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「ホーチミン市」の版間の差分

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2007年7月18日 (水) 05:12時点における版

ホーチミン
Thành phố Hồ Chí Minh
ホーチミンの位置
地理
省都 -
地方 東南
面積 2,095 km²
統計
人口
人口密度
6,239,938 人(2005年年)
2,978 人/km²
民族 キン族ホア族クメール人
その他
市外局番 +84 (8)
ISO 3166-2 VN-65
公式Webサイト www.hochiminhcity.gov.vn/
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ホーチミンベトナム語Thành phố Hồ Chí Minh英語Ho Chi Minh City漢字城舗胡志明)は、ベトナム最大の都市である。人物のホー・チ・ミンと区別するため、ホーチミン市またはホーチミンシティとも呼ばれる。旧名はサイゴンSài Gòn、柴棍、西貢)で、旧南ベトナム首都であった。地元住民や旅行者の間ではホーチミンではなく現在でもサイゴンという呼称が使われる場合が多い。首都ハノイがベトナムの政治の中心なら、ホーチミンは経済の中心である。

市名の由来

創建期のクメール語名

ホーチミンは、元来クメール人が居住しており、Prey Nokorという地名で知られていた。Prey Nokorとは「森の街」、或いは「森のある土地」を意味するクメール語Prey=森、Nokorサンスクリット語nagara に由来)=街、場所をそれぞれ意味する}である。Prey Nokorという地名は、今日でもカンボジア人やメコン・デルタに居住する少数民族の低地クメール人によって用いられることがある。

伝統的なベトナム語名

Prey Nokorに北方からのベトナム人移民が定住するようになると、サイゴンという名前で知られるようになった。ベトナム語のサイゴンという名前の由来には様々な議論があるが、その語源は次のように分析されている。

フランス人によって植民地化されるまでは、サイゴンのベトナム語での名前はGia Ðịnhだった。1862年、フランス人はこの公式な名前を捨て、Sài Gònという呼称が一般的になっていたので、「サイゴン」と呼ぶことにした。

正字法という観点からいえば、ベトナム語の名前である「サイゴン」は、Sài Gònという具合に2音節に分けて書くものであるし、ベトナム語の伝統的な綴り方はそのようになっている。ところが、空白を省略したいためか西洋風に見せたいためか、都市名をSàiGònSàigònというように書く人もいる。

ベトナム語が語源とする説

語源としてよく言われるのは、Sàiは中国語の借用語(漢字普通話での発音はchái)であり、意味は「柴、丸太、小枝、杭」である。Gònは別の中国語の借用語(漢字で、普通話での発音はgùn)であり、意味は本来「棒、竿、樹木の幹」であるが、ベトナム語では「綿」を意味する(bông gòn、文字通りにいえば「綿の棒」、つまりは「綿花」を意味する言葉が縮まってgònになった)。

こういう説もある。つまり、この名前はクメール人がPrey Nokor周辺で栽培していて、今でもCây Mai寺やその周辺で見ることができる沢山の綿花に由来しているというのである。

Trương Vĩnh Ký著「サイゴン周辺で見つけた歴史の置き土産」、『旅行と偵察』所収、Imprimerie Coloniale、1885年サイゴン刊

別の説によると、サイゴンの語源的な意味は「小枝=Sài」と「幹=Gòn」であり、クメール語名のPrey Nokorの由来にもなった、かつてこの街の周囲にあった背の高い木々が密集した森に因むという。

語源的にはベトナム語のSài Gònという呼称は(その説が正しいと一応考えるとして)中国語の名前に由来すると言われているにも関わらず、ベトナムでも中国でも、華人は柴棍(広東語の発音はChaai-Gwan、普通話の発音はCháigùn)という呼称は使わない。華人はこの街を西貢(広東語の発音はSai-Gung、普通話の発音はXīgòng)と呼ぶ。これは「サイゴン」の単なる音訳に過ぎない。

