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=== 連邦下院議員 ===
=== 連邦下院議員 ===
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=== フォード政権 ===
=== フォード政権 ===

2024年7月19日 (金) 01:59時点における最新版

ジョン・オソ・マーシュ・ジュニア
John Otho Marsh Jr.
生年月日 (1926-08-07) 1926年8月7日
出生地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 バージニア州ウィンチェスター
没年月日 2019年2月4日(2019-02-04)(92歳没)
死没地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 バージニア州ラフィーン英語版
出身校 ワシントン・アンド・リー大学 (法学学士)
所属政党 民主党(1980年代以前)
共和党(1980年代–2019年)
子女 3人

在任期間 1981年1月30日 - 1989年8月14日
大統領 ロナルド・レーガン
ジョージ・H・W・ブッシュ

在任期間 1974年8月9日 - 1977年1月20日
大統領 ジェラルド・フォード

在任期間 1973年4月17日 - 1974年2月15日
大統領 リチャード・ニクソン

選挙区 バージニア州の旗 バージニア州
在任期間 1963年1月3日 - 1971年1月3日
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ジョン・オソ・マーシュ・ジュニア英語: John Otho Marsh Jr.1926年8月7日 - 2019年2月4日)は、アメリカ合衆国の政治家、軍人。陸軍長官、バージニア州選出連邦下院議員などを歴任した[1][2]。晩年にはジョージ・メイソン大学ロースクール英語版非常勤教授も務めた[1][3][4]

前半生

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1926年8月7日バージニア州ウィンチェスターで誕生した。ハリソンバーグ公立高校英語版を卒業した後[5][6]第二次世界大戦末期の1944年アメリカ陸軍へ入隊した。18歳だった彼は歩兵士官候補生学校に入学し、1945年11月に卒業して歩兵少尉に任官された。欧州の終戦から半年ほど経っていたため、彼は専ら占領統治下のドイツ1946年から1947年まで任務に当たっていた[2][5][7]。帰国後はアメリカ陸軍予備役英語版に編入された[5]

1951年ワシントン・アンド・リー大学を卒業し、学生友愛会であるファイ・カッパ・サイに入会した[1][5][8]。同年、予備役からバージニア州の陸軍州兵として復帰した。1964年にはアメリカ陸軍空挺学校英語版を卒業している[9]1976年に陸軍を退役。最終階級は陸軍中佐である[5]

経歴

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1952年に州兵として勤務する傍らバージニア法廷に入院し、ストラスバーグ英語版で法学を学んだ後に市裁判官を兼務するようになった[5]1954年から1962年までニュー・マーケット英語版市法律顧問も務めている[5]

連邦下院議員

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1963年にバージニア州第7選挙区から出馬し、民主党下院議員となった。1971年まで下院議員を務めていたマーシュだったが[1][3][4][2][5][6][10]、任期中に一か月ほどベトナム戦争へ参戦している。その際、同僚の兵士には自らが議員であることを明かさなかった[2]

フォード政権

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1973年国防長官補佐官英語版に任命され、翌年1月にはジェラルド・フォード副大統領の国家安全保障問題担当副大統領補佐官となった[1][3][10]。フォードが大統領に就任すると、彼は大統領法律顧問英語版となり、政府高官の地位を得た [1][3][2][6][10]国家安全保障問題担当大統領補佐官だったヘンリー・キッシンジャー大統領首席補佐官ドナルド・ラムズフェルド大統領上級顧問フィリップ・W・バッケン英語版らと並び、彼はフォードの一番の補佐官と目された[11]

アメリカ合衆国陸軍長官

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アーリントン国立墓地でスピーチを行うマーシュ(1985年3月)

1981年からはレーガン政権で陸軍長官を務めた[1][3][4][2][6]。長官就任後はまず陸軍省の予算を30パーセント増額し、アメリカ陸軍の再建を図った[12]。これは、1979年に行われたイーグルクロー作戦の失敗を受けて、かねてよりマーシュが特殊部隊の強化を主張していたことによる[12]

さらに準中距離弾道ミサイルパーシング II英語版」を西ドイツに配備する計画を支持し、議会の説得に努めた[12]。パーシング IIの配備は、結果としてソビエト連邦中距離核戦力全廃条約を締結する要因になったと考えられている[12]

マーシュは約8年と6ヶ月にわたって陸軍長官を務めたが、これは2019年現在も最長在任記録となっている[12]

後半生

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陸軍長官退任後は1989年から1994年まで予備役政策委員会英語版の議長を務めた[13]。彼はまた、製薬会社であるノヴァヴァックス英語版の暫定CEOにも就任し[1][3]、次いで同社の理事会に席を設けた[14]

マーシュは副大統領などを歴任したディック・チェイニーからの信頼が厚く、彼とは腹心の友だった[10][15]

