ノート:めぞん一刻
このページは一度削除が検討されました。削除についての議論はWikipedia:削除依頼/めぞん一刻をご覧ください。
ストーリー
80年代のラブコメを確立した作品です。真面目さゆえに素直になれず、すれ違う。けれど最後までテンポも落ちることなく、二人の結婚までを描いていきます。最初は二人の恋愛話ではなかったという高橋先生の意外なエピソードは有名です。ほかの「うる星やつら」「らんま1/2」「犬夜叉」などの現実では有り得ない世界の作品とは全く違います。高橋先生の作品が苦手な人でも、「めぞん」だけは大好きと言うファンもいるほどで、恋愛マンガの最高傑作の一つです。プロポーズのシーン、惣一郎のお墓の前での五代と響子の決意のシーン、最終話の最後のページは感動です。--以上の署名のないコメントは、210.142.251.243(会話/Whois)さんが 2004年4月15日 (木) 14:35 (UTC) に投稿したものです。
- この内容なら、(ネタバレさえ注意すれば)本文記事でも良いのでは? けんち 14:59 2004年4月15日 (UTC)
:思い切って書いてみました★↑--以上の署名のないコメントは、210.142.251.243(会話/Whois)さんが 2004年4月17日 (土) 00:46 (UTC) に投稿したものです。
サブタイトルについて
「冗長な全話リストを思い切って削除」との理由で削除されていましたが、冗長ではないので元に戻しました。kaz 2004年8月20日 (金) 12:23 (UTC)
- Wikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト アニメにおける議論はほぼ終息したようです。この議論によれば、単なるサブタイトルの一覧は百科事典としては冗長なので不要だと思われますので、削除を提案します。kaz 2005年8月26日 (金) 23:52 (UTC)
合意形成が十分になされたか疑問があり、議論抜きで削除された経緯があるように思います。よって、サブタイトルは一時復帰させて頂きたく思います。手続きにつきまして一定の議論の末、合意形成の結果に基づきなされればと思います。 参考情報までに他の作品の傾向と照らし合わせた場合、放映リストという形でサブタイトルが掲載されております。こちらでの削除が必要ならば、他作品との関連で一定の調整がなされるべきだと思いますので、その点も論点にすべきではないでしょうか。--Suifu 2006年6月30日 (金) 00:14 (UTC)
- 合意形成という点であれば、上に上げられているWikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト アニメで十分過ぎるほどの議論が行われています。サブタイトルリストは百科事典の記事として必要事項ではないと考えるのが妥当ということです。それを受けて既に削除されていたのでしょう。ウィキペディアはデータベースではありませんし、アニメのサブタイトルリストが、「めぞん一刻」について知りたい人に、どれほど役に立つのかという点で疑問です。他作品の傾向ということですが、それは上記プロジェクトやウィキペディアの本質を無視してでも(あるいはそれに無知で)、どうしても載せたい人が多いということに過ぎず、それがこの記事に及ぼす影響にはならないと考えます。削除を提案します。--Bossa 2006年6月30日 (金) 03:42 (UTC)
- 削除提案から10日が過ぎ、特に反対意見も無いようですので、過去の議論の結果にも則り、アニメのサブタイトルリストは削除します。--Bossa 2006年7月11日 (火) 05:28 (UTC)
wikiの記述が変です。
Wikipedia:井戸端#Wiki文法を間違えて覚えている人がいますにも書いたのですが、定義リストが正常に機能していません。なので、大幅に手を入れました。内容に干渉しないように気を付けたつもりだったのですが、そうでしたら、ごめんなさい。そうでないなら、なぜ差し戻されたのか、わかりません。良かったら、説明ください。ゆきち 2005年11月28日 (月) 14:26 (UTC)
- 横から失礼します。定義リスト部分に特に申し上げることは無いのですが、ゆきちさんに質問があります。括弧を半角にされたのは何か意味があるのでしょうか? 括弧の中が全角文字なら括弧も全角にするべきと思うのですが?(cf.Wikipedia:日本語環境#全角と半角の使い分け)--Shimotsuke 2005年11月28日 (月) 14:37 (UTC)
ありゃ「中に全角文字を含むときは全角括弧()」というルールは見逃してました。失礼。というわけで、この点は、僕のチョンボです。ゆきち 2005年11月28日 (月) 14:44 (UTC)
私のノートに質問があったので来ましたが、もう分かったようですね。kaz
- 追伸ですが、ゆきちさん、ついでにとんちんかんなど同時期に他の記事で半角括弧にしてしまったものを直して頂けると助かります。kaz 2005年11月28日 (月) 16:43 (UTC)
- とりあえず、直しました。ゆきち 2005年11月28日 (月) 18:24 (UTC)
- また半角になっているようなのですが・・・。kaz 2005年11月29日 (火) 13:52 (UTC)
「登場人物」の記事分割の提案
登場人物が多少長いので記事分割の提案をしてみました。
参照:Category:漫画の登場人物の一覧、Category:アニメの登場人物の一覧 —以上の署名の無いコメントは、Ytsunenori(会話・履歴・whois)氏が[2006年10月17日 (火) 07:12(UTC)]に投稿したものです(マクガイアによる付記)。
- 積極的に反対という程でもないのですが、記事全体としての分量もさほどある訳ではないですし、正直あまり必要性を感じません。--マクガイア 2006年10月18日 (水) 12:58 (UTC)
ラジオドラマ
