マスカットサイダー
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販売会社 | 神田葡萄園 |
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販売開始年 | 1970年 |
販売終了年 | 2024年(予定) |
完成国 | 日本 |
マスカットサイダー(MUSCAT CIDER)は、岩手県陸前高田市の神田葡萄園[1]が販売する地サイダー[2]。
概要
神田葡萄園では1970年頃より、日本国外の大手飲料メーカーが日本でも炭酸飲料を販売を開始した影響を受けて、自社製品の売上が一気に落ち込んだ[3]。この窮状を打破するために、設備投資の上で開発された飲料がマスカットサイダーであり[3]、1970年に販売が開始された[4]。当時は果樹からサイダーを製造することが困難だったため、マスカットの香気を利用したサイダーとして開発された[5]。
無果汁だが[6][7]、老舗のブドウ園である神田葡萄園ならではのほのかなマスカットの香り[6][8]、素朴な味わい[7]、喉越しの良さが特徴であり[6]、甘さを控えた飲料が多い時代にあって、敢えて昔懐かしい甘味が生かされている[9]。
瓶には縁起をかついで、えびすのマークが付けられている[6][10]。大手の製造業者なら毎年のように味やラベルを変更するところが、「中小企業は個性が大事」とし、味もラベルも2000年代に至るまで、ほとんど変更されていない[3][9]。
発売以来、地元の子供たちを中心として人気を博した[4]。インターネットによる通信販売が開始されると、日本全国の「地サイダー」のファンにも好評を博した[7]。共に販売されている100パーセントのジュースと共に、贈答用として注文されることも多かった[5]。2000年代頃には地サイダーが静かなブームとなっていたことで、コンビニエンスストアにもマスカットサイダーが置かれるようになり、神田葡萄園の主力商品となった[3]。
東日本大震災による影響
2011年3月11日に発生した東日本大震災によって、神田葡萄園も壊滅的な被害を被り、約4か月間の製造中止を余儀なくされた[4]。電話の不通が続く中、「早くサイダーが飲みたい」との手紙が届いていたことで、ボランティアの協力を得てブドウ畑や加工場の整備を進められ、同2011年7月に販売が再開された[4][7]。
工場前には直売所が設置され、陸前高田市内の被災者、岩手県内外から訪れた震災ボランティア、復興工事の関係者たちがサイダーを買い求めた[4]。同2011年の東京や大阪などの復興市でも、復興のシンボルとして販売された[11][12]。岩手県内の団体によるイベントの他[13]、北海道[14]、静岡県[15]、福岡県など[16]、岩手県外の飲食店でマスカットサイダーを取り寄せて販売するケースも見られた[16]。
販売開始から半世紀以上を経た2020年以降には、陸前高田市内の道の駅である道の駅高田松原では、全商品の中でマスカットサイダーが最も売り上げを伸ばす商品となった[4]。土産物としても人気商品となり、年間15万本から20万本を売り上げるまでになった[4]。道の駅高田松原ではマスカットサイダーの瓶とえびすのマークをデザインしたTシャツも販売され、1日平均で10枚が売れる人気商品となった[17]。
製造終了
2020年の新型コロナウイルスの影響により、使用済みの瓶の回収が停滞したことで、瓶の調達が困難となり、繁忙期である夏季の納品に遅延が生じた[4]。加えて砂糖などの原材料費、燃料の高騰化、生産ラインの老朽化などの悪条件が重なった[4][18]。このために神田葡萄園では苦渋の決断として、2023年9月、自社のSNSにおいて、2024年3月の製造をもっての生産終了が発表された[4][19]。
これに対して存続を望む声が多く寄せられ、クラウドファンディングによる資金集め、ガラス瓶からPETボトルへの変更などのアイディアが寄せられた[4]。しかし設備投資の資金繰りが困難であることに加え、大幅な値上げが回避できないことから、存続は困難と判断が為された[4]。今後は神田葡萄園では、果汁飲料やワインの製造に注力することが予定されている[20]。
