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「記念樹 (あっぱれ学園生徒一同の曲)」の版間の差分

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『'''記念樹'''』(きねんじゅ)は、[[1993年]]に発表された[[合唱|合唱曲]]。[[作詞者]]は[[天野滋]]、[[作曲者]]は[[服部克久]]。ただし[[#著作権を巡って|後述の事件]]の裁判で、この曲は剽窃であるとの[[小林亜星]]の主張が認められたことにより、現在は[[卒業式|卒業式場]]や[[カラオケ|カラオケ店]]などの公の場で歌うことはできなくなっている。
{{Infobox Song
| Name = 記念樹
| Type =
| Artist = あっぱれ学園生徒一同
| alt Artist = *[[森の木児童合唱団]]
*[[ひまわりキッズ]]
| from Album = 「あっぱれさんま大先生」キャンパスソング集
| from Album2 = *夏休み冬休み春休み([[1993年]])
*「あっぱれさんま大先生」キャンパスソング集〜笑顔の季節([[1996年]])
| Released = [[1992年]][[12月2日]]
| Format = [[コンパクトディスク|CD]]
| track_no = 10
| Recorded =
| Genre = 子供向け楽曲<br />[[合唱曲]]
| Length =
| Writer = [[天野滋]]
| Composer = [[服部克久]]
| Label = [[ポニーキャニオン]]
| Producer =
| Chart position =
| Tracks =
| prev = 学芸会のきみ
| prev_no = 9
| next =
| next_no =
| Misc =
}}
『'''記念樹'''』(きねんじゅ)は、[[1992年]]に発表された[[合唱|合唱曲]]である。[[作詞者]]は[[天野滋]]、[[作曲者]]は[[服部克久]]である。ただし、[[小林亜星]]が作曲した『[[どこまでも行こう]]』(1966年発表)の盗作であるとし、2003年に確定した司法判断([[記念樹事件]])によって、同曲を服部が[[編曲]]した作品であると認定された。


== 概要 ==
== 概要 ==
[[フジテレビジョン|フジテレビ]]で放送されていた『[[あっぱれさんま大先生]]』の[[主題歌|エンディングテーマ]]として作れた。オリジナル歌手は「あっぱれ学園生徒一同」。
[[フジテレビジョン|フジテレビ]]で放送されていたバラエティー番組『[[あっぱれさんま大先生]]』の[[主題歌|エンディングテーマ]]としてされ、[[2002年]][[9月1日]]放送分まで使用された。オリジナル歌手は「あっぱれ学園生徒一同」(なお、1996年に同番組が『[[やっぱりさんま大先生]]』にリニューアルして以降は「あっぱれ学園卒業生一同」とクレジット)。後述の事件が決着する前は、[[卒業#モチーフにした作品|卒業ソング]]として[[小学校]]などの卒業式で歌われていた


本楽曲が初めて収録された[[メディア (媒体)|メディア]]は、[[1992年]][[12月2日]]に発売されたアルバム『「あっぱれさんま大先生」キャンパスソング集』([[ポニーキャニオン]])である。[[1993年]][[2月19日]]には、あっぱれ学園生徒一同のシングル『夏休み冬休み春休み』(ポニーキャニオン)のカップリング曲としてシングルカットされた。
歌詞の内容の大意は、校庭の隅に植えた記念樹を主題として将来つらいときや泣きたいときがあったとしても、子供のころの楽しい記憶を思い出して笑っていこう、というものである。


歌詞の内容の大意は、校庭の隅に植えた記念樹を主題として将来つらいときや泣きたいときがあったとしても、子供のころの楽しい記憶を思い出して笑っていこう、というものである。
後述の事件が決着する前は、[[卒業#卒業をモチーフにした作品|卒業ソング]]として[[小学校]]などの卒業式で歌われていた。

== カバーした歌手 ==
* [[森の木児童合唱団]](2002年、『こどものうた(3) いつも何度でも・小さな世界』([[KEEP]]/[[日本コロムビア|コロムビアミュージックエンタテインメント]]、規格品番:FGS-283)収録。[[記念樹事件]]に係る判決が確定した後に、同題で同曲を[[林アキラ]]の「[[大きな古時計]]」に差し替えた盤(規格品番はFGS-283Aに変更)が発売され、FGS-283は生産中止となっている)
* [[ひまわりキッズ]](2002年、『旅立ちの日に〜卒業式に歌われる子どものうた〜』([[キングレコード]])収録。記念樹事件に係る判決が確定した後に、同曲を[[タンポポ児童合唱団]]の「さようなら」に差し替えた『新盤 旅立ちの日に〜卒業式に歌われる子どものうた〜』が発売され、『旅立ちの日に…』は生産中止となっている)


