マイアミ・バイスのフェラーリ
1980年代に大ヒットしたアメリカのテレビドラマ『特捜刑事マイアミ・バイス』シリーズで、主人公ソニー・クロケットがフェラーリのスポーツカーを愛用する。
シーズン1~2ではフェラーリ365GTS/4(通称デイトナ・スパイダー)のレプリカモデル、シーズン3~5ではテスタロッサを使用した。
車 名 | 使用期間 | ナンバー プレート |
外装色/内装色 | 入手経路 | 年 式 (ベ-ス車両) |
現 況 | 識別 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
フェラーリ デイトナ・スパイダー |
シーズン1~2 1984~1986年 |
フロリダ州 デード郡 ZAQ178 |
ブラック/タン | トム・マクバーニー製作
アル・マルディキアンから購入 |
1976年型 (シボレー・コルベットC3) |
ヴォロ・オートミュージアムに展示中 (イリノイ州ヴォロ) |
1号車 |
1981年型 (シボレー・コルベットC3) |
ジョージア州のコレクターが所蔵 | 4号車 | |||||
フェラーリ テスタロッサ |
シーズン3~5 1987年~1989年 |
フロリダ州 デード郡 AIF00M |
ホワイト/タン | シェラトン・フェラーリより譲受 | 1986年型 | スワップショップに展示中 (フロリダ州フォートローダーデール) |
#63259 |
1986年型 | ベルギーのコレクターが所蔵 | #63631 | |||||
カール・ロバーツ製作 | 1972年型 (デ・トマソ・パンテーラ) |
番組終了後に廃棄処分 |
フェラーリ・デイトナ・スパイダー(シーズン1~2)
デイトナ・スパイダー(レプリカ)の誕生
ソニー・クロケットのデイトナ・スパイダーは起業家アルバート・マルディキアンによって誕生した。彼は30代の頃から「トレンドインポート」という独自の輸入車ディーラー網を築きスーパーカーや高級車の販売を始めたほか、クラシックカーのレプリカキットやスーパーカーのカスタムカー製作などでも成功し自動車業界では名の知れた人物だった。フェラーリ400リムジン、カウンタックSS(LP400スパイダー)などは奇をてらうだけでなく完成度の高さも評価された。
あるときシボレー・コルベットC3を利用してACコブラを作れないかと協力会社のマクバーニーコーチクラフトのオーナー、トム・マクバーニーに相談をしたのだが、ACコブラのホイールベースは20センチ以上短くボディサイズも違いすぎると言われ諦めかけた。そこで目を付けたのがショールームに展示していたフェラーリ365GTS/4、米国での通称デイトナ・スパイダーだった。ボディサイズはほぼ同じでホイールベースの差はコルベットより8センチ短い程度である。365はFRPボディの成形型を作るためマクバーニーの工場に運び込まれた。
1年後の1982年、試作の1号車を完成。マルディキアン発注の4台(試作車を含む)と、マクバーニーが兄から個人的に頼まれた1台の計5台を製作した。これらは「マルディキアン350GTSターボ」と名付けられた。また原形となった1973年型365GTS/4は1988年にオークションに出品されサンディエゴ近郊ラホヤのスポーツカー専門店が落札した記録が残っている。
マイアミバイスへの起用
ちょうどその頃、プロデューサーのマイケル・マンは新しい警察ドラマ「マイアミ・バイス」の製作準備をしていた。友人の俳優ダン・ハガティからドラマにぴったりのスポーツカーを見つけたと連絡を受ける。ダン・ハガティはロサンゼルスにあったトレンドインポートの常連客であり、出来上がったばかりのデイトナ・スパイダーを目にしてマンに薦めたのだった。大のフェラーリ好きのマンはすぐにディーラーを尋ね、パイロットフィルム(第1話)用に黒の4号車をレンタルすることが決まった。その後シリーズ化が決定した際、ユニバーサルは1号車(試作車)と4号車の2台をそれぞれ4万9千ドルで購入した[1]。
