地方競馬
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地方競馬(ちほうけいば)とは日本における競馬の興行形式のひとつである。
- 地方競馬規則(1927年8月27日 農林・内務省令)が制定されたことにより始められた競馬。主催者は畜産組合、畜産組合連合会、または(投票権付入場券を発行しない場合は)馬匹改良を目的とする団体。1939年4月7日に軍馬資源保護法が公布されたことにより「軍用保護馬鍛錬競走」へと移行した。
- 現行の競馬法に基づき都道府県・競馬場が所在する市町村あるいは左記の地方公共団体で構成される一部事務組合が施行する競馬である。地方公共団体等が施行することから「
公営競馬 」という呼称で呼ばれることもあるが正式な呼称は「地方競馬」であり、日本中央競馬会(JRA)の施行する「中央競馬」と対をなす法令用語となっている(競馬法第1条第5項)。地方共同法人の地方競馬全国協会(NAR)が地方競馬全体を統括している。
概要
現在の日本における地方競馬は、都道府県または総務大臣により指定を受けた市町村により施行される競馬であると競馬法に定義されている。過去には競馬場が所在しない市町村も競馬を開催していたが昭和40年代の法改正により著しく災害を受けた市町村と競馬場が所在する市町村に限定されている。
地方競馬など公営競技は長年にわたり地方自治体の貴重な収入源となってきたが、近年パチンコ産業との競合や一般大衆の「ギャンブル離れ」の影響を強く受けて不採算化が著しく競馬などの公営競技事業そのものを廃止する事例が出てきた。[要出典]
地方競馬の歴史
概要
前述のように戦前の地方競馬は畜産組合連合会や畜産組合などが主催して行われ太平洋戦争中は軍用保護馬鍛錬競走として行われた。戦後は一時根拠法が存在しない状態が生じたが、1946年11月20日に地方競馬法が制定され再び馬匹組合・馬匹組合連合会の主催で行われることとなった。その後それらを主催者とすることが独占禁止法に抵触するという指摘がGHQによってなされ、1948年7月13日以降は競馬法に基いて地方自治体の主催で行われるようになった。
終戦直後の地方競馬は戦災復興の名目の下、地方自治体の財源を確保するために行われた。そのため売上が好調であったにもかかわらず終戦後一定期間が経過したことにより競馬開催を廃止した競馬場も存在する。開催を続行した競馬場は1990年代以降総じて売り上げの低下が問題化し、財政の悪化を理由として開催を廃止するものが相次いでいる。
アングロアラブ競走
かつての地方競馬ではアングロアラブによる競走が盛んにおこなわれていた。中央競馬所属のアングロアラブはすべて抽せん馬であったのに対し地方競馬所属のアングロアラブにはそのような制約がなかったため、一般に中央競馬よりも質の高い競走馬が確保された。しかし1995年以降中央競馬と地方競馬の交流が進む中、サラブレッドの導入を積極的に行う競馬場が相次いで現れ、その影響を受けてアングロアラブによる競走は全国的に縮小されていき2009年にアングロアラブの単独での競走に終止符が打たれた。
地方競馬が抱える問題
地方競馬の廃止・存続問題
概要
地方競馬を含む公営競技は長年にわたり地方自治体の貴重な収入源となってきた。しかし近年、バブル崩壊以後の不況の長期化、一般大衆のギャンブル離れ、公営競技施設・レース数の過剰、レジャーの多様化、射幸性が高まり事実上ギャンブル同然の存在であるパチンコ・パチスロとの競合などさまざまな要素が原因となって収益が悪化していった。[要出典]
管轄する官庁・競技団体や選手会・主催者・関連業者等が基本的に一枚岩となって業界を守り既存の開催場を維持していこうとする他種競技(競輪、競艇、オートレース)と異なり地方競馬においては管轄である農林水産省の下に競馬主催者である「日本中央競馬会(JRA)」と地方競馬のコミッショナー的役割のみを果たす「地方競馬全国協会(NAR)」という2つの特殊法人がある構造(競馬の二層化構造)であり、なおかつ地方競馬の主催者同士の間でも一枚岩ではなく、それぞれの主催者が特定の地域のみに限定された興行を実施してきた[1]。
