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日本の学校給食

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学校給食の配膳風景 (府中市

日本の学校給食(にほんのがっこうきゅうしょく)とは、日本において学校小学校中学校など)で一定の特定多数人のために専門の施設を用いて組織的・継続的に提供される給食。日本において単に「給食」といえば、この学校給食のことを指す場合が多い。

概要

日本においては、学校小学校中学校など)で一定の特定多数人のために専門の施設を用いて組織的・継続的に給食が提供されている。給食は、調理作業の能率化、調理場施設における衛生管理や栄養管理が行われている。

それぞれの自治体の方針によってやや事情は異なるが、基本的に下は幼稚園から小学校を経て、中学校までが一般的で、ほかに定時制(主に夜間)高等学校で給食が提供されている。近年、一部全日制高等学校においても給食が開始されはじめている(ただし、全日制高等学校などでの給食は学校給食法上の「学校給食」ではない。#法令上の定義を参照)。学校給食法では、義務教育諸学校の設置者は、当該義務教育諸学校において学校給食が実施されるように努めなければならないとされている(学校給食法第4条)。また、国及び地方公共団体は、学校給食の普及と健全な発達を図るように努めなければならないとされている(学校給食法第5条)。

学校給食はメリットのほうが大きいが、集団活動の一環でもあり、問題も多く発生している。

定義と目標

法令上の定義

学校給食法
学校給食法にいう「学校給食」とは、義務教育諸学校(学校教育法に規定する小学校、中学校、中等教育学校前期課程、特別支援学校の小学部・中学部)において、その児童又は生徒に対し実施される給食をいう(学校給食法第3条第1項・第2項)。
特別支援学校の幼稚部及び高等部における学校給食に関する法律
特別支援学校の幼稚部及び高等部における学校給食に関する法律でいう「学校給食」とは、特別支援学校の幼稚部又は高等部において、その幼児又は生徒に対して実施される給食をいう(特別支援学校の幼稚部及び高等部における学校給食に関する法律第2条)。
夜間課程を置く高等学校における学校給食に関する法律
夜間課程を置く高等学校における学校給食に関する法律では「夜間学校給食」として定義され、夜間において授業を行う課程(夜間課程)を置く高等学校において、授業日の夕食時に、当該夜間課程において行う教育を受ける生徒に対し実施される給食をいうと定義されている(夜間課程を置く高等学校における学校給食に関する法律第2条)。

目標

学校給食法第2条は義務教育諸学校における教育の目的を実現するため学校給食を実施するにあたっての目標が規定されている(以下は条文の各号)。

  1. 適切な栄養の摂取による健康の保持増進を図ること。
  2. 日常生活における食事について正しい理解を深め、健全な食生活を営むことができる判断力を培い、及び望ましい食習慣を養うこと。
  3. 学校生活を豊かにし、明るい社交性及び協同の精神を養うこと。
  4. 食生活が自然の恩恵の上に成り立つものであることについての理解を深め、生命及び自然を尊重する精神並びに環境の保全に寄与する態度を養うこと。
  5. 食生活が食にかかわる人々の様々な活動に支えられていることについての理解を深め、勤労を重んずる態度を養うこと。
  6. 我が国や各地域の優れた伝統的な食文化についての理解を深めること。
  7. 食料の生産、流通及び消費について、正しい理解に導くこと。

歴史

日本の学校給食の起源は1889年山形の私立忠愛小学校で無料で食事を配ったのがルーツとされる[1]。当初はおにぎりと漬物だけという簡素なものであった(当時の日本では当たり前の昼食でもある)[2]。その後、各地で一部の子供に対して、つまり欠食児童対策としてパンなどが一部の学校で配られるようになっていった[3]。1930年代に入ると学校給食臨時施設法が制定され、一部とはいえ学校給食が実施されるようになったが、1940年代に入ると食糧事情悪化の為に中断された[4]

戦後1945年以降はアメリカや外国からの食料援助によって、児童の欠食対策として徐々に給食は再開され、1952年あたりからは食糧事情の改善により全国的に完全給食を実施することが可能となり、同時に給食の目的は「欠食児童対策」から「教育の一環」と位置づけられ、また「学校給食法」が制定され財政力の弱い地方自治体でも交付税と補助金によって全児童への完全給食が可能となり、現在の体制が構築された[5]

アメリカ合衆国では、1930年代より余剰作物の有効活用として学校給食の援助がスタートした[要出典]第二次世界大戦後のアメリカのヨーロッパに対する支援が一段落し、溢れるアメリカの農畜産業の余剰小麦のはけ口として日本がターゲットとなり、日本国内の小麦消費拡大運動の展開の一環として学校給食も対象となった[6]。学校給食は、極端な米食重視だった日本人の食生活を大幅に変容させ、日本にパンや乳製品の消費が定着する一因ともなった。

