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大嶺祐太

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大嶺 祐太
中日ドラゴンズ
2011年
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 沖縄県石垣市
生年月日 (1988-06-16) 1988年6月16日(36歳)
身長
体重
184 cm
80 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 投手
プロ入り 2006年 高校生ドラフト1巡目
初出場 2007年4月30日
年俸 1200万円(2021年)[1]
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

大嶺 祐太(おおみね ゆうた、1988年6月16日 - )は、沖縄県石垣市出身のプロ野球選手投手)。右投左打。

愛称は「ゆうた」。2018年まで千葉ロッテマリーンズに所属していた大嶺翔太は実弟。

経歴

プロ入り前

石垣島(沖縄県石垣市)生まれ。小学2年時に「八島マリンズ」で三塁手として野球を始める。中学生時代は硬式ポニーリーグの「八重山ポニーズ」で投手として活躍、3年時の2003年には世界大会3位になった。同じ沖縄出身の新垣渚を見て、プロを志したという。

小学生時代より指導を受けた伊志嶺吉盛の強い勧めで八重山商工に進学。2006年には春(第78回選抜高等学校野球大会)・夏(第88回全国高等学校野球選手権大会)の甲子園連続出場を果たし、八重山商工の快進撃の原動力となった。春夏2季連続出場は沖縄県の離島勢として初めて。特に春の大会では17奪三振を記録している。夏の甲子園では同大会最速となる球速151km/hを記録した。打線でもクリーンナップの5番打者におかれ、打撃面でも期待されていた。

ドラフト前の予想では相思相愛の福岡ソフトバンクホークスの単独1位指名が予想されていたが、当初福田秀平多摩大聖ヶ丘高校)の1位指名を予定していた千葉ロッテマリーンズが直前になり、大嶺の1位指名に変更。ドラフトの10日前にボビー・バレンタイン監督が大嶺の映像を見て気に入り、方針転換したとされている[2][3]。くじ引きの結果、ロッテが交渉権を獲得。その結果、大嶺本人も戸惑うこととなり、入団拒否が予想された。しかしロッテ側が、バレンタイン監督が石垣に来島し交渉、またキャンプ地を石垣島に移すことを決定するなど説得に努めたことで、周囲は入団を期待するムードに変わっていった。結局、2006年11月27日に石垣市内で契約を結んだ。大嶺本人が最初に下した決断は1年浪人であったため、入団決定までに長い時間がかかった[4]

