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「Wikipedia‐ノート:独自研究は載せない」の版間の差分

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Y tambe (会話 | 投稿記録)
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:んー、もうしばらくは様子見が必要ですね。ただ、大項目/小項目主義的なまとめ方の違いみたいに割り切って、NORのところは「詳細は〜」で今あるのを別ページとして詳述用にしちゃうのも手かな、と。WP:Attribution を別途作るという、またややこしそうな議論が必要になりますが。
:んー、もうしばらくは様子見が必要ですね。ただ、大項目/小項目主義的なまとめ方の違いみたいに割り切って、NORのところは「詳細は〜」で今あるのを別ページとして詳述用にしちゃうのも手かな、と。WP:Attribution を別途作るという、またややこしそうな議論が必要になりますが。
:WP:Attribution は、出典を出すことがもうほぼ常識になってる英語版だからこそ、WP:Vで従前強調されていたような「出典のない記述は除去される可能性がある」とことさら強調しなくてもよくなったからこそ、書くことができる方針文のような印象を受けました。それと、昨今井戸端あたりで上がっている、情報の永続性を保証すべしという解釈を取り除こうとしてるのだろうか、という点かな? この辺りの事情があるので、日本語版にいきなり持ってきて大丈夫かな、と思わなくもないですね。まぁどの道、いずれは向かう道だろうし、今新たな混乱の種が一つ持ち込まれたところで、さほど状況が変わるとも思えないけど ^^; 問題は、スのGさんも言ってますが訳語ですね。どうしたものか。--[[利用者:Y tambe|Y tambe]] 2007年2月19日 (月) 09:22 (UTC)
:WP:Attribution は、出典を出すことがもうほぼ常識になってる英語版だからこそ、WP:Vで従前強調されていたような「出典のない記述は除去される可能性がある」とことさら強調しなくてもよくなったからこそ、書くことができる方針文のような印象を受けました。それと、昨今井戸端あたりで上がっている、情報の永続性を保証すべしという解釈を取り除こうとしてるのだろうか、という点かな? この辺りの事情があるので、日本語版にいきなり持ってきて大丈夫かな、と思わなくもないですね。まぁどの道、いずれは向かう道だろうし、今新たな混乱の種が一つ持ち込まれたところで、さほど状況が変わるとも思えないけど ^^; 問題は、スのGさんも言ってますが訳語ですね。どうしたものか。--[[利用者:Y tambe|Y tambe]] 2007年2月19日 (月) 09:22 (UTC)
::んと、「(記述の)帰因」みたいなことなんですかね。「Wikipedia:記述の根拠を提示する」みたいな感じかなあ。--[[利用者:Ks aka 98|Ks aka 98]] 2007年2月19日 (月) 09:47 (UTC)

2007年2月19日 (月) 09:47時点における版

過去の議論

改訂訳までのPOV気味のまとめ

「オリジナルリサーチ」および方針名の訳語としては、「独創的研究を載せない」「独自研究を載せない」に絞れています。これのどちらを採用するかについては、この方針が「ウィキペディアで発表されるトンデモを排除する」ものであるとして、「誰かが書いたトンデモを排除する」ことを含む場合は前者、含まない場合は後者が適当であるというところまでは、いちおう合意しているように認識しています。問題は、この方針自体が指す内容についての意見が一致していない、というところにあります。お手数ですが詳細は過去ログを参照ください。

原文を参照の上、方針の内容についての合意形成と、「オリジナルリサーチ」以外の部分の訳についての修正・検討をお願いします--Ks aka 98 2006年10月13日 (金) 07:00 (UTC)[返信]

改訂訳

直してみました。本文中の長めの太字は、原文にないものを補ったもので、適切でなければ除去してください。一部【】が残っていますが、適当な訳がまだ思いつかないものです。というか、おれ英語得意な訳じゃないので、修正などはどんどんお願いします。信頼できる/評判のいいは訳しわけました。credibleは、信用できると訳しておきました。publishとかsourceとかは、文脈上出版物を想定していないものについては情報源にしてしまっています。「オリジナルリサーチ」は訳してません。あと、この方針は「信頼できない情報源で発表済のトンデモ理論」を排除するものなのか、ぼくが主張している通り、それ自体をこの方針で排除するのではなく「ウィキペディアで発表されるトンデモ理論」を排除するものなのか、という点について、再度議論あるいは確認できればと思います。では。--Ks aka 98 2006年10月9日 (月) 16:43 (UTC) 気になっていた合成の例の元ネタはここにあった。元ネタの議論ORの古いノート--Ks aka 98 2006年10月9日 (月) 18:29 (UTC)[返信]

「オリジナルリサーチ」について

original researchをそのまま仮名書きする方針になりそうですが、次のような理由から疑問です。

  1. これまで出された訳語は、どれも逐語訳である
  2. original research という英語の表現自体、「中立性」確保を狙った表現で、それをそのまま引き継ぐと、日本語版でも「“オリジナルリサーチ”とは何か」についてくだくだしい定義が必要になる

そもそも、"No original research." をどのように解釈するかが問題だったはずですが、(あえて非礼を承知で書きますが、)長時間をかけて議論が紆余曲折を辿るだけだったのは、originalresearch をそれぞれ別個に訳して、後から訳語をくっつけただけだったからで、そのためきちんとした日本語訳が導き出せなかったように見受けられました。不思議なことに、あれだけ議論をしながら、使う文献が英和辞典や日本語の辞書ばかりで、英英辞典にあたろうとする人がいなかったのも解せません(わたくしが見落としただけなら御免なさい)。

ためしに、やや版が古いのですが、Longman Dictionary of Contemporary English [ISBN 0-562-84223-9]によって、originalresearch を調べると、次のようなことが書いてあります。

original adj  1 [A no comp.] first; earliest: The original owner of the house was a Frenchman.  2 often apprec new and different; unlike others: an original idea/invention | a very original thinker | How original of you! --opposite unoriginal  3 [A] not copied: an original (painting) by Picasso --see also ORIGINALLY
research also resarches pl.-- n [U (in, into, on)] serious and detailed study of a subject, that is aimed at learning new facts, scientific laws, testing ideas, etc.: a very interesting piece of reserch | They are carrying out/doing some rearch into/on the effects of brain damage. | Will they publish the results of their research/researches? | research students/workers | a research laboratory --see also MARKET RESEARCH, R AND D

要するに、「独創的」という意味は、「しばしば称賛の意味で」使われるので、おのずと選択肢として外されるし(そうでなければ、「称賛すべき投稿を禁止する」という変な訳語になってしまう)、リサーチもただ「調査・研究」と置き換えたのでは、本来の意味を汲み取っていないことになるのではないでしょうか。

大事なことは、何を禁止したくて"No original research." と言っているかです。

(すでに触れましたが)まず、「オリジナル」も「リサーチ」も、どちらも大変ニュートラルな語が選ばれているということに注目すべきでしょう。そして英語以外の版では、禁止事項を詳しく言い換えているという点も大事です。ということは、日本語でも、必要なニュアンスをも訳出するか、日本語として言い換えるかのどちらかが必要だということです。(一口で言うなら、「オリジナルリサーチ」では余りに努力も工夫も足りませんし、分かったような分からないような言葉です。)

単刀直入に申し上げます。「オリジナルリサーチ無用。」と英語版が言っているのは、「たとえどんなに熱心に詳しく勉強した事柄でも、第三者に理解しがたい、独り善がりな内容ならば、要りませんよ」ということなのではないか、ということです。あるいは、「original = first, earliest」という意図だとしても、その場合でも好意的な意味ではなくて、「参考文献などの裏づけや関連性を持たない、先行研究(の存在を)確認していない」という含みなのではないでしょうか。

いずれにしても、「独自の研究」というのは問題ありというところから、議論は始まったのだと思われますが、英語のようなニュートラルな表現を日本語として置き換えるなら、「独自の研究の禁止」「独自調査の公表無用」というのが最も妥当でありましょうし、もっと禁止の感じを強めたいなら、「独善的な研究の禁止」「ひとりよがりな調べものはいりません」「ウィキペディアはあなたの個人的な勉強を発表する場ではありません」・・・・・・etc. といったところになるでしょう。---間久部緑郎 2006年10月13日 (金) 01:33 (UTC)[返信]

うう。まとめ書かないと、てことですな。訳語として2案までしぼれているのですが、まだ決まっていないので一方の立場を推進していた者として、「オリジナルリサーチ」にしてあるのは、現状維持以外に意味はないす。
同時に、その訳語の選択で問題となっていたのは、既に発表されているトンデモ説を、NORは排除するのかどうかについて意見の分かれがあったからだと認識しています。排除しないなら、独自が好ましく、おれはその立場です。他方、排除するから独創的という意見があり、排除するなら独創的でよいと思います。一般に賞賛の意味で使われる表現を「禁止」する事で、「本来賞賛すべきことだけれどウィキペディアでは…」という点が強調されると思えば、賞賛の意味で使われる言葉でも、まあいいのではないか、と--Ks aka 98 2006年10月13日 (金) 02:46 (UTC)[返信]

現在の基本線は、

  • Wikipedia:No original researchという文書名で暫定的に公式化するため
  • それに合わせた本文の翻訳を検討する

ということになっているはずです。その中で、原文のoriginal researchは訳文本文中では「オリジナル・リサーチ」と仮名書きすると言うところまで合意できているはずです。「オリジナル・リサーチ」についてよりよい訳を追求することは続けなければなりませんが、それは火急の問題ではありあません。-- 2006年10月13日 (金) 09:04 (UTC)[返信]

「カタカナ語への異議(2006/7/9以降の議論)」以降、「「オリジナル・リサーチ」と仮名書きすると言うところまで合意」は覆っていると思います。明確に強い反対が出ていますし、合意ができているという認識はぼくにはありませんでした。本文訳を再び行う必要性は方針名の訳の検討の中から出てきたもので、仮に方針名をオリジナルリサーチとするのであれば、本文の訳出自体は終わっていたわけですから。--Ks aka 98 2006年10月13日 (金) 09:49 (UTC)[返信]

それは確かに文書名としてはカタカナ語に反対は強かったですが、過去ログ2006-09-15 17:24:42の版での「#とりあえず原語で」の節で、本文中では、“初出時に「オリジナルリサーチ (original research)」として以下は片仮名のまま”(2006年9月10日 (日) 14:34 (UTC))となったように思っていたんですが。-- 2006年10月13日 (金) 14:06 (UTC)[返信]

ああ、そっか。すみません。了解。としても、上でまた反対されてるし。で、ぼくとしては方針化を急ぐならオリジナルリサーチでもいいよってことに過ぎず、オリジナルリサーチが定着するなら反対するってくらいのものなので、申し訳ないですが、以後の作業は方針化を急ぐ人に任せたいす。--Ks aka 98 2006年10月13日 (金) 16:08 (UTC)[返信]

それを言ってはお仕舞いなんで.... つらつらと考えていたのは、「オリジナル」も「リサーチ」も漢語にしたい、ってことだったんですが、「リサーチ」はともかく「オリジナル」は完全に外来語として日本語化しているし、「オリジナル」という言葉でしか表現できない部分が確立していると思うので、「オリジナル」だけは片仮名でもいいのかなあという気もしています。original researchまとめてひとつの熟語と考える、というのから離れてしまうんですがね。-- 2006年10月14日 (土) 06:06 (UTC)[返信]

「#とりあえず原語で」の節でもFXSTさんと私は反対していたはずですし、純粋に「賛成」とおっしゃったのはお二方だけです。他の方はにも「反対はしない」だったり「コメント」だったりです。これで合意が形成されたといえるのでしょうか?すみません。インテンドの下がった方を見落としていました。しかしFXSTさんと私が反対していたことは確かです。 --モノノハズミ 2006年10月14日 (土) 10:24 (UTC) --(訂正)モノノハズミ 2006年10月14日 (土) 10:35 (UTC)[返信]

っさんへ。ええと、ですから、細かい事全部抜きでとにかく方針化したい、という意見があって、じゃあ細かい事全部抜きで方針化するならオリジナルリサーチでいいよ、というのが僕の意見で、あそこでの合意はそういうものだと思うんです。だから、それはそういうことで進めてもらっても反対しません。方針の内容の理解が一致していないまま方針化することをよしとも思いませんが、方針化が切実なのであれば、そちらを優先させてもいいですよ、と。ぼくにとっては方針化を急ぐ事には関心がなく、項目名、というよりは、この方針が指す内容を確認したい、というのが最も優先される事です。訳の改訂も、内容を確認するために原文を眺めていて気付いたことや、内容を巡る議論のなかで出てきた訳語の問題が出てきたので、訳を改訂した、ということで、方針化のことは頭になかったです。気付いていたら提案されていた方針化のための改訂部分を直すのを避けるような事まではしなかったと思うので、申し訳ない気持ちもあるんですが。
ただし、最終的な方針名およびoriginal researchの訳語として「オリジナルリサーチ」とするという意見は残ってなかったと思いますし、ぼくは反対します。内容の確認をして、「独創的研究」「独自研究」のいずれか、というところまで話は進んでいたと認識しています(当事者なので多少POVですが)。方針化によって「オリジナルリサーチ」という項目名が、無条件に再び候補に挙がったり、既成事実として他の項目での表現が「オリジナルリサーチ」に変更されていくなら、方針化にも反対します。訳語として「オリジナルリサーチ」を検討するのであれば、あらためて、「オリジナルリサーチ」という訳語が、「独創的研究」「独自研究」よりも優れているという意見として示して欲しいです。--Ks aka 98 2006年10月14日 (土) 14:07 (UTC)[返信]


