矢野国村
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時代 | 戦国時代 |
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生誕 | 不詳 |
死没 | 天正7年(1579年)12月27日 |
官位 | 駿河守 |
主君 | 三好氏 |
矢野 国村(やの くにむら、生年不詳 - 天正7年(1579年)12月27日)は、戦国時代の阿波国の武将。駿河守。矢野城主。三好家家臣。子に虎村。
生涯
矢野国村は、阿波において三好実休の重臣として仕え、元亀2年(1571年)、実休の子・三好長治の命により寒川元隣が治める讃岐国大内郡のうち4郷が三好家に割譲され、そのうち引田城に矢野国村が、虎丸城には安富盛定が配された。
天正5年(1577年)3月、阿波勝瑞城の三好長治が阿波守護細川真之、伊沢頼俊、小笠原成助に討たれると阿波に戻り、篠原自遁と共に井沢頼俊を謀殺し、小笠原成助と対峙した[1]。天正6年(1578年)1月、矢野国村は勝瑞城に十河存保を迎え入れ三好家当主に仰いだ[2]。
天正7年(1579年)12月、三好康長の嫡男岩倉城主三好康俊が長宗我部元親に通じた。三好康俊は三好家の武将に土佐へ攻め入るため軍勢を率いて参陣するように命じた。これに、三好越後守、森飛騨守、河村左馬亮と共に矢野国村もこれに応じ、脇城外で三好康俊の兵に鉄砲で撃たれ死亡した[3]。
関連項目
参考文献
- 『角川日本地名大辞典 36 徳島県』(1986年 ISBN 4040013603)