1号車は赤だったので黒で再塗装した。試作車のため細部の作りは粗雑だった。アクリル板のヘッドライトカバーは4隅に取付ビスが露出しており、その中央にあるべきエンブレムも少し上のエンジンフード先端にあった。このエンブレムは番組スタッフがパーツを取り寄せたものの、車の情報が乏しかったため取り付ける位置を間違えたと言われている。ブレーキ灯とウィンカーの位置は左右が逆なうえ激しい走行で度々落下した。さらにベースの1976年型コルベットには事故歴があり右側のホイールベースが約40mmも短かった。
メーター周りやインテリアはコルベットのままほとんど変えておらず、黒を基調とする内張りをフォートローダーデールにあるスコット・ドライジン/ヘッズアップインダストリーズ(現在のHead Up Industies)の手で365GTS/4に似せた明るいタン色レザーに張り替えた。シーズン1の第2話以降に登場するデイトナはほとんどがこの1号車である。外観やダッシュボード周りの欠点はシーズン2を境に大幅に改良されたがスタント撮影用という扱いだった[2]。
もう1台の4号車は1981年型がベースで、4台目ともなると作りが良く俳優と共にアップで映っても見栄えがした。インテリアやシートはそれらしく仕上がりサンバイザーも装備する。このサンバイザーは両側に付いていることもあれば、運転席側のみだったり助手席側のみだったりとシーンによって度々変わる。
2台ともオートマチック車で、標準のブレーキペダルの左側にもう一つ後輪のみを制動するブレーキペダルを追加し簡単にスピンターンが出来る細工がしてある。
本物との違いで最も特徴的なのは三角窓が無いこと。他に、ブレーキ灯と方向指示灯の配列が逆さな点、角型4灯ヘッドライト、アルファロメオのドアハンドルなどである。
本物のデイトナ・スパイダー
ドラマでは本物の365GTS/4が2回登場している。ちなみに「デイトナ」という呼び名は1967年のデイトナ24時間レースで優勝した際にマスコミが広めたもので、フェラーリが公式に「デイトナ」と呼んだことは一度もない。
- 黒のデイトナ
シーズン1・第1話(パイロット)「血闘サブマシンガン!巨大組織を叩きつぶせ!」では黒の365GTS/4が映る。
この車はフロリダ州に住む医師から借りたもので、運転はTIDEフェラーリレーシングチームのプロドライバーに委託し走行シーンは平床トレーラーに載せて撮影するなど注意深く行なったのだが、撮影中にボディに傷を付けてしまった。修理費は千ドル程度の軽微なものだったが使用はこの1回限りとなった。結局走行シーンは使用されることはなく、路肩に停車している10秒程度のシーンのみとなった[3]。
オーナーのロジャー・W・シャーマン氏(1938-2015)は、心臓血管外科医として活躍しながら過去に空軍に在籍していた経験から趣味で小型ジェット機やヘリコプター、水上飛行機等を所有したことがあり航空機評論家としても有名な医師であった[4]。
シャーマン氏がこの1972年型365GTS/4を新車で購入したときはダークグレーメタリックのボディと赤のインテリアだったが、彼の好みで黒のボディとタンのインテリアに替えられた。1980年代中頃に俳優のジョージ・ハミルトンに売却され、間もなくオーストラリアのコレクターの手に渡り、2005年頃にはドイツに渡った。このドイツ人オーナーにより2年をかけてレストアされ現在はオリジナルのカラーに復元されている[5]。
- 黄色のデイトナ
シーズン2・第14話「白昼の凶弾!血に飢えたヒットマンを追え!!」で、自動車整備工場と空港のシーンで黄色の365GTS/4が映る。
現在フォートローダーデールのスワップショップに展示されている黄色の365はこの時の車と言われている。
フェラーリ・テスタロッサ(シーズン3~5)
デイトナからテスタロッサへ
番組のヒットと共にデイトナ・スパイダーは大人気となったが、一方でこの成り行きを快く思わない人物がいた。フェラーリの社長エンツォ・フェラーリである。シーズン2を放映中の1985年頃からフェラーリ社はコピー品を製造販売するメーカーに警告文を送り始めた。
