布川ゆうじ
布川 ゆうじ(ぬのかわ ゆうじ、本名:布川 郁司(読みは左記と同一)、1947年2月11日 - )は日本のアニメーション演出家、アニメ制作会社経営者、ぴえろの創業者、日本動画協会理事長、東北芸術工科大学大学院仙台スクール教授。ペンネームに坂田ゆう。
来歴
山形県酒田市で生まれ育つ。実家は紳士服の仕立て屋。子供の頃から絵描きと芝居と映画が大好きで、高校のときに美術教師の影響で宣伝美術をやることで絵を描く仕事に就くことを志望。高校卒業後に上京し、昼間にアルバイトをしながら、夜間に日本デザインスクール(現:日本デザイン専門学校)で学び1967年に卒業[1]。
専門学校卒業後に青山のデザイン事務所に就職するが、すぐに退職。絵の好きな人募集という新聞の求人広告を見て、同年にTCJ動画センター(現・エイケン)の下請けをしていた朋映プロの契約スタッフとなってアニメ業界入りした。彩色スタッフを経て[2]、『宇宙少年ソラン』で動画を描くアニメーターとなり、『ロボタン』では原画に昇格。その後、ネズプロへ。円谷皐の円谷エンタープライズで日本万国博覧会などイベント関係の仕事をした後、スタジオじゃっくというようにフリーの契約スタッフとしてスタジオを渡り歩く[3][4]。
アニメーターとして参加した虫プロダクションの経営危機の際には後のサンライズの前身となる創英社の立ち上げに誘われるも、和光プロダクションから演出もやってほしいの誘いを受けて、同社でタツノコプロの下請けの『カバトット』を担当。1971年に同作で演出家デビューした。このときにタツノコプロの監督の笹川ひろしに才能を見込まれて、和光プロより移籍して、1971年11月にタツノコプロの社員となる。それまでは作品ごとの契約だったのが初めての正社員だったという[3][5]。1972年に始まった後番組の『かいけつタマゴン』ではキャラクターデザインや色指定までてがけた[6]。
タツノコプロでは1975年開始の『タイムボカンシリーズより企画にもタッチ[7]。笹川ひろしを恩師と仰ぎ、同シリーズの他、『いなかっぺ大将』『みなしごハッチ』『科学忍者隊ガッチャマン』などの演出を担当。中でも印象深いのは『新造人間キャシャーン』だという[8]。タツノコ時代には生活費のため、坂田ゆうのペンネームを用いて他社の仕事をアルバイトで手掛けたり[9]、押井守らタツノコの若手演出家を指導して面倒を見た[10][11]。
タツノコプロには6年在籍した後、1977年4月に正社員から契約社員となり[3]、1977年開始の和光プロの『激走!ルーベンカイザー』で初のチーフ・ディレクター[4]。1978年に上梨満雄やときたひろこら4名でスタジオぴえろ(現:ぴえろ)の前身の演出家グループを結成して吉祥寺のマンションの一室で活動を開始[12][13]。タツノコプロを離れた。タツノコプロをやめたのは同社の社長である吉田竜夫の死去がショックだったこと、生活が厳しくフリーになって稼ごうと思ったからであると語る[14]。
1979年に『ニルスのふしぎな旅』を制作するために、鳥海永行、案納正美らと共に株式会社としてスタジオぴえろ(現:ぴえろ)を設立し、社長に就任した[15]。
2002年5月に日本動画協会の設立に携わり、監事、常務理事、副理事長を経て2009年5月から2014年まで理事長を務めた[16][17]。
2012年7月に代表権を引き続き保持しながらぴえろ会長に就任し[18]、2014年現在、代表権を持たない取締役最高顧問となっている[19]。
2013年からはアニメ演出家を育成するため、NUNOANI塾を設立し、塾長を務めている[20]。その他に東北芸術工科大学の客員教授も務める[19]。
人物
笹川ひろしと並んで、声優の八奈見乗児が声をあてたタイムボカンシリーズのキャラクター(グロッキー、ボヤッキーなど)のモデルと言われる[21]。
全社一丸となってオリジナル作品を作っていた全盛期のタツノコプロを理想とし[4]、笹川ひろしを演出の師匠としていた[4]。しかしスタジオぴえろ発足時に深く考えずに結果的にタツノコプロのスタッフを引き抜く結果となり、タツノコ側から悪感情を抱かれてつらいを思いをした、後に和解したものの苦い経験をした、としている[22]。
グラフィックデザイナー経験者ということで『新造人間キャシャーン』などのタイトル画面のスタッフの文字を書いていた[4]。
受賞歴
- 2008年10月1日:東京都産業推進功労賞授与
- 2013年4月:第22回日本映画批評家大賞アニメーション功労賞授与
主な作品
タツノコプロ
- カバトット(チーフアニメーター)
- いなかっぺ大将(演出)
- かいけつタマゴン(アニメーター)
- 新造人間キャシャーン(演出、エンディング[4])