>「オリジナル」は完全に外来語として日本語化しているし、「オリジナル」という言葉でしか表現できない部分が確立していると思うので、「オリジナル」だけは片仮名でもいいのかなあという気もしています。

  1. 新しい用語を定義する。
  2. 既存の用語を新たに定義をする。

はこの項目が禁止しているはずです。「オリジナル」と「リサーチ」の複合語であって新しい用語ではないと言いたいのでしょうが、日本語で言える言葉をわざわざカタカタに置き換えることは、新しい用語を定義し、既存の用語を新たに定義する作業に他ならないと思います。逐語訳にこだわりすぎるのもいかがなものでしょう。日本語では自分で拵えたものは「自作」というのです。「自作禁止」と書けば、だれでも自分で創作してはいけないと分かりますし、詳細はページに詳細に記せばよいことでしょう。

2006年10月16日 なすび

ええと、NORの対象は、一般の記事です。つまり、通常名前空間のページです。ですから、プロジェクト名前空間(Wikipedia:)にあるNORそのものには適用されません。-- 2006年10月16日 (月) 12:13 (UTC)[返信]

 original research というのを漢語や熟語にしたり、原語の語数を日本語でも等しく対応させようとするから、無理が生ずるのではありませんか。original research というのは、確かにトンデモ説うんぬんもあるのでしょうが、とりあえずは指示内容から訳を決めていくべきです。管見では、original research が意味するのは、「先行資料や先行研究が存在しないために<最初の>(または<独自な>)研究と称するよりほかないしろもの」のことだと思われるのですが、いかがでしょうか。なお、「日本語でもオリジナルもリサーチも通用する」との意見も散見されますが、日本語の「オリジナル」+「リサーチ」=英語の original research かどうかをまったく検証せずにそのように放言しているだけなら、手抜きの謗りを免れないでしょう。---間久部緑郎 2006年10月30日 (月) 13:41 (UTC)[返信]

ここで書く意見はここにある「original research」や「独自の調査」全般についてです。まず、少し自己紹介をしたいと思います。私は日本に住んでいるアメリカ人で、日本の大学に勤めています。同僚などに論文要旨の英文の添削や翻訳を頼まれることはときどきありますが、一番厄介なのは題です。経験でわかってきたのは、題の添削や翻訳をする前にはまず、要旨を読んで論文の趣旨を理解することです。いよいよ英語の題(つまり、日本語題の英訳)に手をつける段階になると、逐語訳的な発想を捨てて、論文の趣旨が伝わるような英語を書くことです。つまり、自由訳がいいです。題の逐語訳は意味の伝わらない、ぎこちない表現を生み出すことが多いと思います。
さて、今回の"No original research"の場合はどうでしょう。こう書くと失礼と思われるかも知れませんが、お許しください。今までの「original」や「research」に関する議論は「木を見て森を見ず」だと思います。「独自の調査」という言葉では結局No original researchの趣旨がまったく伝わらないと思います。このNo original researchの趣旨を理解するために「original」や「research」という題の言葉のどうのこうのではなく、No original researchの説明文に注目すべきだと思います。これは上で書いた「題を訳す前に要旨を読む」ことです。

Articles may not contain any unpublished arguments, ideas, data, or theories; or any unpublished analysis or synthesis of published arguments, ideas, data, or theories that serves to advance a position.

また

Original research is a term used in Wikipedia to refer to material that has not been published by a reliable source.

http://en-two.iwiki.icu/wiki/Wikipedia:No_original_research
要するに、「既に、しかるべきところで発表されていない内容をWikipediaで発表するなよ」が趣旨ですね。「Wikipediaは君の意見、理屈、作品、論文等の発表の場ではないぞ。」です。
そこで、私は「初発表禁止」という言葉を考えました。もっとうまい日本語の表現があるだろうと思いますので、日本語を母語とする皆さんに日本語の言い回しについて検討していただければ幸いですが、以上のことから「独自の調査」という言葉を修正する必要があることを前提に作業を進めていくべきだと思います。---Masden 2006年11月5日 (日)
間久部緑郎さん、Masdenさん、以下に節を立て直すので、そちらで引き続き。検討願います。--Ks aka 98 2006年11月5日 (日) 03:32 (UTC)[返信]


オリジナルリサーチは「新規の研究」「独自の結論」「検証不可能な情報」の三者を指しているのではないか。研究の項目によれば、他の研究者によってすでに明らかにされてい(る事象は、それは)研究とは認められない。WIKIPEDIAは査読機関ではないのだから、新規の研究を持ち込まれても困る、他の研究者によって明らかにされているものを持ち込んでくれ、というのがオリジナルリサーチを排除する第一の目的だろう。二つ目には、研究は常に仮説の設定と検証、そして仮説に基づく結論からなるが、出典を明記された引用を多数持ち込むことはWIKIPEDIAの方針として反する点は一切ないものの、仮説を立てて、それから結論をみちびく行為をWIKIPEDIAの上ではやるな(独自の結論を発表するな)というのが第二の目的ではないか。結論とは物証からの論理的推論であるが、科学的推論の立場に立つなら反証可能性を持たない推論は非科学的であり、推論である以上かならず反証可能性(つっこみ所)がある。WIKIPEDIAは研究の場ではないのだから、出典の明示ができないような独自の推論独自の結論は止めてくれ、という事だろう。三つ目はオリジナルリサーチの重要な項目だが、これは出典の明示を求める事で確認できるだろう。

テンプレート「独自の調査」が問題を抱えているのは、出典のある引用さえすれば、投稿者が独自の結論を紛れ込ませたり、独自の結論を意図的に暗示させるような体裁をとっても十分に排除する効果を発揮できない点にある。焦点をより厳格に絞ることで他の投稿者が何を問題にしているのかをクリアにさせることができる。調査という術語は結論推論などに置き換えるべきだろう。--58.95.145.142 2007年1月30日 (火) 05:21 (UTC)[返信]

既存のトンデモを含むかどうか

過去の議論は膨大なので、今この版にある議論だけ読みかえして発言します。そろそろ投票で決めませんか? これまでの議論では以下の二つの選択肢に絞られているんですよね?

  • 「独創的研究を載せない」
  • 「独自研究を載せない」

(オオボケを書いてしまったようなのでコメントアウトで中略) 個人的に、トンデモさんに「そんなことを書かないでくださいっ!」と叫ぶ場合は「独自研究は載せない」あたりがそのまま使えていいかな、と思いますが。--miya 2006年10月15日 (日) 02:32 (UTC)[返信]

えー、おれの認識だと、

  • この方針には既存のトンデモを含む→独創的研究を載せない
  • この方針には既存のトンデモを含まない→独自研究を載せない

が適当な訳である、というところはかなり一致していて、この方針に既存のトンデモを含むか含まないかの議論が宙に浮いていた、と。それを投票で決めるというのは、方針の内容を投票で決める、に近い話になってしまいます。--Ks aka 98 2006年10月15日 (日) 08:50 (UTC)[返信]

私もどうも、まだ、NORというのが共通理解できるところまで、認識が行っていないんじゃないかと思っています。たとえば、「この基本方針の起源...」の節にあるように、NORが対象としているのは、第一に物理学、第二に歴史学なんですが、それすらきちんと伝わっているのかどうか....。そして、「オリジナルリサーチとは何か?」にmaterial added to articlesとあるように、すでにウィキペディアに書かれたものが対象だと言うことも。私も、確かにだから拙速だとは思っていますが、公式化してから詰めるのもありかなと、その辺はのんきなんです。-- 2006年10月15日 (日) 11:22 (UTC)[返信]
オオボケ書いてすみません。過去の議論見ようとして挫折しました。「既存のトンデモを含む」というのは「既存のトンデモも載せない」という意味ですか? それは、本文のどのあたりに書いてあるのでしょうか?「既存のトンデモは信頼できる情報源でない」というなら分かりますが、「既存のトンデモについて、信頼できる情報源を元に書く」というのはありだと思うのですが(また オオボケ書いてたらごめんなさい)。--miya 2006年10月15日 (日) 17:12 (UTC)[返信]
おれは「含まない→独自研究」支持。--Ks aka 98 2006年10月15日 (日) 17:22 (UTC)[返信]
「信頼できる情報源」のある既存のトンデモというと、一番分かりやすいのが「相対性理論は間違っていた!」系の主張の類でしょうか。一般相対論ならともかく、特殊相対論まで否定する(しかも容易に反駁されているようですが)ような書物がそこそこ名のある出版社から出版されているという事態に個人的には気が滅入る思いで一杯ですが、それだとしてもWikipedia:中立的な観点に則り、そのような主張を、科学界の主流となる意見側からの反駁とともに掲載すべきでしょう(残念ながら世の多くの科学者はあまりにもアホ臭くてまともな反論をする気にならないのが実情で、そのような反論は主にウェブサイトを頼らざるを得ないのが実情でしょうが…… と学会からはこういった書物に関する批判は出ているのでしょうか)。まあ、「相対論は間違っていた」だとか「マイナスイオン」だとか『買ってはいけない』だとかが蔓延っているのが日本の実情ですから、社会科学・科学哲学的観点から充分この現象(「相対論は間違っていた」自体ではなく「相対論は間違っていた」がこれだけ蔓延っているという不思議な現象)は百科事典に記載するに値するというのが個人的意見ではありますが、それにしても既成のトンデモを排除すべきという意見は一体どういった論拠に基づく主張なのでしょうか。私も申し訳ありませんがログを読もうとして挫折いたしましたので、できれば要約していただけると幸いです。※編集競合のためKs aka 98さんの編集を読む前の状態で書きました。--spirituelle 2006年10月15日 (日) 17:42 (UTC)[返信]


「何が項目名決定を妨げるのか」 あたりから「本文からのアプローチへの序」の前あたり参照、かなあ。グダグダで申し訳ない。こっちで含まないで合意が取れるならそれでもよろしいかとも思います。en:のノートを見ると、そっちもけっこうグダグダで、編集の様子を見ても、なんだか本文がわかりにくいつくりになっているようにも思ってきた。特殊相対論も否定されたのかー。むかしシュヴァルツシルト解を計算して出したことを思いだしました。--Ks aka 98 2006年10月15日 (日) 18:01 (UTC)[返信]

ええと、トンデモであるかどうかの判断はもっぱら「直接関連のある情報を提供する信頼のおける情報源」の有無によって判断すべきなのですよね。いっぽう、Ks aka 98のおっしゃる「既存のトンデモ」における「既存の」というのはどういう意味だったんでしたっけ? それによっては、「既存のトンデモ」というのは、ありえないのでは??-- 2006年10月16日 (月) 12:19 (UTC)[返信]

違う。ORは、「直接関連のある情報を提供する信頼のおける情報源」の有無によって判断すべき。既存のトンデモ、たとえば相対性理論は間違っていたとか地球空洞説とかすごい水とかの説明は情報源の信頼度によって判断される。今ここでおれが何かもっともらしいことを既存の信頼できる資料を駆使して書き上げるのが既存でないトンデモで、たとえば魏志倭人伝とかを出典として邪馬台国は志摩にあった、と主張すると、出典は「信頼されるもの」になってしまう。だからこそ「直接関連のある情報を提供する信頼のおける情報源」で判断される。--Ks aka 98 2006年10月16日 (月) 12:35 (UTC)[返信]
たとえば、「相対性理論は間違っていた説」がトンデモであるためには、その「間違っていた説」が「直接関連のある情報を提供する信頼のおける情報源」に書かれていないことが必要で、「直接関連のある情報を提供する信頼のおける情報源」に書かれていたならば、すでに「間違っていた説」は「トンデモ」ではない、のでしょう?-- 2006年10月16日 (月) 13:17 (UTC)[返信]

ああ、それはそうなのかな? そんな気もしてきた。ちょっと考える。ていうか、われながら、ちょっとずるい言い方だけど、要はそれがこの方針で排除される主たる対象ではないんじゃない?--Ks aka 98 2006年10月16日 (月) 14:03 (UTC)[返信]

この方針で排除したい主たる対象は、物理学や歴史学の分野における新奇な説、でしょう?-- 2006年10月17日 (火) 06:16 (UTC)[返信]

