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[[1980年代]]のソ連を代表するストライカーで、クラブではソ連リーグ歴代8位の125ゴール、代表では[[オレグ・ブロヒン]]に次ぐソ連代表歴代2位の29ゴールを挙げた。1988年の[[UEFA欧州選手権]]では決勝に進出するが、[[フランク・ライカールト]]のマークにあい仕事が出来ず<ref> [[ストライカー (雑誌)|サッカーストライカー]] 1989年12月号 p.140 [[小学館]] </ref>、チームも0-2と敗れた。
[[1980年代]]のソ連を代表するストライカーで、クラブではソ連リーグ歴代8位の125ゴール、代表では[[オレグ・ブロヒン]]に次ぐソ連代表歴代2位の29ゴールを挙げた。1988年の[[UEFA欧州選手権]]では決勝に進出するが、[[フランク・ライカールト]]のマークにあい仕事が出来ず<ref> [[ストライカー (雑誌)|サッカーストライカー]] 1989年12月号 p.140 [[小学館]] </ref>、チームも0-2と敗れた。


地元の[[FCドニプロ|ドニプロ・ドニエプロペトロフスク]](現ドニプロ)でキャリアをスタートさせ、後に[[FCディナモ・キーウ|ディナモ・キエフ]]に移籍。この間、ソ連リーグ得点王3回、MVP1回に輝き、2度の優勝を経験している。ギリシャでのプレーを経て、1994年に[[ガンバ大阪]]に加入、3月19日の[[名古屋グランパスエイト]]戦でJリーグ初ゴールを決めた<ref name="DJ">{{Cite web|和書| url =http://data.j-league.or.jp/SFIX04/?player_id=1663| title =プロタソフ| publisher=j-league| accessdate =17 October 2020}}</ref>。1995年6月28日の[[清水エスパルス]]戦でガンバの外国人選手としては初のハットトリックを決めた<ref>{{Cite web|和書| url =http://data.j-league.or.jp/SFTD09/search?selectFlag=0&competition_frames=1&competition_frames=11&competition_year_from=&competition_year_to=&teams=9&player_name=| title =ガンバ大阪ハットトリック一覧 | publisher=j-league| accessdate =17 October 2020}}</ref>。リーグ戦28試合で13ゴールを挙げたが<ref name="DJ"/>、同年限りで退団した。
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引退後は監督に転身。[[オリンピアコスFC|オリンピアコス]]、[[ステアウア・ブカレスト]]を経て、[[2005年]]末から2008年初めまで[[FCドニプロ・ドニプロペトロウシク]]の監督を務めていた。同年の途中から[[FCクバン・クラスノダール]]の監督に就任し、クバンをプレミア昇格に導いた。2010年より[[FCロストフ]]監督に就任。2014年10月、[[リーガ1|ルーマニア1部]]所属の[[FCアストラ|FCアストラ・ジュルジュ]]監督に就任<ref>{{cite web|url=http://www.digisport.ro/Sport/FOTBAL/Competitii/Liga+1/Protasov+a+fost+prezentat+la+Astra+Giurgiu |title=VIDEO Protasov a fost prezentat la Astra! "M-am decis să vin în câteva ore la o echipă foarte bună" |publisher=Digi Sport.ro |date=2014-10-10 |accessdate=2014-10-12}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nikkansports.com/soccer/world/news/f-sc-tp3-20141011-1380576.html |title=瀬戸のアストラ監督に元G大阪プロタソフ氏 |publisher=nikkansports.com |date=2014-10-11 |accessdate=2014-10-12}}</ref>。
引退後は監督に転身。[[オリンピアコスFC|オリンピアコス]]、[[ステアウア・ブカレスト]]を経て、[[2005年]]末から2008年初めまで[[FCドニプロ・ドニプロペトロウシク]]の監督を務めていた。同年の途中から[[FCクバン・クラスノダール]]の監督に就任し、クバンをプレミア昇格に導いた。2010年より[[FCロストフ]]監督に就任。2014年10月、[[リーガ1|ルーマニア1部]]所属の[[FCアストラ|FCアストラ・ジュルジュ]]監督に就任<ref>{{cite web|url=http://www.digisport.ro/Sport/FOTBAL/Competitii/Liga+1/Protasov+a+fost+prezentat+la+Astra+Giurgiu |title=VIDEO Protasov a fost prezentat la Astra! "M-am decis să vin în câteva ore la o echipă foarte bună" |publisher=Digi Sport.ro |date=2014-10-10 |accessdate=2014-10-12}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nikkansports.com/soccer/world/news/f-sc-tp3-20141011-1380576.html |title=瀬戸のアストラ監督に元G大阪プロタソフ氏 |publisher=nikkansports.com |date=2014-10-11 |accessdate=2014-10-12}}</ref>。
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'''プロ経歴'''
'''プロ経歴'''
*1981年 - 1987年 {{flagicon|SSR}} [[FCドニプロ|ドニプロ]] ([[:en:FC Dnipro Dnipropetrovsk]])
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2024年7月12日 (金) 05:58時点における版

