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箭ノ根ヶ原遺跡

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この下書きは記事名前空間にあります。このページを自分の利用者スペース移動するか、{{User sandbox}}テンプレートを除去してください。 箭ノ根ヶ原遺跡(やのねがはらいせき)は西三ツ木箭ノ根(旧地名、現在の三ツ木台222番地ほか)にあり、JR八高線金子駅の東方約1kmの台地上に立地している。遺跡の北側には霞川が東流し、また南側には木蓮寺地区を谷頭[注釈 1]とする細長く浅い谷に画されて、東西に広がる台地上にある。現地の標高は148m前後で遺跡の東側、上谷ケ貫地区では標高が下がり、霞川の沖積面[注釈 2]と同レベルとなり、本遺跡の東限となっている。遺跡の規模は東西250m、南北100mで発掘調査を実施した主要部分は遺跡の西部にあたる。[1]遺跡名となっている小字名の「箭ノ根」は付近一帯で土器片、石器と共に多く石鏃(矢ノ根)が散布していることに由来するといわれている。[2] 本遺跡は縄文時代中期の竪穴式住居跡を中心とした遺跡群であるが埋蔵文化財である。したがって遺跡そのものを見ることはできないが、みつぎ台公園(入間市三ツ木台222番地)に公園説明板があり、ここに遺跡があることを確認することができる。以下に説明板の文面を紹介する。

みつぎ台公園入口風景
みつぎ台公園説明板全景
ファイル:みつぎ台公園銘板02.jpg
説明板の文面
みつぎ台公園と史跡

一 みつぎ台公園

1 名称 みつぎ台公園 2 所在地 入間市三ツ木台二二二番地 3 地積 二二六〇.一二㎡

   この公園は、昭和五十九年に設立された入間市西三ツ木土地区画整理組合の区画整

  理事業により造成されたものであり、子供達が安全に遊べる場、また地域の潤いの場

  として位置づけられている。

二 公園敷地の史跡

1 縄文時代の遺跡

   公園敷地を含むこの付近一帯は、箭ノ根ケ原遺跡と称され埋蔵文化財が数多く分布

  し、今回の公園造成工事においても、入間市遺跡調査会によって、縄文時代中期の竪

  穴式住居跡が土器、石器等と共に多数発掘された。

(以下略)

北緯35度48分40秒 東経139度20分24秒 / 北緯35.81111度 東経139.34000度 / 35.81111; 139.34000


地図
第2回(昭和61年~63年)発掘場所

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概要

  • 遺跡発掘に至る経過

発掘調査は大きく2回行われている。

最初は昭和27年夏、小泉功、大護八郎、和島誠一、長沢五郎氏等によって行われた。調査のきっかけは、同年春、金子村立中学校先生である長沢五郎氏からの「金子村から縄文時代中期土器出土」の報が小泉功氏等に届いたことによる。同氏等は発掘調査に先立ち、6月20日に旧避病院の北西側をボーリング調査し、3地点で焼土跡を確認している。そして7月27日、28日に発掘調査が実施され、縄文時代中期の住居跡1軒が検出された。[2]

その次は入間市金子地区にて土地区画整理事業が予定され、遺跡が存在する西三ツ木の予定区域内に所在する埋蔵文化財の記録保存調査が必要となったのが発掘のきっかけである。 以下に遺跡発掘調査経過について記す。[3]

箭ノ根ヶ原遺跡発掘風景(昭和62年)
  • 調査の経過
年月 主な出来事
昭和61年5月22日 建設部都市計画課と土地整理区画事業対象地域内に所在する埋蔵文化財の取り扱いについて協議する。
同年5月26日 事業対象地域全域について踏査を実施し、遺跡の範囲・試掘調査対象区域を決定し、都市計画課に連絡する。
同年12月18日 公道予定地部分について試掘を実施し、住居跡1軒を検出する。(第1調査区)
昭和62年1月19日 配管埋設予定地部分について試掘を実施し、住居跡1軒を検出する。(第2調査区)
昭和62年2月10日 入間市箭ノ根ヶ原遺跡調査会を発足する。
同年4月23日 第1調査区・第2調査区について現地発掘調査を開始する。
同年5月18日 現地発掘調査を終了する。
昭和63年5月24日・26日 公園建設予定地について試掘を実施し、住居跡3軒を検出する。(第3調査区)
同年6月13日 第3調査区について現地発掘調査を開始する。
同年9月24日 現地発掘調査を終了する。
同年10月1日 出土品整理作業を開始する。
平成2年1月31日 出土品整理作業を終了する。

所在地

埼玉県入間市大字西三ツ木字金子山241(現三ツ木台222番地ほか)

遺構・遺物

出土品(昭和53年前後)

発掘調査が終了した第1~第3調査区からは縄文時代中期の7軒の竪穴住居、13個の土壙が発見され、そこから土器石器が出土している。

出土品一覧[4]
出土場所 出土品と出土品点数
第1号住居跡 土器 4点
第2号住居跡 土器 6点 石器 9点(石器の点数は第1号および第2号住居跡の合計)
第4号住居跡 土器 4点 石器 18点
第5号住居跡 土器 5点 石器 8点
第6号住居跡 土器 2点 石器 4点
土壙 土器 1点 石器 8点
土器 22点 石器47点

注釈

  1. ^ こくとう:谷の最上流部。多く急斜面となる。 
  2. ^ ちゅうせきめん:土砂などが流水に運ばれて河口や河岸に堆積 (たいせき)してできた面 

出典

  1. ^ 埼玉県入間市遺跡調査会 「箭ノ根ヶ原遺跡」『入間市埋蔵文化財調査報告』 第10集  平成2年8月1日発行 4頁
  2. ^ a b 入間市史編さん室 『入間市史』 原始・古代資料編 1986年 58頁
  3. ^ 埼玉県入間市遺跡調査会 「箭ノ根ヶ原遺跡」『入間市埋蔵文化財調査報告』 第10集  平成2年8月1日発行 1-2頁
  4. ^ 埼玉県入間市遺跡調査会 「箭ノ根ヶ原遺跡」『入間市埋蔵文化財調査報告』 第10集  平成2年8月1日発行 9-53,62-79頁

関連項目

縄文時代の遺跡一覧
いるまの文化財(入間市公式ホームページ)
埼玉県埋蔵文化財情報公開ページ