奇な説ですよ nobel=different from anything known before; new, interesting and often seeming slightly strange

物理学や歴史学は、単なる例示だと思いますが、実際に独自の理論を提唱する人が多いですよね? それはORです。

ジンボウェールズの発言によれば

「オリジナルリサーチ」という用語は、主にウェブ上にあふれる物理学系のトンデモ理論提唱者(英:crank)対策の為に生まれたものです。基本理念は次の通りです。:「ある事柄が本当に正しいかどうかの有効な判断を下すのは、我々にはたいへん困難です。ある人が提唱する物理学の奇抜な理論が正当なものであるかどうかを我々が決めるは適切ではありません—我々はそのような判断を下せるほどの専門知識は持ち合わせていません。しかし、我々はその理論が評判のいい定期刊行物で発表されたかどうか、評判のいい情報源から発表されているかどうかは、確認できます。ですので、適切な判断能力を備えた人々によって信用できると判断された物事に単に依拠することにより、ある物事が信用できるかどうかの判断を避けることは、本当に便利なのです。歴史(学)についても全く同じ原則が当てはまります。 [2]

本当に正しいかどうかの有効な判断を下さなければならない「ある事柄」が、すでに公表済であれば、われわれは判断を下す必要がなく、その情報源について判断すればいいはずです。これは、NORとVに重複する方針です。しかし、Vは、公表済の情報についての検証可能性を求めることに主眼が置かれています。NORは、その情報を結びつけることにも検証可能性を求める点が強調されていることは、続く

ウィキペディアでは、なぜ実験結果等を引用したり、それらを何か新しいものに総合することによって、物理学の新奇な理論をつくるべきではないのか、ということを完全に理解している人々も、同じことが歴史(学)にも通用することを見落とすことがあります。

からわかるかと思います。

たとえば「What is excluded? : 何が除外されるか」には、既存のトンデモを指すものは例示されていません。 「ある観点を推進するような、発表済みの情報の新たな合成の例」は、新しいトンデモの例です。 「専門家の役割」では、専門化が(トンデモではない)新しい理論を書くことを留めさせています。

既存のトンデモは、書かれる場所によっては記述することが可能かと思われます。突飛であったとしても非主流派だが完全に否定されたわけではない学説ならそれなりの分量で記述されてもよいでしょう。ある突飛な解釈が流行することもあります。これを真実であるとか学問的に主流であるという風に記述することは許されませんが、ある種の風俗として記述することは許されるでしょう。しかし、ORは「排除される」、のです。--Ks aka 98 2006年10月17日 (火) 08:00 (UTC)[返信]

(私生活で忙しく、しばらくアクセスできませんでした)ここまでの履歴を確認すると、ここでもやはり、キーワードは「信頼できる情報源」(現在の本文における「評判のいい媒体」)のようですね。「相対性理論は間違っていた!」という主張がORでないためには最低限、『ネイチャー』や『サイエンス』などの高い評価を受けている雑誌や、この本文にあるような、「査読制度のある」雑誌・定期刊行物・書籍にそうした論文が掲載される必要があるものと、私はこの方針を解釈していたわけです(「ORでないために」という部分が要点。正しいか正しくないかではない)。
つまり、「そこそこ名のある出版社から出版されている」というのは検証可能性(V)の求める要求であり、この方針(NOR)が求めるものはもっと高い次元のものであろう、と考えていたわけです。(これがRigel 2006年9月6日 (水) 09:41 (UTC)の質問を繰り出した要因です)。そして、「検証可能性の要求をクリアするものの、「評判のいい媒体」に合致しない情報源にしか存在しない理論etc.」こういったものを指して「既存のトンデモ」と当初は呼んだのです。例えば、そうした科学的な分野で物議をかもし出すような内容が『ニューズウィーク』にしか見出せず、しかも断定調で語られている場合を想定すると良いでしょう。科学分野ではそうしたことはありえないかもしれませんが、これは「政治・宗教」といった分野では十分あり得る事柄です。
また、過去ログを要約すると、過去の議論における「既存のトンデモ」とは、
  • 編集内容は編集者のオリジナルではなく、既存の出版物にすでに見受けられるものの、ただし同様の内容を「評判のいい媒体」からは見出せないもの。
という意味として、「ORには既存のトンデモを含む/含まない」という双方の見解から使われていたと思います。
また、その議論の前半は、
  1. 「編集者のオリジナルであり、未だ評判のいい媒体に掲載されたことがない場合はORである」というのが本文の意味するところであると考える Ks aka 98 さんが「独自」を推す。
  2. 「編集者のオリジナルであるとは限らず、単に評判のいい媒体に合致しない場合はORである」というのが本文の意味するところであると考える私が「独創的」を推す。
ということの繰り返しであり、私がその相違点に気づかされたのは Rigel 2006年9月4日 (月) 08:32 (UTC) の発言の直前です。ですので、それ以前の問答を真剣に読もうとすると混乱するだけかもしれません(どの部分に対する理解が異なるのか分からないまま議論していた記録ですので…)。
この違いは恐らく、っさんの引用された "material added to articles" の重要性に対する認識の違いであろうと推測します。「オリジナルリサーチとは何か?」の段落は、"Original research is a term used on Wikipedia to refer to material added to articles by Wikipedia editors that has not been published already by a reputable source." であり、私はこれを、"Original research is / a term / used on Wikipedia"(ORは~である/用語/ウィキペディア上で用いられる)つまり「ORはウィキペディア用語である、…(以下ORの解説)…」と読んだのですが、っさん同様"Original research is … to refer to material added to articles by Wikipedia editors" (ORは~である/…/ウィキペディア編集者によって記事に加筆された情報を指す)従って「ORはウィキペディア編集者によって記事に加筆された情報を指す…」と読めば、なるほど「独自」のほうが相応しそうです(私にはどちらなのかだんだん分からなくなってきました)。
ところで、ここまで考えを整理していて気がついたのですが、もし「独自」のほうが相応しいとして、それはつまり「編集者のオリジナルであり、未だ評判のいい媒体に掲載されたことがない場合はORである」ということなのであって、するとそれは「未だ評判のいい媒体に掲載されたことがない場合」という条件付きであるわけですから、この場合はむしろ「独自」よりも「未発表」のほうが適切であろうと思います。ですので、
「独自研究」か「独創的研究」 ⇒ 「未発表研究」か「独創的研究」
と、なるのではないでしょうか?。--Rigel 2006年11月3日 (金) 07:36 (UTC)[返信]
と思ったら、「未発表」の難点は、過去ログにおいて Ks aka 98 さんが何度も解説しておられましたね(今まで全く眼中に無かった候補なので、議論の要点を見落としていました)。しかし、「未発表」を候補から除外することについてはすでに合意が形成されているのか、過去ログをちょっと眺めただけでは分かりませんでした。とりあえず一部発言を取り消しておきます。--Rigel 2006年11月3日 (金) 08:10 (UTC)[返信]

う、大きく振れた! えと、そもそもどっちがこの方針の主眼なのかで決めよう、と書いた覚えがあります。既存のトンデモを「認める」必要はなく、「未発表」だと発表されている事を理由に掲載を認めるような事を促すような印象を与えるので、それは避けたい気もする(編集競合した!)。--Ks aka 98 2006年11月3日 (金) 08:12 (UTC)[返信]

私はこの方針の述べていることは単純で、「新規研究(未発表)をウィキペディア上で発表すること」を防ぐことだと思っています。既に発表済みのトンデモはこのNORの対象外と思っています(Original = First&New)。発表済みのトンデモは、WP:NPOVWP:Vに沿って対応可能だと思いますので、そこまでNORの範囲を広げすぎないほうがよいかと思います。 以前の話で「独創」という案がありまして、それにも賛成してもよいかと以前書いたのですが、取り消します。 --Masao 2006年11月3日 (金) 10:13 (UTC)[返信]

削除との関連

下の方針名の議論とは関連薄そうなので、節を別に移動しました。--Masao 2006年11月11日 (土) 16:44 (UTC)[返信]

もう遅いかもしれませんけど、削除関連のルール全般にちょっと疑問持っています。このウィキペディアは著作権厳しいですよね?そこで個人が上手く要約したり、編集したりして載せている訳ですけど、これは人によって『独自の研究だ!』と言って削除対象にする可能性があると思います。実際に『独自の調査』を印籠代わりに削除と個人攻撃をする事を楽しんでいるのではないかと思えるような人もいます。こんなのでは加筆してくれるような人はいなくなる気がします。あまりきつく締めすぎるとウィキペディアの信憑性は少し上がるかもしれませんが、それ以上に情報量が減り利便性が落ちる気がするのですが、もしよろしければその辺りの意見教えてください。--Naisi 2006年11月11日 (土) 06:27 (UTC)[返信]
まず、独自研究だから削除されることはありません。独自研究の部分を消去(編集削除)した結果、即時削除の対象になるような文しか残らないような場合に、独自研究だから削除、という言い回しがされたり、そのようなイメージを持たれたりするだけだと思います。その場合でも、この方針と、削除依頼とは、本来関係がないのです。-- 2006年11月11日 (土) 09:32 (UTC)[返信]

で、ちょうどうまい具合に上の質問があったのですが、上の私のコメントの中で、「この方針」という部分があります。この部分を「独自研究は載せない」とか「独自研究は載せない方針」のようにすると、あんまりしっくり来ないなあ、と今思いました。ごめんなさい。-- 2006年11月11日 (土) 09:34 (UTC)[返信]

回答ありがとうございます。また質問なんですが、っさんの言いたい事はこの方針は『オリジナルリサーチを載せない方針』で、また本来関係ないといった事はこの方針がまだ拘束力がないからで、独自の調査で削除依頼を出された事は依頼主の間違い(悪戯だったら嫌だなぁww)と言う事ですか?
それをふまえて『独自の調査』を読み直してみたら、ちょっと前に話題になっていた『オリジナルリサーチ』の『オリジナル』って言うのは『独自、独創的』ではなく『origin』つまり『源、起源、出所、源泉、始源、発生、発端、由来、初め、始まり、出発点』のことで、『既存のAとBからCを作ってもいいが(または研究調査発表)、何もないところからAとBを作るな、そしてそれを元にCを作るな(または研究調査発表)』っていう意味の事ではないかと思うのですが、どうでしょうか?--Naisi 2006年11月11日 (土) 11:01 (UTC)[返信]
「独自研究は載せない」方針において合意される内容は、Wikipedia:削除の方針#ケース E: 百科事典的でない記事にて既に削除対象であると明記されております。削除対象であることは自明であると思われます。 以下、あくまでも私見ですが。 確かに本方針はいまだ草案段階ではありますが、本方針はウィキペディアの3大基本方針のひとつであり、日本語版における正式化においては、その内容と方針名についてコミュニティの議論による合意形成を行っている段階であり、その議論過程においても本方針についての本質的な問題点の指摘はありません。より良い対象範囲の明確化とより良い方針名を求めて、長い議論が続いている最中であると理解しており、遠からず合意に達すると思われます。削除依頼においてこの方針を準用することはその点から有効であると私は思っております。
また、originalの語義については過去ログにおける幅広い議論をごらんいただくのが一番です。おおよその範囲においてはfirst&new[1]の意であると解して問題ないのではないかと思います。しかし、Naisiさんコメント中の「既存のAとBからCを作ってもいい」との見解はおそらく誤りだと思います。A,B,Cが何を表しているかがよく分からないので特定の記事もしくは見解の意に取りましたが… 「『C』という見解について述べた情報源無しに『C』という記述をしてはいけません」というのが、本方針における合成の説明の箇所の理解ではないかと思います。--Masao 2006年11月11日 (土) 16:44 (UTC)[返信]


