コンテンツにスキップ

「門徒物知らず」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
10行目: 10行目:
*檀家
*檀家
*:浄土真宗では、歴史的に古くから地域に住む檀家が結束しており、なにかと地域や寺による作法や慣習の違いが見られる。この慣習の違いは、同じ経を唱えてもイントネーションが違うなどということにも及ぶ。檀家による慣習の違いは、宗派の違いによる作法の違いとは別次元に存在するので、転居により寺を変える場合は確認すべきだ。
*:浄土真宗では、歴史的に古くから地域に住む檀家が結束しており、なにかと地域や寺による作法や慣習の違いが見られる。この慣習の違いは、同じ経を唱えてもイントネーションが違うなどということにも及ぶ。檀家による慣習の違いは、宗派の違いによる作法の違いとは別次元に存在するので、転居により寺を変える場合は確認すべきだ。
*:浄土真宗の同じ派であっても、違う寺の檀家の葬式に臨む場合など、その地の儀礼や作法が違う場合がある。これに対しては、必ずしも地域の作法に従う必要はない。宗派の儀礼や作法である部分と、地域の儀礼や作法である部分が混在するが、基本的にそれを見極める必要もない。地域の儀礼や作法が本山の規定するそれと違う場合もある。例えば、[[金仏壇]]の存在しない檀家集団もある。大まかには本山に準じるが、基本はむしろ地域=寺ごとの檀家集団であると、門徒は捉えている場合が多い。
*:浄土真宗の同じ派であっても、違う寺の檀家の葬式に臨む場合など、その地の儀礼や作法が違う場合がある。これに対しては、必ずしも地域の作法に従う必要はない。宗派の儀礼や作法である部分と、地域の儀礼や作法である部分が混在するが、基本的にそれを見極める必要もない。地域の儀礼や作法が本山の規定するそれと違う場合もある。例えば、[[金仏壇]]の存在しない檀家集団もある。本山に準じるが、基本はむしろ地域=寺ごとの檀家集団であると、門徒は捉えている場合が多い。
*:このように、寺の違いによるまちまちな慣習の存在があり、それを各檀家集団が寛容してきた歴史がある。地域の実情に即した儀礼や作法の存在には、浄土真宗ならではの合理性がみられる。しかし、檀家が第一であれば、ましてや異宗派の言うことを聞く必要もなく、また異宗派に対しても物言わぬことにつながり、これが「門徒物知らず」と呼ばれることにつながる大きな所以と思われる。
*:このように、寺の違いによるまちまちな慣習の存在があり、それを各檀家集団が寛容してきた歴史がある。地域の実情に即した儀礼や作法の存在には、浄土真宗ならではの合理性がみられる。しかし、檀家が第一であれば、ましてや異宗派の言うことを聞く必要もなく、また異宗派に対しても物言わぬことにつながり、これが「門徒物知らず」と呼ばれることにつながる大きな所以と思われる。
*:日本の村落の閉塞性と排他性に似ているが、日本人の持つ曖昧さや順応性とも似ている。
*:日本の村落の閉塞性と排他性に似ているが、日本人の持つ曖昧さや順応性とも似ている。

2007年1月14日 (日) 10:33時点における版

門徒物知らず(もんとものしらず)は、浄土真宗の信者(門徒)に対して他宗派の信者が「仏教の作法を知らない」と批判する際に使われる言葉。

特に曹洞宗など禅宗の信者から言われることが多いが、浄土真宗の立場からは、「これは批判する側が浄土真宗と他宗派の教義の差異を知らないか、または教義の差異を容認しようとしないためにおこる誤解である。」としている。一方、天台宗真言宗華厳宗律宗日蓮宗日蓮正宗創価学会は、文字通り、「浄土真宗の僧侶、信者、そして、開祖親鸞は仏教の歴史、教義、作法に関する見識が著しく欠如している」との立場に立っており、教義の差異をめぐる宗派間対立の様相を呈している。また、天台宗、真言宗等の旧仏教に比べて極端に教義内容が省かれているため、西欧社会以上のカトリックカルヴァニズム以上の大規模な宗教改革と見る向きもある。

