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ノート:洋食

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これはこのページの過去の版です。Dwy (会話 | 投稿記録) による 2011年3月22日 (火) 17:46個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (洋食の定義をめぐる編集合戦について)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

洋食の定義について

洋食について「西洋料理」とするのは正しいと思います。しかし、一般に「洋食」「洋食屋」という場合、本文にあるようにカツレツ、コロッケ、エビフライ、カレーライス、ハンバーグ、スパゲティナポリタン、グラタン、シチューなど、明治維新前からあった伝統的な和食とは異なる欧米の料理法で調理され、さらに和風にアレンジされた肉料理を中心としたもの・・・・というよう風に理解しているのですが、如何なものでしょうか?--Otoko2008 2009年3月23日 (月) 07:04 (UTC)[返信]

Newgranderさんへ

洋食に詳しい方とお見受けしました。教えてもらうことが多いと思います。

ひとつ強引な削除がありました。石井治兵衛の『日本料理法大全』のくだりがそうです(出典は『とんかつの誕生』岡田晋著)。この人は1898年(明治31年)に出したこの本の中で、「洋食は日本料理である」という判断を示し、カツレツビーフステーキコロッケライスカレーを紹介しているそうです。ご自分の理論に合わないからといって安易に削除されるのは困ります。

もうひとつ、「昭和の中期頃までは、外国人コックが外国人のために作った西洋料理も洋食と呼ばれていた」と書かれていますが、記録とか文献はありますか? --Otkoyg 2011年1月28日 (金) 10:40 (UTC)[返信]

Otkoygさんへ

Otkoygさんどうもです。 ノートされてるのに気付かなかったので遅ればせながら書きます。

石井治兵衛氏のくだりを削除したことについては、それを根拠に洋食の定義を日本料理だと断定するような展開になっていたので削除しました。当然ながら、石井治兵衛氏の記述が料理界の総意でもなければ、日本語の共通見解ではないためです。ビーフステーキを例にあげてる時点で異端なのは明白です。

また、「にっぽん洋食物語」はじめ、洋食関連の書籍には嗜好による解釈が強いエッセイ的なものが多く、歴史的事実の部分を引用するだけなら良いですが、そこに書かれている解釈まで鵜呑みにして論拠とするのは抵抗があります。


言葉としての「洋食」が指すものって、かなり幅広いのが現実でしょう。今ここで意見が分かれているように、色々な解釈があるのが「洋食」という言葉の現状だと思います。 それを、wikiのような事典で、無理にでも一つの解釈に押し込めようとするのはいかがなものかと思います。

現在の日本で「洋食」といった時、フレンチやイタリアンとは違う、日本独自の洋食のイメージがあるのは確かだと思います。だから、そういうイメージがあると説明することはあって良いと思いますし、解釈の一例として、石井治兵衛氏の記述を紹介するのは良いと思います。

しかし、そのイメージが世間の共通認識だとか言葉の定義だと決め付けて、洋食とは日本独自のものだとか、西洋各国料理に対して洋食というのは不適切だと断定するのは、主観の強要だと思います。 事実として世間では広い意味で使われている以上、事典ではその事実に基づいて中立に記載すべきでしょう。


事実をそのまま見れば、いわゆる「洋食屋」で出されている料理の中には、西洋風どころか、フランスの料理書に書かれているそのままの料理も少なくありません。

出典を出せといわれそうなので具体的に書くと、よく洋食の付けあわせで出されるニンジンの甘煮は、フレンチでは"キャロット・グラッセ"とか"キャロット・ア・ラ・ヴィシー"と言い、ニンジンを砂糖とバター、香辛料(ローリエやシナモンなど)で煮詰めたシンプルな料理で、そうしたフランスの伝統的調理法そのままに作っている洋食屋はたくさんあります。(もちろんそうでない店もあります)

グラタンについても、肉や野菜などにベシャメルを合わせ、モルネーとチーズをかけてオーブンで焼くというのは、どこをとっても完全なフレンチで、これを日本独自の洋食ですとか言ったら、むしろフランス人が怪訝な顔をするでしょう。

フレンチ以外では、洋食屋やファミレスで見られる「ピカタ」という料理は、ビーフやチキンに溶き玉子をからめて焼いたイタリア料理です。

従って、いわゆる「洋食屋」といわれている店の料理が全て西洋料理モドキではありません。


また、ホテルや外食企業ではフレンチやイタリアンなども含めて洋食と称することがあるのは事実です(ネットでもひっかかります)。グルメ本やお店紹介サイトなどでも、大きく和食・洋食・アジアくらいにカテゴリー分けされて、フレンチもイタリアンも洋食に放り込まれるなんてことは珍しくありません。

それらは特殊な用いられ方というより、洋食という言葉に対して厳格な使い分けを求めているのはある意味「マニア」な人だけで、一般の人はアバウトに洋食という言葉を使っているのが、日本語としての「洋食」の実態だと思います。


wikiは事典なので、そうした事実上の「洋食」の意味を柱にすべきであって、どれだけ綿密な調査をしていたとしても、独自研究に基づいた新定義を披露する場ではないと思います。

ただ、事典としてではなく、料理談義として西洋料理と和製洋食の区別を論じたり、「洋食ってこういうもんだろ?」みたいな話は大いに面白いと思います。 --Newgrander 2011年2月14日 (月)

「西洋料理と洋食」について、いずれ新たな節を設けましょう。ついでですが、百科事典で定義をするのに、よその国語辞典を引用して良しとする態度は、恥ずかしいと思います。--Otkoyg 2011年2月15日 (火) 15:26 (UTC)[返信]


新設された「西洋料理と洋食」の項について、記載が中立になるようにしました。
岡田哲氏や石毛直道氏の考えは一個人の意見にしか過ぎません。「西洋料理と洋食」と題打って、そうした個人的見解だけをその説明として用いるのは恣意的な記述です。
Otkoygさんは、事典を編集したいのではなく、貴方の「洋食は西洋料理ではなく日本料理の一部だ」という個人的な解釈や思い入れを、wikiを使って一般認識に仕向けたいと思っていませんか?
そういうことは私設のホームページなどでやるべきことです。議論の余地のある見解はノートで問題提起して議論すべきでしょう。


