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== 地理 ==
== 地理 ==
熊本市の中央部、京町台地突端の茶臼山東縁の丘に位置し<ref name="kadokawa">{{Cite book|和書 |title=角川日本地名大辞典 43 熊本県 |date=12月8日 |year=1987年 |publisher=「角川日本地名大辞典」編纂委員会 |pages=763}}</ref>、また東側で北から南にかけて坪井川が流れている。南で[[坪井川 (熊本県)|坪井川]]を挟んで[[手取本町]]、南東で[[坪井川 (熊本県)|坪井川]]を挟んで[[城東町 (熊本市)|城東町]]、東で[[上林町 (熊本市)|上林町]]や城東町、北東で[[坪井]]、北で[[内坪井町]]、北西で[[京町 (熊本市)|京町]]、西で[[二の丸 (熊本市)|二の丸]]や[[本丸 (熊本市)|本丸]]、南西で本丸と隣接している。
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=== 河川 ===
=== 河川 ===
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当地にはかつて[[熊本城]]の郭内に取り込まれた旧・千葉城があった。[[加藤清正]]の時代以降侍屋敷が並んでおり、[[細川忠利]]の時代にはこの屋敷は高屋敷と称され、[[熊本藩]]に抱えられた[[宮本武蔵]]の屋敷もあった。また、侍屋敷の他に煙硝蔵や東御倉などの熊本城の諸施設がおかれていた。[[明治]]期になると陸軍の用地として収公され、被服倉庫や経理部、連隊区司令部や偕行社などがおかれた。<ref name="kadokawa" />。
当地にはかつて[[熊本城]]の郭内に取り込まれた旧・千葉城があった。[[加藤清正]]の時代以降侍屋敷が並んでおり、[[細川忠利]]の時代にはこの屋敷は高屋敷と称され、[[熊本藩]]に抱えられた[[宮本武蔵]]の屋敷もあった。また、侍屋敷の他に煙硝蔵や東御倉などの熊本城の諸施設がおかれていた。[[明治]]期になると陸軍の用地として収公され、被服倉庫や経理部、連隊区司令部や偕行社などがおかれた。<ref name="kadokawa" />。


[[昭和]]20年([[1945年]])の終戦以降、当地には国家公務員共済会館五峯閣をはじめ、同30年には県立図書館(現在の熊本県立美術館分館)、38年には[[NHK熊本放送局]]などが設置された。
[[1945年]]([[昭和]]20年)の終戦以降、当地には国家公務員共済会館五峯閣をはじめ、[[1955]]には県立図書館(現在の熊本県立美術館分館)、[[1963]]には[[NHK熊本放送局]]などが設置された。


=== 熊本城の復興に向けて ===
=== 熊本城の復興に向けて ===


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[[2017年]]([[平成]]29年)[[6月5日]]にはNHK熊本放送局が移転しし、同年[[12月13日]]には、同施設を[[熊本地震 (2016年)|熊本地震]]で被災した[[熊本城]]の復興に利用する事を[[2021年]]([[令和]]3年)[[4月]]まで貸与する事を総務省に許可された<ref>{{Cite web|和書|url= https://www.soumu.go.jp/menu_news/s-news/01ryutsu07_02000144.html
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=== 沿革 ===
=== 沿革 ===
* [[明治]]12年([[1879年]]) - 熊本区の町名となる。
* [[1879年]](明治12年) - 熊本区の町名となる。
* 明治22年([[1889年]]) - 所属が熊本市となる。
* [[1889年]](明治22年) - 所属が熊本市となる。
* [[昭和]]40年([[1976年]]) - 一部が[[城東町 (熊本市)|城東町]]となり、[[内坪井町]]一部および新堀町の一部を吸収する。
* [[1976年]](昭和40年) - 一部が[[城東町 (熊本市)|城東町]]となり、[[内坪井町]]一部および新堀町の一部を吸収する。
* [[平成]]24年([[2012年]])[[4月1日]] - 熊本市が[[政令指定都市]]に移行した事に伴い、所属が熊本市中央区になる。
* [[2012年]](平成24年)[[4月1日]] - 熊本市が[[政令指定都市]]に移行した事に伴い、所属が熊本市中央区になる。


