「ラジニーシ教団によるバイオテロ事件」の版間の差分
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ラジニーシ事件(ラジニーシじけん)では、アメリカに進出したインド人グルのバグワン・シュリ・ラジニーシ(Osho)の弟子達が1984年に起こしたバイオテロ事件について述べる。ラジュニーシ教団のサルモネラテロとも[1]。
世界保健機関は「おそらく地域選挙に影響を及ぼすことを目的として、(英語圏では)ラジニーシーズ[2]で知られるカルト宗派が、ネズミチフス菌(サルモネラ菌の一種)を用いて10件のレストランのサラダバーを2ヶ月以上に渡って汚染し、アメリカ合衆国オレゴン州の小さな町で751人の住民が発病した」と説明している[3][4]。当初は集団食中毒と考えられていたが、1年後に教団内で仲間割れが起こり、教団幹部の犯行であることが判明した[4]。死人こそは出なかったものの、アメリカ史上最大のバイオテロとして認識されている[5]。
実行された3件のCBRN(化学兵器・生物兵器・放射能兵器・核兵器)テロリズムのひとつである(2000年時点)[6][7]。
概要
ラジニーシ教団は、バグワン・シュリ・ラジニーシがインドで設立した教団で、インド政府から敵視されて1981年にアメリカのオレゴン州ワスコ郡に移り、小さな町であるアンテロープ郊外に土地を取得して広大なコミューン ラジニーシプーラムを作っていった[8]。彼らの周囲と協調しない姿勢、地元住民から見て不気味な集団であったこと、土地利用に関する問題などから、教団は地元住民・行政と摩擦を起こし、対立は大きくなっていった[8]。教団に対して批判的だった地裁コミッショナー(下級の裁判官)が、移民法違反による一斉摘発、宗教法人認可の見直し、教団を違憲的存在であるとしたことで、教団と地域の対立は深まっていった[8]。
教団とラジニーシプーラムの運営を任されていたラジニーシの信頼厚い右腕の弟子マ・アナンド・シーラ(出家名)は、こうした状況に危機感を持ち、彼女とラジニーシが相談し、1984年11月の地裁コミッショナー改選選挙で教団の人間が勝つことを考えた[8]。
サルモネラ菌はバイオテロ事件前に、ラジニーシプーラムに話し合いに来た郡のコミッショナー2人にも使用されている[8]。
ワスコ郡の投票率を下げることを目的に、1984年、シーラは教団の仲間たちとともに、オレゴン州のレストランでサルモネラ菌を使った無差別バイオテロを起こした[8]。散布には少なくとも12人が関与し(事件の中心人物のシーラとマ・アーナンダ・プジャも行ったという証言もある)、サルモネラ菌は液状のまま瓶や試験管に入れて運ばれ、ドレッシングやコーヒーミルクに混入されたが、目撃者が4名しかおらず、正確には分かっていない[8]。9月17日に最初の患者が発生し、21日までに25名の患者が確認され、原因菌も特定され、2つのレストランが関係していることは分かったが、その後患者は急増し27日までに患者は200名となった[8]。ワスコ郡唯一の病院のベッド数は105しかなく、現場は混乱に陥り、10月に終息したが、人口1万人の小さな街で751名もの患者が出て、うち45名が入院、老人と乳幼児各1名が重態となっている[5][4][8]。
事件の翌年、シーラをはじめとする幹部たちが、警察の逮捕が間近との情報を受けて出国した。ラジニーシはオレゴンでは4年間沈黙していたが、この事件では記者会見を開き、幹部たちの引き起こしたこの事件について、FBIの調査に協力した。調査の結果、コミューン施設でサルモネラ菌製造の秘密工場が発見され、弟子達の証言から、シーラ達が次回の選挙で住民を病気にして投票を邪魔するための実験として起こしたバイオテロだと分かった。オレゴン州とアメリカ連邦捜査局(FBI)は、ラジニーシプーラムの秘密の実験室から開封されたサルモネラ菌入りバイアルビンを押収し、これは食中毒にあった患者由来株と生化学的、遺伝学的に区別できないという調査結果になり、シーラ達が故意にサルモネラ菌をサラダバーに汚染させ、食中毒が発生したと結論づけた。
