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「覚運」の版間の差分

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[[比叡山]]で[[良源]]に師事して天台教学を学んでその学名が高く、東塔檀那院に住して盛んに講説を行った。良源の勧告により[[静真]]・[[皇慶]]から[[真言密教]]を学んだ。宮廷貴族に取り入り、[[藤原道長]]に'''摩訶止観'''等を講じ、[[一条天皇]]には'''法華疏'''を進講したほか、道長家に関係する様々な仏事に関与した。この間[[1003年]]([[長保]]5年)権少僧都に任じられ、その後権大僧都となった。[[1007年]](寛弘4年)に没したが、その後権僧正が追贈された。後世[[源信 (僧侶)|源信]]を祖とする恵心流とともに覚運は檀那流の祖とされた。
[[比叡山]]で[[良源]]に師事して天台教学を学んでその学名が高く、東塔檀那院に住して盛んに講説を行った。良源の勧告により[[静真]]・[[皇慶]]から[[真言密教]]を学んだ。宮廷貴族に取り入り、[[藤原道長]]に'''摩訶止観'''等を講じ、[[一条天皇]]には'''法華疏'''を進講したほか、道長家に関係する様々な仏事に関与した。この間[[1003年]]([[長保]]5年)権少僧都に任じられ、その後権大僧都となった。[[1007年]](寛弘4年)に没したが、その後権僧正が追贈された。後世[[源信 (僧侶)|源信]]を祖とする恵心流とともに覚運は檀那流の祖とされた。


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2024年6月29日 (土) 00:04時点における最新版

覚運(かくうん、天暦7年(953年)- 寛弘4年10月30日1007年12月12日))は、平安時代中期の天台宗。父は春宮少進藤原貞雅

比叡山良源に師事して天台教学を学んでその学名が高く、東塔檀那院に住して盛んに講説を行った。良源の勧告により静真皇慶から真言密教を学んだ。宮廷貴族に取り入り、藤原道長摩訶止観等を講じ、一条天皇には法華疏を進講したほか、道長家に関係する様々な仏事に関与した。この間1003年長保5年)権少僧都に任じられ、その後権大僧都となった。1007年(寛弘4年)に没したが、その後権僧正が追贈された。後世源信を祖とする恵心流とともに覚運は檀那流の祖とされた。