高度経済成長をへて日本が豊かになるにつれてその内容は大きな変遷を遂げてきた。1960年代から1970年代前半にかけて脱脂粉乳が牛乳に変わり、1976年(昭和51年)には米飯給食が開始された。後にパンは週1回程度になりご飯が主食となり(日本人の食事の洋食化に伴い、米の生産量の増大と反比例して消費量が減り、余った古米、古古米の処理のため)、パンをクロワッサンに、汁物をトムヤムクンになど、従来あまりなじみのなかったメニューも供され、近年では普段の食事と変わりないかそれを上回るメニューが多く登場している。食物アレルギーを持つ児童生徒に対応した特別食を作る場合もある。

  • 1889年(明治22年) - 山形県鶴岡町(現鶴岡市)の大督寺内の私立忠愛小学校においておにぎり焼き魚漬け物といった昼食を貧困児童に与えたのが日本で初めての給食とされている(ちなみに鶴岡市では12月になると給食記念日と言う事で当時の給食を再現されたものが出される)。
  • 1944年(昭和19年) - 6大都市の小学生児童約200万人に対し、米・みそ等を特別配給して学校給食を実施した。
  • 1946年(昭和21年)12月24日 - 戦時中中断されていた学校給食が東京神奈川千葉で試験的に再開される。
  • 1947年(昭和22年)1月 - 主要都市の約300万人の児童にララ物資を利用した学校給食が開始される[6]
  • 1949年(昭和24年) - ユニセフ(国連児童基金)から脱脂粉乳が贈られユニセフ給食が行われた。
  • 1950年(昭和25年) - アメリカ合衆国から小麦粉が贈られ都市で完全給食が行われた。
  • 1954年(昭和29年) - 保護者においても好評で存続が望まれ、学校給食は教育の一環として学校給食法施行。
  • 1956年(昭和31年) - 学校給食法一部改正。中学校にも適用されるようになった。「夜間課程を置く高等学校における学校給食に関する法律」が公布された。

提供方式

区分

日本の学校給食法施行規則第1条で定められている区分(以下は法令上の定義による)。

完全給食
給食内容がパン又は米飯(これらに準ずる小麦粉食品、米加工食品その他の食品を含む。)、ミルク及びおかずである給食。
補食給食
完全給食以外の給食で、給食内容がミルク及びおかず等である給食。
ミルク給食
給食内容がミルクのみである給食。

2009年文部科学省の調査では、日本での完全給食実施率は小学校で98.1%、中学校で76.2%であった[7]

調理方式

単独調理方式(自校方式)
学校に給食室を設置して給食を調理する方式[8][9]
共同調理場方式(給食センター方式)
複数の学校の給食を1つの調理場で調理し、専用の配送車で各学校へ配食する方式[8][9]。施設・設備・人件費や給食事務を合理化して経費を節減できるという長所がある反面、各校への距離と配送時間の関係から調理時間が限られ献立に制限がある、給食を食べるまでに時間があるため温度管理などが難しい、各校の献立に対する要望が反映されにくい、食中毒が発生した場合には広範囲に及んでしまうといった短所もある[8][9]
外部委託方式
外部の給食業者に委託し給食業務を分散して行う方式[8][9]。給食は、長らく施設の一部として管理運営がなされてきたが、非効率的であるとして管理運営の一部を給食産業へ委託するケースも見られるようになってきた。「外部委託により質の低下が起こるのではないか」と保護者の心配もあり、自治体と保護者などが協議会を作り、委託状況を監視している所もある。その一方で、学校給食は、学校の地位を高めるとして、ホテルに給食サービスを委託する動きもある(京都の同志社小学校と立命館小学校がホテルに給食を委託した[10]

献立

2006年3月2日のある小学校の給食

時代によって食文化が変容すると共に給食のメニューもまた様変わりしている。親の世代の給食内容を子供に話すことは、世代の違いや歴史を知る良い機会にもなる。

1980年代からは食育という「食事の教育的側面」が注目されるようになっている。行事との関連を図ったり、食を通した郷土理解や異文化理解などがねらいとして挙げられる。