背番号は1に決定。投手が1番を付けるのは、球団としては1981年の愛甲猛以来で、プロ野球全体では谷中真二阪神タイガース)以来である。

プロ入り後

2007年
2月26日、プロ初実戦の練習試合・東北楽天ゴールデンイーグルス戦で同学年の田中将大相手に投げ合い、2回4失点KOされた。
4月15日、一軍の試合終了後に開催された千葉マリンスタジアムでのイースタン・リーグ、対楽天戦で150km/hを出し観客を驚かせた。
当初はファームでじっくり育成される予定だったが、先発ローテーションの一員である小野晋吾がわき腹を痛めたために、急遽4月30日の埼玉西武ライオンズ戦でプロ初先発。4回0/3を投げて7安打5失点で勝敗はつかなかったが、アレックス・カブレラに詰まった当たりながら本塁打されるなど、ほろ苦いデビュー戦となった。ただし、この試合はちょうどNHK総合テレビで全国放送されており、第1球にいきなり147km/hを記録、その後も最速151km/hを記録したため、鮮烈な印象も残した。
2008年
セ・パ交流戦で中継ぎとして一軍登板、7月から先発ローテの一角を担う。好投しても打線の援護が得られなかったり、疲れが見えたところで打ち込まれるなど、勝ち星に恵まれない状態が続いていたが、7月24日の対北海道日本ハムファイターズ戦でダルビッシュ有と投げ合い、6回を投げ被安打4・四球2・失点2でプロ初勝利を挙げた。試合後のインタビューで「(出身地の)石垣島から(プロ野球の本拠地として)最も離れた札幌ドームで初勝利を挙げられて、とてもうれしい」と語った[5]
成人したこの年、オリオンビールの「リッチ」のCMに当時監督だったボビー・バレンタイン、ボクシングの具志堅用高と共に出演した。
この年のフェニックスリーグには、一歳年下の後輩唐川侑己と共に、高卒ルーキー二年目としては異例の参加免除となった。
2009年
自らソフトバンクの和田毅に頼んで和田と藤岡好明岩嵜翔と共に一緒に自主トレを行った。
沖縄県警察が広報に使う防犯ポスターに抜擢される。過去には沖縄出身の女優が起用されてきたが、男性の起用はこれで初めてとなる。
5月13日の対ソフトバンク戦では6安打に抑え、10日(楽天戦)の唐川侑己に続いてプロ初完封を果たす。試合後のヒーローインタビューでは「今日は監督(当時監督だったバレンタイン)の誕生日だったんでどうしても勝利という形で監督にプレゼントしたかったんで。それが完封という形でできて本当に良かったと思います。」と答え、ウィニングボールも監督へ贈った[6]
シーズン全体では防御率5.78と打ち込まれるシーンも多かったが、先発の一員として5勝を挙げた。
10月のドラフト会議では実弟の翔太が3位でロッテから指名を受ける。
11月30日に背番号を11へ変更。
2010年
4月7日の対ソフトバンク戦で119球、被安打4、奪三振10、与四球2の内容で9回を抑え、2010年度初勝利を完封で果たした[7]。その後も先発で投げたが安定感がなく7月下旬に二軍降格となりその後レギュラーシーズンでの一軍登板はなかった。
制球力向上のため、ワインドアップから引いた左足を上げる途中で一度止め、そこから膝を真上に上げてゆっくり踏み出す独特のフォームに改造するも次第に球威が落ち、かえって打ち込まれることが多くなってしまった。結局、7月の二軍降格後には走者がいない場面でもセットポジションから投げるようになりこの投球フォームで再び投げることはなかった。このフォームは前述の完封の際にホークス秋山幸二監督から「二段モーションどころか三段モーションではないか?」との抗議を受けていた。クライマックスシリーズでは第5戦に先発したが2回1失点で降板した(チームはその後逆転勝ちし、自身に勝ち負けはつかなかった)。
2011年
キャンプでフォームを改造、新たにスプリットフィンガード・ファストボールを習得し、オープン戦では好投球を見せ開幕ローテーション入りを掴み取ったが、4月17日に斎藤佑樹との同学年対決になった初登板で2回途中5失点でKOされ、即二軍へ降格。右肩を痛め、一軍登板はこの1試合に終わった。
2012年
ケガの影響が残り、プロ入り後初めて一軍登板なし。二軍でも24試合で防御率4.03とプロ入り後最低のシーズンとなった。
2013年
二軍公式戦で好調を維持し、約2年ぶりに一軍復帰を果たす。5月5日の福岡ソフトバンクホークス戦で1040日ぶりの白星を挙げ、5月19日の広島東洋カープ戦では1138日ぶりとなる完封を果たすなど復活の兆しを印象づけた年となった。
2014年
シーズン序盤は二軍で登板し、交流戦期間中の6月17日に一軍へ昇格。開幕から先発陣の一角を担っていた唐川侑己古谷拓哉らの不調もあり、主にいわゆる「ローテーションの谷間」に先発として登板する。7月に一度二軍へ落ちたが、8月12日に再び一軍へ昇格。8月14日の北海道日本ハムファイターズ戦において、弟の大嶺翔太が6回に代打で登場した後に一塁守備につき、自身も6回から3番手として救援登板したため、一軍では初となる兄弟での同時出場を果たした[8]
この年は結局、13試合に登板(うち先発9)して3勝4敗、防御率3.46。しかしながら、8月に再昇格してからの成績は9試合に登板し3勝2敗、防御率2.31と、終盤に巻き返してシーズンを終えた。
2015年
右肘痛の影響でキャンプ二軍スタートとなり開幕も二軍で迎えたが、4月19日に一軍へ昇格しリリーフで3回無失点に抑えると、そのままローテーション入りし、自己最多となる8勝を挙げた。5月10日の西武ライオンズ戦では、初めて弟の大嶺翔太と揃ってお立ち台に上がった。
2016年
シーズンオフに背番号を11から30へ変更。
2019年
1月17日、右肘内側側副靱帯損傷により、靱帯再建術と鏡視下滑膜切除術を受け、全治12か月であることが公表された[9]。同年10月3日、球団から戦力外と通告された。11月26日、髙濱卓也と共に育成選手契約に切り替わる[10]。背番号は126
2020年
8月23日、再び支配下選手へ昇格[11]。背番号は64[12]