「既存のAとBからCを作ってもいい」は間違いっす。既存のAとBが検証可能だからといって「A+B=C」とする場合は注意しろ、です。AとBが異なる文脈にあるものであれば、その用語やらなんやらが、厳密には同一ではなく、それを同一視してCとすることによって正しくない結論が導かれてしまうことを防ぐのが、NORが排除するもののひとつです。--Ks aka 98 2006年11月12日 (日) 09:25 (UTC)[返信]
皆さん回答ありがとうございます。過去ログ一通り見ました。ありがとうございます。あと、Wikipedia:削除の方針#ケース E: 百科事典的でない記事の方見ましたが、履歴を見ると最近まで『研究結果の発表』でしたが今は『独自の』が付け加えられています。(ノートの履歴の方も一応調べましたがよく理由が分かりませんでした。)たぶんこれは『一次資料に該当する研究結果』ということなのでしょうか?(もしそうなら誤解を防ぐため編集をした方がいいと思うのですが、慣習化された手続き、問題点などがあれば教えてください。)余談ですが、これはたぶん『(数学や物理の研究の場合、学会に出る事を嫌う研究者がいるらしく)HP上(有名なものでなく自身、集いの物など)などで発表する人がいるため、などの対策』だと思いました。
AとBの話ですが、Cができた時点で、誰(合理的な人間)が見ても疑問を持たず納得、感銘するがそれを導く事が誰も(合理的な人間)できなかった時の事です。つまり画期的アイデアであるが、多くの人に認知されていないから(または不合理的な人間が多いため)と削除されるのはもったいという事です。さらにAとBの話をさせてもらうと、皆さんが問題にしているのはAとBを組み合わせる時にaやb(条件を満たしていない一次資料【主観、妄想、私情、不合理の類も含む】)が加わったためCでないC´ができてしまう事で、AとBでCを作るのは問題ないと私は考えています。どうでしょうか?
あと、Masaoさんが言う事は方針に関して問題はないがそれを編集者全員が誤解せず正しく理解できる表現をするのが難しいため、結果個人攻撃を楽しんでいるのではないかと思えるような人が出てくる、出典に関しての疑問者の出現、などの問題が発生しているということですか?色々と質問してしまいましたがよろしくお願いします。--Naisi 2006年11月12日 (日) 10:56 (UTC)[返信]
この方針で、まず想定しているのは、専門家ではない人が独自に「相対性理論は間違っている」とか「邪馬台国はここにあると証明した」という類の記事を書くことのようです。AとBが両方とも信頼できる情報源を持ち、実際に信頼できる事柄であったとしても、それを並べて書いたり、その二つの事柄から、一見合理的に見えるCを導いたりすることで、信頼できない事柄を示すことになってしまうことがあります。実際には、Cを導く過程が、一見合理的ではあるが専門家にとっては重要な見逃しがある不合理な導出であることが多いでしょう。あらかじめどこかで出版されている情報を元にしているならば、検証可能性で除去できるのですが、そうでないと、専門的な知識なしにその真偽を判断できないことがあります。また、信頼できる典拠を示しつつも、それが文脈上適当ではない場合なども、合理的な判断能力だけでは判断しきれないことがあります。こうした場合、その「独自の研究」は、百科事典から排除されるべきかと思われますが、排除する理由が、他の方針からはなかなか導けません。そのため、aおよびbだけではなく、「a+b=c」と書かれていることの信頼できる出典が求められます。「画期的アイデア」が、信頼できる情報源で認められているが「多くの人に認知されていない」のであれば、その情報源を記すことで記述することができます。「画期的アイデア」が、信頼できる情報源で認められていない場合、たとえ後にそれが真実であることが示され、掲載していればウィキペディアが最初に発表された媒体としての名誉を得られるのだとしても、真偽がわからない状態では掲載すべきではない、ということだと認識しています。専門的な知識を必要としない分野で、合理的な人であれば誰でもAとBから導くことができるCを加えることは、個人的には、強く排除されるべきではないと思います(大衆文化についての疑念は、ぼくもノートの過去ログで指摘しています)。文案の適正化については、今後も議論を行い修正していくことは必要でしょうし、自身検討するつもりもありますが、当面、この方針を正式化することを優先させようということで、話が進んでいます。致命的な欠陥があれば、引き続きご指摘ください。致命的ではないが、修正すべき点については、正式化後に改めてご指摘いただくか、この節でリストアップしておいていただければ、後ほど検討したいと思います。--Ks aka 98 2006年11月12日 (日) 11:40 (UTC)[返信]
回答ありがとうございます。ただ私が言いたかった画期的アイデアと言うのは示された時点で誰(合理的人間なら)でも納得いく物です。イメージてきにはコロンブスの卵みたいなものです。
>あと、「相対性理論は間違っている」なら相対性理論の分割ページや専用ページを作って、専門知識を持っている人達が分かりやすく説明してあげたり、間違っている事の間違いを思いやりをもって説明すればいいのではないですか?(個人的にもほしいですし、読者の利益になります。)相対性理論は頭の中で考えた事なので(ある程度物理の常識を知っていれば)合理的に判断できます。(常識を知らなくてもウィキペディアで調べればいいと思います。(ただ、すぐにその常識を理解し、相対性理論を理解できるほど頭のいい人がいるとは思いませんが…。))
>「邪馬台国はここにあると証明した」の場合は例えば『山を掘って判断材料を発見した』なら完全なオリジナルリサーチですし(ウィキペディアに書いている場合ではないと思いますが…)、現在ある材料で作っているのなら歴史問題は合理的判断は無理なのでオリジナルリサーチと判断されます。(というか専門知識を持っている人たちから反証されるでしょう。)あと、>専門的な知識なしにその真偽を判断できないことがあります。 とありますけど専門的知識のない人がそのページを編集するのはおかしいと思うのですがどうでしょうか?
なんとなく問題になっている事がルールの問題と言うより、ウィキペディアンのレベル問題だと思えます。つまりウィキペディアンの中に専門家(かつ知識のない人に分かりやすく説明してくれる人。)が少ない事が問題なのではないでしょうか?それなら勧誘活動をすればいいだけだと思うのですが。どうでしょうか?--Naisi 2006年11月13日 (月) 16:31 (UTC)[返信]

専門的な知識はなくても、ある程度のことは、専門家が書いた書籍を参考にすれば記事を書く事はできます。百科事典に必要な程度の相対性理論についての記述ならば、読解力と合理的な思考が可能であれば、たとえば科学雑誌『ニュートン』の愛読者ならば書けるでしょう(もちろん、ランダウリフシッツの『場の量子論』のような大学のテキストを使ったり、ネイチャーなどを参照して書けるならば、なおよいと思います)。しかし、中途半端な知識をもとにでっちあげられた記事を検証する場合、共変微分や曲率テンソルの知識が必要となるかもしれません。でっちあげることよりも検証することのほうが往々にして難しいですし、特に実際に数式を扱うような場合は、わかりやすく説明する事はさらに困難です。より多くの専門家で、かつわかりやすく説明する能力がある執筆者が参加してくれる事は望ましい事です。既に何人もの専門家はウィキペディアに参加していると思われます。しかし、このような専門家は、多くの場合多忙であり、多くの場合その作業で対価を得ているでしょう。無償での参加を呼びかけ、あるいは説得する活動をするのではなく、また研究の最先端の発表場所ではなく、自発的な参加と、非専門家であっても合理的な思考ができる多くの人によって、既に得られている知識を蓄積し、よりよい記述を求めるのがウィキペディアという場所なのだと思います。naisiさんがおっしゃる「画期的なアイディア」が、特に専門的な知識や判断力を求めるものではなく、また、アイディアそのものの提唱や新たな主張を提示するものではなく、皆が認知しているが言語化されていないようなものや、適切な表現によって容易な理解を導くようなものであれば、これはオリジナルリサーチではないと思います。これでお答えとなっているでしょうか。--Ks aka 98 2006年11月13日 (月) 17:06 (UTC)[返信]

回答ありがとうございます。なんとなく分かりました。確かに理系の研究に関わる事は理解する事が難解なため証明が大変と聞いた事ありますし、納得できました。物理的な問題なのですね。そこで、正式化される時はそういう事を書いていただければ多くの人が、この方針について多く人が誤解せずに理解できると思いますのでご検討の方よろしくお願いします。--Naisi 2006年11月14日 (火) 06:37 (UTC)[返信]

内容についてはまとまってきたぽいので、次は方針名

つーわけで、「独自研究を載せないは載せない」でどうか、と再提出しておきます。

上の節で間久部緑郎さんのご意見について→独自の研究から紆余曲折を経て、独自研究に戻ってきました。なお、個別の「オリジナル」、あるいは「リサーチ」については、逐語的に独自・研究の訳語を当てはめるべきではないという意見は既に提出されていて、方針名が決まった後に、「オリジナルリサーチ」以外の部分は改めて検討、ということで。
同じくMasden さん→「独自の調査」ではなく、「独自研究」についてのご意見を頂けると助かります。「既に、しかるべきところで発表されていない内容をWikipediaで発表するなよ」というところについては、議論参加者は理解していると思うのですが、「既に、しかるべきところ」の扱いに苦労しているといいましょうか。「未発表」および、それに類する表現については、「俺のホームページで既に発表済」という方々に対処するのが難しいという現実的な困難があります。--Ks aka 98 2006年11月5日 (日) 03:48 (UTC)[返信]
Wikipediaに関する知識が足りなくて、議論の進め方や「ノート」の読み方がわからなくて、失礼しました。私は「独自研究」が「独自の調査」よりいいように思います。研究の方が概念が広くていいと思います。ちなみに、このノートに書き込むきっかけとなったのは「外人」という項目に書かれている内容で、編集してきた人の意見ばっかりで、困ると思っていました。この三大原則の表現や説明が固まってきたら、削除を求めようと思っています。--Masden 2006年11月6日 (月)
細かな点ですが、念のため確認。以前の議論の中では「載せない」の方を推していらした[2]ように記憶しておりますが、こちらから変更されたのでしょうか? --Masao 2006年11月6日 (月) 14:06 (UTC)[返信]
ごめん。--Ks aka 98 2006年11月6日 (月) 16:16 (UTC)[返信]
了解です。他に有力な案が見当たりませんでしたので「独自研究は載せない」で合意してよいかと思います。Masao 2006年11月8日 (水) 04:34 (UTC)[返信]
異論が出ていないようなので、表のページ冒頭の改名提案の説明書きをノートページでの議論内容に応じて(現在最有力の「独自研究は載せない」へ)変更しました。そろそろ移動してしまっても良いかもしれませんね。ご意見お願いします。--Masao 2006年11月15日 (水) 15:26 (UTC)[返信]

異論を書いたんですが、移動されてしまったようなので.... 「-載せない」というのは、文脈の中に入れるとしっくりこない、と書いたのですが...。たとえば、『その場合でも、この方針と、削除依頼とは、本来関係がないのです。』を『その場合でも、独自研究は載せないと、削除依頼とは、本来関係がないのです。』と書くと変でしょう? もし「-の排除」や「-の不掲載」ならば、そのようなことは起こらないのですが。-- 2006年11月15日 (水) 15:41 (UTC)[返信]

っさんすみません。あまり理解がなかった頃の私が勘違いして移動させてしまいました。本当に申し訳ないです。--Naisi 2006年11月16日 (木) 07:49 (UTC)[返信]
っさん、Naisiさん、すみません。おそらく移動させてしまったのは節を分けたときの私の編集じゃなかったかと思います。申し訳ありませんでした。--Masao 2006年11月17日 (金) 09:06 (UTC)[返信]

「Wikipedia:ウィキペディアは何でないか」を使う時と似たようなものと考えればいいんじゃないかと思うのです。『その場合でも、「独自研究は載せない」の方針と、削除依頼とは、本来関係がないのです。』とか、『その場合でも、独自研究は載せないことと、削除依頼とは、本来関係がないのです。』とかじゃダメかな。--Ks aka 98 2006年11月15日 (水) 15:49 (UTC)[返信]

私も同感に思います。単に「独自研究は載せない方針は」や「NORは」などと書くことになるのかなあ、と思います。もちろん文脈上使いやすい書き方という意味では、パイプで「独自研究の不掲載方針は」などと書いても問題無いと思います。というか、そうすることを妨げるものではないと思いますが。--Masao 2006年11月17日 (金) 09:06 (UTC)[返信]
個人的には不掲載でもいいと思いますし、この方針を見ると>記事にのみ適用され、ノートページやプロジェクトページには適用されません。 とあるので単純に除去でもいいと思います。
しかし、やっぱりこのままで行くと『独自研究』になってしまうのでしょうか?色々と誤解を受けてしまうように思えます。そもそもウィキペディアは広い意味で独自の研究(日本語の意味で。オリジナルリサーチのことではありません。)のような気がするのです。(情報を整理する事も研究の意味の範囲内に入る気がします。)
そこでオリジナルリサーチはこの方針の下のところをみると他の似たようなサイトでは許容されているので、『この問題自体は本来は許容しても、しなくてもいい問題だけどウィキペディアでは後者を選んだよ。』って思える事と、この方針を読むと結果としてウィキペディアの執筆者がその分野の創始者(または創案者)になる事と、一次資料と二次資料(一部を除く。)の作成を禁止している事から、起源的、始祖的、創始的概念(or研究)、の方が個人的にはしっくりきます。(特に3番目の創始的概念が日本語的にあいそうな気がします。)あと、これなら問題のある記事の排除が他の人達に誤解なく伝わりそうなので、簡単にできると思うのですか。どうでしょうか?意見ください。--Naisi 2006年11月17日 (金) 13:18 (UTC)[返信]

ご提案ありがとうございます。

「除去」という表現は、ウィキペディアでは編集による「除去」を想定しやすい言葉となります。つまり、記事として書かれたものを編集によって取り除くことを想像させやすい言葉なのですが、この方針は、執筆の段階で書かないことを推奨するものですし、場合によっては「除去」ではなく「削除」の対象となります。したがって、「除去」は適当ではないと思われます。