これまでにも、何の根拠もなく断定的な記載をされていたので、いくつも是正させていただきましたが、そうしたご自身の軽率な記述についてはどう思われているのですか?
貴方は、言葉尻を書き変えたり、偏った引用をして、自分の好む結論に仕向けようとしているのがあからさまなので、その恣意的な記述を控えていただければ、もっとこの項目はシンプルにおさまるはずです。
そもそも「洋食」の言葉の意味のように、一般的に共通認識が定まっていない、解釈の余地のある言葉について、Otkoygさんが自分の好みで断定して記述するから、仕方なく説明臭い書き換えになってしまいます。
なお、他の辞典を引用したのは、本来wikiは自分の解釈や主張を議論する場ではないのに、Otkoygさんひとりが個人的意見を書くことをやめないから止むを得ず引用しているだけです。こうでもしないと貴方はまた自分の意見に戻すでしょう?恥ずかしいのは、辞典にですら書かれている言葉の意味(いわば常識)も確認せずに、自分の個人的解釈だけでwikiを編集し、自分の気に入らない内容に対しては意味不明だとかすぐ攻撃的な書き込みをする貴方のほうではないでしょうか? --Newgrander 2011年2月16日 (水)

再度Newgranderさんへ

あなたが従来の定義をひっくり返そうとして、おかしな編集を始めたので、こちらは調べ物をしながら対応しているだけです。少しくらい修正されたからといって個人攻撃をしたり、泣き言を言うのはやめて下さい。おかしな記述があったらおたがいに指摘し合って、項目のクオリティを上げていくだけです。

あなたが何をしたいのかは、よくわかりません。フランス料理を啓蒙したいのか、ファミリーレストランを宣伝したいのか。ヌーベル・キュイジーヌという珍しい言葉を知っているといって自慢したいのか。その項はまだありませんから、新規項目を立てるチャンスです。ぜひお願いしたいところです。--Otkoyg 2011年2月17日 (木) 23:56 (UTC)[返信]

保護について

ごく短時間ではありませんが、編集合戦となっていると判断したため保護しました。実際に記事に手を入れるのではなく、しっかりと議論を尽くしてから記述するようにお願い致します。なお、newgranderさんはWikipedia:署名をお読みください。--Baldanders 2011年2月18日 (金) 12:48 (UTC)[返信]

私自身の管理者としての姿勢にも関わる問題ですので今一度書かせていただきますが、管理者は完全な荒らしといった場合以外では保護の版を選びません。(実際問題として、心配されなくても差分を確認しない方はいらっしゃらないでしょう。)一部のコメントを受けてではありますが、下に書くのは流れをたち切ってしまうためここに書きます。失礼しました。--Baldanders 2011年3月3日 (木) 15:26 (UTC)[返信]

Otkoygさんへ

従来の定義って何でしょうか?先に書いてあった記述が定義ではありません。wikiは早い者勝ちですか?

中立に記述することがwikiのあり方であり、解釈の余地のあることについて、項目の定義は誰かが一方的に断定できるものではないでしょう。

整理と称して、相手の意見を削除しご自身だけの主張に戻すのはやめましょうよ。 ここで議論して、合意してから整理していきましょう。こちらはotkoygさんの主張も併記して、色々な考え方があるという記述をとっているのに、otkoygさんは相手側の主張は削除し、自分の主張だけの記述に戻すばかりです。

そういう姿勢はいかがなものかと思います。あなたの編集の仕方はwikiの趣旨に反していませんか?


「洋食とは西洋料理のこと」という説明をしたことの出典に辞典を用いて「これが常識」と書いたことにカチンとこられたのならお詫びします。ただ、世間で流通している辞典が絶対に正とはいいませんが、少なくとも一般的にそういう認識があるという証拠としては十分でしょう。

にもかかわらず、「洋食とは日本的要素が加わったものだけ」に断定する根拠はどこにあるのですか?もちろん、そう考える人がいたって良いし、貴方はそういう主張をしている書籍を挙げています。だから私は「洋食とは、西洋料理、あるいは西洋風の料理」と記述しました。しかし貴方は「日本的要素が加わったもの」しか認めない。それは中立といえますか?

まず、それについてどういうお考えなのかお聞かせください。


何をしたいかといわれても、事典として、事実を編集しているだけです。 フランス料理の啓蒙といわれても、一部の洋食はフランス料理を起源としてる以上、フランス料理が話題になるのは当然の成り行きでしょう。

ファミリーレストランの宣伝とはどういう意味でしょうか?ファミレスのことは、最初から誰かが書かれていたので、それに手を加えただけで、そもそも洋食の説明には全て不要だと思っているくらいです。というより、ファミレスが洋食の普及に重要な役割を果たしている云々の記述を先にしたのはotkoygさんでしょう。むしろ、過大な書かれ方をしていたので、控えめに直したくらいです。この私の行為が宣伝ですか?

ヌーベルキュイジーヌという言葉については、珍しくもなんともない言葉なので自慢にはあたりません。少なくとも、フランス料理に関わる業界にいて知らない人はいません。


知識などで負けず嫌い的感情に走って意固地になってしまってはいけないと思います。感情的な言葉を乱発するのも控えましょう。--Newgrander 2011年2月18日 (金) 14:27 (UTC)[返信]

今回の「保護扱い」が、あなたの再反論を防ぐ形で行われたことを、よく自覚していただきたいと思います。細かい論点は、二週間という時間がありますから、どうぞノートにひとつづつ提出してください。--Otkoyg 2011年2月19日 (土) 13:53 (UTC)[返信]
一応断っておきますが、管理者は保護する際の版・内容を選びません。なお、お二方だけではなかなか結論が出しにくいとも思いますので、Wikipedia:コメント依頼や、最終的には投票などもお考えください。--Baldanders 2011年2月19日 (土) 14:30 (UTC)[返信]
投票で意見を求めるとしたら、洋食の定義として、つぎの二者のどちらが適当かということになるでしょう。A案-「洋食は、日本で生まれた和洋折衷料理と、西洋料理全般を指す言葉」。B案-「洋食は、おもに日本で生まれた和洋折衷料理を指す言葉で、基本的に西洋の料理そのものは含まない」。--Otkoyg 2011年2月20日 (日) 03:52 (UTC)[返信]

洋食の定義をめぐる編集合戦について

コメント依頼から来ました。洋食の定義をめぐって、編集合戦になってしまったようですね。少なくとも2つの定義が主張されているようですが、出典等、それぞれの立場の方から根拠を改めてお示し頂けると幸いです。なお、当方としましては双方に相応の根拠があるのであれば、両論併記的な対応も選択肢としてあってよいように思います。--榊原宗男 2011年2月22日 (火) 07:18 (UTC)[返信]