人物

同じ石垣市出身のバンドのBEGINとは、きゃんひとみに誘われて行った2007年のライブ以来の付き合い。2010年よりQVCマリンで登場曲として使用している爬竜舟(はりゅうせん)は、『ビギンの島唄 〜オモトタケオ3〜』に収録されている楽曲で、BEGINが大嶺のことを思い、作った曲である[13]

2016年2月12日、女優、DJとして活動する琴菜と10年越しの交際を経て入籍[14]

「中学時代のチームメイトや伊志嶺監督と一緒に野球したい」という思いで、八重山商工の入学試験を受けたが、受験に失敗してしまったため、1年生時は同高の定時制に在籍していた。その後2年生に進級するタイミングで、全日制に編入している[15]

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
2007 ロッテ 1 1 0 0 0 0 0 0 0 .000 21 4.0 7 1 1 0 1 4 0 0 5 5 11.25 2.00
2008 7 5 0 0 0 2 2 0 0 .500 137 32.2 32 5 8 0 1 23 2 0 19 19 5.23 1.22
2009 16 16 2 1 0 5 6 0 0 .455 428 95.0 115 11 35 0 5 59 2 0 62 61 5.78 1.58
2010 13 13 2 1 0 3 6 0 0 .333 320 71.1 78 12 34 0 3 52 1 0 48 41 5.17 1.57
2011 1 1 0 0 0 0 1 0 0 .000 11 1.1 3 1 4 0 0 1 0 0 5 5 33.75 5.38
2013 10 9 1 1 0 4 2 0 0 .667 197 43.1 43 2 26 0 2 29 1 0 23 22 4.57 1.59
2014 13 9 0 0 0 3 4 0 0 .429 241 54.2 60 4 20 0 1 31 2 0 32 21 3.46 1.46
2015 24 23 1 1 1 8 7 0 0 .533 574 133.1 141 8 46 0 5 70 1 0 49 47 3.17 1.40
2016 14 6 0 0 0 1 3 0 1 .250 175 34.2 47 1 26 1 2 14 1 0 31 25 6.49 2.11
2017 20 0 0 0 0 2 2 0 0 .500 142 30.2 33 4 22 1 0 21 0 0 19 13 3.82 1.79
2020 2 2 0 0 0 0 1 0 0 .000 45 9.0 15 1 6 0 0 9 0 0 9 9 9.00 2.33
2021 8 0 0 0 0 1 1 0 0 .500 51 11.0 15 1 2 0 0 7 2 0 6 5 4.09 1.55
通算:12年 129 85 6 4 1 29 35 0 1 .453 2342 521.0 589 51 230 2 20 320 12 0 308 273 4.72 1.57
  • 2021年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別守備成績



