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== 主な著書 == |
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2024年8月15日 (木) 02:50時点における版
目黒 士門(めぐろ しもん、1933年9月28日 - 2015年11月1日)は、日本のフランス語、西欧中世文学研究者。小樽商科大学教授、東洋英和女学院大学教授を歴任。
来歴
フランス語学者目黒三郎の次男として大阪市に生まれる [1]。東北大学文学部仏文科に進む[1]。有永弘人に師事。南山大学講師、小樽商科大学教授等を経て、東洋英和女学院大学教授を務めた[2]。この間、パリ大学、ポワティエ大学[1]に国費留学生として計4年間留学した。1979年フランス政府教育功労勲章授章。代表的な著作である(新フランス広文典 1966) (現代フランス広文典 2015) シリーズは、フランス語文法書のロングセラーとして知られる。フランス語学、フランス中世文学に関する論文を多数執筆。2015年、くも膜下出血により鎌倉市の自宅で死去(享年82歳)[2]。
親族
父親はフランス語学者で、(旧制)大阪外国語学校、関西大学教授の目黒三郎[1]。母方の祖父は(旧制)大阪外国語学校 初代校長で地理学者の中目覚。長男はマーケティング研究者の目黒良門。母方の叔父は哲学者で広島大学名誉教授の山本空外。
主な著書
著書
- 目黒三郎『標準フランス会話= Manuel de conversation française』白水社、1948年。 NCID BB15629354 。
- 目黒三郎, 徳尾俊彦, 目黒士門『新フランス広文典』白水社、1966年。 NCID BN04433730 。
- 『現代フランス広文典』白水社、2000年
- 目黒士門『現代フランス広文典』(改訂版)白水社、2015年。ISBN 9784560087077。 NCID BB2007019X 。
- 目黒順蔵, 目黒士門, 目黒安子『戊辰戦争後の青年武士とキリスト教 : 仙台藩士・目黒順蔵遺文』風濤社、2018年。ISBN 9784892194504。 NCID BB26485551 。
訳書
- R.ジャカール『内面への亡命 分裂病質と文明』誠信書房、1980年
- アルマン・ドモンティニ『福音宣教はいきづまっているでしょうか』ドンボスコ社、1997年、他。
論文
- 目黒士門「言語干渉と発音教育」『フランス語フランス文学研究』第5巻、日本フランス語フランス文学会、1964年、58-63頁、doi:10.20634/ellf.5.0_58、ISSN 0425-4929、NAID 110001247946。
- 目黒士門「「ローランの歌」における若干の類義語-続-」『小樽商科大学人文研究』第36号、小樽商科大学、1968年4月、79-88頁、ISSN 0482458X、NAID 110000249425。
- 目黒士門「フランス語におけるアスペクトとその構成因子について」『小樽商科大学人文研究』第37号、小樽商科大学、1968年10月、67-96頁、ISSN 0482458X、NAID 110000249431。
- 目黒士門「フランス文法における「同格」の概念」『小樽商科大学人文研究』第38号、小樽商科大学、1969年3月、175-202頁、ISSN 0482458X、NAID 110000249444。
- 目黒士門「『ロランの歌』における「キリスト教的驚異」」『小樽商科大学人文研究』第41号、小樽商科大学、1970年8月、43-57頁、ISSN 0482458X、NAID 110000249461。
- 目黒士門「「荷馬車の騎士」のエピソ-ドについて-1-」『アルテスリベラレス』第33号、岩手大学人文社会科学部、1983年11月、53-64頁、doi:10.15113/00013743、ISSN 03854183、NAID 120001120009。
脚注
- ^ a b c d 杉山, 毅 (2016年12月25日). “人間の死をめぐる多少の感慨”. Etudes de Langue et Litt_rature Fran_aises de l'Universit_ de Hiroshima(広島大学フランス文学研究). 広島大学フランス文学研究会. 2020年5月10日閲覧。
- ^ a b “目黒 士門氏 フランス語学者 (東京新聞) | おくやみ”. 2020年5月15日閲覧。
参考文献
- 目黒士門・目黒安子『戊辰戦争後の青年武士とキリスト教 - 仙台藩士・目黒順蔵遺文 - 』風濤社、2018年