アニメ化される直前ぐらいのタイミングで、1回だけラジオドラマが放送されたと記憶していますが、詳細をご存知の方は項目の追加をご検討頂けませんでしょうか。--以上の署名のないコメントは、221.119.5.149(会話/Whois)さんが 2007年2月3日 (土) 09:46 (UTC) に投稿したものです。
アニメについて
製作者の自画自賛と受け取られる項目を消去しました。--以上の署名のないコメントは、221.187.45.28(会話/Whois)さんが 2007年2月23日 (金) 22:48 (UTC) に投稿したものです。 作中によく当時の歌が基と思われるネタが出てくる。
「七尾こずえ」の節について
「七尾こずえ」の節について、ネタバレの警告としてtemplate:SpoilerHとtemplate:SpoilerFを使っていますが、全般にネタバレ傾向ですし、上のほうに一応の警告もあるので、特にこのtemplateを使う必要はないと思います。(意見表明だけにしておきます。編集はしません。)Penpen 2007年5月12日 (土) 13:28 (UTC)
- 当該部分の編集に関わった者の一人です。私もPenpenさんに賛同いたします。隠す必要はないように思われる記述ですし、分量的にもそれなりにあります。もしネタバレ回避が必要なら、核心部分のみをSpoilerテンプレートで囲む方が良いと思っております。--Janus01 2007年5月28日 (月) 15:34 (UTC)
一刻館の所在地
原作に練馬区とある以上、一刻館の所在地は練馬区とすべきです。 ノンフィクションではなく、想像力の産物なのですから、所在地が明確ではなく、やや混同されている部分があるのは当たり前では…。それでも原作の所在地を何より優先すべきだと思いますね。 高橋さん自身、練馬区の大泉サロンの出身であり、執筆当時も大泉サロンと同じ西武池袋線沿線の練馬区から程近い東久留米市在住だったわけですから。アニメ版では、電車の標識に「船橋」などと出てくるのは、アニメ制作会社が原作の一刻館の所在地を(本人に断わったのかは立証できませんが)自社のある沿線に作り変えたのだと推測されます。 でも、やはり原作を重視すべきではないでしょうか。--218.110.116.190 2007年6月9日 (土) 13:28 (UTC)
「市役所」を無視してはいけない。仮想世界では何がおこっても良いのが原則である。もしかすると「練馬区」とあるのは私書箱かも知れないし、そもそもこの話の舞台は地球上では無いかもしれない。いやいや、ワームホールで繋がっているのかもしれない。また北海道から絵葉書を送った先が一刻館であるとも限らない。--58.95.142.253 2007年6月9日 (土) 15:57 (UTC)
- 私書箱が練馬区ということは、即ち、一刻館は練馬区ということである。
想像上の世界なのだから実際は何処にも存在しないのは当たり前。 だが、原作には「一刻館宛」と届いた郵便物などに「練馬区」とある事実を無視してはいけない。所在地は、やはり練馬区内とすべきだろう。「市役所」はやや混乱する点だが、多少の辻褄の合わなさは許容されるのがアニメや漫画というものであろう。--218.41.181.172 2007年6月11日 (月) 05:29 (UTC)
そもそも大泉サロンと作者は関係あるのか?ちょっと知らなかったので調べてみたけど、関係が発見できないんだけど・・・--58.95.142.253 2007年6月9日 (土) 16:09 (UTC)
手塚治虫が東久留米居住で、虫プロが練馬区、手塚プロが新宿、ということから中央線沿線や西武池袋線沿線が漫画家・アニメーターの集積地だということにつなげる事が自然では?トキワ荘も西武池袋線(東長崎)ということもある。いずれにせよ明白な出典がないので、「大泉サロン」説にはちょっと疑問があるなぁ。--58.95.142.253 2007年6月9日 (土) 18:33 (UTC)
- アニメ版めぞん一刻の制作会社のある最寄り駅は荻窪。東京西部の各所がごちゃ混ぜになって舞台になっているのは事実のようだ。しかし、58.95.142.253にも書いたことだが、 原作に練馬区とあることを無視してはいけない。やはり練馬区とするのが自然であろう。取り敢えず、わたくしの版の戻させていただきます。--218.41.181.172 2007年6月11日 (月) 05:29 (UTC)
- 原作に市役所とあることを無視してはいけない。乱暴な編集はトラブルの元ですので控えましょう。--58.95.142.253 2007年6月11日 (月) 05:34 (UTC)
- あと、大泉サロン説の出典やら情報やら開示してくださいよ。言いっぱなしではなくて。--58.95.142.253 2007年6月11日 (月) 05:36 (UTC)
- 独自研究テンプレートを導入しました。乱暴すぎます。なにさまですか?大泉サロンがあなたの論拠ですから、説明を開陳しなさい。--58.95.142.253 2007年6月11日 (月) 05:55 (UTC)
- 原作に練馬区宛とある事実を無視してはいけません。練馬説を裏付ける重要な、決定的な、科学的な証拠だと思います。私の編集を勝手に乱暴に編集し直さないでください。大泉サロンに高橋さんが関わっていたというのは、昔、竹宮恵子さんが、雑誌で語っていたことですので、はっきり覚えています。今、その雑誌は処分してしまった為、ここでそれを提示することは残念ながらできませんが、もっとネットで調べてから開示致したいと思っています。手塚治虫もトキワ荘の要町の他、一時は練馬区に在住していたという噂もあります(真偽のほどは明らかではありません。練馬区富士見台の虫プロを事務所兼住居にしていた可能性もあります)。それに「ドラえもん」も藤子不二夫氏自身、のび家の住所は練馬区だといい、テレビ朝日の特番でも、子供たちからの質問に、テレ朝アナが「ドラえもんの家は練馬区だそうです」と答えています。ゲストの筋肉少女隊大渕健次さんも「ふ~ん。練馬に行けばドラえもんに会えるんだ」と語ったことがあります。しかしアニメには、多摩川という台詞がよく出てきます。練馬から近いのは石神井川か荒川のはずですが。このようにノンフィクションではないのだから、辻褄の合わない点は多々あるものです。でも原作の表記を重視する、原作中心主義がわたくしの立場です。--218.41.181.172 2007年6月11日 (月) 06:01 (UTC)