投手












2007 ロッテ 1 0 0 0 0 ----
2008 7 2 6 0 0 1.000
2009 16 4 23 1 1 .964
2010 13 3 8 0 0 1.000
2011 1 0 1 0 0 1.000
2013 10 2 9 0 2 1.000
2014 13 5 12 0 1 1.000
2015 24 10 19 0 1 1.000
2016 14 2 10 0 1 1.000
2017 20 0 5 0 0 1.000
2020 2 1 1 0 0 1.000
2021 8 1 2 1 0 .750
通算 129 30 96 2 6 .984
  • 2021年度シーズン終了時

記録

初記録

背番号

  • 1(2007年 - 2009年)
  • 11(2010年 - 2016年)
  • 30(2017年 - 2019年)
  • 126(2020年 - 同年8月23日)
  • 64(2020年8月24日 - 2021年)

登場曲

  • 「どこまでも!!」TRIPLE-P
  • 「爬竜舟」BEGIN
  • 「Shining Place〜輝ける場所〜」DJ Kotona
  • 「Vitality~自分への挑戦状~」Kotona(2016年 - )

脚注

  1. ^ ロッテ - 契約更改 - プロ野球.日刊スポーツ.2020年12月5日閲覧。
  2. ^ FA宣言でモテモテ福田 本命視されるロッテとの深い“因縁””. 日刊ゲンダイ(2019年11月15日作成). 2019年12月17日閲覧。
  3. ^ 運命を分けた「2006年(高)ドラフト」 FA市場の目玉になった男と、育成から再出発の男”. BASEBALL KING(2019年11月27日作成). 2019年12月17日閲覧。
  4. ^ 【11月27日】2006年(平18) バレンタイン監督、大嶺に会いにはるばる石垣島へ(野球) ― スポニチ Sponichi Annex 野球 日めくりプロ野球11月
  5. ^ “大嶺 6回2失点でプロ初勝利”. スポニチ Sponichi Annex (スポーツニッポン). (2008年7月24日). http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2008/07/24/kiji/K20080724Z00000990.html 2013年4月12日閲覧。 
  6. ^ “大嶺が初完封!ボビーに誕生日プレゼン投”. スポニチ Sponichi Annex (スポーツニッポン). (2009年5月14日). http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2009/05/14/kiji/K20090514Z00001720.html 2013年4月12日閲覧。 
  7. ^ “大嶺10K完封!ロッテ10勝1番乗り”. スポニチ Sponichi Annex (スポーツニッポン). (2010年4月8日). http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2010/04/08/kiji/K20100408Z00002040.html 2013年4月12日閲覧。 
  8. ^ ロッテ大嶺兄弟 1軍で初のそろい踏み”. スポニチ Sponichi Annex (2014年8月15日). 2014年8月30日閲覧。
  9. ^ ロッテ大嶺が右肘手術 全治1年で今季復帰は絶望的”. 日刊スポーツ (2018年1月17日). 2018年1月17日閲覧。
  10. ^ ロッテ、戦力外の大嶺、高浜と育成契約 松本球団本部長「慌てるなと」サンケイスポーツ2019年11月26日
  11. ^ "新規支配下選手登録 2020年度". NPB.jp. 日本野球機構. 24 August 2020. 2020年8月24日閲覧
  12. ^ "大嶺祐太投手 支配下選手登録について". 球団公式サイト. 千葉ロッテマリーンズ. 23 August 2020. 2020年8月24日閲覧
  13. ^ 【千葉魂】 大嶺を支えた登場曲 BEGINの「爬竜舟」”. 千葉日報ウェブ (2013年5月28日). 2013年6月5日閲覧。
  14. ^ ロッテ・大嶺祐、練習後に婚姻届を提出「今年は頑張らないと」”. スポニチ (2016-2-012). 2016年2月12日閲覧。
  15. ^ 「離島のエース」から「サンデー祐太」へ ロッテ・大嶺祐の球歴とは? | BASEBALL KING”. BASEBALL KING (2015年10月12日). 2021年3月27日閲覧。

関連項目

外部リンク