「ノート:エホバの証人」の版間の差分
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::上記に対しての異存はありません。後は[[#作業分担]]の問題を残すのみかと思われます。[[利用者:Rigel|Rigel]] 2007年7月7日 (土) 03:20 (UTC) |
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:::上記の文はPOVであると主張します。 |
:::上記の文はPOVであると主張します。 |
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:::理由1:''エホバの証人とは、ものみの塔聖書冊子協会の主張する聖書解釈を実践する者''とありますが、これは批評家が勝手に主張している見解であり、実際にはエホバの証人は聖書により訓練された個人の良心により行動していると言う事実を無視している。解釈は人により異なることもある。 |
:::理由1:''エホバの証人とは、ものみの塔聖書冊子協会の主張する聖書解釈を実践する者''とありますが、これは批評家が勝手に主張している見解であり、実際にはエホバの証人は聖書により訓練された個人の良心により行動していると言う事実を無視している。解釈は人により異なることもある。 |
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:::理由2:''エホバの証人…はメディアではその教団名であるかのように用いられることもある'':これも事実と反する。エホバの証人自身がこの名称をグループ名(教団名)として受け入れている。 |
:::理由2:''エホバの証人…はメディアではその教団名であるかのように用いられることもある'':これも事実と反する。エホバの証人自身がこの名称をグループ名(教団名)として受け入れている。 |
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:::理由3:''三位一体を否定し、・・・ニカイア・コンスタンティノポリス信条に従っていないため異端に属することになる'':これはカトリック・プロテスタント両教会が主張しているPOVな主張。この主張をNPOVにするにはニカイア・コンスタンティノポリス信条や三位一体が聖書正典の教理と一致していることを証明する必要あり。エホバの証人は三位一体が聖書と矛盾すると主張し、その根拠となる聖句を上げている。 |
:::理由3:''三位一体を否定し、・・・ニカイア・コンスタンティノポリス信条に従っていないため異端に属することになる'':これはカトリック・プロテスタント両教会が主張しているPOVな主張。この主張をNPOVにするにはニカイア・コンスタンティノポリス信条や三位一体が聖書正典の教理と一致していることを証明する必要あり。エホバの証人は三位一体が聖書と矛盾すると主張し、その根拠となる聖句を上げている。 |
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:::理由4:''[エホバの証人]自身は、「自分たちこそが真のクリスチャンであり、聖書の音信を忠実に伝えている」といった見解を示す。'':これも嘘。エホバの証人はそのようなことを主張したことはない。むしろ、聖書正典が真理であり、エホバの証人が全体としてそれに従っているゆえに真のクリスチャンである、と言う見解。エホバの証人の出版物は不謬ではない(間違いがないわけではない)ことを認めている。実際、教理の調整(変更)はたびたびなされている。~~ |
:::理由4:''[エホバの証人]自身は、「自分たちこそが真のクリスチャンであり、聖書の音信を忠実に伝えている」といった見解を示す。'':これも嘘。エホバの証人はそのようなことを主張したことはない。むしろ、聖書正典が真理であり、エホバの証人が全体としてそれに従っているゆえに真のクリスチャンである、と言う見解。エホバの証人の出版物は不謬ではない(間違いがないわけではない)ことを認めている。実際、教理の調整(変更)はたびたびなされている。~~ |
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<反論> |
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>上記の文はPOVであると主張します。 |
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:POVではありません。むしろ後述のように反論しましたが、ノートの議論の参加せず護教的な記述に編集するほうがPOVなので慎まれたい。またアタナシウス信経というのは特殊な用語です。一般的に使われる普通の言葉を使うことができないことこそあなたの記述がPOVであることの証左です。 |