クメール語が語源とする説

別の語源としてしばしば主張されるのが「サイゴン」は“Sai Con”(クメール語で「カポックの木の森」を意味するprey korprey=森、kor=カポックの木)の翻訳語とされる}に由来するというものである。なお、クメール語のprey korという言葉は前述したクメール語名のPrey Nokorと混同すべきでない(korはクメール語でカポックの木を意味する言葉であり、nokorは「街、土地」という原義をもつサンスクリット語に由来するクメール語の言葉である)。

このクメール語語源説はベトナム人がこの地域に定住する前からクメール人がいたという背景を考えるとなかなか興味深いものではある。しかし、この説は、クメール語のpreyとベトナム語の“Sài”という2つの言葉が音声学的に全く異なるように見えることからすると、前者からどのようにして後者が導かれたのかという説明が完全に抜けている。

広東語語源説

さらに少数説を唱えるのが、20世紀初期のベトナム人学者であるVương Hồng Sểnである。その説によると、Sài Gònの由来は広東語の名前で、サイゴンの華人居住区であるチョロンクオッゥグーではChợ Lớn)にあるという。広東語の(元々の)都市名であるチョロンは、堤防を意味する「タイ・ゴン」(堤岸)である。この説は「サイゴン」が「タイ・ゴン」に由来するのは自明であるという。

現在のベトナム語名

南ベトナム陥落後の1975年5月1日、現在の共産主義政府がその指導者の別名であるホー・チ・ミンに因んで当市を改名した。公式な名前は、現在ではThành phố Hồ Chí Minhであり、TPHCMと省略されることも多い。なお "thành phố" (略 TP)は漢語「城舗」で、「市、都市」を意味する。英語ではHo Chi Minh Cityと訳されていて、HCMCと省略され、フランス語ではHô Chi Minh Villeアクサンシルコンフレックスは省略されることもある)と訳されていて、HCMVと省略される。今でもSài GònまたはSaigonという旧名はベトナム人によって広く使われていて、企業名や本の題名、航空機の到着ボード(タンソンニャット国際空港のコードは SGN である)にも見られる。

歴史

ホーチミン市は Prey Nokor として知られる小さな漁村として出発した。今では市街地が広がっている一帯は、もともとは沼地であり、ベトナム人が入ってくる何世紀も前からクメール人が住んでいた。

1623年、カンボジアのチェイ・チェッタ2世王(在位1618年-1628年)は、ベトナムの Trinh-Nguyen 内戦から逃げ出したしたベトナム人難民に Prey Nokor 一帯で定住してその風習に沿った住居を建築することを許可した。ベトナム人定住者がみるみるうちに増えてゆくのを、タイランドとの戦争により弱体化したカンボジア王国は妨げることができず、この一帯はゆっくりとベトナム化していった。やがて、 Prey Nokor はサイゴンとして知られるようになった。

1698年、ベトナム人貴族であるグエン・フー・カインが、この一帯にベトナム人による統治機構を構築し、この一帯に干渉するほどの勢力を失ったカンボジアからこれを引き離すため、フエ阮氏の頭領によって送り込まれた。彼は大規模な定住によりサイゴンの拡大をもたらした人物としてしばしば賞賛されている。 Gia Dinh と呼ばれた巨大なヴォーバン式要塞が築城されたが、これは後に Chi Hoa の戦いにおいてフランス人が破壊した。

1859年フランスによって占領され、1862年のサイゴン条約阮朝はフランスによるコーチシナ東部の支配を認めた。その際にサイゴンは開港し、1887年に成立したフランス領インドシナのもとで急速に発展した。ベトナムがフランスにより植民地として占領されている間、この街はフランスの影響を受けた。そのことが、この街に数多くの古典的西洋風の建築に表れている。そのため、サイゴンは「極東の真珠」 (Hòn ngọc Viễn Đông) とか、「東洋のパリ」 (Paris Phương Đông) と呼ばれることも多い。

