「江差追分事件」の版間の差分
改名および分割提案 |
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2007年5月21日 (月) 17:58時点における版
翻案権(ほんあんけん)とは、著作権の支分権の一つであり、著作物を独占排他的に翻案する権利をいう。翻案とは、既存の著作物に依拠し、かつ、その表現上の本質的な特徴の同一性を維持しつつ、具体的な表現形式を変更して新たな著作物を創作する行為であると解されている(2001年(平成13年)6月28日最高裁第一小法廷判決参照)。翻案の例としては、小説を映画化やゲーム化する行為、一話完結形式の漫画の連載において同一のキャラクターを用いて新たな続編を創作する行為(1997年(平成9年)7月17日最高裁第一小法廷判決、民集51巻6号2714頁)などが挙げられる。翻案権は独占排他権であるから、翻案権者に無断で著作物を翻案する行為は、原則として翻案権の侵害となる。
翻案権で問題となるのは、既存の著作物のアイデアを用いて新たな著作物を創造することとの区別(翻案権侵害にならない)である。この点についてリーディング・ケースとなると思われる江差追分事件について説明する。
江差追分事件
事案の概要
江差追分に関するノンフィクションである「北の波濤に唄う」と題する書籍の著作者である原告が、「ほっかいどうスペシャル・遥かなるユーラシアの歌声-江差追分のルーツを求めて」というテレビ番組のプロローグが本件書籍を翻案したものであるとし番組を制作放映したNHK(被告)らを相手取って、損害賠償を請求した事件である。
そして本件番組も本件書籍を参考物として制作されたものであったが、ここで問題となったのは江差追分全国大会が1年の絶頂であるという本件書籍の記述についてのものであったが、江差町においては8月に行われる姥神神社の夏祭りを、町全体が最もにぎわう行事としてとらえるのが一般的な考え方であって、江差追分全国大会は、毎年開催される重要な行事ではあるが、町全体がにぎわうというわけではなかった。しかし、本件番組において、プロローグにおいて 「その江差が、九月の二日間だけ、とつぜん幻のようにはなやかな一年の絶頂を迎える。日本じゅうの追分自慢を一堂に集めて、江差追分全国大会が開かれるのだ。」というナレーションがなされたことから、原告が翻案権の侵害を主張したものである。
控訴審において、現在の江差町が最もにぎわうのは、8月の姥神神社の夏祭りであることが江差町においては一般的な考え方であり、これが江差追分全国大会の時であるとするのは、江差町民の一般的な考え方とは異なるもので、江差追分に対する特別の情熱を持つ被上告人(原告)に特有の認識である。本件ナレーションは、本件プロローグの骨子を同じ順序で記述し、表現内容が共通しているだけでなく、1年で一番にぎわう行事についての表現が一般的な認識とは異なるにもかかわらず本件プロローグと共通するものであり、また、外面的な表現形式においてもほぼ類似の表現となっているところが多いから、本件プロローグにおける表現形式上の本質的な特徴を直接感得することができる。したがって、本件ナレーションは、本件プロローグを翻案したものといえるから、本件番組の製作および放送は、被上告人の本件著作物についての翻案権、放送権及び氏名表示権を侵害するものであると、判断し原告の請求を認めた。
これに対しNHKらが上告したのが本件である。
最高裁の判断
全員一致。破棄自判(原告敗訴)。
まず、最高裁は「言語の著作物の翻案」について、「既存の著作物に依拠し、かつ、その表現上の本質的な特徴の同一性を維持しつつ、具体的表現に修正、増減、変更等を加えて、新たに思想又は感情を創作的に表現することにより、これに接する者が既存の著作物の表現上の本質的な特徴を直接感得することのできる別の著作物を創作する行為」をさすとした上で、「思想、感情若しくはアイデア、事実若しくは事件など表現それ自体でない部分又は表現上の創作性がない部分において既存の言語の著作物と同一性を有するにすぎない著作物を創作する行為は、既存の著作物の翻案に当たらない」と判断した。
その上で、判決は、本件ナレーションが本件プロローグと同一性を有する部分のうち、江差町がかつてニシン漁で栄え、そのにぎわいが「江戸にもない」といわれた豊かな町であったこと、現在ではニシンが去ってその面影はないことは、一般的知見に属し、江差町の紹介としてありふれた事実であって、表現それ自体ではない部分において同一性が認められるにすぎない。また、現在の江差町が最もにぎわうのが江差追分全国大会の時であるとすることが江差町民の一般的な考え方とは異なるもので被上告人に特有の認識ないしアイデアであるとしても、その認識自体は著作権法上保護されるべき表現とはいえず、これと同じ認識を表明することが著作権法上禁止されるいわれはなく、本件ナレーションにおいて、上告人らが被上告人の認識と同じ認識の上に立って、江差町では9月に江差追分全国大会が開かれ、年に1度、かつてのにぎわいを取り戻し、町は一気に活気づくと表現したことにより、本件プロローグと表現それ自体でない部分において同一性が認められることになったにすぎず、具体的な表現においても両者は異なったものとなっている。さらに、本件ナレーションの運び方は、本件プロローグの骨格を成す事項の記述順序と同一ではあるが、その記述順序自体は独創的なものとはいい難く、表現上の創作性が認められない部分において同一性を有するにすぎない。しかも、上記各部分から構成される本件ナレーション全体をみても、その量は本件プロローグに比べて格段に短く、上告人らが創作した影像を背景として放送されたのであるから、これに接する者が本件プロローグの表現上の本質的な特徴を直接感得することはできないというべきである。
したがって、本件ナレーションは、本件著作物に依拠して創作されたものであるが、本件プロローグと同一性を有する部分は、表現それ自体ではない部分又は表現上の創作性がない部分であって、本件ナレーションの表現から本件プロローグの表現上の本質的な特徴を直接感得することはできないから、本件プロローグを翻案したものとはいえないと判断して、原告の請求を棄却した。