ナスフ
ナスフ
ナスフとは、取り消しや破棄という意味である。イスラーム教においては、初期の神の言葉や少し以前の神の言葉とが、神による後からの新しい啓示によって、それが、矛盾に満ちたものに変化してしまうという現象が多々ある。[1]それらの、前後に矛盾した章句を読んで、イスラームの信者が混乱したり、疑念を抱いたりしないように、、イスラーム法学者などは、どの言葉を取り消したり破棄したりするのかについて研究・解釈している。イスラームの信者は、それを「ナスフ」すると呼んでいる。[2]
ムスハフ本文におけるナスフ
神の啓示の中に矛盾している句があった場合、古い時期のものが新しい時期の啓示によって取り消されたのだと解釈する方法を、イスラーム教徒は、ナスフとしている。
「我々(アッラー)は、ある一つの節を取り消したり、または忘れさせたりすることがある。その理由としては、それよりも良いものか同等の啓示を、信者に与えるためである。(2章 106節)」という啓示が、ある。初期のイスラームでは、この言葉が、ナスフに関係したものとされていた。[3][4] 上記の「取り消し」の句は、メディナ時代の啓示である。我々(神のこと)の説く教えは、矛盾があるかもしれない。しかしそれは、よりよい教えを啓示するために、これ以前に不変の真理として下した啓示を、取り消したり、聞かなかったことにすることがある、という意味合いがあるようだ。[5]
ウスマーン版ムスハフの第5章では、キリスト教に対する賛同と敵対視の啓示が、同じ神の啓示として、並立して書かれている。神は、5章56節では、キリスト教徒は分別がなく、邪悪の徒が多いとしている。しかし、そのすぐ後の、5章82(85)節では、キリスト教徒は、愛情深く、信仰心が篤い、と神はしている。キリスト教徒がクルアーンを聞けば、涙を流して「私たちは信じます」と言うだろう、という予言も、神はしている。そのため、これらの啓示を理解するためには、神の言葉のどちらか一方を削除する必要がある。この章を矛盾を感じずにイスラーム教徒が読むためにも、ナスフが必要不可欠なツールであるとされている。[6]
この出来事からわかることは、「全知・全能の神ともあろう方が、数年先の未来のことが予測できなかった」、ということである。「神様と自称している方がそのようなミスをするだろうか、(いや、そんな神様はニセモノにちがいない)」、という批判が、ムハンマドの当時にはあったとされる。[7]
キリスト教の修道士に対する評価については、5章82(85)節において、良い評価がくだされている。しかし、9章34節では、神の道を阻害する偽善者であるという評価が下されている。
似たような経緯をたどって、ユダヤ教の場合においても、歴史的に重大ともいえる矛盾した啓示が、並立して表示されている現状にある。
聖典と聖典とにおけるナスフ
イスラーム初期には、聖典間の取り消しはしていなかった。クルアーン自体は、先行する啓典よりも最も優れた啓典であるとの主張を自己主張するにとどまっていた。 10世紀ころから、句の取り消しの概念が啓典と啓典の関係に関しても、学者によって適用されるようになったとされている。[8]
啓典の民という概念は「アフル・アル=キターブ」というクルアーンの言葉を訳したものとされている。しかし正確には「先行した神の啓示、の民」になるとされている。[9]また、高等批評の発展してきた現代にあっては、「聖典」という概念は不明瞭なものとなっているといえる。そのため、聖典どうしの取り消しという概念は、「先行する神の啓示についての取り消し」と解釈することが出来る。[10]
意味の歪曲によるナスフ
ムスハフで、先行する啓典の民を批判するために用いられている概念は、意味の歪曲という概念である。ユダヤ教徒は、「律法の書」を歪曲して解釈している、としている。[11]
テキストの歪曲によるナスフ
ムスハフにおいて、先行啓典を批判するために用いられている概念は、テキストの歪曲という概念である。律法の書(モーセ)の場合は、テキストがバビロン捕囚の時に失われ、その後書き直されたとしている。そのときに、律法の書の内容が変わったとされている。[12][13] イスラーム教では、福音書に関していうと、ナザレのイエスの本当の言葉が伝えられていない、とされている。それはなぜかというと、キリスト教がイエスの死後、300年にわたって迫害を受けたためであるとしている。[14][15]
法学の用語としてのナスフ