行事食
季節感や年中行事などを考慮して特別な献立が設定されることがある。
郷土料理(郷土理解)
郷土理解を図る場合には、地場産業を子供達に知って貰う趣旨で地元の食材を使う事が多い。地域によってはこのとき、イセエビアワビなどの高級食材が出る場合もある[11](例として下関の給食ではフグ雑炊やの竜田揚げなどが出ている)。また、交流都市などの郷土料理、豪華な料理など、通常のメニューとは大きく変わったものが出される場合がある。
郷土料理の取り込みや「地産地消 」といって地域産品の活用も見られる。地域独特のメニューをアレンジして使われた献立として、雑煮ういろうほうとうたこ焼きけの汁すいとんなどがある。が、その一方で余剰地域産品の重要な消費先ともなっており、地域農林水産業の影響も見て取れる。
異文化交流
近年では食の多様化を反映し、色々な国の食事が学校給食で採用されるようになった。日本国内に限らず外国の料理も、友好都市姉妹都市のメニューを中心に多く見られる。冷凍食品や各種レトルト食品を利用することにより、手の込んだ献立が供されることが増えた。それらの料理を組み合わせて20日間、異なる国の料理の給食を供した例もある。
異文化交流の例として、サッカーのワールドカップで出場国の民族料理などが出された例がある。
収穫作物の利用
学校農園収穫祭では、児童生徒が栽培した米や野菜などを給食の献立に使用されることがある。
リクエストメニュー
児童生徒に献立の希望をアンケートなどで募り、それを提供するものである。多くはこれまでの給食の中で人気の高かったメニューが選ばれる。

学校給食は学校内で全て同一の分量が出るわけではなく、いくつかの種類に分けられている。一例としては小学校低学年、中学年、高学年、中学校と4段階に分け、分量をそれぞれ設定するなどがある[12]。ただし、これらの規定は「同学年=同年齢」という年齢主義に基づいているため、想定年齢より高年齢の在学者に対しても、その学年用の給食が支給されることになる。

なお、以下では学校給食において特に特筆される食品についてのみ述べる(給食と献立の構成も参照)。

パン食パンコッペパンなど)
食パンやコッペパンのほか、黒砂糖パン(黒コッペパン)、揚げパンレーズンパンクロワッサン、ソフトフランスパン(一般的な棒状の硬いフランスパンとは形も粉も製法も違い、白くて丸いパン)、豆パン、ケーキパン(クリームをサンドしたパン)、胚芽パン、米粉パン、フォカッチャナンチャパティなど。
パンにはバターマーガリンジャム、ピーナッツクリーム、チョコレートクリームといった調味品が付く場合もある。
京都市では低学年と高学年では食パンのサイズが異なっており(低学年クラスの担任でも教師は高学年サイズとなるため混在しないよう別袋に入れられていた)、費用の違いから年度末に給食費の調整が行われた。
ご飯(米飯給食)
給食制度が始まった当初は、パンに比べて価格が高いという理由からご飯が給食に出されることはなかった。学校給食の主食は、当初はパンだけであったが、余りの問題が指摘され、その結果、1976年(昭和51年)からは消費促進を狙って白米飯も出されるようになった。現在では、条例で定める地方自治体も現れるなど学校給食の主流である。食育とあいまってご飯を中心とした日本型食生活の促進が期待されるようになっている[13]。国会でも、まだまだご飯食を増やしたいと意向が示された[14]。近年では週に3回程度、ご飯が出るようになっており、さらに週4回まで増やすことが検討されている[15]
ソフトスパゲッティ式麺(ソフトめん)
1960年代にパン主体の給食にの食文化が定着しないことを恐れた製麺業界が開発した。袋に入っている柔らかい麺をカレーミートソース等に入れ食べる。
魚類
サワラサケなどが焼き物にされる。 白身魚の中では安価なメルルーサも焼き物やフライ などにされる。
竜田揚げ
1970年代までクジラ料理は給食をはじめ日本人にとって重要なたんぱく質源であった。捕鯨規制の結果給食からはほぼ姿を消したが、調査捕鯨により極僅かだが流通しているため、年に1~2回程度出ることがある。
脱脂粉乳
当初の給食は脱脂粉乳とパンという質素なもので、団塊の世代など当時を知る者の間では脱脂粉乳のまずさがしばしば話題になる。お湯で溶かしバケツに入れて配膳されていた。時間の経過とともに表面に膜が張り、とても飲める代物ではなくなるため、最初に一気に飲むのが定石であった。1960年代半ば頃までは学校給食の定番で、遅いところでは1970年代前半まで給食で出されていた。
第二次世界大戦後、アメリカが膨大な余剰物資であった脱脂粉乳小麦粉同様に食料支援政策という名目で日本へ売却し利益を得たことを日本人が知るのは後々の世であった。
牛乳
容器紙パック(北海道では、プラスチックビニール製のテトラパックもある)と牛乳瓶が主流である。紙パックはいくつか種類がある。
牛乳にはミルメークと呼ばれる粉末または液体の調味品が付くことがあり、イチゴミルクやコーヒー牛乳等はこれで作る学校もある。
主食が米飯の日でも牛乳が出されるというのは、食べにくいという面で否定的な意見も多い。京都市ではおかずが汁物(味噌汁、粕汁)である日には牛乳が付かないことになっていた。米飯給食開始後はそういう献立の日が充てられた。また、ミルメークを使わずに年数回コーヒー牛乳そのものを出す学校もある。
牛乳では2004年度の給食消費量は385,543キロリットル(前年度比-2.7%)となっており、これは加工用乳含めた全牛乳生産量の9.8%であるが、この学校給食消費量の微減傾向は2005年に前後する牛乳供給過剰問題の一因にも挙げられている(畜産情報ネットワーク推進協議会調べ)。
お茶
茶どころでは牛乳に加えてお茶も付く(ただ、飲み物が牛乳と重複し、コップを持参しなければならないため、実際に飲んでいるのは牛乳嫌いの児童・生徒などに限られている場合もある)。近年では食の見直しの観点から、ご飯中心の和食のメニューの際には、牛乳の代わりに茶を出す学校もある。
ジュース
みかんやりんごが多く穫れる地域では土曜日に地場産の果汁100%ジュースが出されることがあった。しかし、学校5日制の影響で廃止されたケースが多い。他の地域でも乳酸菌飲料コーヒー牛乳等が出される所もある。これらは普段からではなく、年に数回程度特別に出される場合が多い。また、佐賀県では、休み時間にみかんジュースが配られている。
菓子類
献立の中で行事食を表す意味で取り入れられることがあり、卒業式終業式クリスマスなどにケーキが出されることがある。また、5月には柏餅、3月にはひなあられ、2月には節分の豆などが献立に取り入れられることがある。