さらに偽デイトナの排除と自社製品のプロモーションを兼ねて、フラッグシップモデルのテスタロッサを無償で提供する案を提示してきた[6]。マイケル・マンはこの申し出を快諾したというが、フェラーリとのトラブルを避けるためだったとも考えられている。
マイケル・マンは走行シーン用とカメラ取付用の2台のテスタロッサを要望し、代わりにフェラーリ側は偽デイトナを2度と使わない条件を設けた。しかし問題はソニー・クロケットが”命の次に大事な”デイトナをそう易々と交換させられない点である。カーチェイスでクロケットが事故を起こして大破する脚本にマンは納得せず、もっと劇的かつ決定的な結末をと思い付いたのがスティンガーミサイルで木っ端微塵に爆破するシーンだった。
デイトナが爆破されるエピソード「無差別テロリストの恐怖!」(リーアム・ニーソンがゲスト)はシーズン3・第7話の予定だったが、NBCはこのセンセーショナルなシーンこそ新シーズンのオープニングに相応しいと考え1話に移動した。こうして1話用に作られた「復讐のガンマン・最後の決闘!」(ウィリー・ネルソンがゲスト)と差し替えたため、爆破されたはずのデイトナが7話に再び登場するという矛盾が発生してしまった[7]。
提供されたのは黒のテスタロッサで「無差別テロリストの恐怖!」にテロリスト一味が所有する車として登場する。その後1台を損傷させてしまい、それをきっかけに夜間撮影でもボディラインがはっきがする白で塗装された。ドン・ジョンソンが大破したという噂もあったが真相はわからない。
テスタロッサのスタント専用車
シーズン1が終了する頃、酷使されるデイトナを修理するためテネシー州からRMG(ロバーツ・モーターグループ)のカール・ロバーツを連れてきた。彼は番組のスタントコーディネーターの知り合いでドラマや映画に使用する車の改造を手掛けていたほか、コルベットのカスタムの第一人者としても知られていた。番組ではシーズン3に向けてさらに精巧なデイトナスパイダーを用意しようと彼に3台目の製作を依頼した。
そこにテスタロッサの話しが舞い込んできたため3台目のデイトナは中止になったが、代わりにテスタロッサのスタントカー製作をすることになる。
ロバーツはデイトナ1号車の車台を使用するつもりでいたが、フロントエンジンのため低いノーズが納まらない。そこでベース車両として使えそうなスポーツカーを調べあげたところ、ホイールベースやコクピット位置がデ・トマソ・パンテーラに近いことがわかった。状態の良い1972年型パンテーラを3万ドルで買い付け、テスタロッサの事故車のパーツを利用してFRPでボディパネルを製作した。パンテーラの床面はテスタロッサより10cmも高くコクピットが納まらないため、フロアパンを切断し10cm低い位置に溶接して対応した。フロントフェンダーとエンジンフードはワンピースにして修理やカメラの設置が脱着が容易に行なえるようにした。様々な工夫をしながらも改造は容易だったという。
エンジンはプレデター製のキャブレターと亜酸化窒素(NOS)の添加装置でパワーアップされ発進時や旋回時のホイールスピンを確実にした。実は本物のテスタロッサはアクセルを急に踏み込むとエンジンストールする欠点がありホイールスピンのシーンでは撮り直しが多かったという。
ブレーキはチルトン製のキャリパーとボルボP1800から移植したブースターで強化し、デイトナと同様に後輪専用のブレーキペダルを追加した。他に、運転者が素早く脱出できるよう取外し可能なステアリング、マイアミの暑さに耐えられるNASCARでも使われるモディーン製の大型ラジエーター、急傾斜のフロントガラスを支える6センチ角のロールケージ等を装備する[8]。
本物との違いはAピラーからルーフへの継ぎ目が角張っている点が最も特徴的で、その他サイドエアインテーク周りの納まり寸法やアルミホイールで判別できる。
フェラーリ社による訴訟
「マイアミバイス」のヒットに便乗して欧米では12社以上がデイトナスパイダーのコピーを製造していたと見られる。フェラーリ社の警告を受けながらもそれらはコピーではないオリジナル商品として販売されていた。