先のB案と、現在の本文の定義の下敷きは、平凡社の世界大百科事典の「ようしょく 洋食」の項です。その冒頭部分を以下に引用します。「西洋の料理を意味することばだが、西洋料理がイギリス、フランス、イタリア、ドイツ、アメリカなど、欧米諸国の料理を総称しているのに対して、洋食には多分に日本的な要素がふくまれている。」。ただし洋食と西洋料理の境界線をどこに引くのかという問題は、課題として残ります。--Otkoyg 2011年2月23日 (水) 01:33 (UTC)[返信]
追記。食品衛生法では、「食堂,レストラン」が5種類に分けられています。「一般食堂」「日本料理店」「西洋料理店」「中華料理店」「その他の食堂,レストラン」だそうです。洋食店やファミレスは、西洋料理店として扱われているようです。『とんかつの誕生』p172-173で、浅草のとんかつ店の草分け「喜田八」が開店するとき、警察で押し問答をした末に、西洋料理店の許可をもらったというエピソードが紹介されています。笑い話ですが、いまでも同じことが続いているようです。また未確認ですがインド料理店やトルコ料理店やタイ料理店なども法律上「西洋料理店」として扱われている可能性があります。平凡社「世界大百科事典」の「西洋料理」の項で示唆されていました。法律はこれくらい大ざっぱなものだと言いたくて追記しました。--Otkoyg 2011年2月23日 (水) 09:02 (UTC)[返信]
追記。きたる2/26の午前0時から一週間、先の定義で投票にかけたいと思います。「ヌーベル・キュイジーヌ(英語)」と書く自称フレンチ業界人とまともな議論はできません。投稿記録を見たら、初期にロイヤルホストを編集していました。「おかしな編集」と書いたのは、不審な編集という意味です。ファミレスのイメージアップ(本格フレンチも出しますよといって宣伝したいのでしょう)という目的でWikipediaをいじるのは規約違反です。--Otkoyg 2011年2月24日 (木) 12:44 (UTC)[返信]


Otkoygさんへ
投票ですか?そもそもwikiは、何かの新しい定義を制定する場でないのは当然ご存じですよね?こういった、もともと日本語として定義がはっきりせず、解釈の幅の広い言葉に対して無理に一つの答えに統一しようというのは不適切でしょう…。
もはや、あなたは私に対して感情的になってるだけですよね。榊原宗男さんも書いてますが、双方併記があるべき表記でしょうね。私は貴方の意見を否定をしてはいないし、色々な考え方を認めています。だから、双方併記で記述してます。というか、それで何か不都合があるのでしょうか?
私は、「洋食」という言葉が、ハヤシライスやオムライスのように、日本でアレンジされた料理を指すことは否定しないし、一方で、グラタンやシチューのように、完全な西洋料理に対しても使われているという、事実のままに書いているだけです。それを、日本でアレンジされた料理しか意味しない、と、絶対的に限定しなければならない理由は何なのでしょうか?
でも、貴方自身の記述の中でも、もう洋食という言葉は、幅広く用いられているということを実質的に書いていますよね。にもかかわず、白黒つけなきゃ気がすまないみたいになってしまっているのは、ただの感情ですよね。貴方自身の中で、すでに自己矛盾してるのに、無理なさらないでください。
それに、議論もせずに一方的に差し戻すのも、本来wikiではいけない行為ですよね。少し冷静になってみてはいかがでしょうか?


ファミレスの宣伝どうのこうのは、前にも書きましたがいいがかりです。
私のことを「“自称”フレンチ関係者」と揶揄していますが、自分はフレンチ関係者だなんて一度も書いていません。単に、フランス料理好きならヌーベルキュイジーヌの言葉は知っている、と書いただけです。ネットで調べられましたか?どれだけ西洋料理の歴史の中で重要かつメジャーな言葉であることか…
それに、ヌーベルキュイジーヌに「英語」とつけたのは自分ではありません。解説を加えたのも自分ではありません。そうしたことは履歴を確認してから書くようにしましょう。そうした確認もせずに、思い込みだけで勢いで書いてしまっているのも、Otkoygさんが感情的になりすぎてしまっているからです。どうか、冷静になってください。


宣伝だといって、ファミレス関係の記述を消したければどうぞ。ファミレス関連の記述は、最初から書かれていたのと、むしろOtkoygさんが加筆されて話が広がったものです。私としては別にどうでもよい部分です。
ただ、突然そのようないいがかりをつけてこられた理由も、わからないわけではありません。私がファミレスの記事の編集に加わっていたことを見てそう断定したわけですね。しかし、ファミレスに関する記事を書いたらその関係者扱いですか(笑)
確かに私は「ロイヤルホスト」を編集したことはありますが、この「洋食」の記事に一度もその名称を書いたことはありません。でも「すかいらーく」は書きました。では、私はどちらの関係者で、何を宣伝したいのでしょう?ファミレス業界全体を牛耳るギルドか何かの回しものですか??
そうすると、「洋食」の項なのに、やたらと「とんかつ」関係の本からの引用にこだわるOtkoygさんは、どこかの老舗とんかつ屋の跡取りか何かってことになりますね…怪しい(笑)--Newgrander 2011年2月24日 (木) 15:13 (UTC)[返信]
(お詫び)すみません。ウソ書きました。自分は、「すかいらーく」「ロイヤルホスト」「デニーズ」「ケンタッキー」「マクドナルド」といった企業名をたくさん書いてました…!確かにこれじゃ、外食企業の回しものですね…。ただ、「戦後の洋食の担い手はファミレス」というくだりは、Otkoygさんでもなく、最初から書かれてますね。でも、「外食産業において「洋食」は大きな勢力の一翼をなしているといえる」という、外食における洋食の重要性を加筆されたのは1/30のOtkoygさんですね。もう、みんな外食企業の回しものですよ。--Newgrander 2011年2月24日 (木) 21:47 (UTC)[返信]
明日から投票にかけるなんていう記述がありましたが、議論不足で時期尚早だと思います。とはいえ、Otkoygさんは出典を示されました。Newgranderさんも出典をお示し頂けますか?--榊原宗男 2011年2月25日 (金) 12:29 (UTC)[返信]


出典について
出典として、『大辞泉』の「洋食」の説明は「西洋風の料理や食事。西洋料理。⇔和食。」とあり、西洋料理も含めて定義づけてます。『新潮国語辞典』では、単に「西洋料理。」と書いてあるだけです。辞典によって色々でしょうけど、こういう定義もあるという事例です。


料理としては書き出せばきりがないほどありますが、洋食の定番・マカロニグラタンについて書きます。
有名な料理書『LE GUIDE CULINAIRE(エスコフィエフランス料理)』(Georges Auguste Escoffier著/角田明訳)の1119pには、"Macaroni au Gratin"(マカロニのグラタン)とあり、調理手順は「マカロニを、ソース・ベシャメル少量加えて「ア・リタリエンヌ」に調理する。バターを塗り、おろしチーズをふりかけたグラタン皿に盛る。同様に上面にも粗挽きパン粉を混ぜたおろしチーズをふりかけ、溶かしバターを注いで強火でグラチネする」と書かれています。なお、「ア・リタリエンヌ」とは、刻んだマッシュルームを混ぜることを意味します。
料理好きならわかると思いますが、この作り方は、日本の洋食店でも家庭でも作られているマカロニグラタンの調理法と同じでしょう。「ソース・ベシャメル」も、作り方は小麦粉をバターで炒めて牛乳と混ぜて塩で味を整えるだけなので、フランスでも日本でも作り方に違いはありません。ちなみに、著者のエスコフィエという人は、フランスで19世紀から20世紀初めにかけて「料理界の帝王」と言われた有名な大シェフで、この料理書の原書は1903年に出版されました。