大井競馬場の様に「トゥインクルレース」と銘打ったナイター競走の開催、施設の大幅な改築・改善、メディアを活用した若者層の取り込みなどを行った結果、収益が安定した例もあるがこうしたケースは非常に希有な例であり全国の一等地に競馬場・場外発売所を構え電話投票やメディア展開を全国的に行ったJRA(そのため地方競馬とも競合することになる)に対し大半の地方競馬は競馬場本場の売上げだけに依存する赤字体質から脱却できていない。
本場依存体質を脱却できる可能性のあったその電話投票においても岩手(「R-CALL」レーシングコール)・南関東(南関東4競馬場電話投票システムSPAT4)・兵庫(テレジョッキー園田・姫路)などの主催者が自らで立ち上げた電話投票システムがあるにも関わらず主催者の売上げに応じた分担金(黒字・赤字に関わらず売上げの1.4%)で運営されているNARが地方競馬共同在宅投票システム、いわゆる「D-net」を後発で立ち上げ道営・岩手・兵庫のシステムを吸収した後に2005年12月にD-net参画主催者の承認もあいまいなままにソフトバンクグループ(オッズパーク)に身売り同然で全ての権利を売却してしまうなど足並みの乱れや方向性の不透明さが見られる。2007年度においてもD-netを中心とした主催者(オッズパーク系主催者)推薦による「オッズパークグランプリ」がJBCの直後に実施されNARのホームページや広告展開などにおいても「オッズパークグランプリ」や「SJS」「LJS」といった騎手招待競走がダート競馬の祭典といわれるJBCよりも大きく扱われるなど、NARの求心力・存在感の低下とそれに反比例したオッズパークの躍進ぶりが目立っている。
既に廃止された上山競馬場や福山競馬場、高崎競馬場、現存するばんえい競馬、名古屋競馬場、高知競馬場などでは「個人協賛競走」として個人・団体から小額の協賛金などで希望の名前の冠競走を開催するなどさまざまな方策も行ってはいるが決定的な一打にはなり得ていない。2004年の高知競馬場ではハルウララ人気による収益増加が起きたが一過性のものに過ぎず、また特定の競走馬頼みのものであったことからその馬主の言動に振り回される有様であった。ハルウララ引退後の現在では具体的かつ可及的な見通しも立てられない状況であり、ナイター開催など収支改善を目指しての必死の模索を続けている。[要出典]
また、競馬主催者を指定できる総務省管轄の特殊法人である公営企業金融公庫(現「地方公共団体金融機構」)へ売上の約1.2%(率は暫定税率であるがガソリン税同様、既に既定事実化。ただし、平成22年度以後は1.0%に引き下げられ、累積赤字のある主催者は納付を免除されている)を拠出しているのも見逃せない(当時は競馬を主催すれば必ず黒字になる時代であったので、他の「競馬を実施しない地方自治体に対しての均てん化」が必要との名目で始められたものである。なお、この納付金は公営企業債の返済金名目で公営競技を主催していない自治体に配分されている)。結果として2004年度には主催者すべてが赤字という状態になり、全国合計の赤字額も189億円に達している。さらには地方自治体への収入減になっているどころか逆に公営競技への赤字補填を行わざるを得ない状況で、このまま赤字が累積した状況が続くと自治体諸共に破綻しかねない状況だと言われる。このため自治体にもよるが地方競馬や競輪をはじめとする公営競技の存廃問題については、その公営競技の収支以前の部分で自治体そのものの財政難や、その財政難の原因となっている地域経済自体の斜陽化、さらにその原因である過疎化や地域を支えてきた主要産業の衰退という要素や、地域経済の低迷による馬主の減少などが少なからず存廃問題を発生させる実際の下地となっており、そもそものところでもはや地域経済が公営競技のような庶民の娯楽すらまともに維持できないレベルにまで落ち込んでいると言わざるを得ないケースも少なくない。[独自研究?]