「独自研究」が「ウィキペディア用語」であることは本文で明示されています。これは、「中立的観点」などでも同様で、ウィキペディアで用いられる概念が一般的な表現と食い違いがどうしても生じてしまうことを回避する一つの方策でしょう。「情報を整理する事」が含まれるという誤った理解が生じないよう、「違う」と言うことも明示されています。ウィキペディアにおける「オリジナルリサーチ」は独自のものであり、英語のoriginal researchとも異なり、日本語の「独自研究」とも異なる概念であると、述べられています。この方針が指す内容に合致する表現がないかという点については、これまで長期にわたって検討されてきましたが、合致するものが見つけられず、今の案に落ち着いたという経緯があります。

「起源的、始祖的、創始的概念(or研究)」は、案として検討すべきかもしれません。しかし、正式な方針化を前にした現段階で「独自研究」と対等な案として俎上に載せるには、「独自研究」に大きな難点があり、提案する案に大きな利点があることを示し、過去の議論に参加してきた人含む多くの人が賛同する必要があるでしょう。賛同者の書き込みが続くようでしたら、きっちりと検討しましょう。

個人的な意見としては、まず「概念」については排除されるはずの一次調査をイメージしにくいという点で研究に劣るように思われます。また、「起源的、始祖的、創始的」といった表現については、「独自」に対して、より強い表現となり、まったく新しい学問としての体系を作り出すような研究が「オリジナル・リサーチ」であると受け取られるように思います。この方針が排除するのは、そのような強烈な新機軸だけではなく、しっかり意識しないと書いてしまうような新しい概念や統合が含まれ、現実的にはそのような投稿についての指針となることが多いと認識しています。本文中の例にあるような事例の場合、剽窃の意味について加筆した投稿者は、自分の投稿が「起源的、始祖的、創始的」であるとはおそらく認識していませんし、周囲もそれが「起源的、始祖的、創始的」とは捉えないでしょう。しかし、彼の投稿は「オリジナル・リサーチ」だと明示されています。投稿者に対して、それは「独自研究だ」という指摘は可能かと思いますが、「起源的、始祖的、創始的研究」だと指摘することはあまり気が進みませんし、受け取る側としては、「起源的、始祖的、創始的研究」ではない、と抗弁したくなるでしょう。--Ks aka 98 2006年11月19日 (日) 08:46 (UTC)[返信]

「自分の考えは書かない」というのはどうでしょう?思いつきで提案するのは気が引けるのですが、ひょっとしたら結構いいかもしれないと自分では思っています。ダメと言われれば固執するつもりはありませんが、皆さんのご意見を伺いたくて、思わずカキコしてしまいました。--Dwy 2006年11月19日 (日) 09:03 (UTC)[返信]

その路線は、過去あまり考えられてなかったので興味深いところではあります。上の案と同様、支持する意見が増えてきたところで俎上に乗ることを妨げるつもりはありませんが、個人的な意見としては、一次調査を含みにくい、自分の意見ではない内容が結果として独自調査となる場合を意識しづらいという気がします。「独自研究」よりも「自分の考え」のほうが日常語に近く、親しみやすい反面、「ウィキペディア用語」っぽさが損なわれるというか。そのへんは、人それぞれではありますが。--Ks aka 98 2006年11月19日 (日) 09:29 (UTC)[返信]
回答ありがとうございます。一応長期に渡って検討されてきた事、方針名より正式化を優先しなければいけない事は十分承知です。
その上で個人的な意見を一応言わせてもらうと、『除去』に関しては納得できましたが、概念については創始的(と他2つ)と概念を別にされると意味がなくなります。概念というのは相当広い意味をもち抽象的なもので、創始的概念を一つの単語としてとらえた上で検討いただけると助かります。(創始的など前の部分で一次資料、二次資料などをイメージしていただくつもりでした。あと、認識についての話ですが独自研究でも同じではありませんか?)あと、方針名については私が疑問を持つのは『方針をあまり読まずにその内容を想像しやすい名前だと方針について誤った使い方をされるのでは?』というものです。特にこの方針は他の物と比べると判断が難しいものです(合理的な人間がたくさんいると思わないので。)。ですので初めて目にした方が『?』と思って方針を細かく読んでいただけるようなものであってほしいわけです。つまり方針名が安易に想像しにくいものなら『百科事典法第三条』でも『創始的概念の創作禁止』でも何でもいいというのが私の考えです。その上でのご検討よろしくお願いします。
あと、>「自分の考えは書かない」 については個人的には厳しいと思います。問題点としては、『考え』の中で合理的な思考は許されるのと著作権の問題で要約する際の矛盾、があげられると思います。ではよろしくお願いします。--Naisi 2006年11月20日 (月) 19:39 (UTC)[返信]
『百科事典法第三条』と『創始的概念の創作禁止』に爆笑しました(失礼)。「自分の考えは書かない」は、内容の創造性は排除される一方で表現の創造性は求められることを考えると、誤解されやすいかなあと。いや、まあ、正直、どれでもいいです。-- 2006年11月21日 (火) 06:55 (UTC)[返信]
最初に定義があるのだからなんでもいい、というのはその通りですが、それは方針名を決定する際には役に立ちません。初めて目にした方が『?』と思って方針を細かく読んでいただけるようなものであると同時に、方針名そのままでも誤解が少ない、または方針の内容から逸脱しないものであることが好ましいと思います。熟読していないことを想定しておくほうが、読むことを想定しておくよりも、議論などでの混乱は避けられるはずです。記事の記述を巡っての議論では、多くの場合では「独自研究」かどうかを文字通りに捉えることでも解決できるでしょう。そうではなく、単に「独自研究」という言葉から想定できないかもしれないがウィキペディアでは「独自研究」とされているものについて議論が及ぶならば、方針をしっかり読むように促すことで対応できます。--Ks aka 98 2006年11月21日 (火) 15:53 (UTC)[返信]
Ks aka 98さんの考え方にちょっと疑問に思ったので質問します。『独自研究と文字通り捉えると排除される事だけど、方針を読むと排除されない対象の場合』はどうなりますか?この場合の解決方法は少数の、方針を理解している人間がその場にいる事を期待するしかなくなるという事でウィキペディアン全体の質の向上が望めないような気がするのですが、Ks aka 98さんの考えをお聞かせてください。--Naisi 2006年11月23日 (木) 15:45 (UTC)[返信]
。『独自研究と文字通り捉えると排除される事だけど、方針を読むと排除されない対象の場合』について、具体的にどういう例を想定しているか教えてください。ウィキペディアでいう独自研究ではなく、一般に独自研究とされるものとしては、「誰か」による独自研究が想像できます。これらは、検証可能性で排除されるかされないかが検討されることになるでしょう。たとえば「アインシュタインの相対性理論」は「オリジナリティのある研究」で、信頼できる情報源があるので、掲載されます。感覚的にも、これを排除しようとする利用者はほぼいないと思われます。「誰かが書いた相対性理論は間違っているという理論」は、多くの場合信頼できる情報源に欠けるため、排除されるか適切な記述に改められるでしょう。この例が、ウィキペディアにおける「独自研究」に含まれるかどうかについての解釈は、まだ一致していない印象も受けますが、いずれにしてもどのように対処されるかについて大きな違いはないはずです。
方針で排除すべき対象の代表的なもの、つまり「投稿者による未発表の一次調査」や「指摘トンデモ理論」は、「独自研究」という表現に含まれるでしょう。「新しい理論や用語」も含まれると思われます。「新しい合成」は、「独自研究」に含まれると思わない人もいるかもしれません。この場合には、方針を読む/読んでもらう必要があります。議論の場で、独自研究の方針が持ち出された場合、持ち出した側は方針をある程度理解していることが予想されますし、参加者は方針を読むことが自然に促されます。--Ks aka 98 2006年11月24日 (金) 04:39 (UTC)[返信]
具体的例を挙げるのは非常に難しいですね。理由は合理的解釈、整理の類の場合非合理な人間がどの分野によ対して合理的判断ができないか人それぞれだからです。一応削除依頼を軽く見ると創作におけるタブーが例になりそうな気がします。(全ての作品を見たわけではないから絶対ではないです。)コメントされている方は独自の研究であると確信しているようです。これがもしオリジナルリサーチに該当しないのであれば>独自研究の方針が持ち出された場合、持ち出した側は方針をある程度理解していることが予想されますし、 の部分に疑問を持つきっかけになると思います。さらに彼らは独自の研究としてこの方針にリンク貼っていませので。>参加者は方針を読むことが自然に促されます。 に関しても疑問を持つきっかけになりませんか。どうでしょうか?
Ks aka 98さんの意見を読むと排除のスムーズ化を優先している様に思えます。もちろんその考えは間違っていませんが、将来読者の利益になる・価値が出るページに成長する可能性がある芽を摘み取り、読者の利益を生む可能性のある新しい執筆者のやる気をそぎ取る可能性もあることも想像してもらえれば助かります。--Naisi 2006年11月25日 (土) 15:09 (UTC)[返信]
や、抽象的な例でもとりあえずの仮定でもいいですよ。創作におけるタブーがオリジナルリサーチではないとnaisiさんは考えるならば、是非理由とともに存続票を投じてください。また、削除依頼の場は、それなりに慣れた人達が集まっていますし、方針自体についての議論ではなく削除についての審議ですから、百科事典としてのふさわしさや定義不足なども削除票の理由として挙げられていて、ここでの例としては適切ではないと思います。例に挙げられている削除依頼では、それぞれが少なくとも方針を理解したつもりになっているはずで、その理解に齟齬が無いならば、少なくともその場ではそれで進むのであれば、当面問題はないのでしょう。理解していると思っている人同士の判断なので、方針へのリンクは必ずしも必要ではありませんし、「第三条」という方針名であっても大きな違いはないと思います。その理解に問題があるなら、誰かが反論するでしょう。その際にリンクを張り、この削除依頼が方針のどの部分と矛盾するかを明らかにすることで、削除票投稿者の誤った理解を覆すことができるかもしれません。
ここまでぼくが述べているのは、方針の名称についての意見と過去の議論の説明、方針内容の説明といったところで、この方針をどうすべきかという意見は述べていないはずです。たとえば最先端の研究は、信頼のできる情報源に掲載された後に、ウィキペディアに掲載されるべきであるということは、ぼくの意見ではなく、方針に書いてあることです。過去ログの下の方を読んでみて欲しいのですが、ぼくが書こうとしている(していた)分野は、この方針の解釈や運用によって書ける範囲・内容がかなり変わってきますが、それについての議論をはじめるよりも、英語版の方針から大きな変更のないかたちで正式化のために議論に参加してきました。百科事典として有益であり、このままでは独自の調査として排除されるものを救うための議論であれば歓迎しますが、方針の正式化の後に行えればと思います。方針の文章自体をもっとわかりやすくするという点についても、同様です。ただし、独自の調査の多くは、エッセイとして面白いとか、最先端の研究発表の場となったとか、そのようなかたちで読者の利益にはなっても、百科事典として読者の利益にはならないものであることに注意してください。
やる気のある執筆者にとっては、方針の段階で、書くべきではない対象をできるだけ丁寧に示す方が、あとで削除される時にもめないし、執筆にかける無駄な労力を避けるためにも好ましいことであると考えます。また、方針は、新規執筆者だけではなく、経験のある執筆者や専門家に対しても有効です。新規執筆者への配慮は、会話ページなどでの方針の説明の際になされることのほうが重要だと考えます。--Ks aka 98 2006年11月26日 (日) 05:53 (UTC)[返信]
反論を読むとだいぶ論点がずれています。合理的とは思えない考えが多く含まれています。一度冷静になって、読み直してもらえばお分かりになると思います。
あと、ここの論点は方針名と方針の意味が一致しない事です。つまりNo original researchをAと、独自研究を載せないをBとするとA¬(Aでない)∧Bの問題点について述べているのです。なぜ『独自研究』にそれほど執着するのかわかりません。過去に挙げられていた『オリジナルリサーチの排除』のほうがA¬(Aでない)∧Bの割合が小さいのはお分かりでしょう。
あと、特にKs aka 98さんの考えで反論する必要を感じるのは>また、削除依頼の場は…削除票投稿者の誤った理解を覆すことができるかもしれません。 の部分ですね。以前私が>この場合の解決方法は少数の、方針を理解している人間がその場にいる事を期待するしかなくなるという事でウィキペディアン全体の質の向上が望めないような気がするのですが、 といった通りのことですね。もっと現実を見て、ウィキペディアの理念を理解、つまりウィキペディアをもっと高い位置から俯瞰してほしいです。あのような場所で削除票を持つ者は方針について理解しているつもり、ではなく理解していなくてはならない人たちの場所です。決して一個人や仲間内の価値観や常識で判断されて良い物ではありません。もしそのような判断が許されるのであればウィキペディアアンの数が増加するにつれては日本人の平均の知識に集約されていく事が予想できるでしょう。人間というのは長い文章を読む事を嫌います。特に理解を必要をする物は。それでつい想像を働かせて誤った解釈をしてしまうのです。独自研究ではそれを助ける事になる事は明らかです。システムに関わる者としてシステムを全体的に捉えて、物事がふさわしいかをまず考えるべきです。
さらにこの場合に誰かがやってくれるなどと考えるのは不適切です。除去とは違い削除の場合、復元不可能です(もちろん早期に復帰依頼を出す場合は別です。)。削除ならいつでもできます。あと、あの例の場合、問題になっているのは独自の研究なのは明白です。
いい記事を作るためにはウィキペディアン全体の質の向上が必要なのはわかりますか?ウィキペディアンが高い知能と心の器を持っていない状態、つまり興味のない分野に対しての理解、読解力、文章作成能力、論理性、発想力、理解力などがかける人間しかいない状態を想像していただければわかると思います。もっとわかりやすくいうと小学生や幼稚園児がウィキペディアを執筆していると想像してもらえれば理解できると思います。もしそこに少数の知能が高い人間がいても圧倒的多数の子供たちに考えが合わないと排除されてしまうでしょう。あと、>ただし、独自の調査の多くは、エッセイとして面白いとか、最先端の研究発表の場となったとか、そのようなかたちで読者の利益にはなっても、百科事典として読者の利益にはならないものであることに注意してください。 についてですが当たり前のことです。何か私に対して偏った考えがあるようですね。私についてもう一度見直してみてください。あと、一応わかっていると思いますが、百科事典とはあらゆる知識を解説をつけて分野別などに羅列した物であり、百科事典=権威あるもの というのは百科事典とあまり関わりがない人の先入観です。失礼とは思いますが一応言っておきます。
>この方針をどうすべきかという意見は述べていないはずです。 ですが直接的には述べていませんが、通常の読解力のある方ならKs aka 98さんの考えはわかります。さらに>書くべきではない対象をできるだけ丁寧に示す方が、あとで削除される時にもめないし、 という部分が方針名について言われているのであれば大歓迎です。そのためにも現在提案されている方針名が上記に該当するのかもう一度考え直してもらいたいのです。
もしこのまま議論が平行線になるのであれば過去に挙げられていた中で見る限り『オリジナルリサーチの排除』が一番ふさわしいと思うので妥協点として合意することは可能です。どうでしょうか?--Naisi 2006年11月26日 (日) 18:08 (UTC)[返信]