- あなたの立場などどうでもいいので、出典を探して来なさい。これだけ乱暴に振舞うのだから、情熱とやる気は有り余ってるでしょう。みなさんの編集を乱暴に編集しなおしているのはあなたです。市役所が無視してよい出典についても開示しなさい。--58.95.142.253 2007年6月11日 (月) 06:22 (UTC)いやいや。勘違いされては困るのだが、期待しているのだよ。思い出したまえ。--58.95.142.253 2007年6月11日 (月) 06:28 (UTC)
- 残念ながら竹宮氏の雑誌は処分してしまいました。ですが、中野(多分、西武池袋線の江古田界隈だと思われます)や東久留米に住んでいたことから、そこからほど近い大泉学園の大泉サロンに通って、竹宮氏や萩尾氏らと交流があったことは間違いないでしょう。大泉サロンの近くに住んでいた可能性もあります。--218.41.181.172 2007年6月11日 (月) 07:53 (UTC)
- 自分の推理だけを根拠にしてはダメです。独自研究を参照あれ。当作品を執筆中に東久留米から引越しをして練馬に移ったという情報はWEB検索で発見できますが、大泉サロンについては全く関連が発見出来ない。練馬に住んでいるだけで大泉サロンに結び付けるのは根拠がなさ過ぎる。情熱をもって竹宮氏の雑誌を思い出すのだ。--58.95.142.253 2007年6月11日 (月) 08:02 (UTC)
ノートでは話題は下に進めるのがルールですので、勝手に上に移動しないようお願いします。
さて、「原作にある」と主張される「練馬区」説ですが、たったひとコマにうっすらと荷札が見えるところと、かろうじて「練」の文字がハガキに確認できる2コマのみです。よくよく見ようとしないと見えないような記載は「決定的・科学的証拠」とはとても言えません。セリフや地の文には一度も登場しないのですから、「一刻館は練馬区に存在する前提で描かれている」とは、誰にも証明できないでしょう。--Bossa 2007年6月11日 (月) 11:13 (UTC) ちなみに「市役所」は、きちんとセリフ中に活字で登場しています。たとえそれが作者の勘違いや印刷ミスだったとしても、「証拠」としては強いわけです。版を重ねても「区役所」に修正されるようなことは現在まで起こっていませんし。--Bossa 2007年6月11日 (月) 11:20 (UTC)一部訂正--Bossa 2007年6月11日 (月) 11:31 (UTC)
- 218.41.181.172さんのご主張なさる「原作中心主義」、本当にいいことだと思います。ここで、『めぞん一刻』の謎本として定評がある『一刻館の思いで』ISBN 4-8470-3097-4(P.17-19の☆1980年11月東京都東久留米市一刻館)から、一刻館の位置についての考察を抽出してみます。
- 以上から、『一刻館の思いで』では一刻館の所在は東久留米市としています。--Janus01 2007年6月11日 (月) 13:51 (UTC) (追記) 少しファンサイトを回ってみましたが、映画完結編を含むアニメでは、一刻館の位置は練馬区の方が主流のようです。[2] [3]。--Janus01 2007年6月11日 (月) 14:15 (UTC) (追記2)2007年5月TVドラマでは、響子さん(伊東美咲)が初めて一刻館を訪ねるシーンで出てくる住所のメモは「練馬区時計坂2-6-5」です。やはり、一刻館の住所は、原作のどの記述を重視するかで違ってくるようですね。--Janus01 2007年7月19日 (木) 17:20 (UTC)おぉお!~(゜∀゜)すばらしいですね。--125.205.185.237 2007年7月19日 (木) 17:37 (UTC)
- 「一刻館は現実世界のどこにあると設定されているのか?」については、興味ある方々にファンサイトなどでどんどん探求していただければいいのであって、ウィキペディアの記事上に反映させる必要性がありません。Janus01さんがまとめてくださったような事象は、それこそが、「一刻館の場所の特定は作品の重要事項ではない」「追求しても作品上に答えはない」証であり、作者が意図的に曖昧さを狙っている可能性も高いわけですから(だからこそ、ファンの研究心も刺激されるわけで)、記事の記述としては2007年6月9日 (土) 10:04の版までにあったような「23区にほど近い東京都西部の設定」のような記載で必要十分を満たしていると考えます。--Bossa 2007年6月11日 (月) 15:34 (UTC)
- 大泉サロンについて、愛好家の検証サイト[4]によると、成立時期はおよそ1970-1972~73年までとあり、高橋留美子の経歴によれば1957年生まれなので16-17歳当時のこととなるようだ。経歴上は新潟県立新潟中央高等学校を1976年3月に卒業である。また上記サイトやWikipedia上の大泉サロン、高橋留美子の各ページに記述が全く見られないことから、関連性を裏付ける情報が得られそうな期待がないのだが・・・どうするね?--58.95.142.253 2007年6月12日 (火) 09:39 (UTC)
- 「らんま1/2」を根拠に練馬説が書き込まれましたが、これは安直な類推であって、めそん一刻執筆中は東久留米在住であり、のち練馬に引越しをした事が愛好家の研究により報告されています。「らんま1/2」は練馬周辺が舞台となっていることは巡礼 (通俗)参照。--125.205.9.64 2007年6月19日 (火) 02:12 (UTC)
- それと218.41.181.172氏の「大泉サロン」根拠説はどうしますかね・・・。--125.205.9.64 2007年6月19日 (火) 02:12 (UTC)
- ノートもですが読んでて気分が悪いです。「本当にいいことだ」とか、読んでて何様かいといか思いません。押し付けやウィキを私物化するのはいかがかと思います。自分も編集で何度か一方的に消されました。自分の意見だけ押し通すならブログでやればいいかと思います。ウィキは誰でも編集できるものではないんでしょうか。