他方では浦和競馬場が経営努力・合理化の徹底や同ブロック他場(大井・川崎・船橋)との連携強化などによって作り出した単年度黒字を地道に積み重ねピーク時は25億円を超えた累積赤字が2009年には全額解消に成功し、一時期は埼玉県議会でも取りざたされた廃止論議に事実上の終止符を打つことに成功している。
[2]。そのため、地方議会や首長の選挙などで赤字を名目として競馬場の廃止と跡地利用を公約に訴える者が現れるなど競馬場の存廃論議が政争の種や選挙の集票の材料として持ち出されることも珍しくない。
IT企業の参入
こうした厳しい状況の中、IT企業のライブドアが地方競馬経営に参入するという動きを見せた。2005年1月より競馬法が改正され馬券発売などの民間委託が可能になること、経営難の地方競馬を立て直すことができれば格好のビジネスになるという狙い、さらに当時の社長の堀江貴文が自ら競走馬を持つほどの競馬ファンでもあることがその要因であった。
高崎・笠松・高知などいくつかの主催者がライブドアと交渉を行い、一時は高知がライブドアとの提携を正式に発表した他、岩手など複数の主催者がこのプランに関心を示していた[3]。ライブドアは馬券のネットによる全国販売、レース中継のストリーミング配信、競馬場や地方競馬自体のイメージ改善といった収益改善策を大々的に打ち出し、今後この成否が地方競馬の将来の鍵を握るとして期待されていた。
だが後に改善策はライブドアの一方的な主張・パフォーマンス行為に過ぎず実現性に乏しいプランばかりであったこと、また交渉は手数料の歩合ばかりが最優先され具体的な販売振興策や収益改善策などの提案が全くなされていなかったことなど、ライブドアの掲げた競馬参入計画はそれ自体がパフォーマンスに過ぎない画餅であったことが露呈し、主催者側に時間とコストを徒に空費させるだけの結果になった。さらにライブドアに証券取引法違反容疑など一連のライブドア事件が発覚し堀江が逮捕され、これと前後して高知も提携を解除している。
一方、ソフトバンクも子会社のソフトバンク・プレイヤーズを通じてこれまで地方競馬の場外馬券販売を担当してきた日本レーシングサービス(NRS、NARの子会社)からD-netを買い取り、レース中継のネット配信やネットでの馬券販売を両者の共同出資によるオッズパーク株式会社で進めていくこととなった。しかしNARの解散問題も絡んだためかNRSの「まず売却ありき」の姿勢が目立ち、D-net参画主催者(12主催者)への説明・承認が後手後手に回ってしまっていた。2006年4月より4競馬場で、7月には11競馬場に拡大してオッズパークが馬券の販売を始めた。このオッズパークにはホッカイドウ競馬は参加していない。ただし、従来のD-netでの投票は可能である。
この様な状況下でやはりIT企業である楽天が2006年3月に南関東4競馬場と2006年5月には残りの地方競馬全場の馬券販売業務を受託し、他のIT企業に先駆け2007年2月27日に初めて地方競馬全場の馬券の取り扱いを始めた。また、旭川市・岩見沢市・北見市の開催撤退により存廃の岐路に立たされていたばんえい競馬でも、ソフトバンク・プレイヤーズの子会社「オッズパーク・ばんえい・マネジメント」が帯広市による単独開催を支援し、2011年度まで運営にかかる一部業務を受託していた。
しかし、これらについては、競馬ファンが高齢化していくなかネットやパソコンの経験もない者も多く、こうしたファン層をうまく維持し取り込めるかという問題があるほか、若者層の確保や膨大な累積赤字の解消、パチンコ・パチスロ産業との競合など課題は多く、すぐに収益になるというのは難しいのではないかという見方もある。一方、SPAT4は南関東4競馬場(大井・川崎・船橋・浦和)による連携がうまくいっていること、ネットバンク(ジャパンネット銀行・楽天銀行など)を利用したシステムが好調なことなどから売上げが上向いており、2006年からは新たに提携したホッカイドウ競馬の馬券購入が可能になるなど独自の展開を続けている。