- タイムボカン(演出、エンディング[4])
- ヤッターマン(演出、オープニング・エンディング[4])
- 一発貫太くん(演出)
- とびだせ!マシーン飛竜(演出)
- 科学忍者隊ガッチャマンII(演出)
- ポールのミラクル大作戦(演出)
ぴえろ
- 赤ちゃんと僕(企画)
- あばしり一家(企画製作)
- あんみつ姫(制作)
- うる星やつら(プロデューサー)
- エリア88(プロデューサー)
- おそ松くん(制作)
- 鬼神伝(製作)
- おれは直角(制作)
- 学校の怪談(企画)
- がんばれ!キッカーズ(制作)
- KEY THE METAL IDOL(製作)
- 雲のように風のように(制作)
- 幻想魔伝 最遊記(企画)
- 平成天才バカボン(制作)
- GTO(企画)
- ジャスティ(プロデューサー)
- 星銃士ビスマルク(制作)
- 太陽の子エステバン(プロデューサー)
- たこやきマントマン(企画)
- ダロス(製作)
- 天使になるもんっ!(企画)
- 東京アンダーグラウンド(制作)
- 東京ミュウミュウ(企画)
- どっきりドクター(企画)
- とっても!ラッキーマン(企画)
- NARUTO -ナルト-(企画)
- NINKU -忍空-(制作)
- ニルスのふしぎな旅(制作)
- 忍者戦士飛影(制作)
- のらくろクン(企画)
- はいぱーぽりす(企画)
- はじめ人間ゴン(企画)
- バリバリ伝説(プロデューサー)
- ヒカルの碁(企画)
- ふしぎ遊戯(企画)
- BLEACH(企画)
- まじかるハット(制作)
- 美鳥の日々(企画)
- 魔法のアイドルパステルユーミ(制作)
- 魔法のスターマジカルエミ(制作)
- 魔法のステージファンシーララ(企画)
- 魔法の天使クリィミーマミ(制作)
- 魔法の妖精ペルシャ(制作)
- 丸出だめ夫(制作)
- 満ちてくる時のむこうに(制作)
- みどりのマキバオー(企画)
- 燃える!お兄さん(企画)
- 幽☆遊☆白書(制作)
- よいこ(企画)
- 烈火の炎(企画)
- レレレの天才バカボン(制作)
その他
- 激走!ルーベンカイザー(チーフディレクター、演出)
著書
- 『クリィミーマミはなぜステッキで変身するのか? 愛されるコンテンツを生むスタジオの秘密』(日経BP社、2013年12月19日)
出典
- ^ 布川(2013)、pp.225-227
- ^ 布川(2013)、pp.228-231
- ^ a b c 野田真外編著『前略、押井守様。』フットワーク出版、1998年、p.191
- ^ a b c d e f g h 原口正宏、長尾けんじ、赤星政尚『タツノコプロ・インサイダーズ』講談社、2002年、pp.94-97
- ^ 布川(2013)、pp.232-235
- ^ 布川(2013)、p.214
- ^ オトナアニメ編集部編著『オトナアニメCOLLECTION いまだから語れる80年代アニメ秘話 美少女アニメの萌芽』洋泉社、2012年、p.169。布川ゆうじと高田明美との対談より。
- ^ 布川(2013)、pp.235-238
- ^ 布川(2013)、p.240
- ^ 『クリィミーマミはなぜステッキで変身するのか? 愛されるコンテンツを生むスタジオの秘密』日経BP社、2013年、p.245。笹川ひろしインタビューより。
- ^ アニメージュ編集部編『ロマンアルバム イノセンス押井守の世界』PERSONA増補改訂版、2004年、徳間書店、p.38。押井守インタビューより
- ^ 野田真外編著『前略、押井守様。』フットワーク出版、1998年、p.258。押井守インタビューより
- ^ 布川(2013)、p.25
- ^ 布川(2013)、pp.239-240
- ^ 布川(2013)、pp.21-22
- ^ 布川(2013)、pp.250、258
- ^ 日本動画協会、新理事長にサンライズ内田健二氏が就任 アニメ!アニメ!ビズ 2014年4月2日
- ^ 株式会社ぴえろ 新社長に本間道幸氏 布川郁司氏は代表取締役会長に アニメ!アニメ!ビズ 2012年8月14日
- ^ a b 布川(2013)、p.258
- ^ アニメ演出の映像表現を学ぶ プロフェッショナルのための“NUNOANI塾”が二期生募集 アニメ!アニメ!ビズ 2014年4月12日
- ^ 笹川ひろし『ぶたもおだてりゃ木にのぼる 私のマンガ道とアニメ道』ワニブックス、2000年、p.154
- ^ 布川(2013)、pp.28-30
外部リンク
- 布川ゆうじ (@YujiNunokawa) - X(旧Twitter) - 公式ツイッター
- 「産学官連携ジャーナル」2009年5月号