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セブ市の位置

セブ市(Cebu City)は、フィリピンセブ州の州都である。フィリピン国内で二番目の大きさと重要性を持つ大都市であり、首都マニラよりも古いフィリピン最古の植民都市である。2000年の国勢調査では、人口は718,821人で世帯数は147,600である。

市街はセブ島の東海岸に沿って広がっており、マンダウエ市(Mandaue)、ラプ・ラプ市(Lapu-Lapu)、タリサイ市(Talisay)の各市を合わせて「メトロ・セブ」と呼ばれる大都市圏をなしている。メトロ・セブ圏の総人口は130万人を数える。セブ市の沖にあるマクタン島にあるマクタン・セブ国際空港は、セブ市中心部から車で40分のラプ・ラプ市にある。セブ市の北東はマンダウエ市とコンソラシオン町があり、西は山を越えた西海岸側にトレド市(Toledo)とバランバン町が、南はタリサイ市とミングラニラ町がある。マクタン海峡を越えた東はラプ・ラプ市のあるマクタン島で、2本の橋でつながっている。

セブ市は国際線・国内線など多数の航空路線の重要なハブであり、フィリピン中部のヴィサヤ諸島から南部のミンダナオ島に至る地域の商業、交易、産業の中心地である。近年は家具製造が盛んなほか、コールセンター業務、ソフトウェア制作などIT産業のアウトソーシング先としても活況を呈している。

また、セブ市は観光都市でもある。周辺はビーチ・リゾートが多く、セブ市はその中継点でありショッピング都市にもなっている。セブ市は多くのローマ・カトリックの教会が立ち並び、征服者レガスピが建設したサン・ペドロ要塞など、植民都市の名残が随所に残る。セブ市は、大きく分けて、植民地時代以来の古い下町である海沿いの地区と、第二次大戦後丘陵地の上に拡大した近代的な山手の地区に分かれている。下町には昔ながらの大きな市場カルボン・マーケットがあるほか、観光客相手の巨大ショッピング・モールやリゾートホテルがセブ市の山手やマクタン島に多数ある。こうしたフィリピン中南部の文化・交易の拠点であることから『Queen City of the South』(東洋の女王)の異名がある。

歴史

セブ、またはスグブ(Sugbu)はスペインによる植民地化以前から港町だった。中国)のほか東南アジアの多くの国々と取引が行われており、イスラム教も伝わっていた。

1521年4月7日、フェルディナンド・マゼランはセブに上陸した。彼は地元の領主ラジャ・フマボン(Rajah Humabon)とその王妃、住民たちに歓迎された。彼らは4月14日に洗礼を受け、最初のフィリピンのキリスト教徒となった。しかしマゼランはこの島々をスペイン領として宣言することはできなかった。隣のマクタン島で4月27日、領主ラプ・ラプとの戦いで討ち死にしたからである。

1565年4月27日、征服者(コンキスタドールミゲル・ロペス・デ・レガスピは、兵士たちと聖アウグスチノ修道会およびフランシスコ会からの修道士と共に上陸し、ラジャ・フマボン王の息子、ラジャ・トゥパス王の町を攻撃・占領、フィリピン植民地化の最初の足がかりを築いた。マゼランがサン・ミゲルと改名したセブの町はレガスピによって「ヴィラ・デル・サンティシモ・ノンブレ・デ・ヘスス(Villa del Santisimo Nombre de Jesús、イエスの最も聖なる御名の村)」と再び改名され、マニラが植民地化されるまでの6年の間、セブ市は新しいスペイン植民地の首都であった。彼らはこの海岸に、メキシコとの貿易や現地人との戦争に備えた港湾兼要塞のフエルサ・デ・サン・ペドロ(サンペドロ要塞)を建設したが、これは今もセブ市の海岸に残っている。

3世紀の後、1898年6月12日、スペインの支配は倒され独立が宣言されたが、続くアメリカ合衆国の侵入により再び植民地支配が続いた。1901年、セブは町(municipality)となり1937年2月24日、市(chartered city)となった。第二次世界大戦では日本軍に占領された後、1945年にはアメリカ軍による奪回が行われ激しい戦場となった。戦後は、地主と小作の対立が激しくゲリラが活動する他の島や都市と比較してセブ市は平穏なため、多くの海外からの工業投資や観光投資を呼び込んでいる。

文化

セブ市はフィリピンの宗教・文化の中心の一つである。町の一番のシンボルは「マゼラン・クロス」である。触ろうという人が多すぎて今は八角形の聖堂がかぶせられているが、フェルディナンド・マゼランが世界一周航海の途中、1521年にフィリピン諸島に上陸したのがここで、その際地元の領主ラジャ・フマボンとその王妃、400人ほどの住民がキリスト教洗礼を受けたという。その際に王妃にサント・ニーニョ像(幼きイエスの像)が贈られており、これが今セブの守護聖人になっている。サント・ニーニョ像を記念した教会であるサント・ニーニョ教会を中心に、1月の第三日曜日には通りをダンサーらが練り歩く盛大なシヌログの祭典が催され、観光客も多く訪れている。

姉妹都市

外部リンク