Wikipedia:井戸端/subj/引用のリスクについて
|
引用のリスクについて
2次資料に基づき文章を書くことになれていないので非常に違和感を感じながら記事を書いておりました。最高裁等の判例に基づき違和感を列挙させて頂きます。
違和感1 『公正な慣行に合致すること』
- 2次資料に基づき記事を作成すると言うことは、他者が書いた資料を前提に記事を作成すると言うことであり、公正な慣行と言えるのかどうか大変疑問です。普通、記事や論文や報告書等は独自研究を発表する事だと思います。既に判例が出ていて問題が無いのであれば安心適時が書けるのですが、判例等をご存じのかたはおられませんでしょうか?
違和感2 『引用部分と自分の著作物とが区別されていること』
- 自分の著作部分は接続詞と修飾語だけになりかねない場合があります。この場合区別されていると言えるものなのでしょうか?
違和感3 『自分の著作物を主とし、引用部分を従とすること』
- 2次資料に基づき記事を記載する事が前提ですから、引用部分が主であるといわれる可能性は無いのでしょうか?
違和感4
- 昨日はじめて気付いたのですが著作権法第32条2に『新聞紙、雑誌その他の刊行物に転載することができる。』とあります。東京都行政書士会のホームページでは『転載とは、複製の一形態であり、インターネットによる配信(公衆送信)は含まれていません。』との記載が有ります。Wikipediaはインターネットによる配信に該当しないのでしょうか?
既に解決済みの質問かも知れませんが、井戸端にて「引用」を検索してみましたが、同様の意見が見つけられなかったのでここに記載させて頂きました。Wikipedia初心者の無知がゆえの質問かも知れませんがご教授頂きたくお願い申し上げます。--Earthbound1960(会話) 2016年6月15日 (水) 02:40 (UTC)
- コメント-違和感1についてのみ、私の考えを示します。Wikipedia:信頼できる情報源にある用語の定義にある情報源によると、wikipediaは二次資料なのではなく、三次資料であると説明されています。その情報源に関する定義が、二次資料に基づいた文章であるべきとする大きな前提となっているのでしょう。--Koshi2016(会話) 2016年6月15日 (水) 03:18 (UTC)
- コメント Law somaさまの私論「自分の言葉で執筆してください」が参考になるのではと存じます。--LudwigSK(Talk/History) 2016年6月15日 (水) 03:45 (UTC)
- コメントコメントありがとうございます。「自分の言葉で執筆してください」は読みました。確かに短文であれば、著作権の問題はクリアーできる可能性はあると思います。しかしながら、「著作権をクリアーするためにこのように書けば良い。」と例文まで提示していると悪質な著作権侵害に該当しないかといった点が気になります。また、『公正な慣行』とは「世間一般に通常行われていて、その行為によって誰もが迷惑を被っていない」というふうに私は解釈しました。通常世間一般では『引用文献を参照しながら、自説を展開する。』のが普通だと思います。2次資料に基づき3次資料としてWikipediaに記事を投稿するのが『公正な慣行』なのでしょうか?Wikipediaのお陰で便利になりました。たいていのことはWikipediaに掲載されています。そのお陰でいわゆる百科事典の売上げは落ちている可能性があります。売上が落ちていたとすれば、明らかに誰かに迷惑をかけていることになりませんでしょうか?誤解しないで頂きたいのですが、Wikipediaの存在を否定しようとしているわけではありません。既にいくつか記事を書いていますので、削除したところで「著作権侵害」をした当事者の一人です。私が訴えられることで他のWikipedia関係者にご迷惑をおかけすることは本意ではありません。私としては安心材料が欲しいのです。--Earthbound1960(会話) 2016年6月15日 (水) 04:47 (UTC)
