ハーレフ城
ハーレフ城 Harlech Castle | |
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ハーレック、グウィネズ、ウェールズ | |
座標 | 北緯52度51分36秒 西経4度06分33秒 / 北緯52.86度 西経4.10916度 |
ハーレフ城(Harlech Castle)は、ウェールズ北西部の都市ハーレフ(ハーレック)にある城。ハーレック城ともいう[1]。ハーレフは「美しい岩」を意味する[1]。1986年、カーナーヴォン城、ビューマリス城、コンウィ城とともにグウィネズのエドワード1世の城郭と市壁として世界遺産に登録された。
特徴
ハーレフ城は高さ60メートルの丘の上に建つ、外郭の内側に2棟の塔を備えたゲートハウスと4つの塔を備えた内郭を持つコンセントリック型(多重環状城壁)の城である。山上に建てられたため、敷地面積は比較的小規模である。東側以外は急峻な崖に囲まれており、補給に難があるものの武力攻撃に対しては堅牢な城であった[2]。現在は堆積によって海岸から800メートル離れているが、建設当時は海とドゥイリド川の河口に面しており、籠城中は崖側から海路による補給を受けた。
現在は外郭より外側の防御施設の大半は失われている。
周辺道路の一つのフォルズ・ペン・スレフは、世界一急な坂として2019年にギネス世界記録に認定された[3]。
歴史
1283年にイングランド王エドワード1世が第2次ウェールズ遠征の拠点として建設を開始し7年後の1290年に完成した[2]。設計にあたったマスター・ジェイムズは完成後に城守となって3年間この城で過ごしている。
1294年に発生したマドッグ・アプ・ルウェリンの反乱で包囲された際は海上補給によって持ち堪えたが、1401年に発生したグリンドゥールの反乱の際にはフランス艦隊による海上封鎖によって補給を絶たれ1404年に落城している[2]。 1461年から1468年には、ウェールズの反乱拠点となった。
薔薇戦争ではランカスター派のダヴィズ・アプ・ユアンに守備されていたが、ヨーク派のペンブルック伯ハーバートの軍に包囲され、1468年に降伏している[2]。17世紀の清教徒革命では議会派軍に包囲され、1647年に落城している。
脚注
- ^ a b 水野久美『世界の天空の城 歴史ロマンあふれる夢想遺産』青幻舎、2016年、86頁。ISBN 978-4-86152-572-8。
- ^ a b c d フィリップス 2014, pp. 104–107.
- ^ “「新世界で一番急な街路」 ウエールズの勾配37.5%の急坂”. MSNニュース. (2019年7月18日) 2020年2月8日閲覧。
参考文献
- J・E・カウフマン、H・W・カウフマン共著、ロバート・M・ジャーガ絵、中島智章訳「中世ヨーロッパの城塞 攻防戦の舞台となった中世の城塞、要塞および城壁都市」マール社
- チャールズ・フィリップス 著、井上廣美 訳『イギリスの城郭・宮殿・邸宅歴史図鑑』原書房、2014年。ISBN 9784562051069。