トム・マクバーニーは番組のヒットのおかげで100台近い”カリフォルニア・デイトナスパイダー”を販売し、さらに20台の受注を受けていた。
カール・ロバーツも番組で得た知識を生かしてコルベットをベースにした”マイアミスパイダー”(デイトナ)を約80台を売り、デ・トマソ・パンテーラよりも安価なポンティアック・フィエロをベースにした”マイアミクーペ”(テスタロッサ)2台を受注していた。マイアミクーペは完成車が5万ドル、キットが8,500ドルだが売れたのはほとんどがキットだったという。
フェラーリ社が警告を発し始めて3年が過ぎた1988年、マクバーニーとロバーツを含む4社を相手に訴訟を起こした。(生みの親であるアル・マルディキアンは輸入車2,000台あまりの衝突安全性や排気ガスを示す書類を偽装した容疑で有罪となり既に廃業していた[9])
被告側は「問題の365GTS/4は販売終了後15年以上が経ちフェラーリの販売台数に影響はない」「購入者は本物ではないと理解している」「エンブレムやロゴは購入者が後から勝手に付けるもので我々は使用していない」等と反論したが、原告の訴えは認められた[10]。わかりやすい例ではエンブレムを隠した様々な車の写真をランダムに選んだ回答者に見せるテストを行なったところ、デイトナを見た73%が、テスタロッサを見た82%が、「フェラーリの車」と答えたという。つまりフェラーリの魅力的なデザインを真似るのは登録商標の濫用と同じことであり、購入者や車を見た者はコピーと知りながらもフェラーリの車だと意識している、と裁判所は判断したのだった[11]。こうして全てのフェラーリレプリカの製造販売の停止が命じられた。
敗訴したマクバーニーはその後サンダーランチ”ThunderRanch”という新会社を興してVWタイプ1をベースにしたポルシェ356、550等のキットカー[12]を販売し順調に仕事を続けた。オリジナル作品の”34Lightning”は'90年代最高のホットロッドの一台と称賛されたほか[13]、サンディエゴ大学と共同開発したハイブリッド車”RIOT”も話題になるなどした後、2012年にサンダーランチの権利を売却しその後解散した。
RMG(ロバーツモーターグループ)は判決が出る前に倒産したが、カール・ロバーツ自身はテネシー州で自動車関連会社のロバーツラジエーターを営んでいる。
フェラーリの行方
2台のデイトナ・スパイダー(レプリカ)の行方
ドラマで使われたデイトナは2台とも無事に残っている。
シーズン3で爆破したのは5千ドルをかけて特注で製作した1/8スケールのミニチュアモデルだった。このシーンの撮影は「ナイトライダー」などを手掛けた特殊効果スタッフによりロサンゼルス郡ズマビーチ近郊で行なわれた。
- 4号車
シーズン2が終了した1988年、カール・ロバーツの関係者を通じてサウスカロライナ州の一般人に買い取られた。その2年後ジョージア州のコルベット愛好家の手に渡って現在に至る。
この愛好家はユニバーサルがマルディキアンから購入したときの1号車と4号車の登録証も持っているが、車の偽造を防ぐため内容を一切公表していない[14]。
- 1号車
1号車はロバーツの工場に2年ほど置かれたあと、再び大きく手を加えられて「キャノンボール3」(1989)で4年ぶりに姿を見せた。撮影終了後カリフォルニア州に運ばれたが、エンジンブローを起こしたためロバーツの知人が所有するテキサス州ラボックの修理工場に預けられた。その後は野ざらしで放置してあるらしいという情報を最後に、廃棄処分になったと考えられていた。
ところが2006年頃、同じラボックでFLAT12という自動車ディーラー/仲介業を営むトム・ソウターとジェフ・アレン親子によって1号車と見られるデイトナが発見された。息子のジェフ・アレンはCNBCが放送する「カーチェイサーズ」(行方不明の名車を捜すリアリティ番組)の司会も務めており、この様子を2015年放送のシーズン3エピソード8 ”Jeff's Vice”で紹介している[15]。 父親のソウターによれば、仕事仲間の自動車工場のバックヤードに黒のデイトナスパイダーが十数年前から放置してある話しを聞きつけ、あのマイアミバイスの車だと直感して買い取ったのだという。発見された時の状態は酷いもので革シートやステアリングは色褪せヒビだらけになりカーペットも無くなっていたが、ドン・ジョンソンが運転していた車と思われる特徴はすぐに見つかった。