1998年から1999年までバージニア州立軍事学校英語版倫理学客員教授を、1999年から2000年までウィリアム・アンド・メアリー大学の法学非常勤教授を務めた[1]。彼が亡くなった2019年には、ジョージ・メイソン大学の非常勤教授として科学技術とテロリズムに係る国家安全保障法の講義を行っていた[1][16]

2007年ウォルター・リード陸軍病院英語版に収容された負傷兵が劣悪な医療環境に置かれていた問題では[17]国防長官ロバート・ゲーツによって、マーシュは元陸軍長官のトーゴー・D・ウェスト・ジュニアと共に独立調査委員会委員に任じられた。同委員会は医療と指導の欠陥を追求し、老朽化した同病院を閉鎖してメリーランド州ベセスダにある国立海軍医療センター英語版に機能移転することで合意に至った[9][3][18]

マーシュはマークル財団英語版の会員でもあった[4]シェナンドー大学のジョン・O・マーシュ政府および公共政策研究所は、彼の名に因んで名づけられている[19]

2019年2月4日にうっ血性心不全の合併症により死去した[20]

私生活

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妻と共に生まれ故郷であるバージニア州ウィンチェスターで暮らしていた。彼には3人の子供と7人の孫がいた[1]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k George Mason Law biography Archived October 2, 2008, at the Wayback Machine.
  2. ^ a b c d e f Richard Halloran, 'Washington Talk - Working Profile: Army Secretary John O. Marsh Jr.; Military Leader Wins High Ground, Quietly', in The New York Times, January 3, 1989 [1]
  3. ^ a b c d e f g Forbes profile
  4. ^ a b c d MARKLE
  5. ^ a b c d e f g h Bell, William Gardner (1992). “John Otho Marsh, Jr.”. Secretaries of War and Secretaries of the Army. United States Army Center of Military History. CMH Pub 70-12. http://www.history.army.mil/books/sw-sa/Marsh.htm 
  6. ^ a b c d Congress biography
  7. ^ Homeland Security Policy Institute. “Who We Are”. July 17, 2013時点のオリジナルよりアーカイブ。June 19, 2012閲覧。
  8. ^ Phi Kappa Psi (1991). Grand Catalogue of the Phi Kappa Psi Fraternity (13th ed.). Publishing Concepts, Inc.. (1991). pp. 252, 585 
  9. ^ a b John O. Marsh Jr., presidential 'conscience' and Army secretary, dies at 92”. The Washington Post (February 4, 2019). February 4, 2019閲覧。
  10. ^ a b c d Dick Cheney, In My Time: A Personal and Political Memoir, New York, NY: Threshold Editions, 2011, pp. 71–72
  11. ^ Prados, John (2006). Lost Crusader: The Secret Wars of CIA Director William Colby. Oxford University Press. ISBN 978-0-19-512847-5  p. 313
  12. ^ a b c d e Remembering Reagan’s Army Secretary, John O. Marsh Jr.”. Daily Signal (February 4, 2019). February 4, 2019閲覧。
  13. ^ Annual Report of the Reserve Forces Policy Board for 2005. Washington, DC: Department of Defense. (2006). pp. 9. http://ra.defense.gov/rfpb/_documents/RFPB%20report%2005.pdf 
  14. ^ Novavax Board of Directors Archived December 14, 2011, at the Wayback Machine.
  15. ^ Washington Post Archived December 23, 2011, at the Wayback Machine.
  16. ^ George Mason course Archived May 26, 2011, at the Wayback Machine.
  17. ^ ウォルター・リード問題、ブッシュ大統領が謝罪 - 米国”. AFP (2007年3月31日). 2019年3月2日閲覧。
  18. ^ 'Wounds, real and political', in The Washington Times, July 2, 2007 [2]
  19. ^ John O. Marsh Institute
  20. ^ John O. Marsh Jr., Ex-Army Chief and Presidents’ Adviser, Dies at 92”. The New York Times (2019年2月4日). 2019年3月2日閲覧。

外部リンク

[編集]
アメリカ合衆国下院
先代
バー・ハリソン英語版
連邦下院議員
バージニア州第7選挙区英語版選出

1963年1月3日 - 1971年1月3日
次代
ケネス・ロビンソン英語版
公職
先代
レディ・A・ジョンソン
アメリカ合衆国の旗 立法議会対策担当国防長官補佐官英語版
1973年4月17日 - 1974年2月15日
次代
ジョン・M・モーリー
先代
アン・アームストロング英語版
アメリカ合衆国の旗 大統領法律顧問英語版
1974年8月9日 - 1977年1月20日
同職:ロバート・ハートマン英語版
ロジャース・モートン英語版
次代
エドウィン・ミーズ英語版(1981年)
先代
ディーン・バーチ英語版
先代
ケネス・ラッシュ
先代
パーシー・ピア英語版
(代理)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国陸軍長官
第14代:1981年1月30日 - 1989年8月14日
次代
マイケル・P・W・ストーン英語版