細部が異なっていたりするものが複数伝えられている。 |
聖バレンタインに関する伝説は複数あり、没年が異なっていたり、細部が異なっていたりするものが複数伝えられている。 |
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2005年5月23日 (月) 08:03時点における版
バレンタインデー (St. Valentine's Day) は、キリスト教の祝日。
269年2月14日に兵士の自由結婚禁止政策に反対したことによりローマ皇帝の迫害を受けて処刑された聖バレンタイン司教を記念して設けられた。
起源
各国でのバレンタインの形
恋人たちの愛の誓いの日とされ、世界各地で様々な祝い方がある。
欧米
ヨーロッパなどでは花やケーキ、カードなどを恋人に贈る習慣がある。これは日本とは違い、女性から男性のみとは限らない。
日本
女性が男性にチョコレートを贈る習慣は日本で始まったもので、欧米ではみられないといわれるが、英語版wikipediaに「バラ、チョコレート、宝石などの贈り物」という表記があり、英語圏でもチョコレートを贈るのはごく普通である。ただ日本のようにチョコレート一色という状況はない。最も「甘く、スウィート」ということで、この菓子が選ばれたとされる。
日本でのバレンタインデーとチョコレートの歴史は、1958年にメリーチョコレートカムパニーが行った新宿・伊勢丹でのチョコレートセールが始まりとされるが、実際にはモロゾフが1936年2月12日に、国内英字雑誌にバレンタインチョコレートの広告を出している。ただどちらにしても、あまり売れなかったようである。伊勢丹でのセールでは、1年目は3日間で3枚、170円しか売れなかったとの記録がある。
現在ではチョコレートの年間消費量の4分の1がこの日に消費されると言われるほどの国民的行事となっている。当初は女性が男性に愛の告白をする日とされていたが、恋人や夫妻の間でも行われるようになり、さらには女性社員が上司などにチョコレートを贈る「義理チョコ」という習慣も生まれた。
韓国・台湾
韓国や台湾などのバレンタインデーでは、日本のようにチョコレート一色ということはないが、日本の影響で、よく贈られるものの一つにチョコレートは挙げられる。しかし、台湾では男性が送り手である場合が多い。 台湾には、8月の旧暦7月7日にあたる日にも情人節というバレンタインデーと似た行事が行われる。
バレンタインデーから派生した文化
日本では、1か月後の3月14日をホワイトデーと呼び、この日に返礼のプレゼントをする習慣が生まれている。代表的な贈り物はクッキーであるが、バレンタインデーでのチョコレートほど画一的ではない。台湾では、ホワイトデーでもやはり男性からプレゼントがある。韓国ではホワイトデーは日本と同様であるが、近年若者の間では4月14日にはここまで何ももらえなかった人が寂しくチャジャン麺を食べるブラックデーがある、といった具合に毎月14日に何かの日を設定したものが流行している。
バレンタインデーの歴史
バレンタインデーの歴史は、ローマ帝国の時代にさかのぼる。当時、ローマでは、2月14日は女神ユノの祝日だった。ユノはすべての神の女王であり、家庭と結婚の神でもある。翌2月15日は、豊年を祈願する(清めの祭りでもある)ルペルカリア祭の始まる日であった。当時若い男たちと娘たちは生活が別だった。祭りの前日、娘たちは紙に名前を入れた札を桶の中に入れることになっていた。翌日、男たちは桶から札を1枚ひいた。ひいた男と札の名の娘は、祭りの間パートナーとして一緒にいることと定められていた。そして多くのパートナーたちはそのまま恋に落ち、そして結婚した。
ローマ帝国皇帝クラウディウス2世は、愛する人を故郷に残した兵士がいると士気が下がるという理由で、ローマでの兵士の婚姻を禁止した。キリスト教司祭だった聖バレンタインは秘密に兵士を結婚させたが、捕らえられ、処刑された。処刑の日は、ユノの祭日であり、ルペルカリア祭の前日である2月14日があえて選ばれた。バレンタインはルペルカリア祭に捧げる生贄とされたのである。このためキリスト教徒にとっても、この日は祭日となり、恋人たちの日となった。
この逸話には若干つけたしが必要である。初期のローマ教会は、当時の祭事から異教の要素を排除しようと努力した跡がみられる。ルペルカリア祭は排除すべきだが、ただ禁止しても反発を招くだけである。教会がとった方法は、この祭りに何かキリスト教に由来する理由をつけることだった。そこで兵士の結婚のために殉教したバレンタイン司教の助けを借りることにしたと考えられる。こうしてキリスト教以前からあったルペルカリア祭は、バレンタイン由来の祭りであると解釈を変更され、祭りはその後も続いた。
聖バレンタインに関する伝説は複数あり、没年が異なっていたり、細部が異なっていたりするものが複数伝えられている。