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「記念樹事件」の版間の差分

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記念樹 (楽曲)2007年5月28日 (月) 13:34 (UTC)からの一部移転
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'''記念樹事件'''(きねんじゅじけん)は[[小林亜星]]が[[服部克久]]を著作権侵害で訴えた事件。
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==概要==
小林亜星は服部克久が作曲した『[[記念樹 (楽曲)|記念樹]]』が、小林の作曲した『[[どこまでも行こう]]』([[1966年]]発表)の[[盗作]]であり、[[著作権]]を侵害していると抗議した。服部克久は盗作ではないと主張し、両者の主張が平行線をたどった結果、[[1998年]]、『どこまでも行こう』の作曲者である小林と、同曲の[[著作権者]]である[[音楽出版社]]が、服部に対して[[損害賠償]]を請求する訴訟を提起した。具体的には、小林は『記念樹』が『どこまでも行こう』を複製したものであるとして[[著作者人格権]](氏名表示権・[[同一性保持権]])侵害による損害賠償を、音楽出版社は複製権侵害による損害賠償を求めるものだった。

第一審([[東京地方裁判所|東京地裁]]平成12年([[2000年]])2月18日判決)は、[[フレーズ]]ごとに対比してみると一部に相当程度類似するフレーズが存在する、ということは認めたものの、全体として『記念樹』が『どこまでも行こう』と同一性があるとは認められない、として小林側の請求をすべて棄却した。

この判決を不服とした小林側が[[控訴]]し、複製権侵害の主張を撤回した上で編曲権侵害に主張の中心を移して争った。控訴審([[東京高等裁判所|東京高裁]]平成14年([[2002年]])5月10日判決)では一転して、両曲には「表現上の本質的な特徴の同一性」があり、この顕著な類似性が偶然の一致によって生じたものと考えることは不自然・不合理であるとし、服部が『どこまでも行こう』に依拠して『記念樹』を作曲したものであると認定した。結果として、小林の氏名表示権・同一性保持権侵害と音楽会社の編曲権侵害を肯定し、小林と音楽出版社に対する合わせて約940万円の損害賠償を服部に命じた。

服部は[[上告]]したが、[[最高裁判所|最高裁]]は[[上告受理の申立て|上告不受理]]とする決定(最高裁平成15年([[2003年]])3月11日決定)をしたため、高裁の判決が確定し、最終的に『記念樹』の作曲が著作権法違反にあたるものであるとされた。

この裁判の影響で、フジテレビは控訴審判決後の2002年9月1日放送分を最後に『記念樹』の使用を中止することとし、[[日本音楽著作権協会]](JASRAC)も上記最高裁決定を受けて『記念樹』の利用許諾を中止した。また、小林が[[小学校]]など同曲を使用する可能性がある団体に利用の中止を求めたため、『記念樹』の公の場での歌唱・演奏は事実上不可能となった。

東京高裁判決(篠原勝美裁判長)は「メロディーのはじめと終わりの何音かが同じ」「メロディーの音の72パーセントが同じ」などといった音楽的に必ずしも適当とはいえない比較方法によって編曲権を侵害していると認定したため、音楽関係者の中には戸惑う者も多かった。

『記念樹』を服部の「オリジナル曲」として聴いた世代(1980年代生まれ)には、思い出(当時、『記念樹』は卒業式で歌われる事も多かった)も否定されたような感情からか、当然の処置であるJASRACの利用許諾中止をすら批判し、小林に対しても、強引・強欲などという人格攻撃を加えるような感情的反発を起こすことになった。

このようないきさつから、判決に対しての反応はさまざまであった。「確かに両曲は似ていて、このような判決が出るのは当然である」と感じた者がいた一方で、同じ音の数の音符を数えるといった裁判所の認定方法の稚拙さ・不毛さを指摘する者や、「和声が旋律に従属」するという必ずしも肯定されない判断基準について、音楽的には素人の裁判官が判断を下したことを不快に感じた者もいる。勝訴したはずの小林だが、判決確定後も強引・強欲などという[[揶揄]]や、『記念樹』をJASRACにおいて登録無効としたことに対して「強引に葬る」と批判されることがあるほどであり、おおむね世論は芳しくない。そのため小林は逆にタレントとしての露出が減るなどして、仕事に悪影響が及んているという。さらに、小林がJASRACの評議員であることから、事をJASRACへの批判に絡める論調もある。対して服部も、剽窃を行ったということで批判や揶揄にさらされ、また既成の楽曲に似通ったものを発表したこと自体が迂闊という批判も受けている。

この判決では、音楽が客観的に同一か否かを判断することの難しさが改めて浮き彫りとなった。

==関連項目==
*[[著作権]]
*[[盗作]]
*[[オマージュ]]
*[[インスパイヤ]]
*[[どこまでも行こう]]
*[[記念樹 (楽曲)]]

