「記念樹 (あっぱれ学園生徒一同の曲)」の版間の差分
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『'''記念樹'''』(きねんじゅ)は、[[1993年]]に発表された[[合唱|合唱曲]]。[[作詞者]]は[[天野滋]]、[[作曲者]]は[[服部克久]]。ただし[[#著作権を巡って|後述の事件]]の裁判で、この曲は剽窃であるとの[[小林亜星]]の主張が認められた。現在は[[カラオケ]]の曲目として収録したり、放送したりすることはできない。 |
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== 概要 == |
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服部は[[上告]]したが、[[最高裁判所|最高裁]]は[[上告受理の申立て|上告不受理]]とする決定(最高裁平成15年([[2003年]])3月11日決定)をしたため、高裁の判決が確定し、最終的に『記念樹』の作曲が著作権法違反にあたるものであるとされた。 |
服部は[[上告]]したが、[[最高裁判所|最高裁]]は[[上告受理の申立て|上告不受理]]とする決定(最高裁平成15年([[2003年]])3月11日決定)をしたため、高裁の判決が確定し、最終的に『記念樹』の作曲が著作権法違反にあたるものであるとされた。 |
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この裁判の影響で、フジテレビは控訴審判決後の2002年9月1日放送分を最後に『記念樹』の使用を中止することとし、[[日本音楽著作権協会]](JASRAC)も上記最高裁決定を受けて『記念樹』の利用許諾を中止した。また、小林が[[小学校]]など同曲を使用する可能性がある団体に利用の中止を求めたため、『記念樹』の公の場での歌唱・演奏は事実上 |
この裁判の影響で、フジテレビは控訴審判決後の2002年9月1日放送分を最後に『記念樹』の使用を中止することとし、[[日本音楽著作権協会]](JASRAC)も上記最高裁決定を受けて『記念樹』の利用許諾を中止した。また、小林が[[小学校]]など同曲を使用する可能性がある団体に利用の中止を求めたため、『記念樹』の公の場での歌唱・演奏は事実上不可能となった。 |
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東京高裁判決(篠原勝美裁判長)は「メロディーのはじめと終わりの何音かが同じ」「メロディーの音の72パーセントが同じ」などといった音楽的に必ずしも適当とはいえない比較方法によって編曲権を侵害していると認定したため、音楽関係者の中には戸惑う者も多かった。 |
東京高裁判決(篠原勝美裁判長)は「メロディーのはじめと終わりの何音かが同じ」「メロディーの音の72パーセントが同じ」などといった音楽的に必ずしも適当とはいえない比較方法によって編曲権を侵害していると認定したため、音楽関係者の中には戸惑う者も多かった。 |
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『記念樹』を服部の「オリジナル曲」として聴いた世代(1980年代生まれ)には、思い出(当時、『記念樹』は卒業式で歌われる事も多かった)も否定されたような感情からか、当然の処置であるJASRACの利用許諾中止をすら批判し、小林に対しても、強引・強欲などという人格攻撃を加えるような感情的反発を起こすことになった。 |
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このようないきさつから、判決に対して |
このようないきさつから、判決に対しての反応は様々なものであった。「確かに両曲は似ていて、このような判決が出るのは当然である」と感じた者がいた一方で、同じ音の数の音符を数えるといった裁判所の認定方法の稚拙さ・不毛さを指摘する者や、「和声が旋律に従属」するという必ずしも肯定されない判断基準について、音楽的には素人の裁判官が判断を下したことを疑念を呈した者もいる。(もっとも専門的な知識の必要とされる事件について、素人である裁判官が判断を求められるのは、この件に限らず、裁判制度自体の問題である。) |
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この判決では、音楽が客観的に同一か否かを判断することの難しさが改めて浮き彫りとなった。 |
この判決では、音楽が客観的に同一か否かを判断することの難しさが改めて浮き彫りとなった。 |
2007年5月1日 (火) 15:36時点における版