- スタントカーでしか見ることのない2つのブレーキペダル。
- エンジンルームに取り付けられたカメラ設置用と思われるマウントベース。
- エンジンフード先端の裏側にあるエンブレム取付用と思われる穴を埋めた痕。
ひとつだけ大きく異なる点は、劇中ではコルベットのままだったダッシュボードとメーターパネル周りがオリジナルの365に似せた形状になっていることだが、「キャノンボール3」のときに改良されたと考えられる。
車はほんの少し手直しされたあとeBayに出品され、イリノイ州ヴォロのヴォロ・オートミュージアムが落札した。
この自動車博物館のオーナー、ブライアン・グラムスはマイアミバイスの大ファンだという。彼がさらに検証を進めると、
- 右ホイールベースが約40mm短い。
- 製作者マクバーニーが「ベース車は緑を白に塗り替えたコルベットだった」と言った通り、Aピラーの根本部分を削ると黒の下にはマクバーニーが塗った赤、その下に白、最下層に緑色のペイントが現れた。
など、1号車と考え得る根拠が十分に揃ったのでブライアンは博物館のホームページで『マイアミバイスのデイトナを手に入れた!』と宣伝した。しかし残念ながらインターネット上で肯定的な反応は少なかった。実際、「これが本物のマイアミバイスカーだ」という見出しの中古車サイトや個人のブログが度々現れることを考えれば疑われても仕方のないことである。
なんとしても真相を知りたいブライアンのところへ、4号車の所有者(ジョージア州のコルベット愛好家)の友人だという人物がコンタクトを取ってきた。ブライアンの手助けになればと、車体にあるVIN(車両識別番号)を送ってくれたら登録証と照会してくれるという。早速その人物に送ってみたのだが、番号は違っていた。
ブライアンはひどく落胆したが、改めて車を調べるとVINが打刻されたフレームの一部は後から溶接した痕があり、フロントウィンドウ下のVINプレートを留めるリベットも1970~1980年代のGM純正部品ではないことが判明した。マイアミバイス終了後、どの時点かわからないがVINを移植しているようである。
他に手掛かりはないかGM社に問合せてみると、車の生産過程でフレームの他の場所にもVINを打刻しているという。コルベットC3の場合、完成すると隠れてしまうサイドシルの裏側辺りなのだが、彼は思い切ってサイドシルカバーに覗き穴を空け本物のVINを確認した。再度、4号車の所有者の友人にそのVINをメールで送ったところ、数日後「同じ番号だ」という電話がありようやく確証を得ることが出来た[16][17]。
ブライアンはこの車両を出来るだけドラマに近い姿に復元して、現在ヴォロオートミュージアムで展示している。
後にブライアンはカール・ロバーツに直接電話をかけてみた。VINが変えられている理由は、フロントウィンドウ枠を接触させてしまったことがありその修理のときに取り替えただけのことで「最初に電話をくれたらすぐに教えてやったのに」と言ったという。ただこれについては憶測ではあるが「キャノンボール3」の撮影場所であるカナダに運ぶ際に登録証がないと国境を越えられないのでVINを移植したのだろう、という説が最も有力である。
3台のテスタロッサの行方
番組で使用したテスタロッサは、本物が2台とスタント専用に作られたレプリカモデルの計3台である。
フォートローダーデールのシェラトンフェラーリから譲られた2台は1986年型の北米仕様車で、運転席側の高い位置にサイドミラーが付く初期型である。イタリア語でモノスペッキオ(Mono=1枚、specchio=鏡)、アメリカではシングルウィングミラーまたはフライングミラーと呼ばれるこのタイプがアメリカで販売されたのは1985~1986年モデルのみで、アメリカ国内に正規輸入された2,105台のうち421台。アメリカの安全基準により1987年からはAピラー下端の両側に付くタイプに変更になった[18]。