1954年、フランス人は共産主義者のベトミンディエンビエンフーの戦いで敗れ、ベトナムから撤退した。もっとも、この街が共産主義者たちを新たな政府として承認したというわけではなく、バオ・ダイ帝が組織した政府の支配下に戻ったのである。バオ・ダイは1950年にサイゴンを首都と定めた。その際、サイゴンと華人系ベトナム人の居住区域であったチョロン (Chợ Lớn) は、一つの行政単位として統合され、首都サイゴン(ベトナム語で Đô Thành Sài Gòn )と呼ばれることになった。1954年のジュネーヴ協定によりベトナムが公式に北ベトナム(ベトナム民主共和国)と南ベトナム(ベトナム共和国)に分断されると、アメリカ合衆国の影響下でゴ・ディン・ジエム大統領に率いられた南ベトナム政府は、引き続きサイゴンにその首都を置いた。

1965年の北爆開始によってベトナム戦争が本格化すると、徐々にベトナム共和国は劣勢に陥り、1975年4月30日ベトナム戦争が終結すると、この街はベトナム人民軍の支配下に置かれた。この出来事は一般に、アメリカ合衆国では「サイゴン陥落」と呼ばれ、ベトナムでは「サイゴン解放」と呼ばれている。その後、社会主義体制を望まない多くの市民が逃れたため、周辺国への難民が多く発生した。

1976年、共産主義の統一国家ベトナム社会主義共和国が成立したことにより、サイゴンの街(チョロンを含む)、ザーディン省 Gia Ðịnh 及び近隣2州の郊外2地区が統合され、後の共産党指導者ホー・チ・ミンの名を冠したホーチミン市が作られた。「サイゴン」という旧名は、現在でも、特に非公式の文脈で、多くのベトナム人に広く用いられている。一般的には、「サイゴン」という言葉は、ホーチミン市の市街区のみを指している。「サイゴン」という単語は、ベトナム全国の、ハノイにおいてすら、店の看板で見ることができる。「サイゴン風」とか「サイゴン流」といった言葉は、小じゃれた雰囲気とかモダンさといった意味を暗示するために用いられている。

今日でも、この街の都心部には広くて優雅な並木道が走り、歴史的なフランス植民地風の建物が並んでいて、町並みに彩りを添えている。この街の中心部で最も目立つ建築物といえば統一会堂 (Dinh Thống Nhất) 、市役所 (Uy ban Nhan dan Thanh pho) 、市営劇場 (Nha hat Thanh pho) 、中央郵便局 (Buu dien Thanh pho) 、革命博物館 (Bao tang Cach mang) 、国立銀行支店 (Ngan hang Nha nuoc) 、市人民法廷 (Toa an Nhan dan Thanh pho) 及びノートル・ダム大聖堂 (Nhà thờ Đức Bà) である。

ホーチミン市はベトナムで確固たる地位を占める華人の本拠地である。チョロンは、現在では6区、10区及び11区の一部と5区として知られる一帯であり、中華街となっている。

人口は700万人を超え(住民登録者及び市外からの通勤者の合計)、ホーチミン市では公共インフラの必要性が急激に増大している。この必要性を満たすため、市当局と中央政府は新都心を開発する努力を始めている。最も目立った事業を2つ挙げるとすれば、2区の Thu Thiem 中心市街地と7区の Phu My Hung 新都心(サイゴン南部計画の一部)であり、サイゴン南部国際校(アメリカ人学校)、日本人学校、オーストラリアの王立メルボルン技術研究所、台湾人学校及び韓国人学校といった様々な国際学校が立地している。

地理と気候

ホーチミン市は北緯10度45分、東経106度40分のベトナム東南部に位置し、ハノイの1,760km南にある。平均海抜は19m。サイゴン川の西岸である。北でタイニン省及びビンズン省と接し、東でドンナイ省及びバリア・ブンタウ省と接し、西でロンアン省と接し、南は南シナ海に面した長さ20kmの海岸線となっている。ホーチミン市の面積は2,095 km²(ベトナム全土の0.63%)であり、北はクチ県(カンボジアとの国境から20km)から南は南シナ海沿岸のカンザー県まで及ぶ。最北端(クチ県の Phu My Hung Commune )から最南端(カンザー県の Long Hoa Commune )までは120km、最東端(ニン県の Long Binh 地区)から最西端(ビンチャン県の Binh Chanh Commune )までは46km。