『記念樹』(きねんじゅ)は、1993年に発表された合唱曲。作詞者は天野滋、作曲者は服部克久。ただし後述の事件の裁判で、この曲は剽窃であるとの小林亜星の主張が認められた。現在はカラオケの曲目として収録したり、放送したりすることはできない。
概要
フジテレビで放送されていた『あっぱれさんま大先生』のエンディングテーマとして作られた。オリジナル歌手は「あっぱれ学園生徒一同」。
歌詞の内容の大意は、校庭の隅に植えた記念樹を主題として、将来つらいときや泣きたいときがあったとしても、子供のころの楽しい記憶を思い出して笑っていこう、というものである。
後述の事件が決着する前は、卒業ソングとして小学校などの卒業式で歌われていた。
著作権を巡って
小林亜星は『記念樹』が、自身の作曲した『どこまでも行こう』(1966年発表)の盗作であり、著作権を侵害していると抗議した。服部克久は盗作ではないと主張し、両者の主張が平行線をたどった結果、1998年、『どこまでも行こう』の作曲者である小林と、同曲の著作権者である音楽出版社が、服部に対して損害賠償を請求する訴訟を提起した。具体的には、小林は『記念樹』が『どこまでも行こう』を複製したものであるとして著作者人格権(氏名表示権・同一性保持権)侵害による損害賠償を、音楽出版社は複製権侵害による損害賠償を求めるものだった。
第一審(東京地裁平成12年(2000年)2月18日判決)は、フレーズごとに対比してみると一部に相当程度類似するフレーズが存在する、ということは認めたものの、全体として『記念樹』が『どこまでも行こう』と同一性があるとは認められない、として小林側の請求をすべて棄却した。
この判決を不服とした小林側が控訴し、複製権侵害の主張を撤回した上で編曲権侵害に主張の中心を移して争った。控訴審(東京高裁平成14年(2002年)5月10日判決)では一転して、両曲には「表現上の本質的な特徴の同一性」があり、この顕著な類似性が偶然の一致によって生じたものと考えることは不自然・不合理であるとし、服部が『どこまでも行こう』に依拠して『記念樹』を作曲したものであると認定した。結果として、小林の氏名表示権・同一性保持権侵害と音楽会社の編曲権侵害を肯定し、小林と音楽出版社に対する合わせて約940万円の損害賠償を服部に命じた。
服部は上告したが、最高裁は上告不受理とする決定(最高裁平成15年(2003年)3月11日決定)をしたため、高裁の判決が確定し、最終的に『記念樹』の作曲が著作権法違反にあたるものであるとされた。
この裁判の影響で、フジテレビは控訴審判決後の2002年9月1日放送分を最後に『記念樹』の使用を中止することとし、日本音楽著作権協会(JASRAC)も上記最高裁決定を受けて『記念樹』の利用許諾を中止した。また、小林が小学校など同曲を使用する可能性がある団体に利用の中止を求めたため、『記念樹』の公の場での歌唱・演奏は事実上不可能となった。
東京高裁判決(篠原勝美裁判長)は「メロディーのはじめと終わりの何音かが同じ」「メロディーの音の72パーセントが同じ」などといった音楽的に必ずしも適当とはいえない比較方法によって編曲権を侵害していると認定したため、音楽関係者の中には戸惑う者も多かった。
『記念樹』を服部の「オリジナル曲」として聴いた世代(1980年代生まれ)には、思い出(当時、『記念樹』は卒業式で歌われる事も多かった)も否定されたような感情からか、当然の処置であるJASRACの利用許諾中止をすら批判し、小林に対しても、強引・強欲などという人格攻撃を加えるような感情的反発を起こすことになった。
このようないきさつから、判決に対しての反応は様々なものであった。「確かに両曲は似ていて、このような判決が出るのは当然である」と感じた者がいた一方で、同じ音の数の音符を数えるといった裁判所の認定方法の稚拙さ・不毛さを指摘する者や、「和声が旋律に従属」するという必ずしも肯定されない判断基準について、音楽的には素人の裁判官が判断を下したことを疑念を呈した者もいる。(もっとも専門的な知識の必要とされる事件について、素人である裁判官が判断を求められるのは、この件に限らず、裁判制度自体の問題である。)
この判決では、音楽が客観的に同一か否かを判断することの難しさが改めて浮き彫りとなった。
この曲の使用について
現在は公の場で歌唱・演奏をすることが許されておらず、また、JASRACの登録からも削除されたため、JASRACから許諾を取って歌唱・演奏することもできない。どうしてもこの曲を歌唱・演奏したい場合は作詞者の天野滋と作曲者の服部克久のほかに、『どこまでも行こう』の作曲者である小林亜星からも直接許諾を取る必要がある。歌唱・演奏を収めた音声ファイルをインターネット上にアップロードするときも同様である。