== 外部リンク ==
*[http://www.remus.dti.ne.jp/~astro/hanketsu/hanketsu.html 裁判-どこまでも行こう VS 記念樹]
*[http://www9.ocn.ne.jp/~w-and-b/hattori-san/kinenzyu.html 「記念樹裁判」について]

[[Category:平成時代の事件|きねんしゆしけん]]

2007年7月10日 (火) 21:12時点における版

記念樹事件(きねんじゅじけん)は小林亜星服部克久を著作権侵害で訴えた事件。

概要

小林亜星は服部克久が作曲した『記念樹』が、小林の作曲した『どこまでも行こう』(1966年発表)の盗作であり、著作権を侵害していると抗議した。服部克久は盗作ではないと主張し、両者の主張が平行線をたどった結果、1998年、『どこまでも行こう』の作曲者である小林と、同曲の著作権者である音楽出版社が、服部に対して損害賠償を請求する訴訟を提起した。具体的には、小林は『記念樹』が『どこまでも行こう』を複製したものであるとして著作者人格権(氏名表示権・同一性保持権)侵害による損害賠償を、音楽出版社は複製権侵害による損害賠償を求めるものだった。

第一審(東京地裁平成12年(2000年)2月18日判決)は、フレーズごとに対比してみると一部に相当程度類似するフレーズが存在する、ということは認めたものの、全体として『記念樹』が『どこまでも行こう』と同一性があるとは認められない、として小林側の請求をすべて棄却した。

この判決を不服とした小林側が控訴し、複製権侵害の主張を撤回した上で編曲権侵害に主張の中心を移して争った。控訴審(東京高裁平成14年(2002年)5月10日判決)では一転して、両曲には「表現上の本質的な特徴の同一性」があり、この顕著な類似性が偶然の一致によって生じたものと考えることは不自然・不合理であるとし、服部が『どこまでも行こう』に依拠して『記念樹』を作曲したものであると認定した。結果として、小林の氏名表示権・同一性保持権侵害と音楽会社の編曲権侵害を肯定し、小林と音楽出版社に対する合わせて約940万円の損害賠償を服部に命じた。

服部は上告したが、最高裁上告不受理とする決定(最高裁平成15年(2003年)3月11日決定)をしたため、高裁の判決が確定し、最終的に『記念樹』の作曲が著作権法違反にあたるものであるとされた。

この裁判の影響で、フジテレビは控訴審判決後の2002年9月1日放送分を最後に『記念樹』の使用を中止することとし、日本音楽著作権協会(JASRAC)も上記最高裁決定を受けて『記念樹』の利用許諾を中止した。また、小林が小学校など同曲を使用する可能性がある団体に利用の中止を求めたため、『記念樹』の公の場での歌唱・演奏は事実上不可能となった。

東京高裁判決(篠原勝美裁判長)は「メロディーのはじめと終わりの何音かが同じ」「メロディーの音の72パーセントが同じ」などといった音楽的に必ずしも適当とはいえない比較方法によって編曲権を侵害していると認定したため、音楽関係者の中には戸惑う者も多かった。

『記念樹』を服部の「オリジナル曲」として聴いた世代(1980年代生まれ)には、思い出(当時、『記念樹』は卒業式で歌われる事も多かった)も否定されたような感情からか、当然の処置であるJASRACの利用許諾中止をすら批判し、小林に対しても、強引・強欲などという人格攻撃を加えるような感情的反発を起こすことになった。

このようないきさつから、判決に対しての反応はさまざまであった。「確かに両曲は似ていて、このような判決が出るのは当然である」と感じた者がいた一方で、同じ音の数の音符を数えるといった裁判所の認定方法の稚拙さ・不毛さを指摘する者や、「和声が旋律に従属」するという必ずしも肯定されない判断基準について、音楽的には素人の裁判官が判断を下したことを不快に感じた者もいる。勝訴したはずの小林だが、判決確定後も強引・強欲などという揶揄や、『記念樹』をJASRACにおいて登録無効としたことに対して「強引に葬る」と批判されることがあるほどであり、おおむね世論は芳しくない。そのため小林は逆にタレントとしての露出が減るなどして、仕事に悪影響が及んているという。さらに、小林がJASRACの評議員であることから、事をJASRACへの批判に絡める論調もある。対して服部も、剽窃を行ったということで批判や揶揄にさらされ、また既成の楽曲に似通ったものを発表したこと自体が迂闊という批判も受けている。

この判決では、音楽が客観的に同一か否かを判断することの難しさが改めて浮き彫りとなった。

関連項目

外部リンク