「現実世界との繋がり」という項について
客観的な分だけでまとめ、普通の人が読んでて疲れないくらいに編集しなおしました。でもまだ多いかも。(「札幌の時計台や高知県安芸の野良時計に近似」や「練馬区がうんぬん」とかって、主観的で、単に披瀝したい薀蓄でしょう?) それと、「こぼれ話」部分を「トリビア」として、「保父」や「国鉄大宮駅」うんぬんは、そちらにappendしました。(ただ“こぼれ話”のほうが味わいがあってよいかもしれません…) なお、個人的に東久留米駅利用者です。「その多くは20年以上の時の経過により消失し、面影がわずかに確認出来る程度である。」とありましたが、少なくとも駅前風景の面影はかなり残っています(建物も!)。ただし、北口は近々取り壊すようですので見納めするのであればみなさんお早めに!!218.134.230.111 2007年7月9日 (月) 18:54 (UTC)
:編集内容がつまらないのでリバートしました。削除するより加筆してください。--125.205.185.237 2007年7月10日 (火) 02:20 (UTC)北口取り壊し情報は乙です。早速最後の姿を拝みに参ります。蟻。--125.205.185.237 2007年7月10日 (火) 02:22 (UTC)
テンプレート「未検証」「出典の明記」「独自研究」の使い分け
テンプレート「未検証」「出典の明記」「独自研究」の使い分けについて意見のすりあわせを行い、ある程度の統一見解を作りたいと思います。
ご意見をお持ちの方はTemplate‐ノート:Unreferenced/テンプレート「未検証」「出典の明記」「独自研究」の使い分けまで。 Penpen 2007年6月22日 (金) 23:44 (UTC)
祐作の故郷
登場人物の項「実家は新潟県新潟市で大衆食堂を営む」ほか、実家が新潟にあるというのは種々の状況証拠からの憶測に過ぎないのに、原作にそう書かれているかのように書くのはおかしいと思います。もっとも作者があとでそう認めたというなら憶測とは言えませんが、それとて作中の設定かのように書くのは変だ。直して下さい。 --Ypacaraí 2007年7月28日 (土) 13:07 (UTC)
- 確認したかぎり実家が新潟であるとの明確な情報は得られませんでしたので、実家新潟説を俗説扱いに編集してみました。信頼できる出典による確定情報を探しておりますので、原作者のコメントなり重要な情報がありましたらぜひご提供ください。--121.112.164.199 2007年8月2日 (木) 18:07 (UTC)
登場人物の来歴中の西暦表示について
なんとなく見逃されている状態になっていますが、原作中の細部描写を根拠にキャラクターの出生年や劇中事件の発生年を投稿される方がおられますが、独自研究になるので控えてくださるようお願いします。例えば原作に「(音無)響子 66年4月小学校入学」とあったとしても、Wikipediaに記載して良いのはその描写が存在している事実だけであって、ここから逆算して生年度を計算する楽しみはWikipediaの「読者」にのみ許されることであって投稿者には禁じられています(Wikipedia:独自研究は載せない)。次に文芸作品はフィクションですから現実世界の論理を持ち込めないという原則もまたご理解下さい。原作や原作者の公表する設定がすべてであって「生まれも死にも糞尿もしない」仮想のキャラクターについて連想・推論することは、作品の「読者」にのみ許されておりWikipediaの編集者には認められていない(Wikipedia:検証可能性)点をご理解頂きたい。--118.18.254.191 2008年7月26日 (土) 15:56 (UTC)
一の瀬 賢太郎について
- 「五代に夏休みの宿題を見てもらっていた「メモリアル・クッキング」では、ワークブックの表紙に「4」の数字が見られ、1981(昭和56)年当時に小学4年生(9歳か10歳)だったのでは、という説と、翌1982(昭和57)年8月の「夏の思い出」の話で、通常3年生で学習する「こそあど言葉」を勉強していることから、当時小学3年生だったのでは、という説あり。」「最終話は裕作と響子の結婚式を描いており、この時に賢太郎は中学生になっていた。仮に1981年度に4年生だとすると、最終話の1987年春の段階では、結婚式が3月か4月かによって、中学3年の卒業前後か高校1年入学前後の両方の可能性がある」ついて、興味深い考察だとは思いますが独自研究のためノートへ移記しておきます。--118.18.254.191 2008年7月27日 (日) 11:56 (UTC)
分割と統合提案
一刻館の統合に関する議論をノート:一刻館で行ってましたが、先にアニメの節を分割してアニメの記事を立ち上げた方がいいのではないかと思い、アニメ節の分割を提案します。本項では現在、アニメの記述がかなりの分量を占めており、アニメの記述だけでも単独の記事として成り立つと考えるからです。分割の後、一刻館の記述を統合しようと思うのですがいかがでしょうか?--ヨッサン 2008年10月7日 (火) 13:39 (UTC)
- (賛成)分割・統合共に賛成致します。統合については先行議論に同意。分割については現状では正直な所、容量はあるもののの雑多な箇条書きばかりでアニメを単独記事とするには概要部分が弱いように思いますが、うる星やつらの分割作業を踏まえヨッサン氏であれば記事の整理も安心してお任せできますので。--マクガイア 2008年10月8日 (水) 21:36 (UTC)
- (報告)本日アニメ節の分割と一刻館の統合を行いました。まだ整理し切れてないところもありますが、おいおい手直ししていこうと思います。--ヨッサン 2008年10月14日 (火) 20:15 (UTC)
分割・統合提案
関連記事整理のため、めぞん一刻#登場人物をめぞん一刻の登場人物に分割し、音無響子・五代裕作・三鷹瞬を統合することを提案します。--Tanas 2009年1月15日 (木) 07:04 (UTC)