地方共同法人の設立
その一方で、政府の構造改革の一環として公営競技に関わる特殊法人の改革も進められている(ちなみに日本中央競馬会も特殊法人のひとつである)。2008年1月1日には競馬法の改正によりNARを解散し、地方競馬主催者の共通の利益となる事業などを実施する公的な地方共同法人として新「地方競馬全国協会」が設立された。NARがこれまで担ってきた馬主や競走馬の登録、調教師や騎手の免許交付だけでなく新法人では各競馬場の運営にも直接関われるようになり全国規模で騎手や競走馬の移動が容易になることから、レース内容の向上が見込める。また新法人からの集中投資によって、施設整備や宣伝活動も大規模に実施可能になる。
しかしながら上記の「競馬の二層化構造」が解消されたわけではないため競輪などの他種競技は監督官庁自らが積極的に経営改善などに乗り出しているのにひきかえ農水省はJRAの売上確保が第一、地方競馬についてはJRAの邪魔をせずに現状通りの天下り先を確保できればあとはただ傍観しているのみという状況は変わらないと考えられる。新共同法人における人事も理事長を除けばNARに横滑りしていると指摘されている。また以前は農林水産省下の特殊法人ということで押さえ込まれていた「自治体ごとの出資額の割合や運営権を巡った自治体間での対立」「自助努力が求められることによる不採算競馬場の廃止の増加」「それまで商圏を奪ってきたことに対しJRAが渋々出資させられていた地方競馬への補助の継続性(これはJRAから見た主観に過ぎず、地方競馬との競合は前述の通りである)[4]」といった問題点に対する懸念もあり、新法人になり新施策が取られることで以後地方競馬の経営が安定化できるかは未だ不透明な状況にある。[独自研究?]
記録に関する問題
前述のように、戦後の地方競馬は地方自治体の財源確保を目的として各自治体単位で開始され、初期は人材の流動も激しく、中には紀三井寺競馬場の様に、毎年人馬の大半を冬季休催となる地域の競馬場から募って冬季のみ開催されるという場もあった。そのため競走馬および競馬関係者の出走履歴・成績を全国規模で体系的に記録し保存する仕組みには不備があり、現存する競馬場でも一部の地域を除けば地方競馬全国協会が発足する以前の記録については確たる資料が存在しないものが多い。
さらに昭和期に開催権を返上した主催者の大半では、競馬ブームをきっかけに競馬がカルチャーとして飛躍的な発展を遂げた1990年代には既に競馬開催や競馬場そのものについての当時の記録や資料が保管期間を過ぎて散逸・消失してしまっており、資料が希少な1920年代以前の日本競馬の姿と同様に、もはや競馬開催当時の実像を掴むことは限りなく不可能に近い。
競馬場
地方競馬場一覧
所在地は競馬場が置かれている自治体名をいう。所属は地方競馬全国協会[5]の定める区分による。
地方 | 都道府県 | 所在地 | 競馬場名 | 主催者 | 所属 |
---|---|---|---|---|---|
北海道 | 北海道 | 日高町 | 門別競馬場[6] | 北海道(業務委託:北海道軽種馬振興公社) 通称:ホッカイドウ競馬 |
北海道 |
帯広市 | 帯広競馬場[7] | 帯広市(業務委託:株式会社コンピューター・ビジネス) 通称:ばんえい競馬(ばんえい十勝) |
ばんえい | ||
東北 | 岩手県 | 盛岡市 | 盛岡競馬場 | 岩手県競馬組合 (岩手県、盛岡市、奥州市) |