「独自の調査」云々、とされた記事を先週いくつか(20個ぐらい)調べた経験から、Ks aka 98 さんのバランス感覚と「独自研究」、original research にあてる用語として「独自研究」という言葉を使うことを支持します。--スのG 2006年11月26日 (日) 19:03 (UTC) 中線を打ち、下線部を挿入しました。元の文では、 Ks aka 98 さんが独自研究を行っているようにもとれますので。失礼しました。--スのG 2006年11月28日 (火) 19:31 (UTC)[返信]

こんなところで支持されても…(==;)オリジナルリサーチ≠独自研究ではない事はすでに過去の議論から述べられていますし(オリジナル≒first&new[[3]]と。)あと、誤解されているかもしれませんが、私は方針を変えようなどの立場ではなく、方針を守るため多くの人に正しく方針を理解してもらいたいという保守的な立場です。(誤解されるのは方針について最近急に学んだ事が多くて、所々に方針を余り理解していない時のものがあるせいだと思います。)これを機に私に関して見直してもらえれば幸いです。--Naisi 2006年11月28日 (火) 15:47 (UTC)[返信]
難しいコメントをよこさんで下さいませ^^; この場所でNaisiさんについてとやかく言うつもりはございませんです。--スのG 2006年11月28日 (火) 19:31 (UTC)[返信]
難しいですか…。なんか最近色々なところに顔を出していますが、合理的判断には材料が必要なため、多くの人たちがフェアな立場で判断できない事に気づきました。そこで一度この方針を早く正式化しようと思います。(もし私の予想が正しければ)ウィキペディアは痛い目を見ると思いますので、それで改めて反省する人々が多くなり結果いい方向に行くと思います。(ただその間に貴重な情報が消滅してしまう事を考えると昨日寝る前に泣いてしまいました。)というわけで私も独自研究でいいです。できるだけ早く正式化しましょうね。--Naisi 2006年12月1日 (金) 13:34 (UTC)[返信]

再度、正式化へ向けて

では、項目名をWikipedia:独自研究は載せないとすることで合意したものと考えていいでしょうね。内容をそれに合わせて最低限書き換えなければなりませんが、いいでしょうか。-- 2006年12月1日 (金) 15:26 (UTC)[返信]

差し替えました。英文の色やmasaoさんが修正してくれていた部分は今晩中に修正します。--Ks aka 98 2006年12月1日 (金) 15:39 (UTC)[返信]
「独自研究」というよりは「広く認められている根拠なき記事執筆の禁止」なんじゃないですかね。短く言うなら「無根拠投稿の禁止」かな。広く認められている根拠を示すことを要求することで無益な編集合戦を回避しようとの意図があるガイドラインだと思いますよ。その意を酌んだ訳をすればよいのであって、逐語訳あるいはそれ風にする必要はないと思います。(と、まあ私は言い放しにしますんで後はよしなに。)219.97.105.61 2006年12月18日 (月) 00:43 (UTC)[返信]
全然違います。英語をきちんと読めばわかるように、パブリッシュされていない事柄の記述(一次情報)を禁止しているのであって、事柄の内容が編集合戦につながるかどうかなんて、全く関係ありません。編集者が何をやってよいのか、いけないのか、ということを規定しているのです。仮に現時点でこの場に参加している限られた数の編集者の間で異論が出なくても、ウィキペディアのレピュテーションを保つためには、やってはいけないこと(一次情報の記述)は、やってはいけないのです。原文に何が書かれているか、きちんと理解していただくためにも、逐語訳は必要です。--Isorhiza 2006年12月18日 (月) 01:22 (UTC)[返信]

削除との関連 について

Naisiなるユーザが四の五の言っているのは、要するに愛知県立一宮高等学校内に関する特徴が削除されないように言質を取ろうと目論んでいるためと推測される。詳しいことは以下の削除依頼を参照されたい。

なお、当該ユーザはヤリ高なるリダイレクトを作成しているが、このような語句でwikipediaの項目を検索するユーザは極めて少ないと考えられる。「あと、分割した理由は出身者がこのページを見つけるようになれば、(mixiなどを見る限り進学校と呼ばれる人達ほど知的行動が好きで、特殊なネットワークがありますので)将来的に量が膨大になる可能性があると判断し、今のうちから分割しておけばいいかなと実行しました 」から鑑みるに、要するに在校生卒業生などの内輪グループでの特殊な利便性を考えている行動といえる。このような項目、また、このような項目を作成するユーザはいかがなものかと思われる。--Lonicera 2006年11月13日 (月) 19:23 (UTC)[返信]

すいません。いずれ来ると思っていましたが、方針の方に興味を持っていた為(私情が入っていると誤解されたくないのもあります)、すっかり無視する状態になっていました(笑)あと、一部の文章だけを見せて判断される事には疑問を持ちます。(そもそもあそこでの行動は初めから戦略がありきの事でしたし、ある方の矛盾点をそれとなく指摘する事や、方針に関する理解度を問うためでもあった訳です。)
あと、補足ですが、あの高校は灘や開成のように全国的に有名ではないですが、愛知県尾張地方では有名な進学校です。(たぶんその事がある方の行動動機【つまりコンプレックスや嫉妬+自分より年上を叩く事に快感を覚えていそうな】と疑われる部分【ある方が主に関わっているという母校のページにはある方が問題提案した事も含んでいるのにも関わらず、文章を削除していない事。他の学校のページでも似たような事が書いてあった事。+文章の書き方と過去の行動】もあります。つまり本当に問題にしなければいけなかったのは分割に関する事だけだったのです。)
ただ、方針に関して色々な方に質問したりして勉強した結果、方針にかんする理解度が深くなった現在、あの文章に何点か問題がある(合理的に判断できない解釈が入っている事。)記述の仕方がある事が分かりましたが、面倒なので放置していました。もしよろしければ修正案を出してもいいですが、既に私も提案者を含めて興味を持っている方がいないようなのですがどうされますか?(個人的には私自身の理解度テストするみたいで興味あるのですが、私情でやっていい事柄なのか疑問があります。)--Naisi 2006年11月14日 (火) 07:07 (UTC)[返信]

「独自研究」テンプレートの作成について

まだ具体的なものではありませんが、Wikipedia‐ノート:出典を明記する にて、Template:独自研究 を作るかもしれないよ、という予告を含む提案をさせていただきました。そちらの議論や合意の内容次第で、あらためて議論を立ち上げるかもしれません。ひとまずお知らせまで。--スのG 2007年1月24日 (水) 02:25 (UTC)[返信]

たたき台を作ってみました。


独自研究:この記事や節の内容は「独自研究」にとどまっているおそれがあります。このおそれを解消するために、必要な議論をノートで行なってください。記事は、公に発表された信頼できる情報源を基にしてください。「独自研究」については Wikipedia:独自研究 をご覧下さい。


自分としては今ひとつしっくり来ません。改良案求めます。この文面では、記事は外部からの転載で作るんだ、と勘違いする人が出そうな気もします。それが杞憂ならよいのですが。--スのG 2007年1月28日 (日) 19:00 (UTC)[返信]

「このおそれを解消するために、Wikipedia:独自研究 を確認のうえ、出典を示したり、必要な議論をノートで行なったりしてください。」で、どうでしょう。--Ks aka 98 2007年1月29日 (月) 05:26 (UTC)[返信]
確かに、誤解を受けそうであれば書かないほうがなんぼもマシですね。では、

独自研究:この記事や節の内容は「独自研究」にとどまっている恐れがあります。この恐れを解消するために、Wikipedia:独自研究 を確認の上で、出典を示したりノートで必要な議論を行なったりしてください。


こんなところで。漢字/ひらがな、語順をいじりました。--スのG 2007年1月29日 (月) 12:16 (UTC)[返信]
当面、それでよいと、まあ個人的には、ですが、思います。ノートでの議論というのが、どの程度必要なのか、いまいちつかめていなかったりはしますが。実際には、独自研究はウィキペディア独自の表現なので、文書参照が第一義となると思いますから、語句の流れとして、「確認の上」が先行する形を崩さないのがよいと思います。そっちでは、ちょこっと口を出したきり議論に参加できずに申し訳ないです。--Ks aka 98 2007年1月29日 (月) 12:29 (UTC)[返信]

インデントを戻します。ガイドライン(草案)では「独自研究ではないことを示す唯一の方法は、その記事の主題に直接関連のある情報を提供する信頼のおける情報源を出典を記し、その情報源に記された内容に忠実に記述することです」(ちょっと日本語が変ですが)と言っているわけですから、情報源・出典を示さずにノートで議論されても困るでしょう。だから、私が書くとすれば、次のような表現になります。

独自研究:この記事や節の内容は「独自研究」にとどまっている恐れがあります。この恐れを解消するために、Wikipedia:独自研究 を確認の上で、記述の根拠となる出典を示してください。また、もし既に充分な情報源が示されていると考えるなら、ノートで議論を行なってください。

もっとも、私としては「要出典」のテンプレートがあればそれで事足りるから、「独所研究」テンプレートは不要だという思いも捨てきれません。--Dwy 2007年1月30日 (火) 08:24 (UTC)[返信]


出典が形式的に明示されていても、正しく引用されていなかったり、都合よく部分だけを抽出したり、あるいは悪意を持って、出典先ソースにはそもそも該当する箇所が全くないのに、欺妄を目的に出典を羅列する場合が考えられるため、出典の明記だけでは非常に弱いのです。逆に、それゆえ出典の明記に過大な期待をかけるのも危険かと。出典をもとめるのは検証のため、検証は中立性のため、中立性のためには嘘や独自の研究(推論・結論)は排除する、という工程が重要かと考えます。個人的には、「根拠を示せ」「出典を示せ」と追求、糾弾するような論調が少しでも出ないような文面を望みます(スのGさん:第二案 に賛成)。時々「出典を○○日以内に示さない場合はリバートします」などといった記事を見ますが、糾弾された側が腹を立てて、悪意からデタラメな出典を書かれても忙しい大半のWIKIPEDIANには検証の機会がなく、かえって害悪が拡散する危険があり有害です。--58.95.145.142 2007年1月30日 (火) 09:46 (UTC)[返信]


独自研究:この記事や節の内容は「独自研究」にとどまっている恐れがあります。この恐れを解消するために、Wikipedia:独自研究 を確認の上で、記述の根拠となる出典を示したり、情報源の適確さについてノートで議論を行なったりしてください。


(以前の私の案を目立たなくしました)これぐらいではいかがでしょう。Wikipedia:信頼できる情報源にリンクしたほうが良いでしょうか? --スのG 2007年2月1日 (木) 18:23 (UTC)[返信]