食器

給食一般における食器については#食器の選定を参照。

先割れスプーン

学校給食以外ではあまり見かけない食器として先割れスプーンがある。スプーンの先端がフォークのように割れたこの食器は、スプーンとフォークの役割をこなせて、しかも両方準備する手間がはぶけるとして学校給食の現場に普及した。しかし、1980年代頃に「スープがこぼれるので食器に顔を持っていく犬食い(犬や猫などのペットや、家畜が、餌の入った容器に頭を突っ込んで食べるさまに酷似していて、無作法である)になる」「が使えなくなる」「食べづらい」といった批判がなされ、徐々に姿を消した。今日学校給食では箸やスプーン、フォークが提供されている学校が多く、箸の訓練になるようにと、通称児童箸と呼ばれる、先端部に刻み目をいれることで食品を掴みやすく工夫された箸を使用する地域もある。

合成樹脂製食器は一時、食器点数の軽減による管理の簡便化を目的として、ランチプレートと呼ばれる全ての料理を一枚のプレートにある各々の窪みによそう(現在でもお子様ランチにみられる また軍隊などにおける通常の食事もこれと同様である)様式が用いられた。しかし日本では等の食器を持って食べるという文化があり、また、前出の犬食い問題もあって中止された。

供食形態

近年の学校給食ではランチルーム方式やバイキング方式も多くなってきている[7]

教室方式
料理が入れられた食缶を教室に運搬して教室で配膳し給食をとるもの[16]
ランチルーム方式
給食用の専用の部屋あるいは空いている教室をランチルームとし、その部屋を学校の全児童・全生徒であるいは一部生徒が交代制で利用して給食をとるもの[16][7]
バイキング方式(リザーブ給食)
あらかじめ数種類の食品を示されたなかから選ぶことができるもの。主食や副菜、飲み物、デザートを選べることが多い。

実施方法

給食当番
給食用エレベーターDumbwaiter

一般的な学校給食は、朝からの4時間授業のあと、正午過ぎ~午後1時の間に配膳され食し後片付けを済ませる。ただし、定時制学校では時間帯や量が異なり、例えば朝食を抜いてくる事が判っている生徒に朝に軽食ないし糖分を含んだ飲み物を提供するところ(後述)もある。

配膳は児童生徒による交代制により行われ、これを給食当番という。給食当番の主な仕事として、以下が挙げられる。なお、給食の調理及び食器類の洗浄は調理場にて一括して行われ、給食当番は一切関与しない。

  • 給食室(センター方式の場合は配膳室)から給食を運ぶ
  • クラスの生徒(担任含む)へ配膳する(ウェットティッシュが配られる場合もある。各自でやったり班の代表がやる場合もある)
  • 食べ始め・食べ終わりの号令(日直や学級委員等が行う場合もある)
  • 食べ終わった食器類を給食室(センター方式の場合は配膳室)に返す

当番の期間は学校や学級担任の考え方によって様々であるが、多くは一週間程度で、当番は数人で構成している(あらかじめ決められた班によるローテーション制が多い)。エプロン(白の他、色々な色のものがある)、三角巾(または帽子)、マスクなどを着用し、マスク(場合によっては三角巾なども)を除いた着用具は洗濯をした後、次の当番へ渡す。なお、当番に教師は含まれない。マスクや洗濯のために持ち帰った着用具は忘れ物となりやすいため、「着用具類の忘れ物が一定以上あると、罰則としてもう一週間当番をしなければならない」など、忘れ物防止のために学級によって様々なルールが作られている。