摂南大学の金子光美は、教団と対立していた地域住民を痛めつけ、かつ殺害に至らない致死率の低い微生物としてサルモネラ菌が選ばれたようだと述べている[8]。微生物兵器については、シーラの側近のフィリピン人の元看護士マ・アーナンダ・プジャが取り仕切り、死んだビーバーの死骸を上水道施設に投げ込む案や、肝炎ウィルス、ロッキー山紅斑熱(リケッチア感染症の一種)も検討され、プジャは特にエイズウィルスの使用にこだわっていたという[8]。
宗教学者の伊藤雅之は当時の状況を、ラジニーシが幹部らの犯罪に関与していた、または関与していなくても知っていた可能性が十分にある状況と評している[9]。宗教学者のマリオン・S・ゴールドマンは、「すべての証拠は、シーラと彼女の小さなサークルだけがこれらの行為(反体制派の弟子への薬物投与、盗聴、放火、殺人未遂、教団の資金の横領、住民をターゲットにしたバイオテロ攻撃)に直接関与していたことを示しているが、ラジニーシが彼女たちの犯罪行為を支持していたかどうかは、依然として論争が続いている(All evidence suggests that only Sheela and her small circle were directly responsible for these actions, but Rajneesh's support of their criminality remains in dispute.)」と述べている[10]
事件の主要メンバーだったシーラとサルモネラ菌製造の中心人物ダイアン・イヴォンヌ・オナン(マ・アーナンダ・プジャ)が逮捕され、懲役20年の実刑判決を受け服役した。模範囚だったため、29か月で仮釈放されている。
脚注
- ^ 山内 & 三瀬 2003, p. 48.
- ^ ラジニーシー:ラジニーシの弟子
- ^ WHO 2004, p. 53.
- ^ a b c 山内 & 三瀬 2003, p. 49.
- ^ a b Apps, Peter (2017年4月24日). “コラム:次のスーパー兵器は「バイオ」か”. Reuters 2021年9月6日閲覧。
- ^ 他2件は、タミル・イーラム解放のトラの塩素ガス攻撃(1990年)、オウム真理教の地下鉄サリン事件(1995年)。
- ^ 足達 2000, p. 98.
- ^ a b c d e f g h i j k 金子 2001, pp. 104–106.
- ^ 伊藤 2003, pp. 93–95.
- ^ Goldman 2009, pp. 311–327.
参考文献
- Weapons of Mass Psychological Destruction and the People Who Use Them (Practical and Applied Psychology). Larry C. James, Terry L. Oroszi 編集. Praeger Pub Text. (2015)
- Marion S. Goldman (2009.8.25). “Averting Apocalypse at Rajneeshpuram(ラジニーシプーラムにおける大惨事の回避)”. Sociology of Religion 70: 311–327. doi:10.1093/socrel/srp036.
- 「生物・化学兵器への公衆衛生対策:WHOガイダンス-第2版」、世界保健機関、2004年。
- 山内一也、三瀬勝利『忍び寄るバイオテロ』NHK出版〈NHKブックス〉、2003年。
- 伊藤雅之『現代社会とスピリチュアリティ―現代人の宗教意識の社会学的探究』渓水社〈愛知学院大学文学会叢書〉、2003年。
- ジュディス・ミラー『バイオテロ!―細菌兵器の恐怖が迫る』朝日新聞出版、2002年
- 金子光美「水を標的としたテロの歴史的背景」『水道におけるバイオテロ対策としての迅速高感度な微生物検出方法の開発に関する研究』、厚生科学研究費補助金 行政政策研究分野 厚生科学特別研究事業、2001年。
- 足達好正「CBRNテロリズム論」『グローバルセキュリティ研究叢書』第2巻、防衛大学校、2000年3月31日、CRID 1050566774826247808。