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:本文中>''[[聖書]][[正典]]のみを研究し、それを実践するキリスト教のグループである。'' |
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:は著しくPOV、すなわち中立的ではありません。なぜなら'''エホバの証人以外は、エホバの証人が[[聖書]][[正典]]のみを研究している、とは考えていない'''からです。 |
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*理由1:''エホバの証人とは、ものみの塔聖書冊子協会の主張する聖書解釈を実践する者''とありますが、これは批評家が勝手に主張している見解であり、実際にはエホバの証人は聖書により訓練された個人の良心により行動していると言う事実を無視している。解釈は人により異なることもある。 |
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::あなた自身が「これは批評家が勝手に主張している」と考えているだけで、事実として批評家がそのように主張していることを認めているのだから客観的な記述であることは論を待たない。論理が破綻している。 |
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::単なる客観的な事実記載であるのだからPOVとして差し戻しをする正当な理由がない。同じメディアの主張であってもキリスト教系新宗教ということについては、そういった表現を避けて客観的な記述になるようにし、宗教学上の記述として限定しているわけであるからこれは勝手な解釈ではない。 |
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*理由2:''エホバの証人…はメディアではその教団名であるかのように用いられることもある'':これも事実と反する。エホバの証人自身がこの名称をグループ名(教団名)として受け入れている。 |
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::あなたの周辺のエホバの証人の方々がグループ名(教団名)として受け入れていても、[[利用者:Rigel|Rigel]]さんのように考えている方もいるし、一般的な新聞雑誌の意見であるから、事実と反しない。 |
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*理由3:''三位一体を否定し、・・・ニカイア・コンスタンティノポリス信条に従っていないため異端に属することになる'':これはカトリック・プロテスタント両教会が主張しているPOVな主張。この主張をNPOVにするにはニカイア・コンスタンティノポリス信条や三位一体が聖書正典の教理と一致していることを証明する必要あり。エホバの証人は三位一体が聖書と矛盾すると主張し、その根拠となる聖句を上げている。 |
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::これは、カトリック・プロテスタント両教会の立場を事実記載として例示しているだけで、エホバの証人の立場もその後に記述しているので、POVではない。都合の悪い事実記載を除いて護教的な記述に終始することこそPOVである。三位一体が聖書正典の教理と一致していることはキリスト論の神学書や各種聖書注解書、エホバの証人の反論本で自明であり、ここでいちいちあなた個人のために引用する労力をわたしが負う必然性がない。もし、教団も間違えることがあるというなら、三位一体を否定する理由すらも将来成り立たなくなる可能性もある。それから、聖書正典が正しいといいつつ、'''教団以外の本で汚染されるなどという感覚をもっているならそれこそがあなた自身が洗脳されていてPOVな記述を繰り返していることの証明'''になる。'''虚心坦懐に自分の行為を振り返ること'''と、'''教団以外の文献を虚心坦懐に読む勇気'''をもつことをおすすめする。 |
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*理由4:''[エホバの証人]自身は、「自分たちこそが真のクリスチャンであり、聖書の音信を忠実に伝えている」といった見解を示す。'':これも嘘。エホバの証人はそのようなことを主張したことはない。むしろ、聖書正典が真理であり、エホバの証人が全体としてそれに従っているゆえに真のクリスチャンである、と言う見解。エホバの証人の出版物は不謬ではない(間違いがないわけではない)ことを認めている。実際、教理の調整(変更)はたびたびなされている。 |