- 横から失礼致します。Earthbound1960さんは著作権という概念についてなにか根本から誤解をされていませんか?著作権とは表現を保護する法的概念であって、アィディアを保護するものではありません。それ故、既存の書籍や映像などに含まれるアイディアを100%まるごと利用して新たな著作物を作成しても、その作成に用いられる表現が参考元と異なっている限り、著作権概念ではなんら問題はありません。ですから「短文であれば」とおっしゃっているのはまだ誤解をされているように見えます。表現が異なっている限り、どれほど大量であっても著作権の問題とはなりません。アイディアを保護する法律は特許など別の法体系となります。また、「自説を展開する」というのはWikipediaでは独自研究となるので行ってはなりません。Wikipediaで求められるのは出典を明示しながらアイディアを完全に参照元から転用すること、かつ、表現は参照元とは異なったものにすることです。このような記法こそWikipediaの標準となるべきものです。そして百科事典の売上が落ちるとかを心配されているようですが、はっきりと言えばどれだけ百科事典の売上が落ちて倒産しようとも、それは公正競争の結果市場から退場したということに過ぎません。知的財産権で保護されていない商材のみの利益に依拠するような経営だった、というだけの話です。また、ここまでに私が述べたWikipediaの記法を一般的に引用と呼ぶことがありますが、これは著作権法上の引用とは全く関係がありません。著作権法上の引用とは、元の著作物の表現をそのまま変えずに利用することを指します。このことを区別せずにたとえ専門家にこのWikipediaの問題のことを聞いたとしても、意味がある回答は一切得られないと思います。専門家の方はWikipediaの記法が表現を変えつつアイディアを大量に転用するやり方が標準であることを知らされていないため、引用部分と被引用部分のことを著作権法上の引用という表現を全く変えないものであると想定して回答していると思います。この回答をWikipediaの慣行である表現を完全に変えつつアイディアを大量に転用することを引用と呼ぶことに当てはめようとすると全く意味がわからなくなります。正直、下の方書かれている「ヒアリング結果」とその解釈が全く意味がわからないです。それは専門家に聞く際に著作権法上の引用と、そうでない引用の区別をしていないからです。最初これを読んで「この専門家は何を言ってるんだろう…偽物かな?」とすら思ったほどです。このページ全体と専門家の解答を見比べてようやく意味がわかりました。著作権法上の引用とそうでない引用の区別が為されていません。ですので、この記事・ページにおける「専門家からのヒアリング結果」における「著作物が主で有り引用部が従であるのは一般的な著作物に関してのことで有り、Wikipediaは一般的な著作物では無い。このため、引用部が主となるのは当然の帰結である。」という記述はWikipediaの実態を伝えていないこと、質問者さんが著作権法上の引用とそうでない引用を区別してないことからくる意味のない結論と指摘させていただきます。著作権法上の引用とそうでない引用を区別するためには別の言葉を使っておくのが誤解が無いのではないでしょうか?著作権法上の引用は表現を変えないことを指すので転記や転載と言っておけばよいのです。転記や転載という言葉を用いておき、その法的位置づけが著作権法上の複製や引用にあたるかどうかを判断されれば良いと思います。それに対してWikipediaの記事の殆どの部分で行われている表現を完全に変えつつアイディアを大量に転用することを引用と呼ぶことを、誤解が無くなるように翻案と呼んではいかがでしょうか。あるアイディア(案)の表現を変える(翻)ということです。Wikipediaの記事でもある人の発言内容であるとか、表記そのものを転記することが必須である場合もあります。これは著作権法上の批評のための引用となるわけですが、この意味の引用(転記)の主従関係が通常の記事で逆転することは考えられませんので、ご心配にはあたらないと思います。ただし、ノートページや会話ページなどで転記したものが主となり、自らの主張(翻案かオリジナルかには関係ありません)部分の質と量において従となってしまえば、これは著作権法上の批評のための引用を満たさない違法行為であるといえます。例えば、会話ページなどで辞書の一項目をまるごと転記して見せた上で、一言感想を添えるような行為は主従が逆転しており批評のための引用とはならないわけです。なぜ引用(転記)における主従関係の逆転が違法行為となるかといいますと、批評のための引用とは確かな根拠に基づいて正しい言論・表現活動が行えるようにして文化的・知的社会の発展に繋がるように設けられた概念であるのにもかかわらず、その主従関係の逆転とは知的発展とはむしろ真逆の卑劣な行為だからです。他者の著作物を利用するだけしておきながら自らの主張であるかのように見せかけようとする行為はフリーライダーであり排除されるべき卑劣な言動であるから違法とされます。他者の貢献を吸い取るだけで自らは何の貢献もしないどころかコミュニティの文化的・知的財産の総量としてはマイナスになっているということです。
- 以上のことを表にまとめますとこのようになります。オレンジで示した引用について混同があるように思います。