- 登場人物の分割には反対。50キロ程度なら親記事に留めておいて現在過剰気味となっている各キャラクターの記述を整理するほうが先決。主要キャラの統合も現状では反対。三鷹については履歴不継承が問題となっているのでそれが一段落するまではどの道統合は無理でしょう。--ヨッサン 2009年1月16日 (金) 02:13 (UTC)
- 関連記事の整理ということで分割より統合の方が提案の主であり、少なくとも主要3名だけ他記事に飛ばなくてはならない状態を解消したいと私は考えています。現在50キロバイトである本記事に統合するのは気が引けるため、過去にも提案されている登場人物節の分割も合わせて提案しましたが、めぞん一刻#登場人物への統合で済むならばそれに越したことはありません。さて、ヨッサンさんは、容量を考えれば登場人物の分割は不要であり、「記述を整理するほうが先決」で「主要キャラの統合も現状では反対」とのことですが、では記述整理如何で統合には賛成されるということでしょうか。記述整理に関しては、どの程度から記述が過剰かは人それぞれですし、統合(この時点で構成や{{独自研究}}部分の除去等ある程度整理される)の後にバランス等を考えつつ纏めて行う方が整理し易いと考えますがどうでしょう。基本的な分割や統合と異なり、整理後にやはり分割/統合すべき容量ではなかったと差し戻される事態にもなりません(容量が大きければめぞん一刻の登場人物として纏めて分割すべきと考える)。
- 履歴不継承については、問題があるのは三鷹瞬自体ではないのでその統合に特に不都合はありません。{{新田泰佑}}に関しても、問題とされる初版と2版の記述は一年近くコメントアウトされているので、統合時に除去するつもりでいます。--Tanas 2009年1月17日 (土) 03:03 (UTC)
- 登場人物は作品の中で一番大きな要素なので、極力分割は避けたほうがいいと思っています。以前アニメの節を分割したのも、その判断から来るものです。主要キャラクターの単独記事については、個人的には5キロ以上あるものはそのままでいいと思っています。各キャラクターの単独記事は現在、節分けされている状態ですがXGA1画面以上の文字の分量ともなると、節を除去して統合すると読みづらいので。とはいえ、独自研究に当たる部分を整理して各記事のサイズが3~4キロ程度になるのなら統合してもいいかな、とは思うのですが。主要3名の項目に飛ばなくてもいいということなら、作品を理解するうえで最低限の情報だけを本項においておけばいいんじゃないかと。--ヨッサン 2009年1月17日 (土) 12:32 (UTC)
- 「作品の中で一番大きな要素」において最も大きな要素たる主要登場人物が個別記事であるよりは、登場人物節を分割してそこで纏めて記述した方が、記事体系としても自然ですし閲覧者にとっても良いと私は考えるのですが、感覚の違いなのですかね。節については他のマークアップで代用することも可能でしょうし、WP:TRIVIAも合わせて整理すれば5キロ弱くらいにはなると思います。まずは独自研究部分について後々編集合戦等にならないよう下節に書き出しますので、もう少しお待ち下さい。
- 本記事にも主要登場人物について記述することについては、「最低限」の程度にもよるものの
私が問題とする状態は解消されない個別記事があれば当然そちらを参照するでしょうし、そのような項目の説明は内容整理において真っ先に除去される部分ですので賛同できません。--Tanas 2009年1月17日 (土) 14:54 (UTC) 修正--Tanas 2009年1月17日 (土) 15:56 (UTC)
- 登場人物は作品の中で一番大きな要素なので、極力分割は避けたほうがいいと思っています。以前アニメの節を分割したのも、その判断から来るものです。主要キャラクターの単独記事については、個人的には5キロ以上あるものはそのままでいいと思っています。各キャラクターの単独記事は現在、節分けされている状態ですがXGA1画面以上の文字の分量ともなると、節を除去して統合すると読みづらいので。とはいえ、独自研究に当たる部分を整理して各記事のサイズが3~4キロ程度になるのなら統合してもいいかな、とは思うのですが。主要3名の項目に飛ばなくてもいいということなら、作品を理解するうえで最低限の情報だけを本項においておけばいいんじゃないかと。--ヨッサン 2009年1月17日 (土) 12:32 (UTC)
やはり感覚の違いだと思います。Tanasさんは3記事に飛ぶことが閲覧者に余計な手間が掛かるとお考えのようですが、wikipediaのでは主人公などの主要キャラの個別記事は結構ありますし、同じ高橋作品でも登場人物の記事に各キャラクターを統合する前の『うる星』や現在の『らんま』に比べれば、個別記事が乱立しているというほどでもないのでわざわざ統合しないでもいいんじゃないか、と思うのです。とはいえ、Tanasさんの御意見に賛成者が他にもつくようでしたらそれに従います。--ヨッサン 2009年1月17日 (土) 20:04 (UTC)
- 現在の記事体系は「めぞん一刻・めぞん一刻の登場人物 > めぞん一刻の主要登場人物」となっていますが、「めぞん一刻 > めぞん一刻の登場人物・めぞん一刻の主要登場人物」の方が体系的にも自然だし閲覧者にも分かりやすいのではないか、後者を避けてまで前者を維持する必要はないのではないか、というのが先のコメントの趣旨であり、感覚の違いではと申したのは、個別記事へ飛ぶことの手間そのものや記事の乱立というよりこちらです。間に「めぞん一刻の登場人物」が単独記事としてあったり、間に無くてもそのような記事体系が一般的な記事分野であるならば、私も統合しようとは特に思いません。何れにせよ「めぞん一刻・めぞん一刻の登場人物・めぞん一刻の主要登場人物」が記事状態としてベストであることは疑いないことと思いますので、内容の整理を進めて行きます。--Tanas 2009年1月18日 (日) 03:07 (UTC)
