高橋保 (実業家)
高橋 保(たかはし たもつ、1882年(明治15年)3月8日[1][注 1] - 1972年(昭和47年)12月9日[1][2])は、日本の技術者、実業家、政治家。衆議院議員。
経歴
長野県東筑摩郡上川手村(南安曇郡豊科町を経て現安曇野市)[1][3]で、高橋澄彌の長男として生まれる[4]。松本中学校[3](現長野県松本深志高等学校)、第三高等学校[3]を経て、1909年(明治42年)京都帝国大学理工科大学電気工学科を卒業[1][2][3]。伊那電気鉄道技師長に就任した[1][3]。長野県の水力発電に注目して独自に主要河川の上流調査を実施し、その水利権を取得した[1]。
1917年(大正6年)小坂順造らによって長野電灯が設立した際には、水利権を出資して取締役に就任[1]。同年、2代鈴木三郎助が電気化学事業への進出を企画し、長野電灯に千曲川上流の水利権譲渡を申し入れ東信電気を設立した際にその取締役に就任した[1]。その後、鈴木家、森矗昶との関係を築き、1928年(昭和3年)昭和肥料の創立に加わり、1934年(昭和9年)昭和人絹を設立して社長に就任した[1]。1939年(昭和14年)昭和人絹が呉羽紡績に吸収され、1939年(昭和14年)呉羽紡績から旧昭和人絹綿工場が独立して呉羽化学(現クレハ)を設立した[1]。その他、信濃水電専務取締役、犀川電力取締役、諏訪電気取締役、東洋水力電気取締役、梓川電力取締役、昭和電工副社長、高橋工業社長、高橋商事社長などを務めた[2][3][4]。
1932年(昭和7年)2月、第18回衆議院議員総選挙で長野県第四区から立憲政友会公認で出馬して最高点で当選し、衆議院議員を1期務めた[2][3]。
脚注
注釈
- ^ 『長野県歴史人物大事典』417頁では1883(明治16)。
出典
参考文献
- 『日本の創業者 - 近現代起業家人名事典』日外アソシエーツ、2010年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 『長野県歴史人物大事典』郷土出版社、1989年。
- 人事興信所編『人事興信録 第14版 下』人事興信所、1943年。