俗語 日常用語 誤解の生じない語法 著作権法上の概念 Wikipediaの記述で認められるもの パクリ 引用 翻案 著作権法対象外 ◎常に推奨される コピペ 転記・転載 引用 ○主従関係の逆転がない条件で批評のための引用をしてよい 複製 ×他者の著作物をGFDLで配布することになり 他者の著作物を自由に加工してよい許可を付与して
広めてしまっていることになる
- 「百科事典の売上が落ちてしまう」という点についてもなにか誤解があるようですので指摘させてください。上の投稿では私は一般論として「倒産するのは自己責任」と言いましたが、コピーレフトGNUに端を発するWikipediaでは、むしろ積極的にアイディアを翻案して利用することを推奨しており、特許権などで保護される価値すら無いアイディアにすぎない程度のものを囲い込んで金儲けすることを究極の悪と見なしています。人類の共通財産であるところの公開情報を翻案して、さらに新たな発明や発見につなげることこそ人類の利益に繋がると考えているわけです。特許権などで保護される価値が無い程度のアイディアや、むしろ、アイディアを自由に利用してもらうために公表している学術研究の成果を囲い込み、しかもそれを複製して販売するだけで利益を得ようという行為はコピーレフト思想からすると究極の悪行、実力で滅ぼすべき敵なのです。もちろん、自由に利用できるアイディアにアクセスしやすくするための環境整備にかかる費用を実費負担してくださいという程度のビジネスなら悪ではありません。しかし実費負担とはかけ離れた料金をただ複製するだけで貪る悪行は何のためらいもなく叩き潰すべきです。その利益はアイディアを考えた人ではなく、何も発明していないのに他者のアイディア利用を否定しようとする人が得るのです。そうは思いませんか?--ૡ(会話) 2016年7月15日 (金) 01:58 (UTC)
- コメント「コピペするな」という話と、「コピペ元を明記しろ」と言う話はだいぶポイントが違います。「引用」や「転載」は情報源の文章をそのまま引き写すことです。ウィキペディアでは「検証可能性」のために「出典(情報源)を明記」することが求められていますけれど、「引用しろ」というのとは違います。元の情報源や文章の意味を大きく損なうことなく、異なる表現をすることが求められており、そこにはいくらかの努力/能力が必要です。その「努力/能力」の結果として投稿された文章は投稿者に帰属することになります。
- 1次、2次、3次というのは「信頼できる情報源」から来る考え方で、著作権や引用の話とは少し違います。主催者は公式サイトで「世界初のイベントだ」と言った、というのは1次情報。○○新聞が「主催者は世界初と称しているが、実際には世界初ではない」と報じたのが2次情報。こういう場合、一般的には2次情報のほうが信用できるので、2次情報である○○新聞に基いて書き、そうやって書かれたウィキペディアは3次情報。まあ実際には「1次」「2次」というのは明確に区分されているものではなく、相対的にみて記事の対象本人そのものか、近いか、遠いかの「大小」で判断されます。たいていのウィキペディアの記事は、そういう2次情報を複数持ち寄って構成されており、それはそれでオリジナリティがあるということになります。もしも単一の情報源だけしか用いておらず、記事の骨格や中身が全体として情報源のほとんどそのまんま、という場合には問題視されるかもしれません。
- 基本的なこととして、ウィキペディアは仮想空間ではなく、現実世界の中にあります。つまり、現実世界・現実社会で適用されるルールは、ウィキペディアにも当然のように適用されます。たまに、「ウィキペディア内で明確に禁止されていないこと以外は何をどれだけやってもいいんだ」のように振る舞う方もいますが、そういうものではありません。
- 著作権や引用も同様でして、ウィキペディアのルール、日本(等)の法令、社会通念・常識やマナーなどを総合的に勘案する必要があります。「ウィキペディアのルール」では、大原則はWikipedia:ウィキペディアへようこその「著作権に関する注意事項」、さらには利用規約(特に7. コンテンツの利用許諾)に示されています。そこでは「再配付および再利用の自由、変更の自由、著者の尊重」の精神が示されており、たとえ日本の判例では著作権法違反を問われなかったとしても、本来の著者を尊重しないようなやり方はウィキペディアの精神に反しています。