- そういう考えでしたか。登場人物の節を現時点で分割するのはちょっと早いかなという気もしますが、いずれ分割する時期が来るとは思っていましたので、分割に賛成することにします。各キャラクターの個別記事の統合については、とりあえず保留ということで。--ヨッサン 2009年1月19日 (月) 11:18 (UTC)
- 遅くなりましたが、構成やWP:NOR、WP:TRIVIA、WP:V等、内容を整理しました。「統合してもいいかな」と仰る3-4キロバイト程となりましたし、節は別のマークアップで代用するつもりです。無理のない比較的妥当な内容整理であると思いますが如何でしょう。--Tanas 2009年1月25日 (日) 03:08 (UTC)
- 確認しました。主要キャラクターはとかく記述が大きくなりやすいことを考え、そのままでもいいのではと思いましたがこれであればとりあえずは統合して一つの項目にしてもいいと思います。--ヨッサン 2009年1月25日 (日) 12:05 (UTC)
- 遅くなりましたが、構成やWP:NOR、WP:TRIVIA、WP:V等、内容を整理しました。「統合してもいいかな」と仰る3-4キロバイト程となりましたし、節は別のマークアップで代用するつもりです。無理のない比較的妥当な内容整理であると思いますが如何でしょう。--Tanas 2009年1月25日 (日) 03:08 (UTC)
- そういう考えでしたか。登場人物の節を現時点で分割するのはちょっと早いかなという気もしますが、いずれ分割する時期が来るとは思っていましたので、分割に賛成することにします。各キャラクターの個別記事の統合については、とりあえず保留ということで。--ヨッサン 2009年1月19日 (月) 11:18 (UTC)
インデントを戻します。ご賛同頂けて何よりです。内容整理によって思っていた以上にサイズダウンしましたので、とりあえず本記事に統合してみました。当然ながら分割した方が見易くはなるものの、このくらいならその必要はないと思いますがどうでしょう。--Tanas 2009年1月26日 (月) 08:56 (UTC)
- いいのではないでしょうか。このまま登場人物の節を「めぞん一刻の登場人物」として分割してもよいかと思います。--ヨッサン 2009年1月26日 (月) 13:19 (UTC)
- 先のコメントが曖昧だった上、議論の進め方が下手でいろいろ錯綜してしまい申し訳ありません。このままでもよいが「分割してもよい」ということで宜しいのでしょうか。最終的に2000バイト程の増加で済みましたので、「分割すべき」というのでなければ今回は分割せずに議論終了ということにしたいと思っています。--Tanas 2009年1月26日 (月) 14:08 (UTC)
- 先に述べたように意見を変更して分割・統合ともに賛成の意を示しておりますので、「めぞん一刻の登場人物」として分割を実施すべきかと思います。--ヨッサン 2009年1月26日 (月) 14:33 (UTC)
- 度々申し訳ありません。想定していた以上にサイズを抑えることができ、50キロバイト程度のまま提案前とそれ程変化がない容量となりましたので、これならば分割しなくても良いだろうと私は考えています。分割しないなら統合には賛成なさらなかった、というのであれば分割せざるを得ないのですが、分割はもっと容量が増えてから再議論した方が良いのでは、と考える次第です。--Tanas 2009年1月26日 (月) 15:11 (UTC)
- 先に述べたように意見を変更して分割・統合ともに賛成の意を示しておりますので、「めぞん一刻の登場人物」として分割を実施すべきかと思います。--ヨッサン 2009年1月26日 (月) 14:33 (UTC)
- 先のコメントが曖昧だった上、議論の進め方が下手でいろいろ錯綜してしまい申し訳ありません。このままでもよいが「分割してもよい」ということで宜しいのでしょうか。最終的に2000バイト程の増加で済みましたので、「分割すべき」というのでなければ今回は分割せずに議論終了ということにしたいと思っています。--Tanas 2009年1月26日 (月) 14:08 (UTC)
(インデント戻し)提案者のTanasさんがそのようにお考えであれば、それに従います。統合お疲れ様でした。--ヨッサン 2009年1月26日 (月) 15:23 (UTC)
- 繰り返しになりますが論が錯綜してしまい申し訳ありませんでした。分割はしないことに致します。長々とお付き合い頂きありがとうございました。--Tanas 2009年1月26日 (月) 15:30 (UTC)
独自研究について
分割・統合に際して西暦や年齢等を全て除去し、{{独自研究}}を外す予定です。--Tanas 2009年1月15日 (木) 07:04 (UTC)
- 西暦や年齢については原作に直接記述されたものもありますので、除去のさいは慎重にオネガイシマスヨ。--ネコバット 2009年1月15日 (木) 07:22 (UTC)
- 節を分けました。それではとりあえず、原作で記述されている西暦・年号・年齢等を数日中に書き出したいと思います。--Tanas 2009年1月17日 (土) 03:03 (UTC)
だいぶ間が空いてしまいましたが、以下が原作に明記されている日付・年齢等です。巻数・ページ数はワイド版のものであり、鉤括弧内が原作の記述です。裕作の学年や惣一郎が亡くなって何年か等、重複する情報は一部省略しています。また年度替わりの基準として惣一郎の命日を挟みました。
- 1巻
- P64 ナレーション「昭和56年1月9日」-裕作はこの年(翌年度)大学に入学
- P67 朱美「二浪は決定」-裕作に対して
- 【1回目の命日】
- P144 郁子「12」-裕作に年齢を聞かれて
- P152 響子義父「嫁いで半年たたんうちに、惣一郎は逝ってしもた」 ※1
- P165 響子義父「郁子も今年から中学」
- 2巻
- P100 響子「まだ22だもの」-自分の年齢について・裕作「二歳上、たった二歳」-響子の年齢について
- P106 ナレーション「81年12月30日」
- P128 一の瀬「20歳」-裕作の年齢について
- P131 裕作母「こっちで成人式出れば」-息子裕作に対して