独自研究の場合は、何が適確なのか、という点についても、独自の判断基準が求められ、情報源の適確さへの議論が、メディアは真実を報道しないとか、そっちに向かいがちなように思います。なので、出典の明記に留めるほうがよいのではないかなあ…。--Ks aka 98 2007年2月2日 (金) 04:17 (UTC)[返信]
数では及びませんが、自分のウェブページにある自説を開陳するタイプの独自研究も結構あります。「記述の根拠となる出典を示し、情報の妥当性についてノートで議論を行なってください。」とやりましょうか。情報源ではなく情報に、出典and/or情報源ではなく、出典then議論に。妥当性がベストの言葉とは思えません。出典のない独自研究と、出典のある独自研究の両方に上手く対処できれば理想です。--スのG 2007年2月2日 (金) 06:34 (UTC)[返信]

自分のHPでは、wp:norで求められる出典ではないということで。「wp:norでは、個々の事柄についての検証可能性とは異なる形での出典が求められています」みたいなことが伝わるように、ということなのかなあ。自分が執筆者だとして、このテンプレを貼られて、ノートで何を議論しないといけないかってのがわからないんすよ。俺理論ではないトンデモは、トンデモ的に位置づけることなく書いてはいけませんということもあったほうがいいような気もしてきたけど、それは本来「中立的観点」か。--Ks aka 98 2007年2月2日 (金) 07:54 (UTC)[返信]

おっしゃられてみると確かに中途半端な文になってました。第一義に帰り、「この恐れを解消するために Wikipedia:独自研究 を確認の上で、その方針に沿った出典や情報源を示したり、ノートで議論を行ったりして下さい。」となると、方針名の改名、翻訳文の確定、公式方針化を進めなきゃ、という結論になってしまいそうな。後ろの話は Wikipedia:中立的な観点#疑似科学と科学を対等に扱うのか ですね。--スのG 2007年2月2日 (金) 10:40 (UTC)[返信]

ああ公式化の問題もありますね。orz。「この恐れを解消するために、Wikipedia:独自研究 を確認の上で、ある事実の典拠だけではなく、分析や統合の根拠となる出典を示してください。」とか?--Ks aka 98 2007年2月2日 (金) 10:49 (UTC)[返信]

方針の文に近づける方向は良いと思います。語彙を合わせるならば「この恐れを解消するために、Wikipedia:独自研究 を確認の上で、ある情報の典拠だけではなく、解釈や評価、分析や総合の根拠となる出典を示してください。」でしょうか。現在 synthesis に「総合」の訳語が当てられています。また、information, data, material を「情報」としてみました。今後に方針の和文が書き換われば、それに応じてテンプレートの文も修正するということで。--スのG 2007年2月2日 (金) 11:53 (UTC)[返信]
独自研究:この記事や節の内容は「独自研究」にとどまっている恐れがあります。この恐れを解消するために Wikipedia:独自研究 を確認の上で、ある情報の根拠だけではなく、解釈、評価、分析、総合の根拠となる出典を示してください。

少しなおして箱にしてみました。--スのG 2007年2月4日 (日) 16:27 (UTC) 再修正--スのG 2007年2月4日 (日) 16:31 (UTC)[返信]

試作テンプレートをアップロードしました

試作品に使用法と解説をつけて、Template:独自研究 としてアップしました。みなさまのチェックをお願いします。テンプレートや付属の文章に大きな問題がなければ(なくなれば)、井戸端 (告知) と出典の明記のノートに試作品として持って行きます。--スのG 2007年2月5日 (月) 16:28 (UTC)[返信]

試作品について支持も異論も無い状態ではありますが、ひとまずお披露目して参ります。--スのG 2007年2月7日 (水) 16:44 (UTC)[返信]
引き続き支持も異論も無い状態が続いております。Wikipedia:井戸端 (告知)#テンプレート「独自研究」試作しました でもお知らせしました通り、10日ほど経ちましたら発効とさせていただきたいと思っております。ご検討よろしくお願いします。--スのG 2007年2月19日 (月) 04:51 (UTC)[返信]
匿名IP主義者なので可否発言は控えておりましたが、新テンプレート2種とも賛同いたします。--58.95.141.91 2007年2月19日 (月) 06:24 (UTC)[返信]

不粋なのはご勘弁を

出典さえあれば、すべての責任が回避できるというのは典拠主義、原典主義、ありていに言えば官僚主義的無責任体質、あるいは原理主義というヤツです。出典さえ明示すれば、内容については責任が回避できる、という立場にWIKIPEDIAがお墨付きを与えるのは危険だろう。いわく、そういう記事はつまらない。--隠者 2007年2月2日 (金) 16:39 (UTC)[返信]

記事恋愛など面白いですよ。典型的な典拠主義でつまらないw--58.95.145.142 2007年2月2日 (金) 16:44 (UTC)[返信]
(節分けます)事典や辞典には編集方針がつきものなので、その枠が不粋でつまらないのはご勘弁くださいませ。私個人はいつかシュールリアリスティックな文章ひっさげてアンサイクロペディアに乗り込んでやろうと狙っているのですが、ウィキペディアで普通の記事書くより余程むずかしく、実現できずにいます。--スのG 2007年2月4日 (日) 16:27 (UTC)[返信]

全体の構成について

皆さま、検討作業ご苦労様です。今一つ、現在の議論の焦点がわかっていないのですが、はやく公式化するとよいなと思っています。ところで、日本語版で議論をしているうちに、英語版はだいぶ構成などがかわりました。もちろん、日本語版が英語版のコピーである必要はないのですが、見比べてみると、現在の英語版の方が全体の構成はすっきりとしてわかりやすいように思います。もし現在の日本語版の文面を大きくいじってかまわなければ、英語版最新版の構成を取り入れたものに取り換えたらどうかと思うのですが、いかがでしょうか。--Aotake 2007年2月7日 (水) 15:31 (UTC)[返信]

教えて下さい。ざっと眺めただけですが「What is excluded?」が「Why do we exclude original research?」と合わせられて整理された上で「Sources」よりも前の場所へ持ってこられて、「Origin of this policy: the opinion of Wikipedia's founder」の節が脚注へ行き、「The role of expert editors」が一般化された内容で「Citing oneself」となり、さらに「Related policies」の節が加わり、「On talk pages and project pages」の節が除かれた、ということで良いのでしょうか。勘違いがあればごめんなさい。英語版には en:Wikipedia:Conflict of interest なるガイドラインがあるようですので、それが日本版には無い(のですよね?)ことが踏まえられた上での整理であれば賛成です。「What is excluded?」が前にあるのは良いことと思います。--スのG 2007年2月7日 (水) 16:44 (UTC)[返信]
早速のコメントありがとうございます。基本的にはおっしゃっていただいてる通りだと思います。私も禁止されるものが先に示されているのがよいと思いますし、ORの定義が冒頭においてあるのもずっといい構成だと思います。Conflict of interestについては、citing oneselfに関連してということだと思いますが、そのあたりは必ずしも英語版最新版と同じにしなくてもよいと思いますので、柔軟に対応できるのではないでしょうか。あと1、2日待って異論がなければちょっとやってみようと思います。問題があれば差し戻せばいいわけですしね。--Aotake 2007年2月8日 (木) 02:18 (UTC)[返信]
やってみました。日本語文は構成を変えただけで、文自体はほとんどいじっていません。英文の方はかなり汚くなってしまってすみません。日本語文のいいまわしなどで変えてもいいところもありそうですが、まずは構成についてご感想などを聞いてから次に進むことにします。--Aotake 2007年2月9日 (金) 10:24 (UTC)[返信]
あんまり反対などもないようなので、ちょこちょこと進めています。問題があればいつでもストップをかけてください。--Aotake 2007年2月12日 (月) 03:27 (UTC)[返信]

ごく小さな少数派について

2007年2月11日 (日) 16:03と16:07の版で春野秋葉さんによって、「Wikipedia:中立的な観点」の節に次のような文がコメントアウトの形で加えられました。

ジンボ・ウェールズは2ちゃんねるのような「多数の匿名の人物の集合体」のような存在を想定していないことに留意する必要があります。「言及するのに意味があるような少数派」でも、それが2ちゃんねらーの場合、「著名」な支持者の名前を挙げることは困難です。だからといって、2ちゃんねらーを「極めて小さな(あるいは極めて限定された)少数派」として扱うことは、それらが「極めて小さい」または「極めて限定されている」という確実な証拠がない限り、そのように扱ってはならないし、「その内容はウィキペディアで言及するに値しない」としてそれらに関する記述を除去してはなりません。

コメントアウトの形で文を紛れ込ませること自体のよしあしはおいておいても、当該部分にこのような注釈を加えることにはやはり議論が必要ではないでしょうか。ちなみに、私はジミー・ウェールズもネット掲示板の存在についてきちんと理解しているはずだと思っていて、2ちゃんねるで話題になっていたとしてもウェールズの言っていることはそのまま当てはまると思いますし、この注釈は的外れだと思います。--Aotake 2007年2月12日 (月) 03:27 (UTC)[返信]

まさに、特定の立場を有利にする意図を持って、加えられた内容のようですね。--Isorhiza 2007年2月12日 (月) 13:19 (UTC)[返信]

コメントアウトとはいえ合意を得ずに記載してしまい、失礼いたしました。自己弁護いたしますと、日米では匿名#ネットワークにおける匿名のとおり、匿名に関する見方が大きく異なります。アメリカでは匿名掲示板は一般的ではありませんし、したがって2ちゃんねるのような「巨大な匿名掲示板」というのも存在しません。J.ウェールズ氏は2ちゃんねらーのような「『言及するのに意味があるような少数派』であり、なおかつ『著名』な支持者の名前を挙げることは困難であるケース」について想定していないのはその発言から見ても明らかです。2ちゃんねるに詳しく通じている人物であればこんな発言は絶対にしないはずだといってもいいでしょう。「著名」な支持者の名前を挙げることが出来ないばかりに、実情を無視された「極めて小さな(あるいは極めて限定された)少数派」として扱われ、「その内容はウィキペディアで言及するに値しない」として記述が除去されてしまうなんて、2ちゃんねるおよび2ちゃんねらーがあまりにも不憫でなりません。--春野秋葉 2007年2月12日 (月) 17:20 (UTC)[返信]

んー。ごめんなさい、春野秋葉さんが想定しているケースがよくわかりません。極小少数派の人がいくら2ちゃんねるで大々的にキャンペーンを行っていても、2ちゃんねるで発言した事実を以てそれが言及するのに意味があるような少数派になるとは思えず、もし言及するのに意味があるのであれば、2ちゃんねる外でも信頼できる情報源において同趣の意見が表明されると思うのですが、違いますか?それとも、2ちゃんねるそのものの文化が極小少数派として言及に値しないとされることを危惧していらっしゃるのでしょうか。ちなみに、2ちゃんねるの世界における特異性、著名性は認めますし、日米では匿名に関する見方が異なる、という言説にも一部の真実はあるでしょうが、アメリカ合衆国でも匿名のネット活動は充分ありますので、ウェールズがそういうことに無知だと想定するのは、どうかと思いますし、喩え無知だったとしても、やはり彼の説明は充分通用すると思うのですが、どうして「こんな発言は絶対にしないはず」と思われるのでしょうか。すみませんが、もうすこし具体的に「不憫」な例をあげてもらえますか。--Aotake 2007年2月13日 (火) 02:46 (UTC)[返信]
別の観点から。匿名の掲示板の場合は、①ログ保存の安定性から検証可能性に乏しい②発言者が特定できない以上、いかなる崇高な文字列であっても、それは単なる記号の羅列にすぎない③ソースが2ちゃんねるではさえない。むしろ笑かす。④2ちゃんねらは不憫くらいで丁度良い。--58.95.141.91 2007年2月13日 (火) 04:06 (UTC)[返信]

(Aotakeさんの発言に対して)Aotakeさんが「極めて小さな(あるいは極めて限定された)少数派」と考えているものを私は「言及するのに意味があるような少数派」と考えている、まさにこの解釈の違いなのです。そして、その基準としてJ.ウェールズ氏が述べている「『著名』な支持者の名前を挙げることが容易かどうか」では2ちゃんねらーが「極めて小さな(あるいは極めて限定された)少数派」と判断されてしまい、「その内容はウィキペディアで言及するに値しない」ことになってしまうのですが、2ちゃんねらーの参加者数や社会的影響から考えると、2ちゃんねらーを「極めて小さな(あるいは極めて限定された)少数派」と判断するのは不適当であり、「言及するのに意味があるような少数派」と考えるのが適当であろうと考えるわけです。だから、J.ウェールズ氏の基準は2ちゃんねらーについては当たっていない以上、2ちゃんねらーについては想定していないと私は主張しているのです。2ちゃんねらーを「極めて小さな(あるいは極めて限定された)少数派」と考える人はJ.ウェールズ氏の基準を基にそう考えているのか、あるいは独自の基準によってそう考えているのか分かりませんが、いずれも当を得ていないと思います。また「不憫でなりません」は不当に低い扱いを受けている2ちゃんねるおよび2ちゃんねらーに対して述べたもので、必ずしも具体例を意図したものではありませんでしたが、具体例を挙げるならば私がかかわった例としてこれこれがあります。どちらも5年以上の歴史があり、前者はアスキーアートによる時事的な風刺を含めた対話形式、後者は実況スレッドですが数時間ごとにスレッドが更新され、スレッドの総数が18000を超える程の人気があるにもかかわらず、どちらもウィキペディア日本語版の記事として存在することを許されませんでした(前者はほとんど内容のない削除依頼が通ってしまったことにも問題があるとも考えて復帰依頼をしましたが、理解を得られず却下されています)。