白衣・帽子・マスクは給食当番の人のみ着用し配膳の仕事が終わるとそれらを脱ぎ給食を食べるのが一般的だが、学校のきまりやクラス担任の指導方針の違いにより以下のようなパターンがある。

  • 当番の人だけ白衣マスク帽子を着用、配膳後当番はマスクのみ外し白衣を着たまま食べる
  • 当番以外の人はマスクのみ着用、「いただきます」まで自分の席で静かに待つ
  • 当番も当番以外の人も全員給食の時間になると着替える

給食時間は、学校により異なるが放送が行われることが多い。校内の放送室を利用したもので、全校に向け放送される。今日の給食の紹介、及び児童生徒による音楽を流したり話をすることからなる。各教室のテレビを利用してビデオプログラムを上映することもある。

ただ一部の生徒からは「放送中喋ることができない」というルールにより快く思われていない面もある。

給食における指導

学校給食法第2条に定める学校給食の目標に従い、学校給食を通した食育(食事を通した食に関する教育)が行われている。様々な食材をバランスよく摂取する指導、地元の素材や食器を使い、正しい食事作法を身につける指導などが実践されている。

かつての管理教育全盛時代には、「偏食野菜嫌いなどを矯正する」という観点から、残すことを禁止する教師が圧倒的に多かった(全部食べきるまで昼休みの時間もずっと残されて強制的に食べさせられた)。しかし、食物アレルギーに対する配慮などから、残すことを禁止する風潮は減りつつある。特に症状の重い(そばアレルギーによるアナフィラキシーなど致命的な拒否反応が出る)児童・生徒は、学校側との交渉の上、給食をとらずに弁当を持参することが認められるケースもある。また、食べる前に食べられる量まで減らすように指導する教員も増えている。ただし、担任の考え方により給食を残すことを是か非かとするかは異なり、残すことを禁止している教員も一方で存在する。

三角食べの例(管理教育に利用された)

1970年代前半まで、地域によっては給食を食べ残すことは禁止されている場合があり、放課後まで残されて残さず食べることを強要されたり、「三角食べ」と称する食べ方を強制される場合もあった(管理教育#管理教育の地域性を参照)が、これらの行為は逆に反教育的であるとして行われなくなってきている。場合によってはいじめにも繋がることもある。食生活の指導を一般教員が行うことには限界があるという例である。

給食の行事

校長先生と一緒に食べる
校長先生がクラスや児童生徒の状況を観察する為、及び一緒に食事をすることで児童生徒とのコミュニケーションを図る為に実施される。児童生徒にとっては、この行事を大いに受け入れる者、嫌がる者と千差万別である。
担任の先生と一緒に食べる
行事とは異なるが、班に分かれて給食を食べる場合、担任の先生がどこかの班に混ざって給食を食べることは多い。これも勿論児童生徒とのコミュニケーション等を図る上で有益と思われるが、上の校長先生同様千差万別の評価が得られる。
保護者の給食
保護者が児童生徒と一緒に給食を食べる、あるいは保護者のみで別の教室で食べる。特に前者の場合はクラスや児童・生徒の状況観察や児童・生徒とのコミュニケーションを図るねらいもあるが、給食を実際に食べて、味などの学校給食の実体を把握することが大きな目的である。普通、給食費とは別に料金(実費負担分)が掛かる。
学年、学級を超えた給食
他の学年の生徒と一緒に食べる。縦割り班ごとに食べたり、個人が他のクラスに混ざって食べたりすることがある。

また非常に稀であるが皇族内閣総理大臣文部科学大臣が現場視察(訪問)の一環として児童と給食を共にすることもある。

関連した社会現象

BSE発生による牛肉不使用運動

給食センターなどの集中調理法式に関連して、2000年代初頭から半ばにかけて社会問題となったBSE問題により、保護者側の根強い牛肉使用に対する抗議活動もあり、一つの学校が牛肉を使用した給食供給を中止したため、その学校の給食供給を受託した業者の請けおう地域全体で牛肉を使った料理を給食に出せないなどの事態を招いた。このため業者側では牛肉料理を他の肉で代用したアイデアメニューを採用するといった対応を行った。この問題は、第三セクター経営や公営の給食センターにおいても発生した。2003年には(豚肉よりも安価になった輸入牛肉を含む)牛肉が56%の学校給食で用いられていないとする報告が農林水産省より提出された。