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::嘘ではない。エホバの証人の方々の立場を客観的かつ好意的に記述しているのであり、そのたびに、間違いや教理の変更がなされているならそのほうがもっと問題である。つまりやっぱりうそだったということを自分で認めているわけで論理が破綻している。また、あなた自身が「聖書正典が真理であり、エホバの証人が全体としてそれに従っているゆえに真のクリスチャンである、と言う見解。」を持つのは自由であるが、そういった個人的な思い込みや感情こそが外部の人間からすれば事実ではなく著しくPOVであることを認識されたい。 |
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「[[聖書]][[正典]]のみを研究し、それを実践するキリスト教のグループである。」という記述と「アタナシウス信経」などという特殊用語ををやめてくれるなら、いくらかの加筆修正が必要になりますが以前のあなたの記述を前向きに検討する余地があります。---[[利用者:Siyajkak|Siyajkak]] 2008年1月7日 (月) 17:57 (UTC) |
2008年1月7日 (月) 17:57時点における版
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※ノート:エホバの証人/archive8の一部を編集の参考のために掲げておきます。
「キリスト教系」との表記と冒頭部分の記述について
「キリスト教系」についての解答です。上記で、私が何をどう考えどのように迷ったのかを記述すると、その私の解説を読んだ人が混乱するだけのような気がしますので、その部分の解説は割愛させて頂きます。手っ取り早く、「キリスト教系」の語を Google にかけたところ、以下のような語句が抽出できました。
- キリスト教系の出版社、キリスト教系の小売業者、キリスト教系高等学校、キリスト教系SNSサイト、キリスト教系書店、キリスト教系の月刊誌、キリスト教系課目、キリスト教系の大学、キリスト教系NGO、キリスト教系新聞、キリスト教系中学校、ユダヤ・キリスト教系の神学部、キリスト教系野党勢力、キリスト教系の幼稚園(以上、検索上位50件から抽出)
この結果からは、「キリスト教系」と表現することが「キリスト教であることを否定」することに繋がるという事実は存在しないように思えます。問題があるとすれば、検索結果の2番目にヒットした「キリスト教系の新宗教」という記事の内容との関連によるのでしょう(検索結果によってその存在を初めて知りました…いや、一連の著作権侵害の調査過程から知っていて然るべきなのですが、当時は全く眼中にありませんでした)。その内容が正しいことを前提に、その記事に「エホバの証人」を当てはめると、その位置づけは以下のようになります。
- (1)「ニカイア・コンスタンティノポリス信条を告白する宗教集団がキリスト教であり」とあるので、「伝統宗教としてのキリスト教内部」からは「キリスト教ではない」とされる。
- (2)「この中にあって…逸脱するものを異端…と呼ぶ。」とあるので、「この中」つまり「ニカイア・コンスタンティノポリス信条を告白」していないので「異端」ではないようです。この記事内に以前に「異端ですらない」と書かれたことがありましたが、その意味では正しかったようです。
- (3)「これに対して宗教学の立場からは、広義のキリスト教、すなわち聖書を経典としキリストを唯一の救世主と認める宗教を一般にキリスト教と認めようとする立場もある。」とあるので、「宗教学」の見解では「広義のキリスト教」として認められそうです。
- (4)「後者の立場からは、…キリスト教系の新宗教であると表現される。」とありますが、「後者」とは「聖書より上位の立場にある経典をもつ教団」のことなので、そうした上位の経典が存在しないエホバの証人は「キリスト教系の新宗教」ではないようです。
しかし、「エホバの証人」は、その記事の日本語版だけでなく英語版でもリストされており、もしかして日本語版の記事内容がどこか間違ってるのか?。と一瞬考えたのですが、英語版の記事名は "Restorationism" (復古主義?両者の内容はだいぶ異なる)なので、「記事内容に誤りが含まれている」とは一概に言えないようです。従って、「キリスト教系の新宗教」の記事内容が正しいと仮定した場合、「「広義のキリスト教」に属する新宗教」といったあたりが正しい描写になりそうです。また、「異端視される事も多い」との表現についても「批判される事も多い」などのように変更する必要があるかと。