(58.95.141.91さんの発言に対して)まず、Wikipedia:検証可能性をもって2ちゃんねらーが「言及するのに意味があるような少数派」と「極めて小さな(あるいは極めて限定された)少数派」のどちらであるかを判断するのはそもそも不可能だと思います。また、現在ウィキペディア日本語版ではWikipedia:検証可能性を厳密に適用するとサブカルチャーを中心に「少なくとも数万の記事」が削除対象となっていしまうのを避けるため、Wikipedia:検証可能性を少し緩めに解釈しているようですが、現状ではその「少し緩めの解釈」が恣意的に適用されており、2ちゃんねるに関する記事に対しては「少し緩めの解釈」ではなく、本来の厳密なWikipedia:検証可能性を適用して出来るだけ締め出そうとされつつあります。これについての議論はWikipedia‐ノート:検証可能性に譲りますのでこれ以上書きませんが、私はこれを危惧しております。次に、58.95.141.91さんは匿名を実名よりも下に見ており、むしろ蔑視しているのではないかとさえ思われますが(2番と4番より)、それが日本国内で支配的な考え方であれば、2ちゃんねるを含めた匿名掲示板のこれほどの発展はなかったのではないかと考えられます。前の発言で挙げた匿名#ネットワークにおける匿名にもそれが現れております。であれば、ウィキペディア日本語版では(日本国版ではないにしても)匿名を実名よりも下に見るのは間違いであり、蔑視すべきではないと思います。J.ウェールズ氏も蔑視こそしていないものの「アメリカでの一般的な考え方」によって匿名を実名よりも下に見ていることは、ここで問題になっている基準を見れば明らかですし、それをもってJ.ウェールズ氏を非難することは出来ません。ただ「それが日本国内の実情に合っていない」だけなのです。なお、ログの保存については58.95.141.91さんのおっしゃることに間違いはありませんが、2ちゃんねるでの習慣として「数年間にわたって続くような人気スレッドの場合は、有志がログを保存し、『まとめページ』として別のサーバー上に保存しておく」というものがあります。またこのような人気スレッドの場合、前のスレッドのレス数が1000に達して終了しても間をおかずに(数時間単位で開くことはあるが、数日単位で開くことはまずない)新しく継承スレッドが立ちますので、常に最新のスレッドが存在しているといってよく、そのスレッドが記事の正しさの証拠となりえます。以上が反論です。--春野秋葉 2007年2月13日 (火) 08:00 (UTC)[返信]

私も「ねらー」の一人ですが、不憫がられる理由がわかりませんな。匿名とか実名とか、少数派がどうこうの問題じゃない。別にあの媒体だけを特別扱いしているわけでなくて、スポ新の署名記事でも、実名ブログに書かれていても、高名な大学教授の講義ノートに書かれていても、同じことですが。例の個人運営の掲示板のカキコの一つ一つが、査読や、編集校正過程を経て掲載されるようになってから、もう一度いらっしゃい。意味がわからないなら、1本でいいから論文を書いて、査読のある学会誌に投稿してごらんなさい。--Isorhiza 2007年2月13日 (火) 12:07 (UTC)[返信]
Wikipedia:検証可能性などの方針やガイドラインと 2ちゃんねるのいろんな事象との相性が悪いだけだと思うのですよ。また、ウィキペディアに載らなかったり、削除依頼まわりで色々言われたからといって 2ちゃんねるの有象無象の価値が下がるわけでもないでしょう。そのあたりの相性の悪さを無理に詰めようとする必要はないのではないでしょうか。--スのG 2007年2月13日 (火) 12:29 (UTC)[返信]
気になったのですこしだけ。ウィキペディアは百科事典ですから、その記述自体が何らかの権威ある、人類の常識とでもいうか、人類が共有しており共有すべきだと広く認められる情報を記述しているものであるべきです。しかし、ウィキペディアはウィキ形式をとっており、その情報の取捨選択を学者有識者の類いが行っているわけではありません。そこで、どこに権威に求めるべきなのかという問題に対するひとつの回答がWP:Vであって、現在すでにこの方針はウィキペディアが拠って立つべき基盤として確立されているものと思います。その精神は、先行する学術研究やメディアによる価値判断なしにウィキペディアが情報を評価し取捨選択せず、そのような話題は取り上げない、という事であると理解できます。
一方で、英語版をはじめとして、日本語版でも既存メディアに取り上げられるなどしてウィキペディア自体が「権威の源泉」として成り立ちつつある事情もあります。WP:VやこのWP:ORの現在の内容から判断すると、2チャンネルの中で起きている事象を全て排除すべきだとは結論されないと思います。報道機関や学術研究の対象になったような事象に関しては取り上げるべきだと解釈できます。しかし、「2チャンネル自体が注目すべきメディアであるから『極めて限定された少数派』として切り捨ててはならない」とルールを変えてしまうと、2チャンネルや2チャンネル上の事象、言論などに対してウィキペディアがポジティブな評価を与え、人類が共有すべき情報として世間に発信してしまう結果になります。これはウィキペディアがある情報・事象に関する価値判断、権威付けを学術研究やメディアに先んじて行うべきではないとの原理に著しく反すると思いませんか?2チャンネル上の出来事であっても、それが noteworthy であるかはウィキペディア自身が判断するのでなく、WP:Vに従って消極的かつ保守的かつ受動的に行うべきであると思います。ある特定のスレッドなりなんなりが学者の研究対象になったり、広く報道されたりする事になればそれは noteworthy であり、そうでなければ原則的にそこに価値判断を付与すべきではなく、ウィキペディアの記事の対象になりえないと思います。--Pugnari 2007年2月13日 (火) 14:06 (UTC)[返信]

結局、私の noteworthy の解釈が一般的な解釈とズレてしまったのが問題なのだと思います。私の解釈はPugnariさんのおっしゃる「消極的、保守的、受動的」というのとは真逆の「積極的、革新的、能動的」だったのですから。検証可能性に反することであっても、それは仕方がないから、どうにかして例外を作って容認される方向に持っていこうと考えていました。それはなぜか。スのGさんが言われたように「ウィキペディアと2ちゃんねるの相性が悪い」というのと、それから派生する話で「ウィキペディアから漏れてしまう(2ちゃんねるのスレッドのような)情報の適当な行き先が見つからない」からです。大項目主義小項目主義削除主義包摂主義の対立のように、「多情報収録主義」と「少情報収録主義」の対立という形を作り出し、ウィキペディアから2ちゃんねるのスレッドのような情報を漏らさないようにさせようと私が考えていたのが今回の問題の発端だったと思います。ここは素直に「2ちゃんねるのスレッドのような情報はウィキペディアの収録目的外である」ことを認めたいと思います。そして、ウィキペディアから漏れてしまう「2ちゃんねるのスレッドのような情報」の行き先については、今後私の利用者ページかそのサブページにて考えてみたいと思いますので今回の私の主張はこれで終わりにしたいと思います。--春野秋葉 2007年2月17日 (土) 16:41 (UTC)[返信]

勝手に敗北宣言されても困る。むしろ頑張れ。ソースが2chであってもその内容にさらなる検証可能性や中立性が遡及できるなら問題はない。またアスキーアートやコピペテンプレなどは2chオリジンであるが、扱いの次第ではWikipediaの採録対象として面白いだろう。これからもその調子で。--58.95.141.91 2007年2月18日 (日) 01:19 (UTC)[返信]

本方針と密接不可分な検証可能性の趣旨として、一次情報源(つまりあなたの言うところのオリジン)は取り扱いが難しいので、専門家によって取捨選択がなされた二次情報源に取材するべし、つまりこれは三次情報源なんですよ、ということを言っている。だから、いくら面白くても2ちゃんねるをウィキペディアが直接情報源として利用することはできない。一方、2ちゃんねるに取材した二次情報源は、それが信頼できる情報源であるなら情報源とすることができる。2ちゃんねるの内容に検証可能性が遡及できるなら、遡及された資料を出典とすべきである。ともかく、ブログ、掲示板の類を直接情報源とすることはできないので、2ちゃんねるだけを特別扱いすることはできません。これほど単純なルールが理解できない方は記事の内容の編集に携わらなくても結構です。翻訳、字句の校正や内部リンク、テンプレートの作成など、いくらでもやれることがあるでしょう。--Isorhiza 2007年2月18日 (日) 06:09 (UTC)[返信]

初心者なのでイジメないでください。酷(ひど)い事を言う人だなあ。え?これって個人攻撃?いやー参ったな。『これほど単純なルールが理解できない方は記事の内容の編集に携わらなくても結構です』だって?あっはは!え?こんどは礼儀を欠きましたか。どうも御免なさい。あっはは!--58.95.141.91 2007年2月18日 (日) 06:40 (UTC)匿名IPアドレスからの投稿は、仮にいかなる高尚な内容であっても単なる記号の羅列にすぎない。--58.95.141.91 2007年2月18日 (日) 06:40 (UTC)[返信]

英語版の動向と廃案の可能性について

なんだかややちゃぶ台をひっくりかえすような話ですが、英語版では検証可能性と独自の調査を統合してen:Wikipedia:Attributionとするということがほぼ決定したようです。もうしばらく様子を見る必要があるでしょうし、3本の柱とか言ってたのはどうなるんだ、とか思わなくもないですが、独自の調査の公式化も遅れていることですし、えいっと英語版に追随し、「独自の調査」を廃案にし、検証可能性をAttribution(これまた極めて訳しにくい語ですが…)に対応するものとして、検証可能性の中に本方針の必要部分を統合しまうのもアリかと思ったりもします。いかがでしょうか。乱暴すぎるでしょうか。--Aotake 2007年2月19日 (月) 07:47 (UTC)[返信]

ぐはあ。どしよう。さっさといったん公式化した上で統合のほうがいいのかなあ、という気もしなくもないですね。今会社なんでゆっくり見にいけないんですけど、向こうで草稿とかできてるんですか?--Ks aka 98 2007年2月19日 (月) 08:27 (UTC)[返信]
統合の議論がされているのも知りませんでした。。。en:Wikipedia:Attribution は草稿どころか、もう official policy のテンプレートが貼られてます。そこから引用すると、"Wikipedia:Attribution is one of Wikipedia's two core content policies. The other is Wikipedia:Neutral point of view."、記事の方針の2つの核のひとつである、だそうです。中身は NOR と V を単に足したような内容で、original research, reliable source の言葉は残り、verifiability の言葉が消えたように見えます。舌を噛みそうな単語だとは思っていましたが。attriutable = 帰属可能な? しかし、日本語の"帰属"より英語の "attribution" のほうが意味が広いですし、無闇に追うのは危険なような。どないしましょ。--スのG 2007年2月19日 (月) 08:48 (UTC)[返信]
んー、もうしばらくは様子見が必要ですね。ただ、大項目/小項目主義的なまとめ方の違いみたいに割り切って、NORのところは「詳細は〜」で今あるのを別ページとして詳述用にしちゃうのも手かな、と。WP:Attribution を別途作るという、またややこしそうな議論が必要になりますが。
WP:Attribution は、出典を出すことがもうほぼ常識になってる英語版だからこそ、WP:Vで従前強調されていたような「出典のない記述は除去される可能性がある」とことさら強調しなくてもよくなったからこそ、書くことができる方針文のような印象を受けました。それと、昨今井戸端あたりで上がっている、情報の永続性を保証すべしという解釈を取り除こうとしてるのだろうか、という点かな? この辺りの事情があるので、日本語版にいきなり持ってきて大丈夫かな、と思わなくもないですね。まぁどの道、いずれは向かう道だろうし、今新たな混乱の種が一つ持ち込まれたところで、さほど状況が変わるとも思えないけど ^^; 問題は、スのGさんも言ってますが訳語ですね。どうしたものか。--Y tambe 2007年2月19日 (月) 09:22 (UTC)[返信]
んと、「(記述の)帰因」みたいなことなんですかね。「Wikipedia:記述の根拠を提示する」みたいな感じかなあ。--Ks aka 98 2007年2月19日 (月) 09:47 (UTC)[返信]