O157食中毒への対応

1996年7月大阪府堺市で、学校給食を食べた児童ら約9500人がO157集団食中毒に感染し、3人が死亡した。これを受け当時の文部省厚生省から新たに調理方法(大量調理マニュアル)が示された。施設が不十分でそれに対応できない学校給食施設では、生の野菜や果物を献立に使用することができなくなり、これらの施設で調理される学校給食の献立から、生野菜であるサラダや切った果物が姿を消した。現在、多くの学校の学校給食では、例えばトンカツのつけあわせに茹でたキャベツ(→温野菜)を使うなど、生野菜やサラダを使わない献立になっているが、安全な地場産の野菜を使うなどの工夫から生野菜を復活させている地方もある。また従来では、児童らに特別な思い入れが出ることから持ち帰りを大目に見ていたゼリープリン等も、持ち帰りも原則として禁止している場合がある。児童・生徒側の防止策として学校によっては食べる前に手を消毒液に浸けて殺菌させているケースもある。

朝食抜き児童と給食

朝食を食べない児童生徒は、午前中に栄養不足となるため学業の能率が落ちる。このため、朝食抜きの児童生徒と給食の関係も問題となっている。近年では諸事情により朝食を取らずに登校し、給食まで何も食べない児童生徒も存在し、学校側は対応を迫られている。

たとえばヤマギシズムの村では、基本的信条により食事は一日二食であり、朝食は食べない。この村の学齢児童が地元学校に通っているが、彼らが朝食を取らないことにより学業に支障が出ている。ヤマギシズムの本拠地は三重県であるが、現地の学校側では午前中に砂糖水を支給するなど、応急的な対応を行っている。

異物混入への不適切対応

2013年9月2日岐阜県可児市立蘇南中学校で、同年9月9日に同市立東明小学校で、それぞれ給食で出されたパンにハエが付着していたにもかかわらず、両校は「付着していた部分を切り取り、そのまま食べる」よう指導していたことが、同月28日に一部メディアの報道により判明。同市教委が「健康に影響がないと判断した場合は食べる」との手引書を示していたことも明らかとなっており、同市教委は「配慮不足だった」として手引書の改定を検討している[17]

問題点

学校給食はメリットのほうが大きいが、集団活動の一環でもあり、問題も多く発生している。ここではまず列挙程度で述べられるいくつかのトピックを示し、個別に掲げるべき問題、すなわち宗教的配慮、アレルギー対策、給食費問題、廃止論は別途節を切って論ずる。社会現象の節で取り上げた事柄も一部は問題としての側面もあるので、併せて参照されたい。

  • かつての学校給食の問題点は、教育の一環として、教師が生徒を放課後まで居残らせ、残さず食べることを強要されることなどが挙げられるが、現在ではそういうことは減ってきている。現代では、自分が好きなおかずやデザートが出ると他人の分の給食を取り上げたり、自分の嫌いなものを無理矢理他人に食べさせることなどが問題となる。特に肉やデザートは人気があるために他人の分を勝手に取り上げることが起こりやすく、果物や野菜などは嫌う児童も多いため無理矢理他人に食べさせることが起こりやすい。いわゆる給食でのいじめは、現在の学校給食の問題点の一つである。
  • 前述の通り、学校給食の主食は価格や供給の安定性からパン食で始まった。これが戦後の日本人にパン食が急激に普及する原動力となったが、その反面、今日まで続く消費者のコメ離れの元凶の一つとして、学校給食がパン中心であることとの関連性を指摘する意見がある。近年、飯米給食に切り替わりつつあるのは日本型食生活に対する食育というのが表向きの理由であるが、同時に上記の反省という側面も存在している。
  • 生徒(児童)の中には、クラスの人間同士顔を合わせて食事をすることができない(困難な)者も存在することがある(会食不全症候群)。為に、近年では別室(保健室等)に移動させて食べさせる等の配慮をしている学校もある。
  • 中学校において、3人に1人が美味しくないと思っている、というアンケート結果がある。また、食べ残しによる残飯が問題になっている(アンケートは東京都小平市内8校を対象)[18]

宗教的配慮

学校給食では、ある特定宗教の教徒には戒律で食べられないものが出ることがある。(食のタブー

1999年4月、三重県津市の白塚小学校のイスラム教徒であるバングラデシュ人児童のために提供していた代替食の提供を突然止めた問題があった。イスラム教徒は宗教上の理由で豚肉や豚由来の食品を食べることができない(不浄として禁じている)ため、白塚小学校では献立に豚肉が含まれる場合に鶏肉などを使った別メニューを提供していた。しかし、津市の教育委員会が「文部省の基準をもとにした市の衛生管理基準に反している」という理由でこの代替食の提供の打ち切りを小学校に指導し、小学校側は代替食の提供を止めた。この事が異文化や宗教の無理解、外国人差別、国際感覚の欠如として問題となった[19]。文部省学校健康教育課は、アレルギーなどの理由である食品が食べられない児童らに代替食を提供するなどの対応を認めた手引きを出しており、津市のいう「特別食」はダメとはしていない。逆に「宗教的理由でも弾力的な配慮があってもいい」としている。中日新聞2000年1月29日付によると、上記「特別食」は1999年9月中に再開された。