現代の学者は、疑似破棄という概念を使用している。疑似破棄には、「忘却」、「限定」、「解説」などがあるとされる。[16][17]
現代において、ムスハフの有する種々の矛盾についての破棄の適用は慎重に行われるようになってきた。しかし、「限定」の緩い縛りは多用されるようになってきたとされる。[18]
絶対的聖典の中に矛盾があった場合、その矛盾を否定できない社会は、まるで振り子ように左右にふれ続ける、という見解もある。[19]
イスラム法学者とナスフ
七世紀に発生した書物をイスラーム教では、現代生活のシャリーアの基準にしている。それにより、ムリや矛盾が生じるのは当たり前とする見解がある。[20]現代社会において、イスラム法学者は、そうした、無理ともいえる矛盾の解消を現実社会に実現している。 ムスハフの中に矛盾している句があった場合、それが啓示された時期を明らかにして、その神の啓示の矛盾を説明するために、古い時期のものが新しい時期の啓示によって取り消されたのだ、そのようにイスラム法学者は解釈しています。啓示された時期と場所による聖句の限定という手法もまた、ナスフのときに用いてきたとされる。[21]
ナスフとは異なる解釈
神が直接語ったとされる言葉をまとめた『ウスマーン版ムスハフ』を、ムスリムは、聖典解釈原理に基づいて解釈することで、イスラーム文化を生んで来た。それは、様々な方向に向かう人間生活の一切を解釈することであった。イスラーム文化の大きな特徴は、聖と俗の区別をつけないことである。シャリーアによって、政治と法律もそのまま宗教となっている、とされている。[22]
宗教的な立場から見ると、シャリーアは必ずしもムスハフの言葉を守っているものではないと見える場合がある。例えば、ムスハフには、預言者を除いて、一人の男の妻は4人までしか持てない、とはっきりと明言されている。この基準を守らないで、妻を4人以上持つ男性が存在してもいいです、という啓示の句もない。しかし、新サウジアラビア王国の前国王は、確認されているだけでも、17人の妻がいたと伝えられている。[23] この例をはじめとして、イスラム教国の王侯貴族には5人以上の妻が公式にいることはめずらしくないとされる。[24]前後に矛盾した神の啓示が二つある場合、イスラーム学者が、従来通りの方法によって変更するのは、神の言葉の解釈として認められていると言うことが出来る。しかし、男の妻は4人まで、という神の啓示が一種類しか示されていない場合、矛盾がないといえる。そのため、イスラーム教徒は、それをそのまま守らなくてはいけないと言える。イスラーム学者がこの契約を守らなくてもよいと解釈するのは、違反行為であると言える。それはいわば、イスラームの神の心をイスラーム的解釈によって破棄処分する行為であると言える。シャリーアに基づく治世をうたうイスラームの国において、こうした行為が為されているということは、政治と宗教が一体となっているという主張は、一般的な宗教信仰よりも宗教的には低レベルの在り方であると見ることが出来る。[25]
破棄院
著作等で問題のある見解を発表した人については、破棄院でその人が不信仰者かどうかを審議するとされている。不信仰者と判断された場合には、イスラム法にのっとり、例えば本人は追放となり、妻帯者ならば離婚しなければいけなくなる。[26]破棄院には、破棄という言葉がついているが、ナスフと関係があるかどうかは不明である。
ナスフにおける平和と戦争
イスラーム教とはどういうものかについて考えた場合、まず、イスラーム教過激派の存在が頭に浮かんでくる人は多いようである。しかし一方で、イスラーム教とは平和の宗教だという主張をする人もいるようである。[27]イスラーム教がこうした教えの幅を現実のものとして維持している背景には、ナスフ等のツールがあるようである。 戦闘に関する規定は、メッカ時代初期の戦闘禁止から、防衛戦のみ、そして戦闘一般に拡大した。メッカ時代初期の戦闘禁止においては、防衛のための戦いも認められてはいなかった。神の手に運命をゆだねて耐え忍ぶことが推奨(2章109節)されていた。[28] それに関連したこととして、106章1には、「クライシュ族をして無事安泰に」という句がある。これはごく初期の啓示であるとされている。強情な偶像崇拝者であっても、無事安泰を祈れ、すなわち敵の平和を祈り行動せよということが言われている。[29]この、①「敵の平和を祈り行動せよ」という句は、メディナ期での、戦闘一般を推奨した(剣の句と呼ばれているところの、9章5)②「多神教徒は見つけ次第殺せ」という句と、①と②が矛盾していることがわかる。