== 世帯数と人口 ==
== 世帯数と人口 ==
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== 交通 ==
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[[Category:1879年制定の町・字]]
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2024年6月29日 (土) 21:11時点における版

日本 > 熊本県 > 熊本市 > 中央区 > 千葉城町
千葉城町
熊本家庭裁判所
千葉城町の位置(熊本県内)
千葉城町
千葉城町
千葉城町の位置
北緯32度48分25秒 東経130度42分28秒 / 北緯32.80694度 東経130.70778度 / 32.80694; 130.70778
日本の旗 日本
都道府県 熊本県旗 熊本県
市町村 熊本市旗 熊本市
中央区
人口
2024年令和6年)6月1日現在)[1]
 • 合計 589人
等時帯 UTC+9 (JST)
郵便番号
860-0001[2]
市外局番 096[3]
ナンバープレート 熊本

千葉城町(ちばじょうまち)は熊本県熊本市中央区町名郵便番号は860-0001[2]

地理

熊本市の中央部、京町台地突端の茶臼山東縁の丘に位置し[4]、また東側で北から南にかけて坪井川が流れている。南で坪井川を挟んで手取本町、南東で坪井川を挟んで城東町、東で上林町や城東町、北東で坪井、北で内坪井町、北西で京町、西で二の丸本丸、南西で本丸と隣接している。

河川

橋梁

  • 巌根橋

歴史

戦後以前

当地にはかつて熊本城の郭内に取り込まれた旧・千葉城があった。加藤清正の時代以降侍屋敷が並んでおり、細川忠利の時代にはこの屋敷は高屋敷と称され、熊本藩に抱えられた宮本武蔵の屋敷もあった。また、侍屋敷の他に煙硝蔵や東御倉などの熊本城の諸施設がおかれていた。明治期になると陸軍の用地として収公され、被服倉庫や経理部、連隊区司令部や偕行社などがおかれた。[4]

1945年昭和20年)の終戦以降、当地には国家公務員共済会館五峯閣をはじめ、1955年には県立図書館(現在の熊本県立美術館分館)、1963年にはNHK熊本放送局などが設置された。

熊本城の復興に向けて

2017年平成29年)6月5日にはNHK熊本放送局が移転しし、同年12月13日には、同施設を熊本地震で被災した熊本城の復興に利用する事を2021年令和3年)4月まで貸与する事を総務省に許可された[5]。また、長らく更地になっていたJT熊本支店跡地も熊本城の復興のために崩れた石垣や機器、資材などを置く場所になっている。[6]

沿革

世帯数と人口

2024年(令和6年)6月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]

町丁 世帯数 人口
千葉城町 281世帯 589人

小・中学校の学区

市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[7]

番地 小学校 中学校
全域 熊本市立城東小学校 熊本市立藤園中学校

交通

道路

鉄道

当地には鉄道は通っていない。鉄道を利用する場合の最寄り駅は熊本城・市役所前停留場および通町筋停留場となる。

バス

施設

熊本県立美術館分館

かつてあったおもな施設

NHK熊本放送局(2011年3月18日撮影。)
  • NHK熊本放送局
  • JT熊本支店

脚注

  1. ^ a b 人口統計表”. 熊本市. 2024年6月8日閲覧。
  2. ^ a b 郵便番号”. 日本郵便. 2024年6月8日閲覧。
  3. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2024年6月8日閲覧。
  4. ^ a b 『角川日本地名大辞典 43 熊本県』「角川日本地名大辞典」編纂委員会、1987年12月8日、763頁。 
  5. ^ 日本放送協会の「旧熊本放送会館の建物を貸与する業務」の認可”. 総務省. 2024年6月30日閲覧。
  6. ^ 【地名について調べてみた】熊本市中央区/千葉城町 千葉城って何だっけの巻”. 肥後ジャーナル. 2024年6月30日閲覧。
  7. ^ 熊本市立小中学校通学区域索引簿(住所から校区を検索)”. 熊本市. 2024年6月13日閲覧。

関連項目

外部リンク