岩手 |
奥州市 | 水沢競馬場 | ||||
南関東 | 埼玉県 | さいたま市 | 浦和競馬場 | 埼玉県浦和競馬組合 (埼玉県、さいたま市) |
浦和 |
千葉県 | 船橋市 | 船橋競馬場 | 千葉県競馬組合 (千葉県、船橋市、習志野市) |
船橋 | |
東京都 | 品川区 | 大井競馬場 | 特別区競馬組合 (東京都特別区) 通称:TOKYO CITY KEIBA(TCK) |
大井 | |
神奈川県 | 川崎市 | 川崎競馬場 | 神奈川県川崎競馬組合 (神奈川県、川崎市) |
川崎 | |
北陸 | 石川県 | 金沢市 | 金沢競馬場[8] | 石川県(石川県競馬事業局) | 金沢 |
金沢市 | |||||
東海 | 岐阜県 | 笠松町 | 笠松競馬場 | 岐阜県地方競馬組合 (岐阜県、笠松町、岐南町) |
笠松 |
愛知県 | 名古屋市 | 名古屋競馬場 | 愛知県競馬組合 (愛知県、名古屋市、豊明市[9]) |
愛知 | |
近畿 | 兵庫県 | 尼崎市 | 園田競馬場 | 兵庫県競馬組合 (兵庫県、尼崎市、姫路市) |
兵庫 |
姫路市 | 姫路競馬場 | ||||
四国 | 高知県 | 高知市 | 高知競馬場 | 高知県競馬組合 (高知県、高知市) |
高知 |
九州 | 佐賀県 | 鳥栖市 | 佐賀競馬場 | 佐賀県競馬組合 (佐賀県、鳥栖市) |
佐賀 |
休止中または廃止された競馬場については、日本の廃止・休止競馬場一覧を参照のこと。
開催
地方競馬は競馬法および競馬法施行規則により年間開催回数と1開催あたりの開催日数、1日あたりの競走回数が定められている。年間開催回数については下表で定められた回数を超えない。
都道府県 | 年間開催回数 |
---|---|
北海道[10] | 43回 |
兵庫 | 29回 |
愛知 | 28回 |
岩手、東京、石川、岐阜、佐賀 | 21回 |
高知 | 19回 |
神奈川 | 15回 |
埼玉、千葉 | 13回 |
- 1回の開催における開催日数は、6日を超えない。
- 1日の競走回数は12回を超えない。
- 1回の開催における日取りは、連続する12日間の範囲内の日取りとする。
かつては開催できる曜日も指定されていた(土・日・月または日・月・火と祝日)が、南関東・東海・兵庫については中央競馬と商圏が重複するため土日に開催しなくても良いように例外規定が設けられていた。現在では開催の日取りに関する規定は統一・簡略化されている。
馬券の種類
2014年8月19日現在、以下の10方式が設定されている(参考:地方競馬情報サイト 地方競馬の基礎知識)。詳細は各賭式・各主催者の項目も参照。
- 単勝式
- 複勝式
- 枠番号二連勝複式(枠複) - ばんえい競馬では設定なし
- 枠番号二連勝単式(枠単) - 南関東・金沢のみ設定
- 普通馬番号二連勝複式(馬複、普通馬複)
- 馬番号二連勝単式(馬単)
- 拡大馬番号二連勝複式(ワイド) - ばんえい競馬では設定なし
- 馬番号三連勝複式(3連複)
- 馬番号三連勝単式(3連単)
- 重勝式 - インターネット投票のみ
- 5重勝単勝式 - ばんえい競馬・岩手・笠松・兵庫・佐賀で設定
- 7重勝単勝式 - ばんえい競馬・佐賀で設定
- 3重勝馬番号二連勝単式 - 北海道・南関東で設定
交流競走の増加とそれに伴う場外発売の増加に伴い、2003年4月からは単勝式・馬複・馬単の3種類については交流競走を発売する全ての競馬場・場外発売所で発売するというルールが導入された。同時に8頭立て以下の競走については枠複・枠単を発売せず、馬複(およびワイド)・馬単での発売となった。