[30]結果的に見て、イスラーム教の信者は、①の啓示で②の啓示をナスフするか、②の啓示で①の啓示をナスフするかによって、自分の生き方が大きくシフトしてしまうという立場に置かれているといえる。こうしたことから、平和と戦争の間を揺れ動いているイスラーム教徒の相反する見方が、成立しているようだ。 イスラーム教では、信条や教義が、キリスト教ほど重要ではない。思想の正しさよりも、行動(六信五行等)の正しさを重視している。五行さえ守っていれば誰もがムスリムであるとされる、とする見解がある。[31]
イスラーム教過激派の原理主義者の中には、彼らの戦闘的イデオロギーがムハンマドの生涯に基づいていると主張する者がいる。[32]また、イスラーム法の指導者は、スーフィズム等の、ムスハフの平和的な内的解釈をする者を異端者として断罪するのに対して、イスラーム教過激派をイスラームとして容認している現状もあるとされる。[33] [34]
神の自己認証の実際
最初期の啓示について
人間観・世界観の矛盾とナスフ
参考文献
『クルアーン入門』松山洋平編 作品社 2018年 松山洋平 小布施祈恵子 後藤絵美 下村佳州紀 平野貴大 法貴 遊 共著
『聖典「クルアーン」の思想』大川玲子著 講談社 2004年
『コーラン 1』藤本勝次 伴康哉 池田修 訳 中央公論新社 2002年
関連項目
脚注
- ^ ムスハフには、前後相矛盾する句がいくつか含まれている。『コーラン 1』藤本勝次 伴康哉 池田修 中央公論新社 2002年 P60 注25
- ^ 真理とされるものや、神の言葉とされる書物を扱う宗教において、真理は不変のものである、というのが通常である。もし仮に、開祖から時代を隔てた時点にいる信者が、よりよく変わりたいと考えた場合、それは、初期の教えに還れ、とか、原点に還れと言った方針のもとに行われるのが一般的であると言える。異教徒にとってナスフという言葉が耳慣れない感じがするのは、初期の真理や神の言葉を取り消したり破棄したりする、という概念が理解できないためである。なぜなら、最初期に説かれたことを教えの原点とするならば、ナスフするという行為は、原点を破棄するといった意味合いがあるためである。
- ^ 『聖典「クルアーン」の思想』大川玲子著 講談社 2004年 P124
- ^ 神の真理の啓示の訂正という形で、ムスハフにナスフが出てくる箇所があるとする見解もある。それは53章19節に関係したところで、「これらは高貴な鶴たちで、それらのとりなしは認められる」という言葉であるとされる。この箇所についての意見として、タバリーは、この啓示はシャイターン(誘惑者)によって言わされたものだと主張している。(『マホメットの生涯』ビルジル・ゲオルギウ著 中谷和夫訳 河出書房新社 2002年P117)(『ムハンマド』カレンアームストロング著 徳永理沙訳 国書刊行会 2016年 P71)「啓示の訂正」を通して、神は特定の預言者に啓典を授けようとしているとき、それを変えることができるという重要な原則がここで確立されたとされている。(『ムハンマド』カレンアームストロング著 徳永理沙訳 国書刊行会 2016年 P72)、これがナスフのはじまりと考えることも出来るようだ。
- ^ 結果的に見るとそのことは、カアバ時代の初期に下された厳粛で神の権威に満ちた啓示をはじめ、それ以前に下されたモーセ、イエスの教えをも、取り消すことがあると言うことを示している。
- ^ こののち千年以上もキリスト教との敵対視がされたままであるところを考えると、この句にある矛盾は、かなり歴史的に大きな矛盾であるといえる。57章27節において、神は、イエスを立てて福音を授け、これに従う人々には、慈悲の心とやさしい気もちとを置いた、ということを言っている。この言葉は、慈悲の心がイエスの教えと行動の原点であったと言うことと解釈できる。しかし、この評価も、イスラーム教徒に対するキリスト教徒の批判を受けるに及ぶとともに、正反対に逆転した。キリスト教徒が批判的になったその原因としては、キリスト教に対する神の啓示の不明確さと矛盾が、キリスト教徒に知られてしまったからであった。
- ^ 『コーラン 中』井筒俊彦 岩波書店 1958年 P88 の注
