コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

橋口弘次郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。27.132.109.110 (会話) による 2015年2月13日 (金) 13:13個人設定で未設定ならUTC)時点の版であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

橋口弘次郎
2011年京都大賞典表彰式
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 宮崎県北諸県郡三股町蓼池
生年月日 (1945-10-05) 1945年10月5日(79歳)
身長 162cm
体重 56kg
騎手情報
所属団体 佐賀競馬
所属厩舎 瀬戸山重春
初免許年 1969年
免許区分 平地
騎手引退日 1970年
調教師情報
初免許年 1980年(1982年開業)
経歴
所属 佐賀競馬・騎手(1969年 - 1970年)
栗東・吉永猛/厩務員(1971年)
栗東・吉永猛/調教助手(1971年 - 1977年)
栗東・松井麻之助/調教助手(1977年 - 1980年)
栗東T.C.
テンプレートを表示

橋口 弘次郎(はしぐち こうじろう、1945年10月5日 - )は日本調教師で、日本中央競馬会(JRA)栗東トレーニングセンターに所属。宮崎県北諸県郡三股町出身。実子の橋口慎介はJRA調教助手。実弟の橋口満朗は元JRA騎手。

宮崎県立都城泉ヶ丘高等学校九州産業大学卒業。

日本の戦後競馬史を見渡しても数少ない学士騎手の1人であり、さらには地方競馬の騎手から中央競馬の厩務員に転じたのちに調教師にまでなった[注 1]という、日本競馬史を見渡しても稀な経歴を持つ人物である。

来歴

大学を卒業後、24歳のときに地方競馬佐賀競馬で瀬戸山重春厩舎所属の騎手としてデビュー。大学卒の騎手は非常に珍しく、地方競馬の過去例を見渡しても船橋の森誉・足利の早川順一などごく少数である[注 2]

しかし1年で騎手を引退[注 3]。その後は兄のつてで中央競馬厩務員となり、栗東・吉永猛厩舎に所属してのち調教助手に。その後松井麻之助厩舎を経て、調教師試験に合格した。

免許取得は1980年3月1日であるが、厩舎を開業したのは丸2年後の1982年3月1日。初出走(同時に初勝利)は同年3月13日阪神競馬第2競走のハクサンレンポー。重賞初勝利はカルストンダンサーが優勝した1984年阪神牝馬特別GI(級)初勝利はレッツゴーターキンが優勝した1992年天皇賞(秋)

2002年9月22日から11月24日まで当時JRA新記録となる10週連続勝利を達成する。

2006年ドバイミーティングでは、GIIのゴドルフィンマイルユートピア)とGIのドバイシーマクラシックハーツクライ)に勝利した。日本人調教師として、ゴドルフィンマイルの優勝はドバイダート競走の初制覇、ドバイシーマクラシックの優勝はドバイGIの初制覇であり、またドバイミーティング2勝も初のことであった。同年5月2日、ユートピアは金子真人ホールディングスからゴドルフィンに売却され、イギリスサイード・ビン・スルール厩舎に転厩した。

2005年頃から現在まで、上村洋行小牧太主戦騎手にしているが、ここ一番のレースでは安藤勝己武豊を起用することも多かった。しかし2008年、上村騎乗のスリープレスナイトスプリンターズステークスを、2009年には小牧騎乗のローズキングダム朝日杯フューチュリティステークスを優勝し、1番人気でのGIという大一番を制している。

預託馬主は、「ツルマル」の冠名で知られる鶴田任男社台グループ一口馬主クラブである社台レースホースサンデーレーシングなど。両クラブからは特に、薔薇一族の馬を数多く預かっている。薔薇一族の重賞16勝は、全て橋口厩舎の馬が挙げたものである。

GI競走優勝は多いが、それ以上にGI競走での2着が多いことで知られる。管理馬には、ダイタクリーヴァローズバドのように惜しくもGI制覇に届かなかった馬もいれば、ツルマルボーイやハーツクライのように幾度もの善戦の末にGI制覇を果たした馬もいる。

2014年、これまでダンスインザダーク・ハーツクライ・リーチザクラウン・ローズキングダムで2着を喫していた東京優駿ワンアンドオンリーで制し、悲願のダービートレーナーの座を手にした。

