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ナンパラ銃撃事件

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中国国境警備隊と逮捕されたものの生還したチベット人、チョ・オユーのベースキャンプにて。

ナンパラ銃撃事件(ナンパラじゅうげきじけん、英語: Nangpa La shooting incident)は2006年9月30日中国国境警備隊ナンパラ英語版チベットから逃亡しようとしている非武装のチベット人難民を銃撃した事件[1]。難民たちが胸の高さまで積もった雪の中を緩慢に進んでいるとき、中国国境警備隊に遠くから銃撃された。17歳の修道女ケルサン・ナンツォが殺害され、数人が負傷し[1]、子供を含む32人のチベット人が逮捕された。逮捕された者の多くは酷刑や強制労働を耐えた後釈放されたが、2016年現在でも未だに行方不明者がいる[1][2]。中国政府は銃撃事件がおきたこと自体を否定したが、近くで登頂しているルーマニア人セルジュ・マテイがケルサンの殺害現場を撮影した[3][4]。彼がそのビデオをチベットから運び出して公開した結果、銃撃事件は世界中で新聞の一面に載る大事件となり、中国の治下にあるチベット人の運命に関心が寄せられた。

事件

銃撃事件

2006年9月30日、多くの子供を含む75人のチベット人、およびガイド2人がチベットを離れてインドダラムシャーラーにいるダライ・ラマ14世に合流しようとした。中国国境警備隊が一団に発砲、17歳の修道女ケルサン・ナンツォを殺害した。また23歳のクンサン・ナンギャルが足を2回撃たれ、国境警備隊に逮捕された。一団は非武装だったものの、中国は自衛発砲を主張した。ネパールカトマンズのチベット難民移送センター(: Tibetan Refugee Transit Center)に着いたのは41人だけだった[5]。その2週間後に一行はダラムシャーラーに到着した[4]

ナンパラはチベットとネパールのクーンブ英語版地域を繋ぐ交易路上、エベレストから13キロメートル北西のところにあった。チョ・オユーのベースキャンプからも見えたため数多くの外国人登山者が事件を目撃した。ベースキャンプでは沈黙しろという無形の圧力があったが、少なくとも2人は外の人間に連絡しようとした。マスコミではExplorersWebが率先して報道し、後に多くの外国人登山者が写真を公開、さらにルーマニア人カメラマンのセルジュ・マテイがビデオを撮って外国へと運び出した。セルジュはまた1人のチベット人に服を与え、ネパールへ越境するまで10時間匿った[1]。ケルサンの他にも7人が死亡したという噂も流れたが、後に誤報と判明した[1]

その後

雪の中で埋もれているケルサン・ナンツォの死体

事件の生還者たちはインドに到着した後、チベット人権民主センター(: Tibetan Centre for Human Rights and Democracy (TCHRD))が10月23日に記者会見を主催、生還者の1人はチベットから逃亡する目的はダライ・ラマの会見、および彼から祝福を受けることだったと述べた[6]

同日、中国当局は1人の仏教徒ケルサン・ナンツォが銃撃事件で殺されたことを認めた。事件のすぐ後、中国政府はナンパラで逮捕されたチベット人の1人が病院で酸素欠乏症により死亡したと発表したが、ビデオが公開されたことで認めざるを得なかった。国際法では国境警備隊による火器の使用は命に係わるとき、しかも最後の手段としてのみ認められており、目撃者の証言やビデオを見た政治家たちはこの銃撃事件が火器使用に条件を満たさないとしている。事件はチベットにおける人権に関心を呼び寄せ、11月30日にジュネーヴで開催された国際連合人権理事会会議では16の非政府組織が連名で国際連合人権高等弁務官ルイーズ・アルブールに対しナンパラ銃撃事件についての行動を質問したが、彼女は回答しなかった[6]

行方不明者

中国政府は被害者75人のうち18人の安否を明らかにしていなかった。そのうちの1人、事件当時14歳のJamyang Samtenは牢獄で数週間酷刑を受け、その後数か月間の強制労働を経て釈放された。彼は再度逃亡を試み、今度は成功してインドに辿り着いた[1][7]

関連項目

脚注

  1. ^ a b c d e f Green, Jonathan. Murder in the High Himalaya. 2010. ISBN 978-1-58648-714-0
  2. ^ Tibetan teen says he fled China captors. Retrieved 10 April 2010.
  3. ^ China draws a veil across the mountains The Guardian 27 Oct. 2006
  4. ^ a b Death on Tibetans' long walk to freedom The Guardian 30 Oct. 2006
  5. ^ Nangpa La Shooting – an eyewitness account. Retrieved 10 April 2010.
  6. ^ a b Human Rights Watch to China: Permit Independent Investigation into Shooting of Tibetan Refugees HRW, 27 Oct. 2006
  7. ^ Jamyang Samten. Retrieved 10 April 2010.

参考文献

  • Jonathan Green. Murder in the High Himalaya. PublicAffairs, 2010. ISBN 978-1-58648-714-0 - a book-length account of the incident.

外部リンク

座標: 北緯28度6分27.8秒 東経86度35分17.5秒 / 北緯28.107722度 東経86.588194度 / 28.107722; 86.588194