- ウィキペディアで公開する場合、自由な改変や再利用を認めるのが前提ですが、その場合でも基本的には「著作者」は投稿者ということになっています。本当にその利用者が書いたものであればもちろんいいのですが、本当は外部の情報源からコピペしてきたのに、あたかも投稿者がオリジナルで書いたかのように装って「帰属表示」することは、日本の著作権法に基いて罰せられないとしても、ウィキペディアの精神からは外れた行為です。いずれの場合でも、適切な情報源・引用元を示すことが必要です。それはもちろん、社会通念や常識・マナーにも通じるでしょう。
- 例えば「このぐらいなら著作権侵害とまでは言えない」という判例があるとか、「訴えられても負けない」などといって訴訟リスクだけを判断基準にするような振る舞いは「本来の著者」を尊重していません。刑事罰の観点からは法律違反には問われないとしても、新聞社が自社の商品である新聞記事を勝手に再利用されるようなことを看過することをよしとせず、民事上の賠償請求をしてくるような可能性はあります。「著作権法」だけでなく、経営の観点で利益を脅かすと考えれば、民間企業は訴訟を起こします。ここにもありますが、「ニュースの見出し」を転載しただけでも訴えられて、損害賠償を命じられたという例(ヨミウリオンライン事件)はあります。
- とはいえ、現実的なリスクの多寡を考慮にいれることはあります。常識的に考えるとまずは最初に抗議があり、そこで対応すればそれで済むが、そこで「問題ないのだから知らん」みたいな対応をすれば訴えられるということになります。「リスク」は一体誰のリスクを考えるのか、「訴えられるウィキペディア」のリスクなのか、「ウィキペディアによって自分の商品を奪われたと感じた人」のリスクを考慮するのか、後者を考えるならば最低限でも情報源を明記することで、リスクは大きく減じられるはずです。「ウィキペディアのせいで百科事典の売上が落ちた!訴えてやる!」というリスクがどのぐらいあるかというのは私も考えたことなかったですが、そのウィキペディアが市販の百科事典の丸パクリだったら訴えられるかもしれないし、それを避けるために「自分の言葉で書く」ことになります。--柒月例祭(会話) 2016年6月15日 (水) 05:18 (UTC)
- ・公正な慣行に合致するのかどうか?
- 判例は現実社会で書籍等で行う引用が基準となっていると想定されます。また、一般的な文献を想定していると思われます。
- ネット上で無料で使用出来るともに、検証可能性のために「出典(情報源)を明記」し、元の情報源や文章の意味を大きく損なうことなく、異なる表現をすることが求められている百科事典が『公正な慣行』に合致するのかという点です。
- ・引用部分と自分の著作物とが区別されていること
- Wikipediaにおける自分の著作物とは何でしょうか?元の情報源や文章の意味を大きく損なうことなく、異なる表現したものを指すのでしょうか?
- あくまでも個人的な感覚ですが、意味を損なうこと無く異なる表現とは「独自研究」に該当する可能性があるのでは無いかと思う次第です。同義語は沢山ありますが、使い方によってニュアンスが異なります。その微妙なニュアンスを感じるのが日本語の特質で有ると思います。
- ここで言いたいのは、意味を損なうこと無く異なる表現をすることを『独自研究』と認め、『独自研究』をこの範囲にのみ適用することで、引用部分と自分の著作物の区別が出来るのでは無いかと考えました。
- 本日考えたのはここまでです。続きは明日記載します。--Earthbound1960(会話) 2016年6月15日 (水) 09:22 (UTC)
- コメント違和感3、つまり、自分の著作物を主とし、引用部分を従とすることについは、Earthbound1960様の発言の通りと考えます。私の考えは、先述させていただいた[1]にあります。また、引用部分が主、自分の著作については従でなければ、Wikipedia:独自研究は載せないに抵触していないことについて説明づける根拠が薄くなり、Wikipedia:中立的な観点と判断できるものなのかとの疑いを招きかねない投稿となりうるのではないでしょうか。また、Wikipedia:検証可能性を説明づけるものに「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」との一つのガイドラインがあります。したがって、私は自分の意見や解釈を補足するように出典を使用するのではなく、あくまで、情報源に基づいた記述が求められているものとして、これまで投稿してきました。
- 自分の投稿(意見)を主とし、出典を従とするのであれば、私もウィキペディアでの投稿も自分の解釈を大きく含めた投稿なるものとなり、その内容も大きく変わります。しかし、基本的な方針はそのような投稿を求めているものとは思えません。--Koshi2016(会話) 2016年6月15日 (水) 10:01 (UTC)--一部修正―--Koshi2016(会話) 2016年6月15日 (水) 10:20 (UTC)