オレグ・プロタソフ
名前
ラテン文字 Oleg PROTASSOV
キリル文字 Олег Протасов
基本情報
国籍  ウクライナ
生年月日 (1964-02-04) 1964年2月4日(60歳)
出身地 ドニプロ
身長 186cm
体重 77kg
選手情報
ポジション FW
利き足 右足
代表歴
1987-1992
1994
ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦
ウクライナの旗 ウクライナ
68 (29)
1 (0)
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

オレグ・プロタソフ(Oleg Protasov、1964年2月4日-)は、ウクライナドニプロ出身のソビエト連邦代表およびウクライナ代表の元サッカー選手サッカー指導者。現役時代のポジションフォワード

人物

1980年代のソ連を代表するストライカーで、クラブではソ連リーグ歴代8位の125ゴール、代表ではオレグ・ブロヒンに次ぐソ連代表歴代2位の29ゴールを挙げた。1988年のUEFA欧州選手権では決勝に進出するが、フランク・ライカールトのマークにあい仕事が出来ず[1]、チームも0-2と敗れた。

地元のドニプロ・ドニエプロペトロフスク(現ドニプロ)でキャリアをスタートさせ、後にディナモ・キーウに移籍。この間、ソ連リーグ得点王3回、MVP1回に輝き、2度の優勝を経験している。ギリシャでのプレーを経て、1994年にガンバ大阪に加入、3月19日の名古屋グランパスエイト戦でJリーグ初ゴールを決めた[2]。1995年6月28日の清水エスパルス戦でガンバの外国人選手としては初のハットトリックを決めた[3]。リーグ戦28試合で13ゴールを挙げたが[2]、同年限りで退団した。

引退後は監督に転身。オリンピアコスステアウア・ブカレストを経て、2005年末から2008年初めまでFCドニプロ・ドニプロペトロウシクの監督を務めていた。同年の途中からFCクバン・クラスノダールの監督に就任し、クバンをプレミア昇格に導いた。2010年よりFCロストフ監督に就任。2014年10月、ルーマニア1部所属のFCアストラ・ジュルジュ監督に就任[4][5]

所属クラブ

ユース経歴

  • 1972年 - 1981年 ソビエト連邦の旗 ドニプロ・ドニエプロペトロフスク ユース

プロ経歴

個人成績

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
ソビエト連邦 リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
1982 ドニエプロ 4 1
1983 21 7
1984 34 17
1985 33 35
1986 23 17
1987 30 18
1988 ディナモ・キーウ 29 11
1989 26 7
1990 16 12
ギリシャ リーグ戦 リーグ杯エラーダス杯 期間通算
1990-91 オリンピアコス 30 13
1991-92 22 14
1992-93 24 13
1993-94 9 8
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
1994 G大阪 - J 27 11 3 0 4 4 34 15
1995 28 13 - 0 0 28 13
ギリシャ リーグ戦 リーグ杯エラーダス杯 期間通算
1996-97 ヴェリア 30 7
1997-98 32 7
1998-99 プローデフティキ 28 5
通算 ソ連 216 125
ギリシャ 175 67
日本 J 55 24 3 0 4 4 62 28
総通算 446 216

代表歴

指導歴

獲得タイトル

クラブ

  • ソ連リーグ優勝:1983(ドニプロ)、1990(ディナモ・キエフ)
  • ソ連カップ優勝:1990(ディナモ・キエフ)
  • ギリシャカップ優勝:1992(オリンピアコス)

代表

個人タイトル

  • ソ連リーグ得点王:1985、1987(ドニプロ)、1990(ディナモ・キエフ)
  • ソ連リーグ年間最優秀選手賞:1987(ドニプロ)

監督

  • ギリシャリーグ優勝:2002/03(オリンピアコス)

脚注

  1. ^ サッカーストライカー 1989年12月号 p.140 小学館
  2. ^ a b プロタソフ”. j-league. 17 October 2020閲覧。
  3. ^ ガンバ大阪ハットトリック一覧”. j-league. 17 October 2020閲覧。
  4. ^ VIDEO Protasov a fost prezentat la Astra! "M-am decis să vin în câteva ore la o echipă foarte bună"”. Digi Sport.ro (2014年10月10日). 2014年10月12日閲覧。
  5. ^ 瀬戸のアストラ監督に元G大阪プロタソフ氏”. nikkansports.com (2014年10月11日). 2014年10月12日閲覧。

関連項目

外部リンク