コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

高木助一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。砧太郎 (会話 | 投稿記録) による 2020年6月2日 (火) 08:18個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (取り急ぎ大幅改稿、現状はネット資料ばかりなので書籍で補典要)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

高木助一 (たかぎ すけかず、1863年7月6日 - 1920年2月8日) は、帝国海軍に所属した明治時代の日本の海軍少将である。

来歴

鹿児島県生まれ。1882年に海軍兵学校を卒業し清輝に乗船。日清戦争には扶桑砲術長として従軍。1902年に比叡、1903年に千歳の艦長に就任し、日露戦争においてはコルサコフ海戦で二等巡洋艦「ノヴィーク」を航行不能とした。また日本海海戦では駆逐艦「ベズプリョーチヌイ」を有明とともに追撃、撃沈した。戦後は鎮遠艦長を経て舞鶴予備艦隊司令官となった。1912年予備役。退役後に『運用術参考書』を編纂している。

編著

  • 『運用術参考書』(軍港堂、1907年)

脚注

外部リンク

運用術参考書 - 国立国会図書館デジタルコレクション(保護期間満了)