チョロン地区は在越華人の街で、ベトナム最大の中華街である。

ホーチミン市は熱帯気候で、平均湿度は75%ある。1年は2つの季節に分かれる。雨期は毎年平均して約1800mmの降水量があり(雨天は1年に約100日)、通常では5月に始まり11月下旬に終わる。乾期は12月から4月まで続く。平均気温は摂氏28度で、最高気温は4月下旬の正午に摂氏39度に達することもあり、最低気温は12月下旬の早朝に摂氏16度を下回ることがある。

政治・行政機構

ホーチミン市中心街
市営劇場

ホーチミン市はベトナムにおいて州と同格の都市である。そのため、ホーチミン市の政治構造は州のそれに類似しており、選挙で選ばれた95人の評議員からなる人民評議会と、人民評議会によって選ばれた13人の委員からなる人民委員会とが、最も重要な地方政府機関となる。世界の他の市とは異なり、一人の首長が政治・執行を統括するのではなく、人民評議会議長が市の政治部門の頂点に立ち、人民委員会委員長が市の執行部門の頂点に立つ。ベトナム共産党 (CPV) がベトナムにおける全ての政治・経済・社会活動を指導するので、ベトナム共産党ホーチミン市委員会書記がホーチミン市で真に最高位にある指導者ということになる。

ホーチミン市は2003年12月以降24の行政区画に区分されている。そのうち5つ(面積1,601km²)は郊外(ベトナム語で Huyện )として位置づけらる。ホーチミン市域の周囲にあり、同市の公式な境界線の内側にある、非都市化農村地帯がこれに当たる。これらはニャベ、カンゾ、ホクモン、クチ、ビンチャインの5県である。残る19区(面積494km²)は市域内に置かれている。これら19区の市街地区(ベトナム語で "Quận" )のうち名前が付けられているのは7区(タインビン、ビンタイン、フーニャン、トゥドゥック、ビンタン、タンフー、ゴーヴァップ)であり、残りは単純に1から12までの数字が名前になっている。郊外県が通常多数の村(ベトナム語で )や町(ベトナム語で Thị trấn )から成り立っているのに対して、市街地区はいずれも多数の地区(ベトナム語で Phường )に分かれている。2006年12月からは、ホーチミン市には259地区、58村、5町が置かれている(以下のホーチミン市行政単位一覧を参照)。

ホーチミン市行政単位一覧
区県名(2003年12月より) 下位区画単位(2006年12月より) 面積(km²)(2006年12月より) 2004年10月1日現在の統計人口 2005年年央の人口
市街地区:
1区 10地区 7.73 198,032 199,899
2区 11地区 49.74 125,136 126,084
3区 14地区 4.92 201,122 199,297
4区 15地区 4.18 180,548 185,268
5区 15地区 4.27 170,367 192,157
6区 14地区 7.19 241,379 243,416
7区 10地区 35.69 159,490 163,608
8区 16地区 19.18 360,722 366,251
9区 13地区 114 202,948 207,696
10区 15地区 5.72 235,231 235,370
11区 16地区 5.14 224,785 225,908
12区 11地区 52.78 290.129 299,306
ゴーヴァップ区 16地区 19.74 452,083 468,468
タンビン区 15地区 22.38 397,569 394,281
タンフー区 11地区 16.06 366,399 372,519
ビンタイン区 20地区 20.76 423,896 435,300
フーニャン区 15地区 4.88 175,293 175,716
トゥドゥック区 12地区 47.76 336,571 346,329
ビンタン区 10地区 51.89 398,712 403,643
市街地区合計 259地区 494.01 5,140,412 5,240,516
郊外県:
クチ県 20村1町 434.50 288,279 296,032
ホクモン県 11村1町 109.18 245,381 251,812
ビンチャイン県 15村1町 252.69 304,168 311,702
ニャベ県 6村1町 100.41 72,740 73,432
カンゾ県 6村1町 704.22 66,272 66,444
郊外県合計 58村5町 1,601 976,839 999,422
全市 259地区58村5町 2,095.01 6,117,251 6,239,938

