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1919年、[[ワシントンD.C.]]で生まれる。アフリカ系のために設けられた名門大学、ワシントンD.C.の[[ハワード大学]]を1941年に卒業した。[[第二次世界大戦]]中は陸軍大尉として従軍。戦後、[[ボストン大学]][[ロー・スクール (アメリカ合衆国)|ロー・スクール]]を修了し、法曹界に入る。 |
1919年、[[ワシントンD.C.]]で生まれる。アフリカ系のために設けられた名門大学、ワシントンD.C.の[[ハワード大学]]を1941年に卒業した。[[第二次世界大戦]]中は陸軍大尉として従軍。戦後、[[ボストン大学]][[ロー・スクール (アメリカ合衆国)|ロー・スクール]]を修了し、法曹界に入る。 |
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[[1961年]]から[[1962年]]にかけて、[[ボストン]]市の財務委員会の委員長を務め、政界に関わる。1962年にはマサチューセッツ州検事総長に選出され、1964年に再選される。州検事総長として、ブルックは組織犯罪の撲滅に力を尽くし、犯罪組織の弱体化に成功、名声を得た。[[1966年]]に上院議員選挙に立候補し、[[民主党 (アメリカ)|民主党]]候補を降して当選を果たす。彼はアフリカ系アメリカ人として初めて一般投票で選出された人物であり、南北戦争後の再建期以降初のアフリカ系上院議員である。彼の後アフリカ系として選出されたのは[[キャロル・モスリー・ブラウン]]、[[バラック・オバマ]](共に[[イリノイ州]]選出、民主党)の2人である。 |
[[1961年]]から[[1962年]]にかけて、[[ボストン]]市の財務委員会の委員長を務め、政界に関わる。1962年にはマサチューセッツ州検事総長に選出され、1964年に再選される。州検事総長として、ブルックは組織犯罪の撲滅に力を尽くし、犯罪組織の弱体化に成功、名声を得た。[[1966年]]に上院議員選挙に立候補し、[[民主党 (アメリカ合衆国)|民主党]]候補を降して当選を果たす。彼はアフリカ系アメリカ人として初めて一般投票で選出された人物であり、南北戦争後の再建期以降初のアフリカ系上院議員である。彼の後アフリカ系として選出されたのは[[キャロル・モスリー・ブラウン]]、[[バラック・オバマ]](共に[[イリノイ州]]選出、民主党)の2人である。 |
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1967年には、[[リンドン・ジョンソン|ジョンソン]]大統領の社会不安(主に様々な社会運動の過激化)に関する諮問委員会のメンバーに選ばれるなど、検事総長時代の経験を生かした。いわゆる「[[ロックフェラー・リパブリカン]]」と呼ばれる共和党内の左派、穏健派に属しており、[[リチャード・ニクソン|ニクソン]]政権の経済政策、外交政策には概ね賛同するものの、社会政策を中心に政権に反発することもしばしばであった。最も顕著な例は、大統領の指名した最高裁判事、ハロルド・カーズウェルの承認に反対票を投じたことである。ちなみにカーズウェルの承認自体も、民主党と共和党の一部議員により阻まれた。[[1972年]]には共和党大会における基調演説者となり、また62%対34%の大差で再選された。だが、二期目に彼は自身の離婚問題を抱え、この問題は継続的に、広く報道された。その結果彼は広範な支持を失い、1978年の改選の際には、民主党の[[ポール・ソーンガス]]下院議員に55%対45%で敗れた。 |
1967年には、[[リンドン・ジョンソン|ジョンソン]]大統領の社会不安(主に様々な社会運動の過激化)に関する諮問委員会のメンバーに選ばれるなど、検事総長時代の経験を生かした。いわゆる「[[ロックフェラー・リパブリカン]]」と呼ばれる共和党内の左派、穏健派に属しており、[[リチャード・ニクソン|ニクソン]]政権の経済政策、外交政策には概ね賛同するものの、社会政策を中心に政権に反発することもしばしばであった。最も顕著な例は、大統領の指名した最高裁判事、ハロルド・カーズウェルの承認に反対票を投じたことである。ちなみにカーズウェルの承認自体も、民主党と共和党の一部議員により阻まれた。[[1972年]]には共和党大会における基調演説者となり、また62%対34%の大差で再選された。だが、二期目に彼は自身の離婚問題を抱え、この問題は継続的に、広く報道された。その結果彼は広範な支持を失い、1978年の改選の際には、民主党の[[ポール・ソーンガス]]下院議員に55%対45%で敗れた。 |
2024年7月18日 (木) 22:23時点における最新版
エドワード・ブルック | |
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アメリカ合衆国上院議員 マサチューセッツ州選出 | |
任期 1967年1月3日 – 1979年1月3日 | |