2011年9月、文京区教育委員会が同区立中学校に通うインドネシア人生徒のために豚肉を除去した代替食を提供することを拒否している。文京区教育委員会によると「アレルギーの場合は生命の危険性があるために代替食を提供するが、宗教的なことに関しては個人的な理由として提供できない」と説明している。

アレルギー対策

2003年時点で生徒の約1.3%(80人に1人)が何らかのアレルギーを申告しているが、自治体、学校側の対策は不十分な状態となっている[20]

対策としては

  • 献立を通知し、アレルギー原因食品が給食に含まれる日は保護者に弁当を用意してもらう
  • アレルギー持ちの生徒のために別途給食を用意する
  • 最初からアレルギー原因食品を使わない給食を用意する

などがあるが、経費が掛かりすぎるためアレルギーに対応できない学校も多いという[20]

給食費の問題

一般に学校給食は無償で与えられるものではなく、その費用は児童・生徒の保護者が負担することとしている。しかし昨今、支払う余裕があるにもかかわらず、意図的に給食費を支払わない保護者が問題視されており、近年テレビ番組の特集などでも多く取り上げられるようになった。給食費を支払わない保護者の言い分としては、「給食の契約を結んでいない」、「義務教育だから払う必要が無い」、「支払う余裕がない」などが多い。中には「催促に来るのは、まるで借金取りみたいだ」「(払っていないからといって)給食の提供を停止できるのなら、停止してみせるべきだ」と開き直った発言も報道されている。また生活保護を受けている世帯では滞納するケースが多いという(生活保護費や就学援助費に含める形で給食費用が上乗せして支給される制度があるが、周知されていないと指摘する声がある)。再三の支払い催促も無視する者がおり、最悪な例では、給食費を回収に来た職員を殴った保護者までいる。ただし、実態としては滞納者は約1%、滞納額は約0.5%であり(この中には経済的な理由も含まれる)、さほど重大な問題ではないという指摘、問題の規模の小ささに比べマスメディアの取り上げ方が大袈裟であるという指摘、未納問題は昨今始まったことではないのでこれを「昨今の親のモラル低下」を原因とするのは的外れという指摘もある[21][22]

2007年1月24日文部科学省は初の全国調査結果を公表、2005年度の小中学校の滞納総額が、本来払うべき額全体の0.5%である22億円を超えた事を明らかにした。滞納者数は10万人近くで、約100人に1人が滞納していた計算となる。滞納率は県別では、沖縄県が3.8%、北海道1.4%、宮城県1.1%の順に高く、最も低かったのは、富山県と京都府の0.1%だった。その理由として、滞納があった学校の6割が、保護者の「モラルの低下」を原因として挙げている。また保護者の「経済的問題」を理由に挙げたのは3割であった。滞納者を多数抱える自治体は対応に苦慮しており、自治体や学校での未納防止策としては、給食費を他の副教材費等と一緒にし「集金」として徴収する、また、前払い式食券方式にするなどが行われている。一部の学校では児童の保護者に、給食費を払わないと給食を食べさせないので弁当を持たす旨の誓約書を書かせたことで話題になった(その後、誓約書は廃止)[23][24][25]。しかし学校給食費滞納があっても滞納しているからと給食を与えないわけにはいかないというのが実情であり、学校全体で給食の材料費を下げ、その結果品数を一品減らす等、給食の質を下げざるを得ない問題も発生している。近年では、自治体によってはこのことが給食事業の運営を逼迫させている等の問題があることから、簡易裁判を起こす、条例により支払わなかった者の氏名・住所を公表するなどの対応を取っている。給食費滞納がある一定期間を超えると、やむを得ず給食を与えないと勧告する地域もある。

自治体が簡易裁判所を通して差し押さえをし、法的手段に訴える動きもある。そもそも学校給食法では保護者の給食費の負担について明記されており、裁判所の判決でも支払い判例が出ている(生活保護等の困窮世帯は除く)。ただし差し押さえようと自治体や学校にもそのための費用が掛かってしまうため、税金の余計な出費であり、本来は行われるべきことではないとする意見もある。給食費の支払いを巡って最高裁判所まで争われた例があるが、1964年2月に憲法は義務教育の授業料を無償としており、それ以外の教材や給食費はこれに含まれないという判例が出ており、仮に保護者側が裁判を起こしても敗訴する可能性が高い。

