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世紀の落球

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世紀の落球(せいきのらっきゅう)とは、2010年8月11日阪神甲子園球場で行われた第92回全国高等学校野球選手権大会1回戦・第2試合での、仙台育英高校宮城)対開星高校島根)戦にて起こった出来事である。

概要

第92回夏の甲子園の1回戦・仙台育英対開星戦において、9回表二死の時点でリードしていた開星は、飛球の落球によって逆転され、その後裏の攻撃で再逆転に迫るも最終的に敗戦。その悲劇性から、発端となった開星の落球は現在に至るまで各メディアで「世紀の落球」として語り継がれ、書籍「野球太郎」の公式ホームページである「週刊野球太郎」内のコンテンツでもこのプレーを「世紀の落球」と名付けている[1]

試合の流れ

本章の出典は特筆のない限り全イニング共通で同日夕方発信の日刊スポーツのスコア速報および2018年7月23日配信のweb Sportiva「悪夢の落球をした開星のセンターは、甲子園で「一生のテーマ」をもらった」を使用。

1回から8回までのダイジェスト

仙台育英は木村謙吾が、開星は2年生エース白根尚貴がそれぞれ先発投手として登板。

1回裏に開星が4番打者・出射徹の左越適時二塁打で1点先制。木村はこの他4回裏と7回裏にもそれぞれ2点ずつを奪われ[注 1]、7回裏の守備を終えた時点で一塁の守備に回って降板した。

対する白根も4回表に1点、6回表に2点を取られたものの、自らも7回裏にソロ本塁打を放って活躍するなどし、5対3と仙台育英からリードを保ったまま9回の攻防を迎えた。

9回表の「世紀の落球」

白根は9回表も続投し、この回の先頭打者であった5番打者・木村を左飛に打ち取り、続く6番打者で代打として出場した2年生・山本祐右から三振を奪って二死とした。

しかし、直後に乱れ始めた白根は、7番打者・佐々木憲に中前安打、8番打者・庄子光に死球で出塁され、続く9番打者・田中一也には、開星の遊撃手・大畑悠人の失策によって出塁を許し満塁、さらに1番打者・三瓶将大に中前適時打を浴び1点を返され5対4とされた。

続く2番打者・日野聡明が放った打球は中堅への平凡な飛球であった。日野が打った瞬間、開星ナインやベンチ、およびこの試合の観客席のほとんどが開星の勝利を確信し、実際に白根はこの瞬間、打球方向を確認するや捕手と正対してガッツポーズをしていた[2]。ところが、開星の中堅手・本田紘章が飛球を誤って落球、一転して仙台育英の走者を2人生還させてしまうタイムリーエラーとなり、5対6と逆転を許した。

白根は、3番打者・佐藤貴規を右飛に打ち取り9回表を終えた。

9回裏のファインプレー

9回裏・開星の攻撃、仙台育英の田中も乱れ、先頭打者の6番打者・石原裕也を二ゴロに打ち取ったものの、続く7番打者・篠原牧斗に対して死球を与える。8番打者・代打の江本昌平は三振としたが、さらに続く9番打者・代打の三瓶吉騎には死球を与え出塁を許した。三瓶には代走・福田一平が送られた。開星は二死ながら走者一・二塁とし、一打同点で延長戦突入、長打が出ればサヨナラ勝ちの可能性もあるという状況となった。

その中で、1番打者・糸原健斗は左中間に鋭い打球を放つ。しかし、仙台育英の左翼手・三瓶が背走で打球を追い後方へのダイビングキャッチで好捕するというファインプレーに阻まれた。これによって試合は5対6、仙台育英の勝利で終了した。

スコア

  1 2 3 4 5 6 7 8 9 R H E
仙台育英 0 0 0 1 0 2 0 0 3 6 11 2
開星 1 0 0 2 0 0 2 0 0 5 8 3
  1. (仙台育英):木村、田中 - 嵯峨、千葉、佐藤
  2. (開星):白根 - 出射
  3. 審判
    [球審]田中
    [塁審]小林、南谷、井汲
  4. 試合時間:2時間35分

出場選手のその後

仙台育英の木村と佐藤は同年のドラフト会議にて、それぞれ東北楽天ゴールデンイーグルスから育成2位、東京ヤクルトスワローズから育成3位で指名を受けプロ入り。開星の糸原は明治大学へ進学し、JX-ENEOSを経て2016年のNPBドラフト会議阪神タイガースから5位指名を受けプロ入り。2年生であった白根は翌年もエースとして開星の甲子園出場・2回戦進出に貢献、2011年のプロ野球ドラフト会議では内野手として福岡ソフトバンクホークスから4位指名を受けプロ入り。2019年現在は、糸原のみがNPBに所属している。

一方、この落球した開星の本田は、大阪体育大学に進学し、全日本大学野球選手権大会にも出場。大学進学の際には、本田に対し、白根は「大学では落とすなよ」と後輩ながらもアドバイスし、同学年の糸原も「落としたくて落としたんじゃないもんな」とそれぞれ気を掛けていた。本田はこの落球での反省と教訓を活かし、大学4年間では試合での落球ゼロを達成した[3]。卒業後は自動車ディーラーのトヨペット店(島根トヨペット)に就職した。

当事者の声

白根は、落球が起きた瞬間について「何が起こったのかわからなかった」と振り返っており、また直後にそれがタイムリーエラーとなったとわかった際には「まさか落とすとは…」と呆然としたという[4]

本田は、元来「守備だけは上手い」と評価されてきた選手であり、それ故に「捕ってから考えればいいことを捕る前から考えていた」ことが落球の原因であると後に語っている。落球直後は「これは夢か」と自らの落球を受け入れられない状態となっていたという。

開星の山内弘和監督は「甲子園で散れたことに感謝ですよ。選手にも(甲子園に出場させてくれて)ありがとう」と感謝の意を表した。山内は、開星前監督の野々村直通が2010年の第82回選抜高等学校野球大会での失言問題の責任を取り辞任したことにより[5]、野々村の後を受けて4月に急遽監督に就任し、この試合は監督としては初の全国大会での試合であった。この失敗を教訓に、在校生および翌年以降に野球部に入部した生徒に対しては、練習時を含めて怠慢な行為をした場合には「ゲームセットになるまで分からんぞ」と厳しく指導する方針を採ることとなった[4]。なお、山内は翌2011年に監督を退任し、後任には野々村が復帰した[6]

脚注

注釈

  1. ^ 4回裏の失点は二死後に崩れ、3番打者の本田に死球を与えた直後に4番打者・出射に左前安打を浴び、続く5番打者・白根に走者一掃の中越二塁打を打たれて奪われたもの。7回裏の失点は5番打者の白根に左越本塁打を打たれたものと三塁手として途中出場した2年生・大貫惇平の失策絡みのプレーによるものであった。そのため木村の自責点は4点であった。

出典