- 明確な一本線をサクッと引いて判別できるような話ではないのでしょう。
- もとの情報量が30のところから15を引用したら「引用しすぎ」でしょうけど、30000から15を引用してもどうということはありません。
- 同時に、もとの情報量が少ないほど、「自分の言葉で書く」のは難しくなります。類義語に頼っても、微妙にニュアンスが変わるということは大いにありえます。その反対に、もとの情報量が多ければ多いほど、「自分の言葉で書く」のは容易になっていきます。ただし、情報もとの趣旨を損なってしまう可能性も高くなるかもしれません。そのために出典を明記して検証を可能にしておく必要があります。
- ウィキペディアで記事を書くことを考えると、元の情報量が30しかない場合には「特筆性」にも疑問符がつきます。
- 元の情報量が大きければ大きいほど、特筆性が認められる可能性は高くなることが期待できますし、同時に「自分の言葉で書く」がやりやすくなります。
- より多くの情報源があるほど、ウィキペディアで記事にするのに適した主題である、というふうに考えれば良いのかなあと思います。--柒月例祭(会話) 2016年6月15日 (水) 12:02 (UTC)
- コメント どのあたりで齟齬が生じているのかつかみにくいところはありますが、どれだけ発見するのに苦労したものであっても、「ある事実そのもの」は著作物ではないので著作権の対象となりませんし、それを定型的な「事実の伝達にすぎない雑報及び時事の報道」にしてもやはり著作権は発生しません(著作権#著作権の対象とならないもの)。ウィキペディアで行われているような、「別な著作物から事実だけを抜き出して、自分の言葉で再構成して文章とする行為」は、著作権法上の「引用」とは全く別個な行為です。江差追分事件にあるように、「思想、感情若しくはアイデア、事実若しくは事件など表現それ自体でない部分又は表現上の創作性がない部分において既存の言語の著作物と同一性を有するにすぎない著作物を創作する行為は、既存の著作物の翻案に当たらない」わけです。--Jkr2255 2016年6月15日 (水) 12:16 (UTC)
早朝より失礼します。もやもや感の原因が「法律・訴訟」にあることは明らかなので、法律の専門家に相談に行ってきます。結果はまた後日ご報告致します。--Earthbound1960(会話) 2016年6月15日 (水) 20:42 (UTC)
- コメント Jkr2255様、御指摘ありがとうございます。ただ、引用のノートには『「事実の伝達に過ぎない雑報及び時事の報道」は著作物ではない(法第10条)とされるため、新聞記事は自由に転載・引用できると誤解される場合があるが、新聞社では著作権を主張しているため注意。』との記載が有ります。この部分が大変気になります。--Earthbound1960(会話) 2016年6月15日 (水) 20:50 (UTC)
専門家に相談に行って参りました。[2]
- ここに書かれていた引用部分は外部Webサイトのコピーであり、著作権侵害の虞があるため、引用元サイトへのリンクに置き換えました。--Loasa(会話) 2016年6月17日 (金) 13:55 (UTC)
2つめの回答(回答主は知財に強い弁護士)
- そもそも、Wikipediaは世の中に散乱している情報を整理して分かりやすく記載されているだけで有り、著作権の問題の発生する余地が少ない。Wikipediaに記事を書いている人たちは作家でも著者で無く編集者もしくは資料の整理者と考えるのが妥当である。
- 引用については、引用部分の多寡が問題になるのでは無く、あたかも引用を自説のごとく発表することで著作権の問題が発生する。引用部分の多寡については「必要最小限」である必要があるが、引用した著作物の内容が充分理解できる範囲まで引用することが「必要最小限」の意味である。新聞記事については全文を引用しても引用部分が明確であれば何ら問題は無い。
- 逆に、中途半端な改変を行うことで引用物で主張したいことが作者の意図と異なってしまうことのほうが問題である。
- 引用物と自分の著作とが区別されていることについては、引用部分がどこからどこまでで有るかをカッコ等でくくり判別しやすくする必要がある。その点についてWikipediaは引用部分が明確で無いケースがあるので注意が必要。「自分の言葉で書く」と言うルールはどういう法的根拠で定まったのかは分からないが、リスクが高まる可能性がある。