少子化対策

少子化対策の一環として、日本政府は2007年度より幼稚園の給食費(年間平均、約6万円(文部科学省調べ))を消費税の課税対象から外すとしている[26]

山口県玖珂郡和木町では幼稚園・小学校・中学校の、北海道三笠市では2006年度より少子化対策の一環として小学校の給食費を無料としている。

廃止論

給食にかかる行政コストが問題になったり、「親が愛情を込めてつくった弁当を食べることで親子の会話ときずなも生まれる」として、学校給食廃止が議論になっていた地域も多かったが、近年食育の意識や格差是正の観点、栄養の偏りの是正、共働きの増加など給食維持の声も強いため廃止論を言う者は少なくなっている。

1992年 (平成4年)6月には埼玉県北葛飾郡庄和町 (現、春日部市)町長神谷尚が、学校給食廃止の方針を突如打ち出した。「戦後の給食の役割は終わった」として、これまで給食に費やしていたお金を教育投資に回すべきだと主張したが、保護者らの反対と町長の急死に伴い、同年11月に町議会は給食廃止論を撤回、立ち消えになった。当時、五大新聞やNHKなどで全国的に報道された。

その他

学校給食の商品

学校給食にノスタルジーを感じる大人向けに、給食と同じようなメニューを提供するレストランも存在する。一部のホテルなどで、昔の学校給食を再現してメニューとして提供したところ、好評を博した。コンビニなどでも、商品化の動きがある[10]

学校給食に関するイベント

NPO法人「21世紀構想研究会」により、日本一の学校給食を競う全国学校給食甲子園が行われた[10]

脚注

出典

  1. ^ 小松(1993) pp.5
  2. ^ 給食当番OB会(1995) pp.126
  3. ^ 小松(1993) pp.6
  4. ^ 小松(1993) pp.6
  5. ^ 小松(1993) pp.6-8
  6. ^ a b 畑中三応子『ファッションフード、あります。 はやりの食べ物クロニクル 1970-2010』2013年、紀伊國屋書店 ISBN 9784314010979
  7. ^ a b c 外山健二・幸林友男・曽川美佐子・神田知子編『栄養科学シリーズNEXT 給食経営管理論 第3版』講談社 p.144 2012年
  8. ^ a b c d 外山健二・幸林友男・曽川美佐子・神田知子編『栄養科学シリーズNEXT 給食経営管理論 第3版』講談社 p.141 2012年
  9. ^ a b c d 坂口久美子・植田哲雄編『エキスパート管理栄養士養成シリーズ 給食経営管理論』化学同人 p.166 2006年
  10. ^ a b c 『給食も競争時代 きょう“学校一”が決定 食産業にじわり浸透』2006年11月5日付配信 フジサンケイビジネスアイ
  11. ^ 大きくマスコミに取り上げられた例としては2003年10月新湊市の新湊漁協が「ベニズワイガニ給食」がある。
  12. ^ 学校給食摂取基準(成田市) - この自治体においては、小学校3区分、中学校1区分である。
  13. ^ 第1節 栄養バランスが優れた「日本型食生活」の実践 第3章『平成19年版食育白書』 (内閣府)
  14. ^ 第156回国会 農林水産委員会 第18号 平成15年6月26日(木曜日)(国会会議録検索システム)
  15. ^ asahi.com(朝日新聞社):ご飯給食を週4回に 文科省、23年ぶりに目標見直し - 社会(cache) 2008年12月31日3時2分
  16. ^ a b 中村丁次ほか編『栄養学ハンドブック 第3版』技報堂出版 p.831 1996年
  17. ^ 給食にハエ付きパン…除いて食べるよう学校指導 読売新聞 2013年9月28日
  18. ^ 2006年12月22日付配信 朝日新聞
  19. ^ 衛生を理由にイスラム教徒向け給食を中止させた津市
  20. ^ a b 『給食でショック死も…食物アレルギー進まぬ対応』2006年10月25日付配信 産経iza
  21. ^ BLOGOS 2010年12月20日14時57分 給食費未納問題 青木理音
  22. ^ 「給食費未納」分は「子ども手当」から天引きするかもの件 森直人
  23. ^ 2006年10月1日付け配信 産経iza
  24. ^ 2007年1月24日付け配信 産経新聞
  25. ^ 2007年1月25日付け配信 産経新聞
  26. ^ 2007年1月24日付配信 読売新聞

参考文献

  • 小松 茂、1993年8月24日第1刷発行、『学校給食』、長征社
  • 給食当番OB会、1995年3月15日発行、『ぼくらの学校給食』、同文書院 ISBN 4-8103-7252-9

関連項目

給食組織一般
食品衛生関連
学校給食関連

外部リンク