これらのテスタロッサはVIN(車体識別番号)の下5桁、ZFFSA17AXG00”63259”、ZFFSA17AXG00”63631” で区別されている。
- #63259
シーズン5が終了した1989年、#63259は75万ドルでフォートローダーデールのスワップショップが買い上げ、現在も同店の展示館で公開している。ここでは黄色の365GTS/4が並んで置いてあるが、シーズン2・第14話「白昼の凶弾!血に飢えたヒットマンを追え!!」と同じ車体と言われる。
- #63631
#63631のほうはマイアミのRMC(リアルマッスルカー・ブティック)に引き取られたが、2017年にバレットジャクソンのオークションに175万ドルで出品された[19]。
番組終了から28年間、ほとんど動かしたことはなく走行距離はわずか16,000マイル(約26,000キロ)程度。フェラーリがユニバーサルに譲渡したときの証明書や登録証、整備記録が付き、出品する直前には8千ドルをかけて機関部のメンテナンスを施した非常に状態の良い車体である。ソニー・クロケットが使ったモトローラの自動車電話も付いている[20]。結果は希望価格を大幅に下回る75万ドルでジョージア州のアダムスクラシックコレクターカーズが落札し、その後ベルギーのコレクターの手に渡ったという。
- スタントカー
デ・トマソ・パンテーラをベースに製作したスタント専用車はフェラーリとの約束で番組終了と同時に解体処分されたとされている。が、製作者のカール・ロバーツが自社工場に持ち帰ったという説もある。
フェラーリとマイアミバイス
マイケル・マンのフェラーリ
「特捜刑事マイアミ・バイス」のエグゼクティブプロデューサーであるマイケル・マンは大の車好き、中でもフェラーリの大ファンであった。
「ザ・クラッカー/真夜中のアウトロー」(1981)が完成したときに初の劇場用作品を作り終えた自分への褒美として黒のフェラーリ308GTAを購入した。その後もテスタロッサ、575マレネロ、599GTOの所有歴がある。テスタロッサは1986年型のモノスペッキオで、希少な青メタリックボディと赤のインテリアの組み合わせ。カリフォルニアの自宅で10年ほど所有した後、サザビーズオークションに出品した。落札したフランス人コレクターはしばらくコンテナに入れて保管していたが、2015年にフェラーリの工場があるイタリア・マラネロに輸送して出荷時と同じコンディションまでレストアしたという[21]。
2008年発表のカリフォルニアではコマーシャルフィルムの監督に抜擢される。
2020年の映画「フォードvsフェラーリ」では製作総指揮を、2021年には長年構想を温め続けてきたエンツォ・フェラーリの伝記映画 ”Enzo Ferrari”の監督を務めている[22]。
ドン・ジョンソンのフェラーリ
シリーズが終了する頃、フェラーリの名を世界中に広めたドン・ジョンソンに感謝の意を表してフェラーリ社は1989年型テスタロッサを贈呈した。シルバーのボディとライトグレーのインテリアの珍しい組み合わせはフェラーリの特製である。
この車はマイアミの彼の自宅に置かれ運転する姿も度々目撃されていたが、2003年にテスタロッサを含む6台の車のコレクション全てを売却してしまった。その中には前妻のメラニー・グリフィスから譲り受けた1949年型フォードF1(ピックアップトラック)や「刑事ナッシュ・ブリッジス」で使用した1970年型プリマス・バラクーダなどもあり突然起こした行動に注目が集まったが、彼が破産申し立てをしたのはその翌年だった。
売却時の走行距離は15,000マイル(24,000キロ)足らずで整備も行き届いていたという。アリゾナ州のオーナーを経て、現在はメリーランド州のコレクターが所有している。
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