- 著作物が主で有り引用部が従であるのは一般的な著作物に関してのことで有り、Wikipediaは一般的な著作物では無い。このため、引用部が主となるのは当然の帰結である。
ヒアリング結果は以上です。--Earthbound1960(会話) 2016年6月16日 (木) 10:25 (UTC)
「違和感4」には、上記の専門家を含めて誰も答えてないようなので、私から説明します。
著作権法で引用を認める規定は32条1項であり、32条2項ではありません。32条2項と異なり、32条1項は、「引用して利用することができる」とあるように、利用方法を限定していません。一方で32条2項はご指摘のとおり「刊行物に転載」のみが認められており、行政書士会の見解のとおり、Wikipediaのようなインターネット配信(公衆送信)は対象外と考えます(立法者の見解も同様だと思います)。
Wikipediaも、32条1項に基づく引用は認めていますが(Wikipedia:著作権で保護されている文章等の引用に関する方針)、32条2項に基づく転載は、今のところ認めていないと思います。過去の削除依頼でも、32条2項適用を主張して存続を主張した人がいましたが、私も含めて削除すべきとする意見が多数で、削除されています。--ZCU(会話) 2016年6月16日 (木) 11:58 (UTC)
「違和感4」について専門家よりヒアリング[3]
- ここに書かれていた引用部分は外部Webサイトのコピーであり、著作権侵害の虞があるため、引用元サイトへのリンクに置き換えました。--Loasa(会話) 2016年6月17日 (金) 13:55 (UTC)
以上原文のまま掲載致しました。一応5桁の金額を専門家にお支払いしているのでいい加減な回答ではないと思います。正式な書類として提出して頂くにはもう少し費用がかかります。--Earthbound1960(会話) 2016年6月16日 (木) 21:18 (UTC)
- コメント おそらく根本的にZCUさんの説明内容が伝わってないと思います。上記のZCUさんの話を要約すると、32条2項は媒体を限定した無断転載の規定であって、ウィキペディアでは当該条項を根拠とした著作物の無断転載を容認していないので(仮に投稿されても著作権侵害として削除されますので)、上記「違和感4」のご質問の内容はウィキペディアへの寄稿とはそもそも無関係なのです。--ディー・エム(会話) 2016年6月17日 (金) 13:53 (UTC)
コメント ヒアリングお疲れ様でした。何か例文があれば分かりやすいと思い、僭越ながら以下のような架空のケースを考えてみました。
2016年3月、ウィ○△□ディアを震撼させる著作権侵害訴訟が発生する。2015年の名誉棄損案件に続く大きな訴訟であり、◇▽最大の百科事典が存亡の危機に立たされた。
という記事が出典にあった場合、Wikipediaに
ウィ○△□ディアにおける不祥事[出典x] * 2015年 - 名誉棄損訴訟 * 2016年 - 著作権侵害訴訟
と書くのは、著作性のない情報を記述しただけであって問題なし。
2015年、2016年と立て続けに訴訟が発生。ウィ○△□ディアの存続が危ぶまれた[出典x]。
と書いた場合も事実を元に自分の言葉で書き直した文章ということで、著作権的に問題ないはずです。また、
ウィ○△□ディアでは2015年に名誉棄損、2016年には著作権侵害で訴訟が発生しており、「◇▽最大の百科事典が存亡の危機」と言われた[出典x]。
という書き方は事実の列挙と引用の組み合わせであり、人によっては抵抗を感じつつも、セーフな案件と考えられます(「Wikipedia:著作権で保護されている文章等の引用に関する方針」を満足)。 ですが、原文を組み替えただけの
2015年に名誉棄損案件、2016年3月に著作権侵害訴訟が発生する。ウィ○△□ディアを震撼させ、◇▽最大の百科事典が存亡の危機に立たされた[出典x]。
といったケースはグレーになり、文章量によっては著作権侵害として削除依頼を出す案件になり得ると思います。--Assemblykinematics(会話) 2016年6月16日 (木) 23:03 (UTC)
- コメント出典は新聞や雑誌等を
制定想定されいると解釈して意見を述べさせて頂きます。- 出典が 「2016年3月、ウィ○△□ディアを震撼させる著作権侵害訴訟が発生する。2015年の名誉棄損案件に続く大きな訴訟であり、◇▽最大の百科事典が存亡の危機に立たされた。」であれば、そのまま引用すべきなので文章の順番を組み替えるのは確かにグレーかも知れません。ただ、出典自体が事実の列挙に過ぎないので削除まで発展する問題とは思えません。むしろ時系列に発生した事象を整理したと解釈することも可能では無いでしょうか?