このように、日本でよく「洋食」と呼ばれている料理の中には、完全なフランス料理が含まれているのです。だから、「洋食」という言葉の意味を、「日本式にアレンジされた料理」だけに限定すると、事実と明らかに異なってしまいます。
もちろん一方では、オムライスのように日本で生まれた料理も「洋食」と呼ばれているなど、「洋食」の全てが西洋料理ではないので、洋食の定義としては、「日本で生まれた西洋風の料理、または西洋料理そのものを指す」という、両方の意味を含めた記述がやはり適切だと思います。歴史的順序からすれば、「西洋料理、または日本で生まれた西洋風の料理」という書き方の方がふさわしいかもしれません。


wikiで投票って最終手段みたいなものなのに、議論にもなっていないのにいきなり投票しようとしたその強引な姿勢に、wiki編集者としての意識に問題を感じます。編集合戦といっても、ほとんど私とOtkoygさんの二人だけのようなものですし。
保護をかけた管理者のBaldandersさんは、別の記事で「洋食は日本の料理」みたいなことを書かれていたので、Otkoygさんの意見に同調したのか、本来wikiではふさわしくない差し戻しをOtkoygさんがした直後に保護をかけていますし、それでOtkoygさんは2対1で勝てると思って投票に持ち込みたかったのかも知れませんが…。
ましてや、自分の意にそぐわない編集をされたことに怒りを覚え、推測というよりは妄想に近いいいがかりまでつけられては、合意形成も何もありません。不審な編集とかファミレスのイメージアップって何なんですか?上に書いたように、グラタンはフランス料理そのものです。その事実を書いて何かおかしいのでしょうか?というか、それを書くことが外食企業の宣伝になりますか??グラタンやコロッケがフランス料理の本に書かれているのはOtkoygさんが知らないだけで、料理好きの人なら主婦でも知ってることです。(家庭向けの本でも載ってます)
多分これは、Otkoygさんが自身のお考えに絶対的な自信を持ち過ぎているがために、自分の書いた文に編集を加えられることに対して「おかしな行為」「不自然なこと」だと感じてしまっているだけだと思います。だから貴方はすぐ、「意味不明」と説明を入れて差し戻しをしますよね…。それは、相手を理解しようとしていないだけです。
それでもなお「外食関係者の宣伝活動だ」と言い張るなら、どうぞファミレスや店名に関する記述は全て削除していただいて結構です。もっとも、私がベースを書いたわけではないので他の誰かが戻すかも知れませんが(笑)
そもそも、ここまで細かく説明しなければならないほどの話題ではないように思います。wikiは事典であって、自分の感性を披露する場所ではありませんよ…--Newgrander 2011年2月25日 (金) 18:57 (UTC)[返信]
3月4日末に保護が切れるので、それまでになんとかしたいという気持ちがありますが、第三者の意見がまったく得られないという状況が寂しい限りです。調理師試験のテキスト(『調理師読本』日本栄養士会/編、第一出版、1999年)が、「洋食」をどう扱っているのか調べたので紹介しておきます。「食文化概論─文化からみた日本の食─明治期の西欧文化の導入」。
(西洋料理の(引用者註))大衆化に伴って食卓作法も気楽になり、箸で食べられる店も増えて西洋料理への垣根は次第に取り去られてきた。そして一般の人が気軽に入れる日常店はユニークな和風洋食屋として繁盛し、これらの店ではわが国の食事の特色となった和洋折衷型の「洋食」が発達した。一方、明治初期以来の格式ある西洋料理店では、あくまでも高級かつ正式な本格的西洋料理を追求し、大衆洋食店と本格派の西洋料理店とは次第に分かれていった。
もし受験生が、だれかの主張を真に受けて、「西洋料理は大正時代のはじめごろには庶民のあいだにも広く普及していた」という説明文に丸をつけたとしたら、点を失うことになります。
フランス料理関係の本を3冊ほど借りて読みました。田中健一郎の『帝国ホテルの料理の流儀』、宇田川悟の『フレンチの達人たち』(2004)・『東京フレンチ興亡史』(2008)です。機会を与えてくれたNewgranderさんに感謝します。本は面白かったのですが、宇田川悟という作家には、言葉の使い方に癖があると思いました。「洋食」と「西洋料理」をほとんどいっしょくたに扱っています。至高のフランス料理から見れば、日本の洋食など唾をひっかけるにも値しないでしょうが、一方的な差別感覚です。
日本の「洋食」は明治時代末にはほとんど完成していたと思います。「カレー、コロッケ、カツレツ」がそうです。しかし戦後に洋食の概念が拡張されました。「スパゲティ・ナポリタン」「ハンバーグ」「クリームシチュー」「クリームコロッケ」などで、キッチンカーによる栄養改善指導の影響が大きかったと思います。新聞・雑誌でレシピが紹介され、のちにテレビ放送が始まってからは、『きょうの料理』のような番組で「洋食」のレシピがさかんに紹介されました。こうしたメディアに帝国ホテル村上信夫がたびたび出演し、フレンチを啓蒙した功績は大きいと思います。--Otkoyg 2011年3月2日 (水) 13:09 (UTC)[返信]


