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[[栗東トレーニングセンター]]の[[大久保正陽]]厩舎からデビューした。<ref name="優駿-2000-6-29">『優駿』2000年6月号 29頁</ref>[[佐藤哲三 (競馬)|佐藤哲三]]の騎乗で1999年、3歳9月の新馬戦([[阪神競馬場|阪神]]ダート1200m)を制し、芝替わりとなる[[野路菊ステークス]]も制した<ref name="優駿-2000-6-29" />。続く[[デイリー杯3歳ステークス]]で重賞初出走を果たし2番人気に推されたが、6番人気の[[笠松競馬場|笠松競馬]]の[[レジェンドハンター]]に2馬身半差遅れた2着に敗れた<ref>『優駿』1999年12月号 141頁</ref>。GI初出走となる12月12日の[[朝日杯3歳ステークス]]ではレジェンドハンターに次ぐ2番人気だったが、優勝した[[エイシンプレストン]]に大きく後れを取る7着に終わった<ref name="優駿-2000-6-29" />。12月25日の[[ラジオたんぱ杯3歳ステークス]]は中団やや後方につけると、上がり最速の脚で差し切り重賞初勝利を挙げた<ref name="優駿-2000-6-29" />。 |
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4歳初戦 |
4歳初戦の[[共同通信杯|共同通信杯4歳ステークス]]はスタートで出遅れ、最後方から脚を伸ばすも7着に終わった。続く[[弥生賞]]は[[フサイチゼノン]]、[[エアシャカール]]に続く3着となった。続く[[中央競馬クラシック三冠|クラシック三冠競走]]第一戦の[[皐月賞]]では[[発馬機|発走ゲート]]内で暴れてしまい、ゲートが開いても走り出さずに[[競走中止]]となった<ref>『優駿』2000年6月号 133頁</ref>。{{External media|width=300px|video1=[https://www.youtube.com/watch?v=TUgmVFf2Azs&ab_channel=JRA%E5%85%AC%E5%BC%8F%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB 2000年皐月賞(GI)<br />レース映像 JRA公式YouTubeチャンネルによる動画]}} |
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続いてクラシック競走第二戦の[[東京優駿]]出走を目指したが、そのためにはゲート試験を通過する必要があった<ref name="サンスポ-藤代">{{Cite web|和書|title=【藤代三郎・馬券の休息(103)】スタートについて~忘れられないラガーレグルス |url=https://race.sanspo.com/keiba/news/20190911/etc19091112020003-n2.html |website=サンスポZBAT!競馬 |date=2019-09-11 |access-date=2022-12-13 |url-status=dead|url-status-date=2024-03 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20221218102731/https://race.sanspo.com/keiba/news/20190911/etc19091112020003-n2.html |archivedate=2022-12-18}}</ref>。まず5月6日の[[京都競馬場]]でゲート試験の予行演習を行った。この時は不審な挙動を見せたものの、大きな問題を起こさず2回のゲート発走をこなした<ref name="佐藤哲三インタビュー">{{Cite book|和書|chapter=[[佐藤哲三 (競馬)|佐藤哲三]]騎手インタビュー ラガーレグルス・ゲート膠着事件の裏『僕が嚙みしめた屈辱と怒り』 |author=梶原守人 |title=競馬裏事件史 これが真相だ!! |editor=別冊宝島編集部 |series=[[宝島社文庫]] |publisher=[[宝島社]] |isbn=4-7966-4838-0 |date=2005年9月 |pages=218-234}}227-233頁の「心ないファンの悪意に満ちた行為」節でゲート試験について詳しく述べている。</ref>。続く5月20日の[[東京競馬場]]でのゲート試験本試験では、1回目は無事にゲートを出たものの、2回目のゲート待機の際にゲート内で暴れてしまい不合格とる。この東京競馬場での本試験の際には、心ないファンが柵を傘で叩いて音を出したり{{R|サンスポ-藤代|佐藤哲三インタビュー}}大声で[[野次]]を飛ばしたり{{R|佐藤哲三インタビュー}}して試験を妨害していた。 |