脚注
- ^ “神田葡萄園”. 神田葡萄園. 2023年5月23日閲覧。
- ^ “マスカットサイダー|神田葡萄園”. スターブリッジいわて株式会社. 2023年5月23日閲覧。
- ^ a b c d 西孝高「ここが聞きたい 神田葡萄園・熊谷和司社長 地サイダー、変わらぬ味」『読売新聞』読売新聞社、2007年7月4日、東京朝刊、30面。
- ^ a b c d e f g h i j k l 黒山幹太「再生の歩み 東日本大震災 名物サイダー 惜別の味」『読売新聞』2023年11月12日、東京朝刊、37面。
- ^ a b 内藤宜仁 (2016年8月17日). “昭和から変わらぬ味「マスカットサイダー」”. ドコモグループ 東北復興・新生支援「笑顔の架け橋Rainbowプロジェクト」. エヌ・ティ・ティ・コミュニケーションズ. 2023年12月16日閲覧。
- ^ a b c d 成田智志「一口飲めばあの夏を思い出す 爽快! 懐かしの「地サイダー」」『週刊文春』第52巻第30号、文芸春秋、2010年8月5日、156-157頁、大宅壮一文庫所蔵:100080009。
- ^ a b c d 高橋諒子「被災老舗「なじみの味」復活 ファンの声、後押し 東日本大震災」『朝日新聞』朝日新聞社、2011年6月23日、岩手地方版、29面。
- ^ 『日本ジュースクロニクル』辰巳出版、2023年6月、41頁。ISBN 978-4-7778-3004-6。
- ^ a b 佐藤ゆうこ「ご当地サイダーで日本縦断 北海道から沖縄まで、ユニークな味をご堪能あれ」『週刊女性』第53巻第26号、主婦と生活社、2009年7月7日、175頁、大宅壮一文庫所蔵:200018211。
- ^ 甲斐みのり『春夏秋冬お菓子の旅』主婦の友社〈セレクトBOOKS〉、2010年4月、31頁。ISBN 978-4-07-263745-6。
- ^ “23日から東京タワーで東北応援市”. MSN産経ニュース. マイクロソフト・産業経済新聞社 (2011年12月21日). 2011年12月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年1月9日閲覧。
- ^ “東北、旬の食材いっぱい ATCで復興応援マルシェ 大阪” (2011年12月25日). 2011年12月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年1月9日閲覧。
- ^ 「盛岡 岩手大から三陸の魅力発信 学生団体が名産品販売」『岩手日報』岩手日報社、2021年12月15日、朝刊、19面。
- ^ 岩崎志帆「札幌だより 東北グルメ 食べて復興支援 市民団体がオンライン販売」『北海道新聞』北海道新聞社、2021年3月17日、夕空夕刊、2面。
- ^ 「復興支援カフェオープン 葵区 被災地の名物など販売」『読売新聞』2011年8月30日、東京朝刊、32面。
- ^ a b 丹村智子「東日本大震災10年 陸前高田つなぐカフェ 東北で支援後、八女で開業「防災や命考える場に」」『西日本新聞』西日本新聞社、2021年3月20日、朝刊、28面。
- ^ “「マスカットサイダー」Tシャツに 道の駅高田松原、販売好調”. 岩手日報. 岩手日報社 (2023年9月23日). 2023年12月16日閲覧。
- ^ “マスカットサイダー製造終了 陸前高田の名物、24年3月まで”. 岩手日報 (2023年9月7日). 2023年12月16日閲覧。
- ^ kandavineyardの投稿(pfbid0bJxCTTvoQAD7pa2n9ZGNVFj2op3oU7xsmArJNcEeSxPxMc5E4pEyeu4AdWL7FE3yl) - Facebook
- ^ “「続けたい思いあったが…」原材料費高騰や瓶の不足 半世紀以上親しまれた“マスカットサイダー”製造終了へ 岩手・陸前高田市”. TBS NEWS DIG (2023年9月7日). 2023年12月16日閲覧。