- ^ モーセの「律法の書」、ダビデの「詩編」はイエスの「福音の書」によって取り消され、イエスの「福音の書」は、「クルアーン」によって取り消されたとされている。『聖典「クルアーン」の思想』大川玲子著 講談社 2004年 P125
- ^ 『イスラームの歴史』カレン・アームストロング著 小林朋則訳 中央公論新社 P11
- ^ 当時、ムハンマドの住んでいた地域のキリスト教は、異端とされるものであったようであり、ユダヤ教は部外者に聖典を見せることはないので、タナハではなく、旧約聖書を指していたようである。
- ^ 『聖典「クルアーン」の思想』大川玲子著 講談社 2004年 P126
- ^ 『聖典「クルアーン」の思想』大川玲子著 講談社 2004年 P127
- ^ バビロン捕囚を契機として、タナハが書き直された。そのときに、モーセは他との協調を図りながら一神教を信仰してきた、という信仰の在り方が否定された。そして、他の神々を認めない絶対的一神教が、ユダヤ教の教義として確立された、という見解もある。『一神教の誕生』講談社現代新書加藤隆著P72
- ^ 『聖典「クルアーン」の思想』大川玲子著 講談社 2004年 P128
- ^ イエスの死後、様々な宗派と多くの福音書が残されていたが、それを四福音書しか残らないようにしたのは、現行のキリスト教であるという見方がある。こちらの説の方が、歴史的であるとされている。
- ^ 『クルアーン入門』松山洋平編 作品社 2018年 P225 下村
- ^ 異教徒にとって、現代における発達した「ナスフ」やその他の概念とその内容は、難解な法律用語と同じく、専門的過ぎて、ほとんど理解できない事態となっている。
- ^ 『クルアーン入門』松山洋平編 作品社 2018年 P243 下村
- ^ 『聖典「クルアーン」の思想』大川玲子著 講談社 2004年 P32
- ^ 『聖典「クルアーン」の思想』大川玲子著 講談社 2004年 P32
- ^ 『聖典「クルアーン」の思想』大川玲子著 講談社 2004年 P124
- ^ 『イスラーム文化』井筒俊彦著 岩波書店 1991年 P38
- ^ https://courrier.jp/news/archives/87519/
- ^ 5人目以降の妻を持つ場合にはウラマーに申し出て正当な理由であることを証明するファトワーを発行してもらう必要があるとされる。異教徒から見ると、その国の事情が、神の言葉と制限を変えていると言える。また、その時代にあわせて神の言葉を解釈するという行為自体が、宗教よりも政治を重視している態度であると見ることが出来る。この例のように、為政者の都合に合わせて、神の言葉に反する大がかりな解釈によって、法学者は、シャリーアを用いている場合があると見ることが出来る。
- ^ このことは、アラブの領土についても、言えるかもしれない。神は、イスラエルの民に、すぐれた居住地を備えてやった(今の領土の所有権がある)との啓示がある(10章93節)からである。また、ムスハフ(7章137節)には、海を渡るまえのところの東西にわたって、これをイスラエルに継がせたとある。10章93節により、東に該当するのはイスラエルであるとすると、エジプトからパレスチナに至るまで、神は、イスラエルの民にこれらの土地の所有権を与えたということになる。(井筒俊彦訳の「コーラン」が解りやすく訳されている。)
- ^ 『一冊でわかるコーラン』マイケル・クック著大川玲子訳 岩波書店 2005年 P64
- ^ 『クルアーン入門』松山洋平 作品社 2018年 P1
- ^ 『クルアーン入門』松山洋平編 作品社 2018年 P357 下村
- ^ 『コーラン下』井筒俊彦著岩波書店1958年 P305の注
- ^ およそ予言者たるものは、地上の敵を思う存分殺戮した後でなければ、捕虜など作るべきではない(8章 67節)、ともされている。
- ^ 『イスラームの歴史』カレン・アームストロング著 小林朋則訳 中央公論新社 2017年 P88
- ^ 『ムハンマド』カレン・アームストロング著徳永理沙訳 2016年国書刊行会 P13
- ^ 『ムハンマド』 カレン・アームストロング著 徳永理沙訳国書刊行会 2016年 P14
- ^ ナザレのイエスは、「わたしに負債のあるものをわたしが赦しましたように、わたしの負債を赦してください」、「平和をつくりだす者は幸いである、彼らは神の子と呼ばれるであろう」と言ったとされる。これらは、初期の啓示である「敵の平和を祈り行動せよ」というイスラームの最初期の教えに近いように思われる。