続いてクラシック競走第二戦の[[東京優駿]]への出走を目指したが、そのためにはゲート試験を通過する必要があった<ref name="サンスポ-藤代">{{Cite web|和書|title=【藤代三郎・馬券の休息(103)】スタートについて~忘れられないラガーレグルス |url=https://race.sanspo.com/keiba/news/20190911/etc19091112020003-n2.html |website=サンスポZBAT!競馬 |date=2019-09-11 |access-date=2022-12-13 |url-status=dead|url-status-date=2024-03 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20221218102731/https://race.sanspo.com/keiba/news/20190911/etc19091112020003-n2.html |archivedate=2022-12-18}}</ref>。まず5月6日の[[京都競馬場]]でゲート試験の予行演習を行った。この時は不審な挙動を見せたものの、大きな問題を起こさず2回のゲート発走をこなした<ref name="佐藤哲三インタビュー">{{Cite book|和書|chapter=[[佐藤哲三 (競馬)|佐藤哲三]]騎手インタビュー ラガーレグルス・ゲート膠着事件の裏『僕が嚙みしめた屈辱と怒り』 |author=梶原守人 |title=競馬裏事件史 これが真相だ!! |editor=別冊宝島編集部 |series=[[宝島社文庫]] |publisher=[[宝島社]] |isbn=4-7966-4838-0 |date=2005年9月 |pages=218-234}}227-233頁の「心ないファンの悪意に満ちた行為」節でゲート試験について詳しく述べている。</ref>。続く5月20日の[[東京競馬場]]でのゲート試験本試験では、1回目は無事にゲートを出たものの、2回目のゲート待機の際にゲート内で暴れてしまい不合格とる。この東京競馬場での本試験の際には、心ないファンが柵を傘で叩いて音を出したり{{R|サンスポ-藤代|佐藤哲三インタビュー}}大声で[[野次]]を飛ばしたり{{R|佐藤哲三インタビュー}}して試験を妨害していた。 |
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結局その後は故障などもあり、出走することなく競走馬を引退。通算成績は8戦3勝だった<ref>{{Cite web|和書|title=競走成績:全競走成績|ラガーレグルス|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0000318819/record/?sort=ymd&page=1&order=A |website=JBISサーチ |accessdate=2022-12-13}}</ref>。 |
結局その後は故障などもあり、出走することなく競走馬を引退。通算成績は8戦3勝だった<ref>{{Cite web|和書|title=競走成績:全競走成績|ラガーレグルス|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0000318819/record/?sort=ymd&page=1&order=A |website=JBISサーチ |accessdate=2022-12-13}}</ref>。 |
2024年7月15日 (月) 13:01時点における版
この記事は「旧馬齢表記」が採用されており、国際的な表記法や2001年以降の日本国内の表記とは異なっています。 |
ラガーレグルス | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
欧字表記 | Rugger Regulus[1] | |||||
品種 | サラブレッド[1] | |||||
性別 | 牡[1] | |||||
毛色 | 鹿毛[1] | |||||
生誕 | 1997年5月2日[1] | |||||
死没 | (不明) | |||||
父 | サクラチトセオー[1] | |||||
母 | レインボーパーク[1] | |||||
母の父 | ドン[1] | |||||
生国 | 日本(北海道門別町)[1] | |||||
生産者 | 飯田義寛[1] | |||||
馬主 | 奥村啓二[1] | |||||
調教師 | 大久保正陽(栗東)[1] | |||||