至高のフランス料理って何ですか?大衆フランス料理はフランス料理では無いのですか?Otkoygさんは、「洋食」がどうの以前に、固定概念で限定されたイメージの中での言葉で議論してますよね。「洋食」という言葉と「洋食店」という言葉も、同義語ではないと思います。
調理師試験の喩えは全く的外れです。残念ながら。そういう意味ではないので、調理技術技能センターに確認してください。というか、調べかじっている途中の知識で極論に持ち込めるその強気な姿勢…理解に苦しみます。
貴方は何の決着をつけたいのですか?すでに貴方が調べられた中に答えが出てますよね。洋食という言葉が、いかに人によって様々に用いられているかが。宇田川悟という作家が「洋食」と「西洋料理」をほとんどいっしょくたに扱っている。いいじゃないですか。そういう人もいるということです。貴方のように、洋食という言葉は、日本で生まれた料理にしか使ってはいけないという人と、どちらに癖があるか、どうやって比較検証しますか?
もはや、Otkoygさんは負けを認めたくないだけで意地を張ってるだけにしか見えません。むしろ、調べれば調べるほど、貴方の意見がいかに狭い視野でしか論じていなかったかがわかるでしょう…。ムッシュ村上、そしてそのお弟子さんのことをもっとお調べになってください。ムッシュ自体、洋食屋出身であり、貴方が蔑んでいる「洋食」の多くが、もともと西洋料理であり、彼らがどれだけそれに誇りを持って調理していたかがわかると思います。700円のシチューと、3,000円のシチューを一緒に論じられても困ります。それとも、洋食と西洋料理の区分を値段でしますか(笑)
wikiは事典です。誰の考え方が勝ちか負けを競う場所ではありません。また、明治時代に何が確立されて大正時代にどうだったか、どうぞご独自研究して断定されたらいいと思いますが、それは学会か何かでお好きなように発表されてください。
それよりまず、自論ばかり押し付けないで、ちゃんと相手の意見に答えてください。フランスの有名シェフが1903年に書いた料理書に書かれているマカロニグラタンが、日本の洋食店で洋食の定番料理として日本中で出されているのですが、この料理はフランス料理ですか?洋食ですか?自分に都合の悪いことはスルーですか?それでは議論になりませんよ。--Newgrander 2011年3月2日 (水) 14:52 (UTC)[返信]
話にならないおとぼけぶりですね。以後、議論はいっさいお断りします。--Otkoyg 2011年3月2日 (水) 15:06 (UTC)[返信]
仲裁を買って出た榊原宗男さんは、どういう条件が整えば投票を許可してくれますか? 質問は単純です。「洋食の概念に、フレンチやイタリアンを含めることが是か非か」。私はフレンチやイタリアンは洋食ではないと思います。--Otkoyg 2011年3月2日 (水) 15:17 (UTC)[返信]


コメント定義」の節を作成し、広義狭義の双方を記載するとよいかと思われます。むろん、広義においては西洋料理全般を指し、狭義においては、日本で独自に展開した…、ということですが。--西方 2011年3月3日 (木) 02:46 (UTC)[返信]
コメント西方さんの意見に、賛成です。西方さん提案のとおりで、皆さん合意願えませんか?--榊原宗男 2011年3月3日 (木) 13:15 (UTC)[返信]


「定義」の節を新設するということですが、ふつうは冒頭の文が定義になります。前の版の定義(Newgrander氏による)は──「洋食(ようしょく)とは、日本における西洋料理や西洋風の料理のこと。『大辞泉』によると洋食とは、「西洋風の料理や食事。西洋料理」。」──でした。私の(停戦のための)定義案は、──「洋食(ようしょく)とは、日本における西洋風の料理のこと。広義では西洋料理全般を指す。」──です。これで合意が得られれば、私としては少なくとも定義の編集合戦を続けるつもりはありません。もう一点書いておかなければならないのは、メニューの節で各料理につけられたコメントが火だねとして残るということです。コメントは一切書かずハブとして機能させ、各料理の説明はそれぞれの項に任せるのがいいと思います。たとえばコロッケの発祥についての議論はすでにその項目で行われたことで、ここでおなじことを繰り返すのは無駄ですしキリがありません。--Otkoyg 2011年3月4日 (金) 11:26 (UTC)[返信]
Otkoygさん。きちんと対話していただけますか?あと、広義・狭義とするのであれば、広義が先で、狭義が後にくるのが一般的な日本語の順序です。逆にしたとしても、「洋食とは、狭義において日本における西洋風の料理のこと。広義では西洋料理全般を指す。」となるでしょう。「広義」と書いて「狭義」を書かないのは日本語として不自然です。
あなたは、出典を示されても、第三者に意見をされても、どうしても洋食をまず西洋風の料理と断定することを一歩も譲る気がなく、相手の質問にも答えず、ほとんど一方的にご自身の意見の主張ばかりされていますが、それでが合意も何もありません。停戦といっても、第三者も含め全員が双方併記で提案しているのに、貴方がひとりで長引かせているだけではないですか…?
また、メニューの節のコメントが火種として残るとありますが、別にそれぞれの項に任せるのは良いでしょうけど、例えばグラタンやポタージュなど、洋食の中に純然たるフランス料理が存在する事実を貴方が個人的に認めたくないからそう感じるだけで、ふつうに読む人には何の火種になることはないと思います。--Newgrander 2011年3月4日 (金) 15:03 (UTC)[返信]


西方さん、榊原宗男さん、第三者のご意見ありがとうございます。広義と狭義、私もありだと思います。ただ、以前私もそのように編集していたのですが、Otkoygさんが「意味不明」と言って、洋食とは日本で生まれた料理のみ、と書き換えられたわけです。上記の問いかけでわかるように、Otkoygさんの意見は、洋食という言葉の範疇に、西洋料理の存在は一切認めたくないそうです。
この議論って、そもそも白黒つけるべき話題なのでしょうか。「言葉の意味」というのは、文科省が決めたとしてもそれが全てではないし、wikiが見解を統一させる場でもないと思います。しかもお互いに出典があるのに一方を削除することは、wikiの編集方針に反すると思います。従って私も、双方併記が妥当だと考えています。例えばシンプルに、「洋食とは、西洋料理、または日本で生まれた西洋風の料理のこと」という一文でまとめて、特に難しい表現も必要ない気がするのですが、いかがでしょうか。もちろん広義・狭義という記述でも構いません。


Otkoygさん。おとぼけしてるのは、Otkoygさんのほうですよね…。Otkoygさんの質問に答えれば結論が出るというのであれば、世間で「洋食」と言われる料理の中に完全なフランス料理が存在することを出典を示して証明したので、議論はこれで終了してしまいます。でも私は、相手をねじふせたいわけでもなく、そもそも両方の意見を併記することを望んでるわけですから、対話を拒否せず、円満に合意形成しましょうよ・・・。私の質問に答えられない理由があるのですか?
関係者の宣伝だと思いたいのであれば、それはもう好きに思っていただいて構いませんが、企業・店名の記載を削除することには、最初から私は全面的に賛成しているので、そもそも指摘が的外れで争点が違います。それでもなお宣伝云々に固着されるとなると、もはや根拠のない個人攻撃・誹謗中傷の類か、単に相手に悪印象を与えたいと感情的になっているようにしか感じられません…
いずれにせよ、Otkoygさんが対話を拒否せず、冷静な合意形成を目指されることを期待します。--Newgrander 2011年3月3日 (木) 14:26 (UTC)[返信]

「洋食の定義」については、私も西方さんやNewgranderさんと同意見です。つまり、「洋食」には広義と狭義の意味があって、必ずしも「日本的な要素が加わった西洋料理」に限定されるわけではないと考えます。でも、「定義」についてのそういう議論は、この記事の編集方針を決めるための議論としては、少しピントがずれているのかもしれません。

皆さん見落としていらっしゃるのかもしれませんが、広義の「洋食」については別に西洋料理の記事が立項されています。こちらで広義の「洋食」を扱ってしまうと、西洋料理とカブってしまいますよね。将来的に記事を統合しようというのなら別ですが、そうでなければ、それぞれの記事に別の役割を与えて棲み分けを図っていかなければなりません。