エホバの証人は、宗教学上「広義のキリスト教」に分類される新宗教である。信者は多かれ少なかれほぼ全世界で活動し、宣教に熱心であることでも知られる。三位一体の教理を退けるため、ニカイア・コンスタンティノポリス信条に従っていないとして、伝統的キリスト教徒(もしくは「伝統的キリスト教を擁護する立場」)からは批判される事も多い。
まとめると、こんな感じになりますが…。Rigel 2007年6月29日 (金) 12:50 (UTC)
確認可能な百科辞典類の記述を洗ってみました。
- 平凡社『世界大百科事典』28,2005年(改訂)
ものみの塔;「一般に<エホバの証人Jehovah’s Witness>として知られるキリスト教の一派、および<ものみの塔聖書冊子協会Watch Tower Bible and Tract Society>の機関誌名.」(p.258) - 平凡社『世界大百科事典』1,2005年(改訂)
アリウス;「キリスト論に関する異端アリウス主義Arianismの主唱者・・・(中略)・・・近代のキリスト教諸宗派のなかでアリウス派に近いものは<エホバの証人>(ものみの塔)である。(p.561) - 山折哲雄監修『世界宗教大事典』平凡社,1991年
ものみの塔;「一般に<エホバの証人Jehovah’s Witness>として知られるキリスト教の一派で、・・(以下略)」(p.1919)
アリウス;「キリスト論に関する異端アリウス主義Arianismの主唱者・・・(中略)・・・近代のキリスト教諸宗派のなかでアリウス派に近いものは<エホバの証人>(ものみの塔)である。」(p.100) - 井上順孝、中牧弘允外『新宗教教団・人物事典』弘文堂,1996年
定義なし。「ラッセル(一八五二~一九一六)は、・・・(中略)・・・十八歳の頃聖書研究のグループを作る。・・・(中略)・・・「シオンものみの塔冊子協会」(英語名。中略)が組織される。」(p.304) - ジョン・R・ヒネルズ編/佐藤正英訳『世界宗教事典』青土社,1999年
「チャールズ・テーズ・ラッセル・・・(英語名、生没年。中略)・・・が、この至福千年運動ないしセクトの創始者。」(p.67)「エホバの証人は、・・・(中略)・・・三位一体をしりぞけ、イエス・キリストをアリウス主義的に理解する。」(pp.67-68) - 山折哲雄他編『日本「宗教」総覧』新人物往来社,1992年
第四部諸教編「神道、仏教、キリスト教以外の系統の教団」を収める。
- 「ものみの塔聖書冊子協会(エホバの証人)」の独立項目あり。
- 定義なし。「チャールズ・T・ラッセルは、・・・(中略)・・・聖書研究の集まりを始める。・・・(中略)・・・ものみの塔冊子協会を設立。」(p.308)
- 第9部新宗教
独立した定義項目なし。
「古代ユダヤ教のメシア待望の運動や原始キリスト教のキリスト再臨の運動、・・・(中略)・・・新宗教運動の特定の潮流のなかには、この特徴を見いだすことは可能である。・・・(中略)・・・「再臨のキリスト」による「最後の審判」や地上的な「神の王国」の間近な到来を告げ歩くキリスト教系のエホバの証人」(p.755)
「仏基両教の系譜をひくメシア的救済運動の創始者・・・(中略)・・・たとえば、ラッセル・・・(中略)・・・キリスト再臨の年を予言してきたエホバの証人の運動や、・・・(以下略)」(p.764)
※カーゴ・カルトなどと同じ千年王国運動の文脈で説明している。
- 村上重良『世界宗教事典』講談社,1986年,1990年(改訂)
- ※「プロテスタント(新教)諸派」(ルーテルからセブンスディー・アドヴェンティストまで一緒にしている。)と別項目で「エホバの証人・ものみの塔」の項目を立てる。
- 「エホバの証人は、・・・(中略)・・・キリスト教新教系の教派で、・・・(以下略)」(p.250)
- ※以下略には再臨や終末にかんする主張などの記述がある。
- 松野純孝編『新宗教辞典』東京堂出版,1984年
- 「チャールズ・T・ラッセルが、・・・(中略)・・・始めた聖書研究グループが組織化されたもの。」(pp.424~425)
- 「イエス・キリストはエホバによって最初に創造されたのである。」(p.425)
- ミルチャ・エリアーデ他/奥山倫明訳『エリアーデ世界宗教事典』せりか書房,1994年
- ※キリスト教の章があるがエホバの証人に関する記述は一切なく、巻末の語句解説に項目がある。
定義として「布教伝道活動で知られるキリスト教の教派。」(p.393)以下、会員数や創設に関する記述、再臨や終末にかんする記述がつづく。
- ジョン・ボウカー編松村一男監修『ケンブリッジ世界宗教百科』原書房,2006年
- キリスト教(Chistianity)の小項目アメリカの部分に記述あり。独立した定義項目なし。「歴史的伝統を持つ教派が異端とみなした新しい運動・・・(中略)・・・エホバの証人は、初期キリスト教徒が待望したように終末は近い、と主張し、・・・(以下略)」(p.258)