競走成績 | ||||||
生涯成績 | 8戦3勝[1] | |||||
獲得賞金 | 8412万8000円[1] | |||||
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ラガーレグルス(欧字名:Rugger Regulus )は、日本の競走馬[1]。1999年のラジオたんぱ杯3歳ステークスの勝ち馬である。
戦績
デビュー前
生産者の飯田は、サクラチトセオーが天皇賞(秋)で見せた末脚に惚れて、種牡馬になってすぐのサクラチトセオーとの交配を実行していた[2]。惚れた種牡馬の仔であるため飯田は大きな期待をかけていたが、本馬のデビュー前に飯田は突然の病気で他界した[2]。競りで売却が試みられたが、買い手が現れず、育成業者に引き取られた[2]。育成が施された後、3歳5月のプレミア3歳トレーニングセールに開始価格500万円で上場され、密かにラガーレグルスに注目していた奥村啓二によって660万円で落札された[2]。
3歳(1999年)
栗東トレーニングセンターの大久保正陽厩舎からデビューした。[3]佐藤哲三の騎乗で1999年、3歳9月の新馬戦(阪神ダート1200m)を制し、芝替わりとなる野路菊ステークスも制した[3]。続くデイリー杯3歳ステークスで重賞初出走を果たし2番人気に推されたが、6番人気の笠松競馬のレジェンドハンターに2馬身半差遅れた2着に敗れた[4]。GI初出走となる12月12日の朝日杯3歳ステークスではレジェンドハンターに次ぐ2番人気だったが、優勝したエイシンプレストンに大きく後れを取る7着に終わった[3]。12月25日のラジオたんぱ杯3歳ステークスは中団やや後方につけると、上がり最速の脚で差し切り重賞初勝利を挙げた[3]。
4歳(2000年)
4歳初戦の共同通信杯4歳ステークスはスタートで出遅れ、最後方から脚を伸ばすも7着に終わった。続く弥生賞はフサイチゼノン、エアシャカールに続く3着となった。続くクラシック三冠競走第一戦の皐月賞では発走ゲート内で暴れてしまい、ゲートが開いても走り出さずに競走中止となった[5]。
映像外部リンク | |
---|---|
2000年皐月賞(GI) レース映像 JRA公式YouTubeチャンネルによる動画 |
続いてクラシック競走第二戦の東京優駿への出走を目指したが、そのためにはゲート試験を通過する必要があった[6]。まず5月6日の京都競馬場でゲート試験の予行演習を行った。この時は不審な挙動を見せたものの、大きな問題を起こさず2回のゲート発走をこなした[7]。続く5月20日の東京競馬場でのゲート試験本試験では、1回目は無事にゲートを出たものの、2回目のゲート待機の際にゲート内で暴れてしまい不合格とる。この東京競馬場での本試験の際には、心ないファンが柵を傘で叩いて音を出したり[6][7]大声で野次を飛ばしたり[7]して試験を妨害していた。
結局その後は故障などもあり、出走することなく競走馬を引退。通算成績は8戦3勝だった[8]。
引退後
引退後は種牡馬となり、2001年から2003年まで名馬のふるさとステーションで供用された[9][10]。2005年12月31日付で転売不明により、種牡馬としての供用は停止されている[11]。その後の動向は不明である。
競走成績
以下の内容はnetkeiba.comの情報[12]に基づく。
競走日 | 競馬場 | 競走名 | 格 | 距離(馬場) | 頭 数 |
枠 番 |
馬 番 |
オッズ (人気) |
着順 | タイム (上がり3F) |
着差 | 騎手 | 斤量 [kg] |
1着馬(2着馬) | 馬体重 [kg] |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1999. 9.11 | 阪神 | 3歳新馬 | ダ1200m(良) | 11 | 1 | 1 | 6.4 (3人) | 1着 | 1:14.6(37.8) | -0.1 | 佐藤哲三 | 53 | (チハヤライデン) | 458 | |
10. 2 | 阪神 | 野路菊S | OP | 芝1600m(良) | 13 | 4 | 4 | 8.5 (4人) | 1着 | 1:35.1(35.6) | -0.3 | 佐藤哲三 | 53 | (ブイイオン) | 456 |
10.23 | 京都 | デイリー杯3歳S | GII | 芝1600m(良) | 11 | 6 | 6 | 3.8 (2人) | 2着 | 1:35.0(34.1) | 0.4 | 佐藤哲三 | 53 | レジェンドハンター | 456 |
12.12 | 中山 | 朝日杯3歳S | GI | 芝1600m(良) | 16 | 7 | 14 | 4.1 (2人) | 7着 | 1:35.9(37.3) | 1.2 | 佐藤哲三 | 54 | エイシンプレストン | 460 |