幸か不幸か、現在のこちらの記事の内容は、すべて「日本的な要素が加わった西洋料理」についてのもののようです。誰かが意識的にそう導いたのか、偶然そうなっているのかは分かりませんが、せっかくそういうことになっているのだから、例えばTemplate:Otherusesを使って、『この項目では、日本的な要素が加わった西洋料理という意味での「洋食」について記述しています。西洋の料理という広義の意味での「洋食」については西洋料理をご覧ください。」のような切り分けをしてはいかがでしょう。--Dwy 2011年3月3日 (木) 15:17 (UTC)[返信]


Dwyさん。ご意見ありがとうございます。現在の記述が日本的な要素が加わった西洋料理だけになっているのは、編集合戦の当事者であるOtkoygさんが、それ以外の表現を全て一方的に削除されたからです。
西洋料理と内容がかぶるのは、確かに気になる部分はあります。それで、『この項目では、日本的な要素が加わった西洋料理という意味での「洋食」について…』というご提案について、一瞬ありかも…とは少し思ったのですが、そうした場合、世間では「洋食」といわれながら、完全なフランス料理であるグラタンや、イギリス料理であるビーフシチューなどを洋食の項で記述することに矛盾が生じます。といって、これらの料理は洋食店の定番料理なので、記述できないのは違和感があります。また、ステーキのように、どこまでが西洋料理でどこまで手を加えると洋食なのか、その線引きが難しく、かなり記述が不自由な状況に陥ってしまうと思います。
ただ、「洋食」は幅広い意味に使われても、「西洋料理」の場合は、オムライスやエビフライのような和製洋食は西洋料理に含まれないので、そういう点で言葉の違いははっきりしていると思います。--Newgrander 2011年3月3日 (木) 15:46 (UTC)[返信]
線引きについては、『この項目では、日本における「洋食」について記述しています』のような表現にすれば、かなりはっきりすると思います。
それから、これは独自研究なので蛇足かもしれませんが、ビーフシチューもこういうふうに発展してくると、既に「完全なイギリス料理」とは言えなくなっていると思います。また、私にとって(受験勉強のとき母親が夜食に作ってくれた)グラタンは日本の「おふくろの味」でして、「完全なフランス料理」と言われると、かなり違和感があります。--Dwy 2011年3月5日 (土) 01:05 (UTC)[返信]
そうですね。ビーフシチューにせよグラタンにせよ、日本的にアレンジされたものも多いですね。ただ、上にレシピを紹介しましたように、西洋の作り方が特殊な作り方ではなく、そのように作られている場合も多いと思います。しかし、アレンジにしても、醤油や味噌のような日本独自の食材を使った場合はともかく、レシピ上での違いとなると、何%アレンジすると洋食なのか、そうしたアレンジはフランスやイタリアの家庭料理にも存在しないのか…など、検証も証明もしようもない話になってしまうと思います。そのため、最初に『この項目では、日本における「洋食」について…』という断り書きをしたとしても、そもそも日本における「洋食」の範囲はどこなのかを先に論じなくてはならなくなるのではないでしょうか…
その境界線の基準は感性の問題になり、あえて完全分離しようとすると、記述内容の矛盾ができる原因になってしまうと思います。他の記事との関連付けにおいても、グラタン、ビーフシチュー、ポタージュ類、ミートソース(ボロネーゼ)etc...、西洋料理店でも洋食店でも提供されることのある料理について、西洋料理としての○○はこれで、洋食としての○○はこう、としなければ整合性がとれなくなります。そこに、グラタン一つとっても、フランス料理としてのグラタンと日本独自のグラタンの違いを検証可能なレベルまで明確に説明するのは不可能だと思います…
レシピというものはあまりに千差万別なので、西洋の調理法で作ったグラタンを提供する洋食屋ではそのグラタンを洋食と呼んではいけないのか、イタリア料理店で日本の野菜を使ったりすると洋食になってしまうのか…など、線を引くにもその根拠の証明はできないと思いますし、現実にある洋食店やフランス料理店のメニューの実態と乖離した、wiki独自の定義になってしまうと思います。(そもそも検証可能性がなければ記事として不適切ですが…)
洋食の定義って、ネットでも色々なところで議論になるようで、それだけ人により解釈が異なり、なかなか奥の深い話だと思います。
イメージ的には、フランス料理というと高級な専門料理で、洋食というと日本人向けの大衆料理、というイメージは確かにあります。でも、当然ながらフランスの大衆料理だって立派なフランス料理であり、洋食でも吾妻橋にある某店のように、コースで一万円を越える高級洋食もあります。
百科事典は、そうした奥の深さ、多様さを幅広く掲載してこそ、その価値も高まるのではないでしょうか…。わざわざ範囲を狭め、限定的な内容に押し込めようとするのは、もったいないと思いますが、いかがでしょうか。--Newgrander 2011年3月5日 (土) 02:16 (UTC)[返信]
確かに「日本的な要素が加わった」はあいまいで不適切でしたが、「日本における」なら問題ないのではないでしょうか。例えばOtkoygさんのこの版の「日本における西洋風の料理や食べ物のこと」の定義でも、「完全なフランス料理」などを排除することにはならないと思います(「完全なフランス料理」も「西洋風」のうちですよね?)。あるいは「日本における西洋料理または西洋風の料理のこと」のように、「完全なフランス料理」等を含むことをもう少し明確にすれば良いのですか?いずれにしても、ロンドンのイギリス料理やパリのフランス料理のことは、この記事では扱わないんですよね?--Dwy 2011年3月5日 (土) 16:52 (UTC)[返信]
「日本における西洋料理または西洋風の料理のこと」という表現は良いと思います。ただ、この記事でロンドンやパリの料理を扱わない、というのは、あえて意識することではないように思います。というのも、グラタンやシチューがフランスやイギリス本国で消滅しているわけではなく、現在でも存在するので、何の料理からまでを切り分けまでyes・noをはっきりするのは難しいように感じます。強いて線を引くとすれば、戦前の古典料理や家庭料理ですが…その線引きは私の感覚であって検証はできません…
そもそもこの議論は、Otkoygさんが「洋食とは日本的にアレンジされた料理のみ」という極論にこだわり、それ以外を全て削除したところからはじまります。自分はそれに対し、西洋料理も含まれてる場合もありますよ、としただけです。反対者としての立場上、洋食におけるフランス料理の証明のようなことを細かに書かざるをえなかっただけで、積極的にフランス料理などを含んだ言葉だと主張したいわけではありません。履歴を見ていただければわかるように、最初から私も、洋食という言葉のイメージに日本的な西洋風料理があると思っています。
狭義の洋食に限定して記述することも再考してみたのですが、あえてその形を取るとするならば、まず概要として広義の洋食について記述し、西洋料理であるグラタンなど含む、一般に「洋食」として扱われる料理を列記して簡単に説明し、その次に「狭義における洋食」という節を設け、そこで日本的にアレンジされた洋食のみを説明する、という構成が良いのではないかと思います。記事を分割してしまうことについては、やはりグラタンなどとの扱いと整合性がとれず、「日本的にアレンジされたもの」と断っておきながら、西洋料理が存在する場合もある、という記述の矛盾が生じてしまうと思います。
普通の日本人にとって「洋食」という言葉は、日常会話でも、文章でも、ネットの記事でも、グルメ本でも、それほど厳密に範囲を意識して使われてはおらず、色々なケースで用いられている日本語だと思います(2/14にも同様のことを書きましたが…)。議論になったために各論になっているだけで、まず広い意味での「洋食」という言葉があり、それに加えて狭い意味での「洋食」という使われ方もある、と、単純にそれだけなような気がします。今の議論は、「百科事典」としての議論というより、食文化論や料理に関する議論になってしまっているように感じます。--Newgrander 2011年3月6日 (日) 02:52 (UTC)[返信]
私が言いたかったのは、「洋食」の定義も大事だけれど、西洋料理フランス料理イギリス料理等々、他にも関連する分野の記事があるのだから、洋食の記事でカバーすべき事項は、それらの記事の守備範囲も考慮に入れた上で決めて言う方がよいということです。「完全なイギリス料理」としてのビーフシチューについては、イギリス料理で書けばよいことかもしれませんよね?(現状の記事の記述に特に大きな不満があるわけではないので、そういう視点もあるということだけ認識していただければ結構です。)
それから、Newgranderさんはグラタンやクリームコロッケが「日本流にアレンジされた」ものではないとお考えのようですが、私個人的には、少なくともkorokkecroquetteは別の物だと思っています日本流のパン粉を使っている時点で、本来のフランス料理からは微妙に乖離していると思います)。私は素人でNewfranderさんとここで論争するだけの知識はないので、特に対案の記述を提案することはしませんが、独自研究にならないように信頼できる出典に基づいた記述をお願いしたいと思います。--Dwy 2011年3月6日 (日) 08:13 (UTC)[返信]
Dwyさん。
色々ご指摘ありがとうございます。洋食の記述内容を日本的な洋食に特化することに、本質的には異論はありません。ただ、単純にそうすると、何の前置きもなくいきなり料理論についての内容だけの話になってしまうので、「洋食」と題するからには、まずは広い意味から入るのが妥当だと考えます。そもそも「洋食」という言葉は、料理論以前に、言葉としては人によって色々な使われ方をしています。だからはじめに、「洋食とは西洋料理、または日本でアレンジされた西洋風料理を指す」としなければ、違和感を感じたわけです。
ただ、そうした表現については、第三者の方はみなさん問題ないとコメントされました。だから、私としてもその定義の議論を延々としたいわけではないのですが、Otkoygさんだけが「洋食という言葉には西洋料理は含まない」と極論するのにこだわっているので、それは決めつけでしょう、と言っている程度に過ぎません…。現行の「広義・狭義」があれば十分だと思います。