主な建築物

統一会堂(旧南ベトナム大統領府)
人民委員会庁舎とホーチミン像(2005年3月撮影)
中央郵便局

人口動勢

ホーチミン市の人口は、2004年1月1日現在の統計によれば、6,117,251人(そのうち市内19区に5,140,412人、郊外5区に976,839人)であった。2005年年央にはホーチミン市の人口は推計で6,239,938人(そのうち市内19区に5,240,516人、郊外5区に999,422人)になり、ベトナムの全人口の約7.4%と、全国で最も人口が集中する都市であった。単一の行政区画としてはもちろん、州レベルでみても、最大の人口を有している。ベトナム最大の経済・金融の結節点であるがゆえに、ホーチミン市には、近年ますます多くの人々が全国各地から流入しており、人口が急増している。1999年から2004年の間、市の人口は1年あたり約20万人ずつ増加している。

多数派民族はキン族であり、約90%を占める。少数民族には華人が8%(ベトナム最大の華人居住地域)、その他(クメール人チャム族、 Nung 、 Rhade )が2%。ホーチミン市の住民は、通常、英語では "Saigonese" 、フランス語では "Saigonnais" 、ベトナム語では "dân Sài Gòn" と呼ばれる。

キン族はベトナム語を話すが、アクセントはそれぞれ違っている。南部弁約50%、北部弁約30%、中部弁約20%となっている。華人は広東語、潮州語福建語海南語客家語を話す人が多く、普通話を話す人は少ない。様々な階級の英語が特に外国人と接することが必要な旅行業界や商業界で話されていて、英語はサイゴン人の事実上の第二言語になっている。

ある研究によれば、ホーチミン市における宗教分布は次のとおりである。仏教(全宗派合計)50%、ローマカトリック12%、プロテスタント2%、その他(カオダイ教、ホアハオ教イスラム教ヒンドゥー教)2%、無宗教または不明34%。

経済

ホーチミン市はベトナムで最も重要な経済的中心地である。数多くの大企業も含め、およそ30万社がハイテク産業、電器、機械加工及び軽工業に従事し、あるいは、建設業や素材産業、農業製品製造業に携わっている。現在、ホーチミン市には15の工業団地及び輸出加工地区があり、これに加えて、 Quang Trung Software Park 及び Sai Gon Hi-tech Park がある。ホーチミン市には、小規模なものを除いても171の市場、スーパーマーケットのチェーン店が10系列、高級ショッピングモールが1ダース、多数の美容服飾センターがある。50行を超える銀行が何百もの支店を有しており、拠点を置いている保険会社も20社ある。ホーチミン市には、ベトナムで最初の証券取引所が2001年に開かれた。

2005年には、ホーチミン市の域内総生産は推計で116億米ドル(対2004年比12.2%増)、人口1人当たり約1,850米ドルになり、ベトナムの国民総生産の20%を占めた。この域内総生産を購買力平価により計算すれば、560億米ドル(人口1人当たり8,900米ドル)に達する(全国平均の約3.5倍高い)。ホーチミン市の工業生産高は56億米ドルで、全国合計の30%に等しい。ホーチミン市の港の輸出入高は290億米ドルで、全国合計の40%である。ホーチミン市は、国家予算の歳入の約30%を担っている。