12.25 | 阪神 | ラジオたんぱ杯3歳S | GIII | 芝2000m(良) | 15 | 2 | 3 | 4.2 (2人) | 1着 | 2:03.7(36.0) | -0.1 | 佐藤哲三 | 54 | (オースミコンドル) | 464 |
2000. 2. 6 | 東京 | 共同通信杯4歳S | GIII | 芝1800m(良) | 11 | 6 | 7 | 2.8 (2人) | 7着 | 1:50.6(35.2) | 0.9 | 佐藤哲三 | 57 | イーグルカフェ | 448 |
3. 3 | 中山 | 弥生賞 | GII | 芝2000m(良) | 16 | 8 | 15 | 3.5 (2人) | 3着 | 2:02.5(35.6) | 0.2 | 佐藤哲三 | 55 | フサイチゼノン | 452 |
4.16 | 中山 | 皐月賞 | GI | 芝2000m(稍) | 18 | 1 | 1 | 7.0 (2人) | 競走中止 | 佐藤哲三 | 57 | エアシャカール | 450 |
血統表
ラガーレグルスの血統 | (血統表の出典)[§ 1] | |||
父系 | ゼダーン系 |
|||
父 サクラチトセオー 1990 黒鹿毛 |
父の父 *トニービンTony Bin 1983 鹿毛 |
*カンパラ | Kalamoun | |
State Pension | ||||
Severn Bridge | Hornbeam | |||
Priddy Fair | ||||
父の母 サクラクレアー1990 鹿毛 |
*ノーザンテースト | Northern Dancer | ||
Lady Victoria | ||||
*クレアーブリッジ | Quadrangle | |||
Abeyance Lass | ||||
母 レインボーパーク 1984 黒鹿毛 |
*ドン Don 1966 芦毛 |
Grey Sovereign | Nasrullah | |
Kong | ||||
Diviana | Toulouse Lautrec | |||
Desublea | ||||
母の母 シルバーアロー1970 黒鹿毛 |
*テスコボーイ | Princely Gift | ||
Suncourt | ||||
ヒサエ | *プリメロ | |||
ミツマサ | ||||
母系(F-No.) | ソネラ(USA)(FN:4-r) | [§ 2] | ||
5代内の近親交配 | Nasrullah 4×5 Hyperion 5×5 |
[§ 3] | ||
出典 |
脚注
注釈
出典
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o “ラガーレグルス”. JBISサーチ. 2024年7月14日閲覧。
- ^ a b c d 『優駿』2000年6月号 28頁
- ^ a b c d 『優駿』2000年6月号 29頁
- ^ 『優駿』1999年12月号 141頁
- ^ 『優駿』2000年6月号 133頁
- ^ a b “【藤代三郎・馬券の休息(103)】スタートについて~忘れられないラガーレグルス”. サンスポZBAT!競馬 (2019年9月11日). 2022年12月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年12月13日閲覧。
- ^ a b c 梶原守人 著「佐藤哲三騎手インタビュー ラガーレグルス・ゲート膠着事件の裏『僕が嚙みしめた屈辱と怒り』」、別冊宝島編集部 編『競馬裏事件史 これが真相だ!!』宝島社〈宝島社文庫〉、2005年9月、218-234頁。ISBN 4-7966-4838-0。227-233頁の「心ないファンの悪意に満ちた行為」節でゲート試験について詳しく述べている。
- ^ “競走成績:全競走成績|ラガーレグルス”. JBISサーチ. 2022年12月13日閲覧。
- ^ “種牡馬情報:世代・年次別(サラ系総合)|ラガーレグルス”. JBISサーチ. 2022年12月13日閲覧。
- ^ “名馬のふるさとステーション 田中哲実 競馬コラム”. netkeiba. 2024年3月11日閲覧。
- ^ “公益財団法人 ジャパン・スタッドブック・インターナショナル”. web.archive.org (2022年5月19日). 2022年5月19日閲覧。
- ^ “ラガーレグルス”. netkeiba.com. 株式会社ネットドリーマーズ. 2024年7月14日閲覧。
- ^ a b c “血統情報: 5代血統表|ラガーレグルス”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2024年7月14日閲覧。