その前置きを置いた上で、「ここでは狭義における、日本でアレンジされた西洋風料理について記述する」とするのは、あり得る話だと思っています。
しかし、そうした場合、後々不都合が生じる部分も出てしまうとも思うのです。料理の説明について、それぞれの項目に任せるという視点はよくわかります。だから、洋食の項で詳説する必要はないと思いますが、同じ料理名を使う以上、簡単でも起源に関する説明は必要になると思います。例えば「シチュー」の項目では「イギリス料理」と「洋食」があると併記しながらも、洋食の項では単に「日本でアレンジされた料理」という前提で「シチュー」と紹介されると、読む人にとっては、「シチュー」自体がオムライス同様、日本で作られた料理だと勘違いされる可能性もあります。
これはもう、この議論に参加してその経緯を知っていなければ、その背景を理解できないと思います。それに、イギリス料理のシチューと日本的なシチューの違いをどこで線引きし、日本的なシチューの特徴をどうやって断定し、日本の洋食店のシチューは全てそうしたものだと断言できるのでしょうか…。それこそ、独自研究になってしまうと思います。もちろん、洋食店のシチュー全てがイギリス料理だとも断定できません。つまり、どちらも証明不可能な話なのです。だから、そんな証明不可能な記述の議論をするくらいなら、むしろ「もとはイギリス料理で、日本ではアレンジされることもある」くらいに書いてしまった方がシンプルだと思うのです。


確かに、グラタンにせよコロッケにせよ、出典を示したところでそれも独自研究と言われればそれまでです。しかし、パン粉については、日本のスーパーや家庭で使われるパン粉はヨーロッパで使われているものとは若干違いますが、レストランではちゃんと洋式のものを使ったり、店でミキサーにかけて細かくして乾燥させたものを使っている店も少なくありません。もちろん日本的なグラタンやコロッケを出している店も存在します。だから、私は日本の全てのグラタン・コロッケがフランス料理だとは言っていませんし、そうとも思っていません。でも、お客さんは専門知識を持った集団ではないので、どちらのグラタンも「洋食」と思って召し上がられていることでしょう。
いずれにせよ、そうしたレシピレベルでの完全な証明をするとなると、どこかの店の証言でも取らない限り証明は不可能ですし、仮に取れたとしても、その一店が特殊で一般論でないと言われればそれまでだし、どこまでいっても独自研究になってしまいます。(ただ、個人的見解でいえば、日本のコロッケは日本的なものが主流だと思いますが、グラタンは日本の家庭レベルのものとフランスの家庭レベルのものとで根本的な違いはないと思います)


