「ジョン・シンクレア」の版間の差分
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ジョン・シンクレア([[:en:John Sinclair (poet)|John Sinclair]]、[[1941年]][[10月2日]] - [[2024年]][[4月2日]])は、[[アメリカ合衆国]]の[[反戦運動|反戦活動]]家で、1968年11月に[[ミシガン州]][[アナーバー|アン・アーバー]]で結党された{{仮リンク|ホワイトパンサー党|en|White Panther Party}}の[[党首]]である<ref group="注釈">1960年代半ばから1970年代前半にかけて、[[デトロイト]]を拠点に活動した[[ロック (音楽)|ロック]]・[[バンド (音楽)|バンド]]である[[MC5]]のマネージャーだった。</ref>。 |
ジョン・シンクレア([[:en:John Sinclair (poet)|John Sinclair]]、[[1941年]][[10月2日]] - [[2024年]][[4月2日]])は、[[アメリカ合衆国]]の[[反戦運動|反戦活動]]家で、1968年11月に[[ミシガン州]][[アナーバー|アン・アーバー]]で結党された{{仮リンク|ホワイトパンサー党|en|White Panther Party}}の[[党首]]である<ref group="注釈">1960年代半ばから1970年代前半にかけて、[[デトロイト]]を拠点に活動した[[ロック (音楽)|ロック]]・[[バンド (音楽)|バンド]]である[[MC5]]のマネージャーだった。</ref>。 |
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1969年1月に第37代大統領[[リチャード・ニクソン]]の[[共和党 (アメリカ)|共和党]]政権が始まると、反戦活動家の取り締まりはさらに強化された。同年、シンクレアは[[連邦捜査局|FBI]]の[[おとり捜査]]で逮捕され、[[大麻]][[煙草]]を2本所持していたという理由だけで通常よりも重い[[懲役]]10年もの[[実刑]]を受け、[[刑務所]]に[[服役]]していた<ref group="注釈">[[社会活動家]]の[[アビー・ホフマン]]は、同年[[8月15日]]から[[8月17日|17日]]までの3日間(正確には[[8月15日]]午後から[[8月18日|18日]]午前にかけての4日間)、[[ニューヨーク州]][[サリバン郡 (ニューヨーク州)|サリバン郡]]ベセルで40万人もの観客を集めて開かれた[[ウッドストック・フェスティバル]]のステージに17日の夜明け前に乱入して、シンクレアの投獄に対する抗議の声を上げようとした。しかしステージに立っていた[[ザ・フー]]の[[ピート・タウンゼント]]は、コンサートの進行を妨害されたことに激怒してホフマンにギターで殴りかかり、彼をステージから叩き出した。</ref>。レノンは彼の投獄に抗議して、本曲を作詞・作曲した。 |
2024年7月18日 (木) 23:04時点における版
「ジョン・シンクレア」 | |
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ジョン・アンド・ヨーコ/プラスティック・オノ・バンド・ウィズ・エレファンツ・メモリー・プラス・インビジブル・ストリングスの楽曲 | |
収録アルバム | 『サムタイム・イン・ニューヨーク・シティ』 |
リリース | 1972年6月12日 1972年9月15日 |
録音 | 1971年11月 – 1972年3月 |
ジャンル | ロック |
時間 | 3:28 |
レーベル | アップル、EMI、EMIミュージック・ジャパン |
作詞者 | ジョン・レノン |
作曲者 | ジョン・レノン |
プロデュース | ジョン・レノン、オノ・ヨーコ、フィル・スペクター |
『ジョン・シンクレア』 (John Sinclair) は、ジョン・レノンが1972年にオノ・ヨーコと共同名義[注釈 1]で発表した、生前唯一の2枚組アルバム『サムタイム・イン・ニューヨーク・シティ』の収録曲である。
解説
ジョン・シンクレア(John Sinclair、1941年10月2日 - 2024年4月2日)は、アメリカ合衆国の反戦活動家で、1968年11月にミシガン州アン・アーバーで結党されたホワイトパンサー党の党首である[注釈 2]。
アメリカ合衆国連邦政府は、1964年8月のトンキン湾事件をきっかけに北爆を開始して、ベトナム戦争に本格的に介入していった。第36代大統領リンドン・ジョンソンの民主党政権は戦争を正当化し抗議行動を鎮圧する目的で、反戦活動家を薬物・銃火器物を所持していたという理由だけで[注釈 3]、逮捕していった。
1969年1月に第37代大統領リチャード・ニクソンの共和党政権が始まると、反戦活動家の取り締まりはさらに強化された。同年、シンクレアはFBIのおとり捜査で逮捕され、大麻煙草を2本所持していたという理由だけで通常よりも重い懲役10年もの実刑を受け、刑務所に服役していた[注釈 4]。レノンは彼の投獄に抗議して、本曲を作詞・作曲した。
ジョン・シンクレア・フリーダム・ラリー
1971年12月10日、ホワイトパンサー党の活動拠点であるミシガン州アン・アーバーで、シンクレアを支援する『ジョン・シンクレア・フリーダム・ラリー』が開かれた。レノンとオノも出演して当時未発表だった本曲を披露した。
その数日後にシンクレアは釈放され、その後、美術館に勤務した。
1972年には、ラリーの模様を収録したドキュメンタリー映画"Ten for Two: The John Sinclair Freedom Rally"[1]が公開された。
出演者
- ジョン・レノン
- オノ・ヨーコ
- David Peel
- Phil Ochs
- The Up
- Commander Cody and his Lost Planet Airmen
- ボブ・シーガー
- スティーヴィー・ワンダー
- アーチー・シェップ
- Joy of Cooking
- Teegarden & Van Winkle
脚注
注釈
- ^ 正式には「ジョン・アンド・ヨーコ/プラスティック・オノ・バンド・ウィズ・エレファンツ・メモリー・プラス・インビジブル・ストリングス」(英語: John & Yoko/Plastic Ono Band with Elephant's Memory plus Invisible Strings)という名義だった。
- ^ 1960年代半ばから1970年代前半にかけて、デトロイトを拠点に活動したロック・バンドであるMC5のマネージャーだった。
- ^ 「と理由をつけて」
- ^ 社会活動家のアビー・ホフマンは、同年8月15日から17日までの3日間(正確には8月15日午後から18日午前にかけての4日間)、ニューヨーク州サリバン郡ベセルで40万人もの観客を集めて開かれたウッドストック・フェスティバルのステージに17日の夜明け前に乱入して、シンクレアの投獄に対する抗議の声を上げようとした。しかしステージに立っていたザ・フーのピート・タウンゼントは、コンサートの進行を妨害されたことに激怒してホフマンにギターで殴りかかり、彼をステージから叩き出した。
出典
外部リンク
- 公式ウェブサイト
- The John Sinclair Radio Show at Radio Free Amsterdam
- "Marijuana Revolution", a 1971 essay by John Sinclair
- Interview with John Sinclair at Woodstock Story
- Interview with John Sinclair at Stay Thirsty