- P228 千草家アルバムの書き込み「S41 響子 小学校入学」 ※1
- 【2回目の命日】
- P256 響子母「惣一郎さんが亡くなってもう二年」 ※1
- 3巻
- P94 四谷「彼女もう、20歳(はたちのルビ)になるんでしょう」-七尾こずえについて ※2
- P100 坂本「おまえ21歳」-裕作に対して
- P262 ナレーション「一九八三年 元旦 未明」
- 4巻
- P68 裕作「今年は3年生だろ」-郁子に対して
- P75 響子「昭和五十二年の春から……ちょうどあたしと会った頃」-惣一郎の日記を読みながら ※1
- P79 響子「この頃惣一郎さん27歳」-惣一郎の日記を読みながら ※1
- P86 響子から惣一郎への暑中見舞い「昭和五十二年七月二十八日」 ※1
- 【3回目の命日】
- 5巻
- P120 晶「晶はもう十九」
- P276 裕作「二つ年上」-響子について
- P281 ナレーション「郁子ちゃんが本命の女子高に合格」
- 【4回目の命日】
- P319 二階堂母「望ちゃんがストレートで大学に合格した」
- P332 二階堂「18」-年齢を聞かれて
- 6巻
- P175 八神の担任「この2年4組」
- P184 裕作「一九七七年」-響子の高校卒業アルバムを見つけて ※1
- P315 ナレーション「一九八四・大みそか」
- 7巻
- P88 ナレーション「一九八五年三月―五代裕作卒業」
- 【5回目の命日】
- P120 三鷹叔父「白百合女子大卒、二十一歳」-九条明日菜について
- 9巻
- P73 響子「秋には27」-自分の年齢について・三鷹父「こいつなんか31」-息子瞬の年齢について ※3
- P302 ナレーション「昭和61年9月26日 保母試験終了」-裕作合格
- 10巻
- P298 ナレーション「昭和62年3月」-裕作と響子の挙式前週
これら以外は、私の見落としが無い限り逆算・推定ということになります。以下は編集に当たっての補足です。
- 音無惣一郎と響子について、2人が出会ったときの響子の学年、結婚した年、年齢差等の直接的な記述は見当たらなかったため、※1からの逆算・推定と判断。年齢差については、高校時代に出会ったことと「この頃惣一郎さん27歳」という響子の言葉から、言葉を濁すことになるものの「10歳ほど」という表現に修正。
- 七尾こずえについて、※2だけなら裕作と同い年(同年度生まれ)の可能性もあると自分は思うが、初登場時に裕作に敬語を使っていること、一浪の裕作と同じ年に大学を卒業していること等から保留。
- 三鷹瞬について、※3の時点で響子は26歳であり、誕生日の時期によって4-6歳の差が生じ得るため、「5歳ほど」という表現に修正。
WP:NORの他、WP:TRIVIAやWP:V等に関する部分も編集しましたが、それら方針に関わらないであろう部分はあまり手を加えませんでした。--Tanas 2009年1月25日 (日) 03:08 (UTC)
- 非常にひきしまった感じがします。ノートで逐一情報をご提示頂いた点についても素晴らしい貢献だと考えます。ご足労さまでしたo(´□`o)--ネコバット 2009年1月25日 (日) 16:21 (UTC)
あいまいな情報
※番外編かどこで四谷の職業がようやくわかる、「超優秀な興信所職員」という設定。ここの興信所の所長が四谷に一刻館をつぶすかどうかきいたときに、四谷はこういっている。「一刻館はとり壊すべきではありません、この街に必要な場所です。」と。そのあとこの興信所の所長はこういっている。「四谷くんが言うのなら間違いはないな。一刻館をとり壊すのは白紙にしておく。」と。それでも四谷の「下の名前は不明」)
以上の情報が「四谷」に関して投稿されていましたが、情報源があいまいで確証されていないため、一旦ノートへ移動しました。確認のうえ情報源(出典)情報とともに再度投稿をお願い致します。--大和屋敷 2009年5月28日 (木) 16:42 (UTC)
登場人物の来歴中の西暦表示について(二回目)
原作の公開時期にあわせて生年月日や事件の発生時期を逆算し投稿されるかたが再び登場しましたが、独自研究になりますのでご注意ください。ノート:めぞん一刻#独自研究についてで原作に記述されていることが確認できる日付の調査レポートがあります。ここから逆算する楽しみはWikipediaの読者には許されていてもWikipediaの編集者には許されていません。注意していただきたいのは文芸作品は「フィクションですので現実世界の論理を持ち込むことができない」ということです。原作が終了しているのに「音無響子は昭和34年生まれ、2010年2月時点で50歳である」あるいは「原作には描かれていないがむろん大便もする(一刻館にトイレがあることから)」などと投稿してもしかたないのと同じです。文芸作品ですので「ほのめかされている」設定を敷衍してしまうのはヤボというものです。原作および公式アナウンスのないものは独自研究として慎重に取り扱うようお願いいたします。--125.202.233.199 2010年2月11日 (木) 20:43 (UTC)
五代君の出身地一件
新潟ということでほぼファンの間では定説なようですが(原作者の出身地等)、いちおう検証可能性が必要ということで削除しました。おおむね雪国である、北国である、というあたりまでしか原作では明示されなかったはずなので、岩手県一関市五代町のファンのみなさまや群馬県前橋市五代町のみなさん、また南国ですが鹿児島県薩摩川内市五代町のファンのみさなんの夢を不当に摘み取らないようお願いいたします。--大和屋敷 2010年3月29日 (月) 06:00 (UTC)
あらすじ
あらすじ、ということで投稿者の方から投稿がなされておりますが、独自研究にあたりますのでリバートしました。好意的に受容されているかぎりウィキペディアでは文芸作品のあらすじを原作そのものから作成することをとくに拒否するものではありませんが、やりすぎないようお願いします。読者は百科事典を読みに来るわけでして、編集者による「二次作品」をわざわざ読むためにウィキペディアを訪問するわけではありません。云々。(参照:Wikipedia:スタイルマニュアル (フィクション関連))--大和屋敷(会話) 2012年4月17日 (火) 16:46 (UTC)