前任者 | レヴァレット・サルトンストール |
後任者 | ポール・ソーンガス |
第39代 マサチューセッツ州検事総長 | |
任期 1963年 – 1966年 | |
前任者 | エドワード・マコーマック |
後任者 | エドワード・マーティン |
個人情報 | |
生誕 | 1919年10月26日 ワシントンD.C. |
死没 | 2015年1月3日(95歳没) フロリダ州 |
政党 | 共和党 |
配偶者 | アン・ブルック (b. 1948) |
出身校 | ハワード大学 (B.A.) ボストン大学ロー・スクール (LL.B.) |
兵役経験 | |
所属国 | アメリカ合衆国 |
所属組織 | アメリカ陸軍 |
軍歴 | 1941-1946 |
最終階級 | 大尉 |
部隊 | 第336歩兵連隊 |
戦闘 | 第二次世界大戦 |
エドワード・ウィリアム・ブルック3世(Edward William Brooke, III, 1919年10月26日 - 2015年1月3日)は、アメリカの政治家、法律家。マサチューセッツ州検事総長(1963年 - 1967年)、連邦上院議員(マサチューセッツ州選出、1967年 - 1979年)。アフリカ系アメリカ人として初めて、一般投票で選出された上院議員である。所属政党は共和党。
生涯
[編集]1919年、ワシントンD.C.で生まれる。アフリカ系のために設けられた名門大学、ワシントンD.C.のハワード大学を1941年に卒業した。第二次世界大戦中は陸軍大尉として従軍。戦後、ボストン大学ロー・スクールを修了し、法曹界に入る。
1961年から1962年にかけて、ボストン市の財務委員会の委員長を務め、政界に関わる。1962年にはマサチューセッツ州検事総長に選出され、1964年に再選される。州検事総長として、ブルックは組織犯罪の撲滅に力を尽くし、犯罪組織の弱体化に成功、名声を得た。1966年に上院議員選挙に立候補し、民主党候補を降して当選を果たす。彼はアフリカ系アメリカ人として初めて一般投票で選出された人物であり、南北戦争後の再建期以降初のアフリカ系上院議員である。彼の後アフリカ系として選出されたのはキャロル・モスリー・ブラウン、バラック・オバマ(共にイリノイ州選出、民主党)の2人である。
1967年には、ジョンソン大統領の社会不安(主に様々な社会運動の過激化)に関する諮問委員会のメンバーに選ばれるなど、検事総長時代の経験を生かした。いわゆる「ロックフェラー・リパブリカン」と呼ばれる共和党内の左派、穏健派に属しており、ニクソン政権の経済政策、外交政策には概ね賛同するものの、社会政策を中心に政権に反発することもしばしばであった。最も顕著な例は、大統領の指名した最高裁判事、ハロルド・カーズウェルの承認に反対票を投じたことである。ちなみにカーズウェルの承認自体も、民主党と共和党の一部議員により阻まれた。1972年には共和党大会における基調演説者となり、また62%対34%の大差で再選された。だが、二期目に彼は自身の離婚問題を抱え、この問題は継続的に、広く報道された。その結果彼は広範な支持を失い、1978年の改選の際には、民主党のポール・ソーンガス下院議員に55%対45%で敗れた。
上院議員を引退後は、低所得者向けの住宅の問題に取り組んだ。2002年9月には自身が乳癌にかかっていることを公表し、男性の乳癌に対する社会の認知を高める活動を精力的に展開していた。2004年にはブッシュ大統領より、文民にとって最高の栄誉である大統領自由勲章を授かった。
2015年1月3日、老衰のためフロリダ州の自宅で死去[1]。95歳没。
脚注
[編集]- ^ E・ブルック氏が死去 米黒人初の選出上院議員 日本経済新聞 2015年1月4日
外部リンク
[編集]- United States Congress. "エドワード・ブルック (id: B000871)". Biographical Directory of the United States Congress (英語).
- Edward Brooke's oral history video excerpts at The National Visionary Leadership Project
- "Who is Edward Brooke?" The Christian Science Monitor 28-October 2009
司法職 | ||
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先代 エドワード・マコーマック |
マサチューセッツ州検事総長 1963–1967 |
次代 エリオット・リチャードソン |
アメリカ合衆国上院 | ||
先代 レヴァレット・サルトンストール |
マサチューセッツ州選出上院議員(第2部) 1967–1979 同職:テッド・ケネディ |
次代 ポール・ソーンガス |
党職 | ||
先代 レヴァレット・サルトンストール |
マサチューセッツ州選出上院議員(第2部) 共和党候補 1966, 1972, 1978 |
次代 レイ・シャーミー |