これをみてみると、「キリスト教の一派」、「キリスト教新教系の教派」との記述が見られる 一方、わざわざ、新宗教や諸教に分類する事典も見られます。ですから宗教学上、宗教人類学上の記述をするなら、 宗教学上は、キリスト教の一派とみなされることもあるが、そのキリストの再臨や終末論の強調から千年王国運動の系譜を引く新宗教とみなされている。 という記述になります。はっきり書いてはいませんが、カーゴ・カルトやゴースト・ダンスなどのメシア待望信仰は、文化人類学上は千年王国運動と一括して呼ばれます。時期的にも世界史的に新宗教が興隆した19世紀終わりごろであることからも、歴史認識上合致します。
それから、Rigelさんの
>伝統的キリスト教徒(もしくは「伝統的キリスト教を擁護する立場」)からは批判される事も多い。
ですが、伝統的キリスト教徒の立場からすれば、はっきり異端として位置づけています。教理の観点から異端としているわけですが、そのことは、前述した百科辞典類の引用をご覧になればわかるように、三位一体の否定が、アリウス派的な理解、すなわち「イエス・キリストはエホバによって最初に創造された」というキリスト論の考え方が教理上あるのであるならば、異端という位置づけになります。それから、例のキリスト教系の新宗教の記事ですが、フレーズだけでなく文全体を引用すると
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伝統宗教としてのキリスト教内部では、ニカイア・コンスタンティノポリス信条を告白する宗教集団がキリスト教であり、この中にあってキリスト教としての自己認識を保ちつつ正統教義から自覚的に逸脱するものを異端、教団外部にあるものを異教と呼ぶ。
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となります。ここで125.192.181.21.氏の
キリスト教系新興宗教と言う表現は明確にPOVですね。なぜなら、ものみの塔協会自体自分たちがキリスト教だと言っているのですから。
という発言が思いだされるのですが、異端の定義は、「キリスト教としての自己認識を保ちつつ正統教義(つまり、ニカイア・コンスタンティノポリス信条)から自覚的に逸脱するもの」であり、「この中にあって」という記述に引きずられないで、アリウス派的な教理から考えて異端そのものです。ただし、異端だと考えているのは「伝統的キリスト教徒」の側であり、エホバの証人、すなわちものみの塔冊子協会の会員は、125.192.181.21.氏が言うように、自分たちこそが真のクリスチャンであり、聖書の使信を忠実につたえているという認識です。なお、アリウス派ないしは、アリウス派に近い立場というのは、「伝統的キリスト教徒」の立場からすれば、基本信条から外れているのですから、わざわざ、(もしくは「伝統的キリスト教を擁護する立場」)との言い換えは不要です。よって冒頭部分は下記のようになります。
エホバの証人とは、(チャールズ・T・ラッセルがピッツバーグ市に開いた聖書研究グループが教団化した)「ものみの塔聖書冊子協会」の会員ないし信者のことをいい、しばしば、「ものみの塔聖書冊子協会」の会員を集合的に指す場合の呼称である。宗教学上は、キリスト教の一派とみな[or「広義のキリスト教」に分類]されることもあるが、そのキリストの再臨や終末論の強調から千年王国運動の系譜を引く新宗教とみなされている。また、ニカイア・コンスタンティノポリス信条及び三位一体を否定(し、イエス・キリストを被造物と)する教理などから、伝統的キリスト教徒からは異端であるとされるが、エホバの証人の立場は、自分たちこそが真のクリスチャンであり、聖書の使信を忠実につたえていると信じている。
または、
エホバの証人とは、(チャールズ・T・ラッセルがピッツバーグ市に開いた聖書研究グループが教団化した)「ものみの塔聖書冊子協会の会員ないし信者のことをいい、しばしば、ものみの塔聖書冊子協会の会員を集合的に指す場合の呼称である。宗教学上は、キリスト教の一派とみな[or「広義のキリスト教」に分類]されたり、キリストの再臨や終末論の強調から千年王国運動の系譜を引く新宗教とみなされている。また、ニカイア・コンスタンティノポリス信条及び三位一体を否定(し、イエス・キリストを被造物と)する教理などから、伝統的キリスト教徒からは異端であるとされるが、エホバの証人の立場は、いまや新世界訳聖書という最も適した翻訳を持っている自分たちこそが真のクリスチャンであり、聖書の使信を忠実につたえているという認識をもっている。
- (注)()は省略可能部分、[or ]は、入れ替え可能部分。