※なお、浄土宗の見解では、親鸞と法然の間には接点が無かったとしている。

この項では浄土真宗と他宗派(特に禅宗)との差異について記述する。

浄土真宗と他宗派との差異

  • 檀家
    浄土真宗では、歴史的に古くから地域に住む檀家が結束しており、なにかと地域や寺による作法や慣習の違いが見られる。この慣習の違いは、同じ経を唱えてもイントネーションが違うなどということにも及ぶ。檀家による慣習の違いは、宗派の違いによる作法の違いとは別次元に存在するので、転居により寺を変える場合は確認すべきだ。
    浄土真宗の同じ派であっても、違う寺の檀家の葬式に臨む場合など、その地の儀礼や作法が違う場合がある。これに対しては、必ずしも地域の作法に従う必要はない。宗派の儀礼や作法である部分と、地域の儀礼や作法である部分が混在するが、基本的にそれを見極める必要もない。地域の儀礼や作法が本山の規定するそれと違う場合もある。例えば、金仏壇の存在しない檀家集団もある。本山に準じるが、基本はむしろ地域=寺ごとの檀家集団であると、門徒は捉えている場合が多い。
    このように、寺の違いによるまちまちな慣習の存在があり、それを各檀家集団が寛容してきた歴史がある。地域の実情に即した儀礼や作法の存在には、浄土真宗ならではの合理性がみられる。しかし、檀家が第一であれば、ましてや異宗派の言うことを聞く必要もなく、また異宗派に対しても物言わぬことにつながり、これが「門徒物知らず」と呼ばれることにつながる大きな所以と思われる。
    日本の村落の閉塞性と排他性に似ているが、日本人の持つ曖昧さや順応性とも似ている。
  • 香典
    他宗派においては、通夜の段階では死者が未だ成仏していないため、通夜に参列する際は「御霊前」、葬儀以降の法要に参列する際は「御佛前」として香典を差し出すのが通例であるが、浄土真宗においては死者は速やかに阿弥陀仏が作ったとする世界(極楽浄土)に仏として生まれる(往生即成仏)とされているため、死者が霊として存在するとする考えは否定されている。結果、香典は死者にではなく仏に対して差し出すものとなるため、通夜の席においても「御佛前」とする。
    但し、これは死者及び遺族が厳密に真宗の葬儀を求める場合の例であり、他教宗信者及び無宗教者が真宗の儀礼からは外れていても、阿弥陀仏の本願により救われることとなっている。(参考:キリスト教予定説
    地域によっては、葬儀の日までは、ただ「香典」と書けばよい地域もある。二度目の法要以降については「御佛前」と書く。
  • 焼香
    他宗派においては、焼香は香盒より香をつまみ額の前に戴いてから香爐にくべるという動作を3回行うが、浄土真宗においては、香盒から香をつまみ、そのまま香爐にくべるという動作を1回か2回だけ行う。これは、他宗派においては、香を仏・法・僧の三者に供えると考えることに対し、浄土真宗では、仏の前に立つ者のマナーとして自分のにおいを清らかなものにするために香をたくと考えるためである。焼香の回数が1回か2回かについては、地域の檀家の慣習として違うようだ。
    また、他宗派においては、線香は香炉の中に立てるものであるが、浄土真宗においては香炉に収まるように適当な長さに折り、香炉の中に寝かせて置く。地域によっては線香を三等分になるように折り、香炉の中に寝かせて置く。三等分するのは仏・法・僧、あるいは現在・過去・未来を意味しているともされる。線香を折ることで燃焼時間が短縮され、火災発生のリスクを低減できることから、合理性を重んずる浄土真宗の特徴を表しているといえる。
    本来、伝統的仏教では、お線香を折ることは、縁起が悪いとされている。
  • 七日法要
    七日法要を四十九日(七度目)まで行なわず、三十五日(五度目)で終える寺や地域もある。「初七日」を「一七日(いちなのか)」「一日七日(いっかなのか)」などと呼ぶ地域もある。
  • 位牌戒名
    他宗派においては位牌戒名を書き、過去帳に戒名を書くが、浄土真宗において位牌を使用するのは、法要までの間に使用する白木の位牌のみであり、これに法名を記載する。(法要で白木位牌から法名軸と呼ばれる小さな掛軸、または過去帳と呼ばれる小さな折本に法名を転記し、以後はそちらを用いる。
  • 布施
    他宗派、殊に禅宗各派においては布施とは修行を積むことに代わる信仰心の表現であるため多額の布施を行うことを要求される。檀家内におけるその家の格付けにもよるが、葬儀などの場合数十万から100万円を超える布施を要求されることも珍しくない。浄土真宗においては念仏を唱えることが信仰の表現であり、葬儀などの際に僧侶に支払われる謝礼金も数万円程度、加えて年間数千円程度の冥加金を支払えばよいことが多い。
  • 墓地
    吉相墓の建立を禁止しており、五輪塔の建立を禁じている。西向き、北向きの墓を容認する。卒塔婆は用いない。墓の正面に書かれている文字は地域や寺によって違う。主には「南無阿弥陀仏」と書く寺が多いが、「骨塔」とだけ書く寺などもある。異宗派と同じように「○○家」と書く地域も存在する。
    なお、浄土真宗においては、「死者の祟り」という概念は無い。これは、この世で死者となった瞬間に仏として極楽浄土に生まれる(往生即成仏)とされているため、霊魂として現世でさまよう様なことはないと考えるためである。
    他宗派では本家の墓には五輪塔を建立する。死後、50年を経過し、50回忌をもって五輪塔に御霊を移す。
  • 葬式
    友引でも実施する。他宗派では原則として友引には実施しない。ただし多くの公営斎場は友引には休業するため、浄土真宗でも友引に葬式を行う例は少ない。守り刀、逆さ屏風、左前の死装束、北枕、六文銭の副葬、振り塩などの習俗も、原則として行わない(ただし、振り塩に関しては神道由来説を採る他宗派関係者の中にも支持する意見がある)。
  • 仏壇
    金仏壇を奨励する。但し仏壇の造りや仏具に関しては他宗より厳しく、特に本願寺派・大谷派においては厳密であり、現代的に表現すると仏壇=本山のミニコピーという位置づけであるため、各派本山の須弥壇を模しているとされる。
    本尊は、本山寺院から取り寄せた掛軸とされる。「方便法身之尊形」との裏書と門主の署名、落款がある。他宗においては掛軸より仏像が良いとされるが、浄土真宗では仏像よりも掛軸が良いとされる。これは親鸞が言ったと伝えられる「木像より絵像、絵像より名号」とい念仏重視の真宗教団の性格が伺える。
    水上げは行わず、霊供膳も用いない。