- また、一般的に考えて2年連続でウィ○△□ディアが(どこの出版社でも同様だと思われますが)著作権侵害や名誉毀損で告訴されることは「◇▽最大の百科事典が存亡の危機に立たされた。」のは事実なので、著作権が発生するのかも疑問です。「◇▽最大の百科事典が存亡の危機に立たされた。」が著作物といえるために必要な「創作的」な「表現」であるとは思えないのですが、いかがでしょうか?--Earthbound1960(会話) 2016年6月17日 (金) 03:48 (UTC)
- コメント順番が前後して申し訳ありません。
- 『ウィ○△□ディアでは2015年に名誉棄損、2016年には著作権侵害で訴訟が発生しており、「◇▽最大の百科事典が存亡の危機」と言われた[出典x]。』
- についてどこが問題になるかが分かりかねます。『』でくくった範囲内が引用であるのがもちろん前提です。
- また、出典元がある思想にとりつかれていて偏向報道等で再三訴訟を起こされていない普通のマスコミであることが前提であることはいうまでも無いともいます。
- 「名誉毀損」・「著作権侵害」・「◇▽最大の百科事典が存亡の危機」のいずれも著作物では無いと思慮します。理由は『著作物とは、「創作的」な「表現」をいいます』(著作権法2条1項1号)によります。他人の文章を利用する場合であっても、そもそも創作性がなく、著作物と認められないものを利用しても、著作権と抵触することはなく使用できると考えるのが妥当ではないでしょうか?
- 出典では「立たされた。」となっている部分を「と言われた」書き改めた事に対して、その違いがについても「創作的」な「表現」とまで言い切れるほどの違いがあるでしょうか?ただし、正確に引用していないので「立たされた。」と書き直す必要性はゼロでは無いと思います。
- 仮に、「◇▽最大の百科事典が存亡の危機」といわれたという部分が引用で無く創作であったとしたら、それは『独自研究』と言うことで削除の対象になるのなら分かります。
- また、ウィ○△□ディアとしては「存亡の危機」では無いと感じるのであれば、出典元へ抗議するなり法的手段に訴えるのが正しい方法だと思います。--Earthbound1960(会話) 2016年6月17日 (金) 05:26 (UTC)
- 返信 (Earthbound1960様宛) ちょっと例文がまずかったでしょうか……。「存続が危ぶまれた」で済むものが「存亡の危機」とインパクトのある創作的な表現になっていたということで、実際はもっと長い文章のものを要約したと受け止めていただければ助かります。とはいえ文章が短過ぎましたし、ありきたりな表現過ぎました……。なお、「」や『』、{{Quotation}}などで明確に区別されていない場合は、引用の要件を満たしません。
- そういった点で、事例としてこちらの削除依頼を挙げた方が良かったかもしれません。この件では、出典のサイトにおける「カミュの……のではないだろうか。」をほぼそのまま記載した約180字が引用の要件を満たさないとして、削除されています。ただ、ご指摘のように短くて創作性の薄いものは削除しないという判断になっています。
- あとEarthbound1960様は独自研究を絶対してはいけないものだと、過剰に受け止め過ぎていらっしゃらないでしょうか?独自研究に該当する記述があった場合、議論の上で記述を除去することはありますが、プライバシー侵害や名誉棄損などでない限り、Wikipediaでいう「削除」をする必要はありません。
- Earthbound1960様の見解がWikipediaにおける通常の見解と違っていると感じてコメントさせていただきましたが、こちらのような少し紛糾した削除依頼もあったことを思い出し、引用の受け止め方には幅があると思い直した次第です。いろいろと勉強になりました。--Assemblykinematics(会話) 2016年6月25日 (土) 04:38 (UTC)