書いていてRigelさんが以前提案したように「ものみの塔聖書冊子協会」と「エホバの証人」を分割するか「ものみの塔聖書冊子協会」に改名する必要がある気がしてきました。というのは、百科辞典類が教団名を項目にしているからです。 Siyajkak 2007年7月5日 (木) 09:08 (UTC)---一部加筆及び修正Siyajkak 2007年7月5日 (木) 17:26 (UTC)
なるほど~(詳細な調査、ご苦労様です)。
「この中」とは「伝統宗教としてのキリスト教内部」なんでしょうね。この点は完全に私の読み違えだったようです。ところで、その「教団名」が何なのか?というと、信者自身であっても分からないと思います。この点、私はノート:ものみの塔聖書冊子協会にある Hasec さんの「そもそも、この教団に、「教団」としての正式名称があるのでしょうか?」という発言と意見を同じにします。「ものみの塔聖書冊子協会」が単なる一法人に過ぎないのも確かなのですが、「エホバの証人」が教団名、もしくはグループ名なのかというと、…
- 私はエホバの証人です o
- 私達はエホバの証人です o
- 私はエホバの証人の信者です x
- 私達はエホバの証人の信者です x
やはり違うと思うのです。他、
- ものみの塔聖書冊子協会の会員ないし信者のことをいい
- 「協会」という言葉が本来持つ意味からすると、「会員」などはなるほどと思うのですが、「…協会の会員」、「…協会の信者」と呼ばれることに対する反論が現役信者から起こるような予感があります(違和感を覚える表現ですので)。編集合戦を招かないためにもこうした表現は出来る限り避けるべきかと思います。
- 「広義のキリスト教」
- 元々は私の提案ですが、Google で検索をかけたところ、最初は「約 731 件」とあったのが、次の検索結果を表示すると17件にまで激減してしまいました。うち2つは Wikipedia 自身の記事で、そのクローンも5件含まれるため、あまり一般的な呼称ではないようです。また、そのうちの1つは内村鑑三氏への言及であり、その文脈からすると、単に「伝統=狭義、他=広義」という分類用語ではなく、「キリスト教への固執=狭義、他宗教への寛容=広義」という思想的な意味合いを含んだ語であるようです。もしこうした定義が本当に存在するのであれば、軽々しく用いるべきではないように思います。
- 伝統的キリスト教徒からは異端であるとされるが
- 「教徒」=「信者」なので、このように断定調で用いるならば、もう少し表現に工夫が必要かと思われます。
- 新世界訳聖書という最も適した翻訳を持っている
- 「最も適した翻訳」とみなしているわけではないでしょう(大半は。一部、そう勘違いしている信者もいるであろう可能性については否定しません)し、新世界訳を用いなくとも宣教する際に困ることはないでしょう。
また、ニカイア・コンスタンティノポリス信条の記事から分かることというのは、「ニカイア・コンスタンティノポリス信条」と「三位一体を信じていることを表明すること」は実質的に同一である、ということです。なので、「及び」(and)と表現して両者を別々のものであるかのように表すのはちょっと変です。
- エホバの証人とは、ものみの塔聖書冊子協会の主張する聖書解釈を実践する者、その一人ひとりを指す呼称。信者を集合的に指す呼称としても用いられるため、メディアではその教団名であるかのように用いられることもある。信者は多かれ少なかれほぼ全世界で活動し、宣教に熱心であることで知られる。宗教学上はキリスト教の一教派、もしくはキリストの再臨や終末論など教理的特長の類似から、千年王国運動の系譜を引く新宗教に分類される。
- 三位一体を否定し、キリスト教諸教派では最もアリウス派の解釈に近いとされる。このため、伝統的キリスト教会の定義に従うならば、ニカイア・コンスタンティノポリス信条に従っていないため異端に属することになるが、彼ら自身は、「自分たちこそが真のクリスチャンであり、聖書の音信を忠実に伝えている」といった見解を示す。
細部の表現等もまとめて修正すると、こんな感じになります。↑は昨夜のうちに書き上げていたのですが、色々と調べ物をしているうちにこんな時間になってしまいました。C.T.ラッセルへの言及を含むと冗長な文章となってしまうと感じます。Rigel 2007年7月6日 (金) 09:44 (UTC)
- コメントありがとうございます。当初から考えると的確な定義に仕上がってきて感動しています。お疲れ様です。わたし自身も「広義のキリスト教」と使うのは、首を傾げていましたので(実はRigelさんの記述を極端にいじりすぎた反省。)、ご自身で調査されて訂正されたことに敬意を表するとともに胸をなでおろしています。一方で、「教派」という語句ですが、宗教学上では、厳密な教理まではつきつめないため教派だろうと一派だろうと一緒くたでしょうから、教理的な性格が著しく異なることから「一派」くらいにしたいですね。また「伝統的キリスト教徒」というのも、Rigelさんの記述を尊重しようと意識しただけなので、「~教会」とされるならそのほうがいいです。