また、日本中央競馬会(JRA)が運営する「地方競馬IPAT」での発売開始にあわせ、ばんえい競馬と南関東地区を除く多くの主催者で賭式の統一化が図られ、JRAと同様の8種類にほぼ統一された。
ワイド導入に伴い、一部の競馬場では普通馬番号二連勝複式の略称を「普通馬複」と表記する場合もある。
能力検定競走
能力検定競走(「能力検査(能検)」「能力試験(能試)」とも呼ばれる)とは初出走時や他の競馬場・厩舎からの移籍時に行われる模擬競走で、地方競馬ではこれを受けなければ競走に出走できない。実際の競走と同様に数頭で800m程度(競馬場により多少異なる)の模擬競走を行い、基準タイム以内で走破(あわせて走法なども考慮される)した競走馬が出走資格を得る。不合格の場合は合格するまで再受検を行う。
ホッカイドウ競馬やばんえい競馬などでは一般のファンにも公開しているほか後日VTRで公開する主催者もあり、競馬新聞などにも走破タイムが記載されるため特に2歳新馬戦などでは有力な予想材料として利用されている。
中央競馬では行われていないが、海外でもこのような検定を行うところも存在する。
ばんえい競馬も現在は平地と同様に基準タイム制を2005年度より採用しているが、かつてはあらかじめ検査日ごとに合格頭数を設定し、模擬競走を完走しても上位に入らなければ合格できなかった(一般的な受験と同じく、ふるいにかけるほど多くの競走馬が受検するため)。
競走結果
2011年7月19日から、これまでは各自の競馬場ごとに行われていた競走結果のテレホンサービスを統一するサービスを開設した。詳しくは地方競馬テレホンサービスを参照。
関連書籍
- 地方競馬の黄金時代 - 廃競馬場に消えた伝説の名馬たち(戎光祥出版) ISBN 4-9009-0197-0
- 全国地方競馬ガイド(ソフトバンククリエイティブ) ISBN 4-7973-3530-0
脚注
- ^ 例えば、十数年前まで地方競馬主催者はその所在する地域外に場外発売所を設置することは認められなかった。
- ^ 約21億円の累積赤字を理由に廃止され、平成の公営競技廃止の端緒となった中津競馬場では、廃止早々に跡地利用として「水の杜」構想という公園設置などの公共事業が立案・実施され[1]、これには競馬の累積赤字の額を遥かに上回る40億円以上とも言われる金額が投じられた[2]。
- ^ 高崎競馬場はライブドア側が運営プランを期限までに出さないなど不信感を持った結果、最終的に断念した。笠松も交渉が遅々として進展しない間にライブドア事件が発覚し、交渉は打ち切りとなった。
- ^ 競合の例として完全に商圏が競合する南関東では平日中心の開催をせざるを得ない、ホッカイドウ競馬もかつて土日開催を行っていたが中央競馬の場外発売の充実により撤退、土日開催中心のばんえい競馬は道都・札幌圏での場外施設が長らくなくやはり土日中心の東北地方は長らく中央競馬の場外施設がなかったが交流販売の結果上山が廃止・岩手が所有していたテレトラックつがるもJRAに売却、など。
- ^ 各地方競馬主催者を統括する団体として、馬主・競走馬の登録、騎手・調教師の免許などを行っている。
- ^ 2009年までは札幌競馬場でJRAとホッカイドウ競馬を併催していたが、2010年度以降の札幌競馬場におけるホッカイドウ競馬開催は休止している。
- ^ 1997年までホッカイドウ競馬を併催していた。
- ^ 石川県と金沢市が個別に主催している。
- ^ 豊明市にある中京競馬場はJRAと愛知県競馬組合の併催となっているが、地方競馬の開催は2002年以降休止している。
- ^ 北海道はホッカイドウ競馬、ばんえい競馬を合わせた開催回数である。