教育

ホーチミン市の高等教育はかなり発達していて、50校の総合大学または単科大学が集中し、合計30万人以上の学生がいる。

  • ホーチミン市国家大学
  • ホーチミン市工科大学
  • 戦争証跡博物館 - ベトナム戦争時に使用されたアメリカ軍の兵器の他、沢田教一氏の写真などが展示されている。
  • ベトナム国立大学 - 35,000人の学生を擁し、ベトナム南部でもっとも重要な総合大学である。次の主要6校で構成する。自然科学大学(旧名サイゴン科学大学)、社会人文科学大学(旧名サイゴン文科大学)、工芸大学(旧名 Phu Tho 国立工業研究所)、国際大学、経済学部、新設の情報技術大学。

その他にも重要かつ権威ある高等教育機関をいくつか挙げると、次のとおりである。市立教育大学、市立経済大学、市立建築大学、市立医薬大学、市立農林大学、市立法科大学、市立技術教育大学、市立銀行大学、市立貿易大学、市立工科大学、オープンユニバーシティ、市立体育保健大学、市立美術大学、市立文化大学、市立音楽学校。

ベトナムで現在唯一の外資系教育組織であるRMIT大学(タイム誌の世界の上位200大学にランクインしている)は、2002年にオーストラリアの the Royal Melbourne Technology Institute (RMIT) によって設立され、約2000人の学生を擁する。 Click here [1] to view all University on the Viet Nam Map

公衆衛生

ホーチミン市の医療体制は比較的発展しており、約80の公立病院または公立医療センターと何十もの市立診療所が連携している。これらの施設は最先端の医療設備を備えている。1,400床を有する Chợ Rẫy 病院は、日本の援助と心臓病学研究所(フランスが資金を提供している)によって医療の質が高まり、インドシナでも最高水準の医療施設になっている。 Hoa Hao 医療診断センター (Medic) と FV 病院は、良質のサービスを提供するとともに近代的な設備を備え、最近では外国人を含む多くの顧客を獲得している。患者は近隣州内の各都市だけでなく、カンボジアからも通院している。

交通

ベトナム航空はベトナムの国営航空会社である。同社は、西側諸国で建造された近代的な航空機団を運用しており、エアバス320型機、321型機、ボーイング767型機、777型機及び787型機も近い将来就航予定である。同社は20以上の国内線と39の国際線を運用している。ベトナム第2位の航空会社であるパシフィック航空は、ボーイング737型機や767型機の航空機団をリースしている。タンソンニャット国際空港は、軍民共用空港であり、ホーチミン市(サイゴン)の中心街(1区)の北7kmにある。空港と市街地との間の移動にはタクシーやバスを利用することができる。航空機利用客数が急速に増大していることや、タンソンニャット国際空港が市の中心部に近接していることにかんがみ、ベトナム政府は既に50km北東のドンナイ省ロンタイン村近郊に新たな国際空港を建設する準備をしている。

この街の1万台のタクシーのほとんどにメーターが取り付けられ、ちゃんと作動しているのが普通であるが、英語を上手に話せる運転手は多くはない。中には運賃をぼったくるためにメーターを使おうとしない運転手もいる。観光客がバイクタクシー(セオム)や三輪の自転車タクシー(シクロ)を利用するときは、運転手が乗客の安全に注意を払わない場合もあるので、用心すべきである。

Street packed with motorbikes

ホーチミン市の道路事情はあまり良くないといわれることが多い。中には穴だらけの通りもある。この街に無数にある裏通りや路地は特にそうで、泥道と大して変わらないということさえある。バスが唯一の公共交通機関であるが、市では地下鉄と高架鉄道を整備するための財源を探しているところである。ホーチミン市地下鉄は2020年完成予定である。最近、バイクが特に中国から安く輸入されるようになったため、バイクがおよそ300万台にまで増えた。自動車も40万台以上あり、市内の主要な道路を埋め尽くし、交通渋滞や大気汚染が広く問題視されるようになった。北京が「自転車の街」であるとすれば、ホーチミン市は「バイクの街」とでも呼ぶことになろうか。バイク乗りの誰もが歩行者をすいすいとかわしてゆくのを見ても、この街の通りは危険だと考えるべきではない。一般にほとんどの人は交通ルールに従っているし、交通法規の執行状況も改善しつつある。とはいえ、一方通行を逆走したり、赤信号を無視したりするドライバーも見掛けることはある。