- >また、ニカイア・コンスタンティノポリス信条の記事から分かることというのは、「ニカイア・コンスタンティノポリス信条」と「三位一体を信じていることを表明すること」は実質的に同一である、ということです。なので、「及び」(and)と表現して両者を別々のものであるかのように表すのはちょっと変です。
- これはおっしゃるとおりです。ちょっと安易でしたね。ただ定義なり教理的になにを根拠としているか挙げてみたかったということなので異論ありません。
- >C.T.ラッセルへの言及を含むと冗長な文章となってしまうと感じます。
- これもそう思いながらもラッセルの聖書研究会がもとになったと書いている辞典類の記述にならってみたものなので、省略可能を想定した()でくくってみました。冗長なら、ないほうがよいと思います。
- ところで、
- >三位一体を否定し、キリスト教諸教派では最もアリウス派の解釈に近いとされる。
- についてですが、「ニカイア・コンスタンティノポリス信条を告白する宗教集団」こそが、伝統的なすべてのキリスト教会を包括する定義(いや本当に簡潔で的確な定義だ...)であるため、「キリスト教諸教派」でアリウス派ないしはアリウス派に近い立場というのは存在しないはずなので、「キリスト教諸教派」を「教理的に」に訂正させていただきます。(ただし、宗教学上~以下の記述には、キリスト教に属するもののように扱われるので、その趣旨を生かします。)
- 一方、
- >伝統的キリスト教会の定義に従うならば、ニカイア・コンスタンティノポリス信条に従っていないため異端に属することになるが
- ですが、この「定義」は、教理じゃないかと一瞬思いましたが、「ニカイア・コンスタンティノポリス信条を告白する宗教集団」こそが「伝統的キリスト教会」ですので、やっぱり「定義」のほうが的確であることに同意します。
- また、全体的に冒頭の二行は、一緒くたになる外部の者にとっては非常にわかりやすい的確な表現で感激しました。加えて「使信」が「音信」になっているのは、エホバの証人自身の主張の部分なので「音信」のほうが的確なのかと勉強になりました。
- 以上のことをまとめると、
- エホバの証人とは、ものみの塔聖書冊子協会の主張する聖書解釈を実践する者、その一人ひとりを指す呼称。信者を集合的に指す呼称としても用いられるため、メディアではその教団名であるかのように用いられることもある。信者は多かれ少なかれほぼ全世界で活動し、宣教に熱心であることで知られる。宗教学上はキリスト教の一派、もしくはキリストの再臨や終末論など教理的特長の類似から、千年王国運動の系譜を引く新宗教に分類される。
- 三位一体を否定し、教理的に最もアリウス派の解釈に近いとされる。このため、伝統的キリスト教会の定義に従うならば、ニカイア・コンスタンティノポリス信条に従っていないため異端に属することになるが、彼ら自身は、「自分たちこそが真のクリスチャンであり、聖書の音信を忠実に伝えている」といった見解を示す。
- 上記に対しての異存はありません。後は#作業分担の問題を残すのみかと思われます。Rigel 2007年7月7日 (土) 03:20 (UTC)
- 上記の文はPOVであると主張します。
- 理由1:エホバの証人とは、ものみの塔聖書冊子協会の主張する聖書解釈を実践する者とありますが、これは批評家が勝手に主張している見解であり、実際にはエホバの証人は聖書により訓練された個人の良心により行動していると言う事実を無視している。解釈は人により異なることもある。
- 理由2:エホバの証人…はメディアではその教団名であるかのように用いられることもある:これも事実と反する。エホバの証人自身がこの名称をグループ名(教団名)として受け入れている。
- 理由3:三位一体を否定し、・・・ニカイア・コンスタンティノポリス信条に従っていないため異端に属することになる:これはカトリック・プロテスタント両教会が主張しているPOVな主張。この主張をNPOVにするにはニカイア・コンスタンティノポリス信条や三位一体が聖書正典の教理と一致していることを証明する必要あり。エホバの証人は三位一体が聖書と矛盾すると主張し、その根拠となる聖句を上げている。
- 理由4:[エホバの証人]自身は、「自分たちこそが真のクリスチャンであり、聖書の音信を忠実に伝えている」といった見解を示す。:これも嘘。エホバの証人はそのようなことを主張したことはない。むしろ、聖書正典が真理であり、エホバの証人が全体としてそれに従っているゆえに真のクリスチャンである、と言う見解。エホバの証人の出版物は不謬ではない(間違いがないわけではない)ことを認めている。実際、教理の調整(変更)はたびたびなされている。~~