== 著作権を巡って ==
== 著作権を巡って ==
{{main|記念樹事件}}
小林亜星は『記念樹』が、自身の作曲した『[[どこまでも行こう]]』([[1966年]]発表)の盗作であり、[[著作権]]を侵害していると抗議した。服部克久は盗作ではないと主張し、両者の主張が平行線をたどった結果、[[1998年]]、『どこまでも行こう』の作曲者である小林と、同曲の[[著作権者]]である[[音楽出版社]]が、服部に対して[[損害賠償]]を請求する訴訟を提起した。具体的には、小林は『記念樹』が『どこまでも行こう』を複製したものであるとして[[著作者人格権]](氏名表示権・[[同一性保持権]])侵害による損害賠償を、音楽出版社は複製権侵害による損害賠償を求めるものだった。
著作権を巡って「どこまでも行こう」を作曲した小林が服部を盗作であると訴えた。両者の意見は平行線を辿り裁判にまで発展したが、最終的には小林の主張が認められた。


その結果、小林はそれまで小学校の卒業式などで合唱曲として唄われてきた『記念樹』を唄わないで欲しいと自粛を要請し、原盤権保有者の[[フジパシフィックミュージック|フジパシフィック音楽出版(現・フジパシフィックミュージック)]]が[[日本音楽著作権協会]](JASRAC)から作品を削除したため、JASRACの許諾を基にしていたCD・楽譜への収載、通信カラオケや有線放送配信はすべて取りやめられた。
第一審([[東京地方裁判所|東京地裁]]平成12年([[2000年]])2月18日判決)は、[[フレーズ]]ごとに対比してみると一部に相当程度類似するフレーズが存在する、ということは認めたものの、全体として『記念樹』が『どこまでも行こう』と同一性があるとは認められない、として小林側の請求をすべて棄却した。
<!--歌唱・演奏を[[ファイル共有ソフト]]や[[動画共有サービス]]などインターネット上に[[アップロード]]し不特定多数がアクセス可能な状態に置いた場合、小林を含む権利者からの許諾が困難なため、[[著作権法]]違反として権利者の申し立て次第で刑事罰および損害賠償の対象となり得る。-->

この判決を不服とした小林側が[[控訴]]し、複製権侵害の主張を撤回した上で編曲権侵害に主張の中心を移して争った。控訴審([[東京高等裁判所|東京高裁]]平成14年([[2002年]])5月10日判決)では一転して、両曲には「表現上の本質的な特徴の同一性」があり、この顕著な類似性が偶然の一致によって生じたものと考えることは不自然・不合理であるとし、服部が『どこまでも行こう』に依拠して『記念樹』を作曲したものであると認定した。結果として、小林の氏名表示権・同一性保持権侵害と音楽会社の編曲権侵害を肯定し、小林と音楽出版社に対する合わせて約940万円の損害賠償を服部に命じた。

服部は[[上告]]したが、[[最高裁判所|最高裁]]は[[上告受理の申立て|上告不受理]]とする決定(最高裁平成15年([[2003年]])3月11日決定)をしたため、高裁の判決が確定し、最終的に『記念樹』の作曲が著作権法違反にあたるものであるとされた。

この裁判の影響で、フジテレビは控訴審判決後の2002年9月1日放送分を最後に『記念樹』の使用を中止することとし、[[日本音楽著作権協会]](JASRAC)も上記最高裁決定を受けて『記念樹』の利用許諾を中止した。また、小林が[[小学校]]など同曲を使用する可能性がある団体に利用の中止を求めたため、『記念樹』の公の場での歌唱・演奏は事実上禁止されることになった。

東京高裁判決(篠原勝美裁判長)は「メロディーのはじめと終わりの何音かが同じ」「メロディーの音の72パーセントが同じ」などといった音楽的に必ずしも適当とはいえない比較方法によって編曲権を侵害していると認定したため、音楽関係者の中には戸惑う者も多かった。

また、『記念樹』を服部の「オリジナル曲」として聴いた世代(1980年代生まれ)は、思い出の曲(当時、『記念樹』は卒業式の定番だった)や番組(裁判終結直後に『[[あっぱれさんま大先生]]』は一旦終了に追い込まれた)を奪われた被害者といえる。