この街はベトナム全土を結ぶ鉄道網の主要な乗り換え地である。鉄道の駅名は、市名が変わったあとも「サイゴン駅(ガ・サイゴン)」である。ハノイまでは南北線(統一鉄道)で1726kmある。また、中国国境まで行くこともでき、北へ約1950kmの旅程である。

サイゴン川やドンナイ川に沿って、サイゴン港、新港、ベンゲ港、 VICT 港といった多数の港がある。これらの港がベトナムが1年間に輸出入する船荷の40%を取り扱っている。

ホーチミン市からは、ベトナム南部やカンボジアの各地に陸路や船便で旅行することができる。この街は国道14号線と20号線で中央高地とつながり、国道1号線で中部沿岸や北部とつながり、国道1号線と50号線でメコン川デルタとつながる。メコン川デルタの中心都市カントーからホーチミン市を通って70km北東にあるドンナイ省ドージャイ村までの高速道路が建設中である。

郊外の都市

報道媒体、文化及び娯楽

ホーチミン市の報道媒体はベトナムでは最も発達している。最近では、同市では、5紙の日刊新聞が発行されている。1紙目は Sai Gon Giai Phong (解放サイゴン)及びその中国語版、スポーツ版及び夕刊である。2紙目は Tuoi Tre (青年)であり、ベトナムで最大の発行部数を有する。3紙目は Nguoi Lao Dong (労働者)である。4紙目は The Thao (スポーツ)であり、5紙目は英字ビジネス新聞の Saigon Times Daily である。その他にも、30以上の新聞や雑誌が発行されている。 ホーチミン市テレビ (HTV) はベトナムで国立ベトナムテレビ (VTV) に次いで2番目に大きなテレビ局ネットであり、7時から24時まで(アナログ放送とデジタル放送の両方で)7チャンネルを放送している。ホーチミン市人民の声も南部地域最大のラジオ局である。世界の主要なテレビチャンネルは、2つのケーブルテレビネット( SCTV と HTVC )によって配信され、30万人以上の加入者や衛星放送受信器付きテレビが受信している。

ホーチミン市には120万件以上の固定電話と約300万台の携帯電話(後者は年間20%の伸びを示している)がある。インターネットは、特に ADSL 接続が、急速に普及しており、80万人以上の加入者がいて、300万人以上がしばしば利用している。

ホーチミン市には何百もの印刷業者や出版社があり、書店も多く、公立あるいは学校の図書館のネットワークも広がっている。ホーチミン市総合図書館は150万冊以上の蔵書を有する、ベトナム随一の、美しい建築の建物である。歴史博物館や革命博物館、南部女性博物館、南東部軍隊博物館、美術博物館、戦争遺物展示館、ナ・ロン記念館、ベン・ドゥオック地下トンネル遺跡のほか、私立の画廊が数多く一般公開されている。市営劇場のほかにも、Bến Thành and Hòa Bình 劇場や Lan Anh 音楽堂のような素晴らしい娯楽施設がある。 Đầm Sen 観光文化公園、 Suoi Tien 文化公園及び Can Gio Eco ビーチリゾートは、ホーチミン市内の3大レクリエーション施設であり、ホーチミン市を訪れる人たちの人気を集めている。

ホーチミン市では、日本の寿司からテキサス風バーベキューまで、地元以外の料理を味わうこともできる。ホーチミン市には様々なランクの何百というホテルが18,000室以上あり、その中には5つ星の高級ホテルも10軒ある。もっとも、貧乏旅行者にも、1区のファム・グー・ラオ通りにある「西地区」であれば、安いメニューと部屋が簡単に見つかる。

姉妹都市

関連項目

外部リンク

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