人物

  • これと決めた調教方針に固執せず、常に試行錯誤を続けながら馬を育てている。実績を挙げた調教師は若手であってもすぐに評価し、その調教方針から範を取って、自らの調教に取り入れることもある。そのため、レース週の追い切りなどにはしばしば変化が見られる。栗東トレーニングセンターに坂路コースが完成した際、いち早く調教メニューに組み入れた調教師の一人でもある。
  • 1996年ロゼカラー桜花賞を熱発で回避し次の週にはダンスインザダークが同じく熱発で皐月賞を回避したり、ロゼカラーの仔ローズバドが母と同じ熱発で桜花賞を回避するなど、春のGIでは運に恵まれない面もあった。
  • 東京優駿(日本ダービー)に人一倍執着を持っており、「私の一年はダービーに始まり、ダービーで終わる」と語ったこともある。その考え方を表すように、1999年から2006年までは8年連続で日本ダービーに管理馬を出走させていた。1996年にダンスインザダークで、2004年にハーツクライで、2009年にリーチザクラウンで、2010年にローズキングダムで2着に入っており、日本ダービー制覇の夢は実現できていなかったが、2014年、ハーツクライ産駒のワンアンドオンリーで悲願達成。実に20頭目の送り出しによるダービー制覇だった。
  • 新潟事件によって所属する関東の調教師からの騎乗依頼が激減した後、主としてローカル開催で関西馬に騎乗することが多くなっていた大崎昭一騎手。同県出身ということもあり「大崎昭一に1000勝させる会」と一部で呼ばれた調教師グループの一員として橋口調教師も加わっていた。管理馬であったレッツゴーターキンが谷川岳ステークスから大崎騎手とコンビを組むとそれまでの不安定な成績が一変、勝ちきれないことも多かったが安定した成績を残すようになった。福島民報杯を勝ったところで、半信半疑ながらも大崎騎手のアドバイスにより秋の天皇賞へ出走、11番人気ながらも先行馬の作った猛烈なハイペースに乗じて直線一気の剛脚を炸裂させ、一緒に伸びたムービースターをおさえて見事栄冠を勝ち得た。大崎騎手にとっては11年ぶりのG1級勝利であった。
  • 熱烈な読売ジャイアンツファンで知られ、2006年5月4日阪神甲子園球場で行われた、阪神タイガース対読売ジャイアンツ戦のラジオ日本ジャイアンツナイターにゲスト出演した。

調教師成績

日付 競馬場・開催 競走名 馬名 頭数 人気 着順
初出走・初勝利 1982年3月13日 1回阪神5日2R 4歳未勝利 ハクサンレンポー - - 1着
重賞初出走 1983年9月11日 4回阪神4日11R サファイヤS カルストンダンサー 13頭 12 13着
重賞初勝利 1984年1月29日 2回京都2日11R 京都牝馬特別 カルストンダンサー 13頭 8 1着
GI初出走 1984年11月18日 5回京都6日10R マイルCS カルストンダンサー 16頭 14 14着
GI初勝利 1992年11月1日 4回東京8日10R 天皇賞(秋) レッツゴーターキン 18頭 11 1着

主な管理競走馬

GI級競走優勝馬のみ記載。

主な厩舎所属者

※太字は門下生。括弧内は厩舎所属期間と所属中の職分。

注釈・脚注

注釈

  1. ^ 当時は2000年代初頭以降の様に地方から中央への騎手の移籍が一般化していなかったので、途中で一旦厩務員に転じたとは言え橋口の中央への移籍は極めて珍しい事例となった。
  2. ^ 現在の日本競馬では騎手になるためには競馬学校または地方競馬教養センターへの入学および卒業が必須条件となっているが、これらの養成所では入学時の年齢制限の上限が20歳以下となっているため大学卒業騎手のデビューは事実上不可能となっている
  3. ^ 本人は当時について「何しろ下手で下手で」と述べている[1]

脚注

  1. ^ 広見直樹「アンカツ 唸らせる騎手、安藤勝己の軌跡」(日本中央競馬会優駿』2000年1月号、p.111)

関連項目