- 一応「Wikipedia:スタイルマニュアル (フィクション関連)」には沿ってるはずですが、1次資料の出典提示のあり方、あらすじに対する2次資料の要求については私も問題意識を持っていて、フィクションの分野においてガイドラインや過去の慣例では必要十分とはいえない面もあるのかな、と思います。さらに記述を削り込むということであれば検討の余地はあると思いますが、少なくとも従来の「登場人物」節は雑多に過ぎるかなと。概要などの出典無しの記述も本当なら改善の優先順位は高いのでしょうけど、とりあえずテンプレート掲示で注意喚起と改善協力のアナウンスだけでもしておきます。--ディー・エム(会話) 2012年4月18日 (水) 15:05 (UTC)
あらすじの作成の仕方と引用の仕方が不適切です。引用は「この表現はこの原作ページのことを記述していますよ」的に付与するものではなく「この表現はこの出典から引用しています」として付与するものです。つぎに「めぞん一刻」というフィクションの要約を五代裕作あるいは音無響子という人物から起筆要約する場合、ほとんどは登場人物#一刻館の住人#五代裕作ないし音無響子と重複してしまいます。このあたりをどうなさるのかな、と拝見しておりましたがやはり苦労なさってる様子だけが見て取られ、要約(あらすじ)というより、投稿者による修飾表現の公表の場所になってしまっていると思います。繰り返しになりますが読者は百科事典を読みに来るわけでして、編集者による「二次作品」をわざわざ読むためにウィキペディアを訪問するわけではありません。--大和屋敷(会話) 2012年7月8日 (日) 06:26 (UTC)コメントアウトした箇所について巻別にまとめ、「文芸表現」的な修飾句を取ってみると以下のようになります。
- あばら屋のような木造アパート「一刻館」に新しい管理人、音無響子がやってきた。5号室に住む浪人生の五代裕作は彼女に恋をする。響子は夫の惣一郎を1年前に亡くし、未だ気持ちの整理がつかないでいた。一刻館の大家である義父が彼女にこの仕事を薦めたのは、少しでも寂しさが紛れればという心遣いだった。一刻館の住み込み管理人として働き始めた響子は、多忙な毎日を過ごす。他の住人たちは冷やかし半分、裕作の部屋に押しかけては彼の恋路の一喜一憂を酒の肴に連日宴会騒ぎをして楽しむ(本作第1巻 (1982))。
- 響子はテニススクールで知り合ったコーチの三鷹瞬から熱心なアプローチを受けるが一向に答えは出そうにない。そのくせ五代がガールフレンドと親しげにしているのを見聞きするとついやきもちを焼く(本作第2巻 (1982))。
- 裕作の想いは知りながらも、いつも素知らぬ態度ではぐらかす(本作第6巻 (1984)) 。
- 大学を卒業し就職浪人を経験した裕作は周囲の人達に助けられながら保育士を目指す。犬が大の苦手だった三鷹は犬好きの見合い相手に惚れられ、勘違いが元で結局彼女にプロポーズまでしてしまう(本作第10巻 (1986))。
- しばらく続いた裕作―響子―三鷹の三角関係だが、徐々に響子は自らの裕作への想いを優先し素直に向き合おうとする。それでもすれ違いの関係は続き、裕作とのもどかしい距離を縮めて楽になりたいと考えた響子は自ら彼に体を許す決意まで見せるが、裕作が響子の亡き夫を意識する余り不調に終わる。お互いを想う二人は他の一刻館の住人のお節介にも支えられ、いつしか自然と心を通わせる。そうして一晩を共に過ごした裕作に対して、ようやく響子は本当はずっと好きだったのだと告白する(本作第14巻 (1987))。
- 裕作との結婚を控え、響子は惣一郎の遺品を義父へ返すことにしたが、それは響子なりの気持ちの整理と裕作の気持ちを配慮してのことであった。決意の報告のために響子は惣一郎の墓前へ赴くが、そこには裕作がいた。惣一郎の墓前で裕作は、自分が好きになった響子とは既に心に惣一郎を刻んでいた響子であり、それゆえに惣一郎への響子の想いをも全て含めて自分がこれからずっと響子を愛することを誓う。その裕作の言葉を気付かれぬ場所で耳にしていた響子は、裕作が自分を幸せにしてくれる人物であることを亡き惣一郎がきっと理解してくれると確信する。裕作が墓参するところに現れた響子は、新たな伴侶として裕作を惣一郎に紹介することに迷いはすでに無かった。惣一郎の遺品の返却については裕作は無理に返さなくて良いと言うが響子は「これでいいんです」と言い、惣一郎の墓前で改めて裕作との出会いに感謝する。結婚後も裕作と響子は一刻館で暮らしている。翌年の春には長女、春香も生まれた。裕作は早々に新居を探すつもりでいたが、引っ越し代も馬鹿にならないというのが響子の言い分である。しばらくは共働きで、管理人の仕事も続けるつもりでいる(本作第15巻 (1987))。
こうするとものすごく要約として跳んでしまっていることが分かるでしょう。--大和屋敷(会話) 2012年7月8日 (日) 06:48 (UTC)
・読んでいて気分が悪いです。偉そうに。「わざわざ訪問するんじゃありません」とか「わかるでしょう」とか・・・・
喧嘩を売ってるような書き方はいかがなものかと思います。
これだけつらつらと書いておいて最後にゴリ押しで押しつけはやめてください。何様か?としか思えません。
第3者が読んでいて気分のいいものではありません。
やめてほしいです。
めぞん一刻のウィキの管理人みたいなのがいるのですか?
速攻で消す人がいます。 そんなに編集されるのが嫌ならブログに書いたらいいのでは? これで三度目です。 ほんとに腹が立ちます。
荒らし並じゃないですかね。 Wikipediaは誰でも編集していいはずですがね。 --以上の署名のないコメントは、114.142.73.167(会話/Whois)さんが 2016年9月20日 (火) 08:38 (UTC) に投稿したものです(ディー・エム(会話)による付記)。
- それらしい履歴が見当たらないですが、何日の版でしょうか?
- →「めぞん一刻」の変更履歴
- --ディー・エム(会話) 2016年9月21日 (水) 11:31 (UTC)