<反論>
>上記の文はPOVであると主張します。
- POVではありません。むしろ後述のように反論しましたが、ノートの議論の参加せず護教的な記述に編集するほうがPOVなので慎まれたい。またアタナシウス信経というのは特殊な用語です。一般的に使われる普通の言葉を使うことができないことこそあなたの記述がPOVであることの証左です。
- 本文中>聖書正典のみを研究し、それを実践するキリスト教のグループである。
- は著しくPOV、すなわち中立的ではありません。なぜならエホバの証人以外は、エホバの証人が聖書正典のみを研究している、とは考えていないからです。
- 理由1:エホバの証人とは、ものみの塔聖書冊子協会の主張する聖書解釈を実践する者とありますが、これは批評家が勝手に主張している見解であり、実際にはエホバの証人は聖書により訓練された個人の良心により行動していると言う事実を無視している。解釈は人により異なることもある。
- あなた自身が「これは批評家が勝手に主張している」と考えているだけで、事実として批評家がそのように主張していることを認めているのだから客観的な記述であることは論を待たない。論理が破綻している。
- 単なる客観的な事実記載であるのだからPOVとして差し戻しをする正当な理由がない。同じメディアの主張であってもキリスト教系新宗教ということについては、そういった表現を避けて客観的な記述になるようにし、宗教学上の記述として限定しているわけであるからこれは勝手な解釈ではない。
- 理由2:エホバの証人…はメディアではその教団名であるかのように用いられることもある:これも事実と反する。エホバの証人自身がこの名称をグループ名(教団名)として受け入れている。
- あなたの周辺のエホバの証人の方々がグループ名(教団名)として受け入れていても、Rigelさんのように考えている方もいるし、一般的な新聞雑誌の意見であるから、事実と反しない。
- 理由3:三位一体を否定し、・・・ニカイア・コンスタンティノポリス信条に従っていないため異端に属することになる:これはカトリック・プロテスタント両教会が主張しているPOVな主張。この主張をNPOVにするにはニカイア・コンスタンティノポリス信条や三位一体が聖書正典の教理と一致していることを証明する必要あり。エホバの証人は三位一体が聖書と矛盾すると主張し、その根拠となる聖句を上げている。
- これは、カトリック・プロテスタント両教会の立場を事実記載として例示しているだけで、エホバの証人の立場もその後に記述しているので、POVではない。都合の悪い事実記載を除いて護教的な記述に終始することこそPOVである。三位一体が聖書正典の教理と一致していることはキリスト論の神学書や各種聖書注解書、エホバの証人の反論本で自明であり、ここでいちいちあなた個人のために引用する労力をわたしが負う必然性がない。もし、教団も間違えることがあるというなら、三位一体を否定する理由すらも将来成り立たなくなる可能性もある。それから、聖書正典が正しいといいつつ、教団以外の本で汚染されるなどという感覚をもっているならそれこそがあなた自身が洗脳されていてPOVな記述を繰り返していることの証明になる。虚心坦懐に自分の行為を振り返ることと、教団以外の文献を虚心坦懐に読む勇気をもつことをおすすめする。
- 理由4:[エホバの証人]自身は、「自分たちこそが真のクリスチャンであり、聖書の音信を忠実に伝えている」といった見解を示す。:これも嘘。エホバの証人はそのようなことを主張したことはない。むしろ、聖書正典が真理であり、エホバの証人が全体としてそれに従っているゆえに真のクリスチャンである、と言う見解。エホバの証人の出版物は不謬ではない(間違いがないわけではない)ことを認めている。実際、教理の調整(変更)はたびたびなされている。
- 嘘ではない。エホバの証人の方々の立場を客観的かつ好意的に記述しているのであり、そのたびに、間違いや教理の変更がなされているならそのほうがもっと問題である。つまりやっぱりうそだったということを自分で認めているわけで論理が破綻している。また、あなた自身が「聖書正典が真理であり、エホバの証人が全体としてそれに従っているゆえに真のクリスチャンである、と言う見解。」を持つのは自由であるが、そういった個人的な思い込みや感情こそが外部の人間からすれば事実ではなく著しくPOVであることを認識されたい。
「聖書正典のみを研究し、それを実践するキリスト教のグループである。」という記述と「アタナシウス信経」などという特殊用語ををやめてくれるなら、いくらかの加筆修正が必要になりますが以前のあなたの記述を前向きに検討する余地があります。---Siyajkak 2008年1月7日 (月) 17:57 (UTC)