このようないきさつから、判決に対して世論は二分された。「確かに両曲は似ていて、このような判決が出るのは当然である」と感じた者がいた一方で、同じ音の数の音符を数えるといった裁判所の認定方法の稚拙さ・不毛さを指摘する者や、「和声が旋律に従属」するという必ずしも肯定されない判断基準について、音楽的には素人の裁判官が判断を下したことを不快に感じた者もいる。判決確定後も小林に対し、強引・強欲などという[[揶揄]]や、『記念樹』をJASRACにおいて登録無効としたことに対して「強引に葬る」と批判されることがあるほどであり、おおむね世論は芳しくない。そのため小林は逆にタレントとしての露出が減るなどして、仕事に悪影響が及んているという。さらに、小林がJASRACの評議員であることから、事をJASRACへの批判に絡める論調もある。一方の服部も、剽窃を行ったということで批判や揶揄にさらされ、また既成の楽曲に似通ったものを発表したこと自体が迂闊という批判も受けている。

この判決では、音楽が客観的に同一か否かを判断することの難しさが改めて浮き彫りとなった。

== この曲の使用について ==
現在は公の場で歌唱・演奏をすることが許されておらず、また、JASRACの登録からも削除されたため、JASRACから許諾を取って歌唱・演奏することもできない。どうしてもこの曲を歌唱・演奏したい場合は作詞者の天野滋と作曲者の服部克久のほかに、『どこまでも行こう』の作曲者である小林亜星からも直接許諾を取る必要がある。歌唱・演奏を収めた音声ファイルを[[インターネット]]上に[[アップロード]]するときも同様である。


== 関連項目 ==
== 関連項目 ==
*[[あっぱれさんま大先生]]
* [[記念樹事件]]
* [[あっぱれさんま大先生]]
*[[服部克久]]
* [[服部克久]]
*[[小林亜星]]
* [[小林亜星]]
*[[どこまでも行こう]]
* [[どこまでも行こう]]
*[[盗作]]
* [[盗作]]
*[[オマージュ]]
* [[明石家さんま]]
*[[インスパイヤ]]

== 外部リンク ==
*[http://www.remus.dti.ne.jp/~astro/hanketsu/hanketsu.html 裁判-どこまでも行こう VS 記念樹]
*[http://www9.ocn.ne.jp/~w-and-b/hattori-san/kinenzyu.html 「記念樹裁判」について]

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2022年10月13日 (木) 12:05時点における最新版

記念樹
あっぱれ学園生徒一同の楽曲
収録アルバム「あっぱれさんま大先生」キャンパスソング集
リリース1992年12月2日
規格CD
ジャンル子供向け楽曲
合唱曲
レーベルポニーキャニオン
作詞者天野滋
作曲者服部克久
その他収録アルバム
  • 夏休み冬休み春休み(1993年
  • 「あっぱれさんま大先生」キャンパスソング集〜笑顔の季節(1996年
「あっぱれさんま大先生」キャンパスソング集収録順
学芸会のきみ
(9)
記念樹
(10)

記念樹』(きねんじゅ)は、1992年に発表された合唱曲である。作詞者天野滋作曲者服部克久である。ただし、小林亜星が作曲した『どこまでも行こう』(1966年発表)の盗作であるとし、2003年に確定した司法判断(記念樹事件)によって、同曲を服部が編曲した作品であると認定された。

概要

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フジテレビで放送されていたバラエティー番組『あっぱれさんま大先生』のエンディングテーマとして制作され、2002年9月1日放送分まで使用された。オリジナル歌手は「あっぱれ学園生徒一同」(なお、1996年に同番組が『やっぱりさんま大先生』にリニューアルして以降は「あっぱれ学園卒業生一同」とクレジット)。後述の事件が決着する前は、卒業ソングとして小学校などの卒業式で歌われていた。

本楽曲が初めて収録されたメディアは、1992年12月2日に発売されたアルバム『「あっぱれさんま大先生」キャンパスソング集』(ポニーキャニオン)である。1993年2月19日には、あっぱれ学園生徒一同のシングル『夏休み冬休み春休み』(ポニーキャニオン)のカップリング曲としてシングルカットされた。

歌詞の内容の大意は、校庭の隅に植えた記念樹を主題として将来つらいときや泣きたいときがあったとしても、子供のころの楽しい記憶を思い出して笑っていこう、というものである。

カバーした歌手

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著作権を巡って

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著作権を巡って「どこまでも行こう」を作曲した小林が服部を盗作であると訴えた。両者の意見は平行線を辿り裁判にまで発展したが、最終的には小林の主張が認められた。

その結果、小林はそれまで小学校の卒業式などで合唱曲として唄われてきた『記念樹』を唄わないで欲しいと自粛を要請し、原盤権保有者のフジパシフィック音楽出版(現・フジパシフィックミュージック)日本音楽著作権協会(JASRAC)から作品を削除したため、JASRACの許諾を基にしていたCD・楽譜への収載、通信カラオケや有線放送配信はすべて取りやめられた。

関連項目

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