結局この話は、完璧に全てを区切れる話ではないと思います。「白か黒か」を論じていて、相手が白、私が黒といって、黒にすることを私が求めていたなら私の独断が強すぎると思いますが、私はグレーで提案しています。白としても黒としても断定ができる話ではない以上、グレーな記述をとるのは自然な形だと思います。
毎度長文をして申し訳ありません…--Newgrander 2011年3月6日 (日) 17:13 (UTC)[返信]
記事の執筆者が自分でレシピを分析・評価して「日本的だ」とか「完全なイギリス料理だ」とか言うのは「独自研究」ですが、信頼できる出典に「○○は日本でアレンジされた料理だ」とか「○○は完全なイギリス料理だ」と書いあるのなら、そのように記事に書くのに何の問題もありません。「どちらも証明不可能な話なのです」というほど難しい話ではないような気もします。要するに「独自研究の禁止」とは「記事の執筆者は自分の意見を書くな」というだけのことですから、信頼できる情報源で調べたことを、分析や解釈を加えずにそのまま書いていただければOKだと思います。--Dwy 2011年3月7日 (月) 16:02 (UTC)[返信]
Dwyさん。ご指摘ありがとうございます。
独自研究や出典の信頼性の基準は、いつも議論のわかれるところです。上に例を記述しているように、有名なフランスの料理書にマカロニグラタンがあることを出典としてあげています。逆に、「信頼できる出典に「○○はフランス料理」と書いてあれば良い」とおっしゃられますが、私はそのほうが独自研究だと思います。「信頼できる」の判断基準は何でしょうか?その人の説が正しいという根拠はあるのでしょうか?有名人が書けば正しいのでしょうか?そのレベルの出典で良ければ、帝国ホテル元総料理長の村上信夫氏が監修した『レストランのメニュー』という本に、フランス料理としてグラタンが掲載されていますので、それを出典として良いでしょうか?
しかし、こうしても「洋食屋で出されているグラタンとフランス料理店で出されているグラタンは別物」と言われたならば、どうしようもありません。というよりむしろ、フランスの料理書にも日本のフランス料理の本にも書かれている「グラタン」と、全国の洋食店で出されている「グラタン」は別物、と決めつける根拠を示していただけますか?
例えばOtkoygさんは、宇田川悟氏の『東京フレンチ興亡史』において、西洋料理と洋食をほぼ同義語のように扱っていることを「おかしい」と指摘しています。宇田川悟氏の考え方が正とは言いませんが、フランスの食文化の研究者としては有名で、フレンチのシェフの会であるエスコフィエ協会にも所属し、同協会の会報にも寄稿されている宇田川氏をもってしても「おかしい」と言われれば、この手の議論はもう泥沼だと思います。だから、もちろんお互いに出典を示した上で、こういう見解もあり、こういう見解もある、と書くにとどめるしかないのではないかと思います。--Newgrander 2011年3月7日 (月) 21:38 (UTC)[返信]
>有名人が書けば正しいのでしょうか?
(信頼できる専門家として)有名な人が書いたことは、おそらく正しいでしょう。
>『レストランのメニュー』という本に、フランス料理としてグラタンが掲載されていますので、それを出典として良いでしょうか?
ウィキペディアでは出典に記載されている情報に余計な分析や解釈を加えてはいけないことになっていますから、「フランス料理としてグラタンが掲載されている」という出典から書けることは、「フランス料理としてグラタンという料理がある」ということだけだと思います(その本に更に詳しい記述があれば、それに応じて記事に書ける内容も膨らんでくるでしょうが…)。要するに、出典に書いてあることは記事に書いてよいが、出典を見てウィキペディアの記事の編集者が解釈・判断したことは記事に書けないということです。--Dwy 2011年3月8日 (火) 16:19 (UTC)[返信]
「(信頼できる専門家として)有名な人が書いたことは、おそらく正しい」のところで言い忘れましたが、「正しい」にもレベルみたいなものがあって、みんなが一致して認める事実は記事にも事実として記述しますが、人によって意見が分かれることについては、100%の事実ではなく、ひとつの意見・見解として記述することになります。つまり、Wikipedia:中立的な観点から、「○○である」ではなく、「○○という説がある」のような書き方が必要な場合もあるということです。--Dwy 2011年3月8日 (火) 16:30 (UTC)[返信]
なるほど。勉強になります。
編集合戦になってしまったがために、余計なことを書きすぎました。ただ私は、日本の洋食のすべてが西洋料理などとは最初から一度も書いていません。あくまで、洋食の定番としてあるグラタンなどの洋食の一部料理には西洋料理が存在することを例示したにすぎません。もちろん、フランス料理の本にグラタンがあるからといって、日本の洋食屋のグラタンもそれと同じだ、と個人的見解で決めつけてはいけないことはわかりました。しかし逆に、洋食のグラタンとフランス料理のグラタンが別物である、ということも、その個人の考え方にすぎないから書いてはいけない、ということでよろしいでしょうか?それに、現在のページのまとめ方としても、Dwyさんがいわれるように、「という考え方がある」「という見解がある」といった記述にしていますが、それで良いということでしょうか?(文章の下手さは別として…;)
また同時に、洋食が「日本的アレンジが加えられた料理のみを指す」と断定できるわけでもないということですよね?それを断定するためには、明治時代から今日にいたるまで、全ての日本の洋食店の全てのメニューにおいて、西洋料理は一切存在せず、日本的にアレンジされた料理しか存在しなかったと断定できる出典が必要だと思います。そして言葉としても、全ての日本人が、西洋料理に対して「洋食」という言葉を用いたことはない、と断定できる出典も必要でしょう。
その根拠を示さずに、「洋食とは日本的な西洋風料理とする」という考え方をありきとするのは、その前提に疑問があります。この考え方は、何を根拠にした前提なのでしょうか?むしろ、単純に言葉としての「洋食」の意味について前提をもたせるならば、複数の国語辞典の洋食の説明に「西洋料理」とあります。従って、「洋食」とは、日本的な西洋風料理だけではなく、西洋料理も含めて意味するほうが妥当であり、出典も十分だと考えます。
だから、まず「洋食」の定義として、「西洋料理あるいは日本的な西洋風料理のこと」とし、その上で、「ただし、この項では日本で独自に発展した西洋風料理のみを扱う」とし、オムライスやハヤシライスを紹介するのは、違和感はありません。(もちろん、そこでグラタンやシチューを日本で発展した料理と“断定”して扱うと、おかしくなると思いますが)
結果的に料理論になってしまったのは私にも責任がありますが、私は決してここで日本のグラタンがフランス料理であるか否かを議論したいのではありません。この議論のはじまりは、「「洋食」とは、日本的アレンジがなされた西洋風料理のみを指す」と断定され、それ以外の記述は全削除されたので、そんなことはないでしょう、洋食という言葉は幅広い意味で使われてるでしょう、となって、議論になったものです。でも、今思えばそれは国語辞典から出典を示した時点で議論を終了して良かった話かも知れません。
だから、各論の料理論ではなく、まず洋食という言葉の定義について、「日本的にアレンジされた料理しか指さない」と断定してよいのかどうかについて、ご意見いただきたいと思います。個別の料理については、その後(もしくはそれぞれの料理の項)で議論したいと思います。--Newgrander 2011年3月8日 (火) 22:02 (UTC)[返信]
おっしゃるとおり、国語辞典に出ている一般的な言葉の意味からして、「日本的にアレンジされた料理」に限定する定義を採用するのは無理があると思います。料理の専門家の間で「いわば日本で再構成された外来風の食事システムである」という説があるからといって、それ以外の人たちの言葉使いが全て否定されるわけではありません。(ちなみに言葉の意味や用法については国語学者の方が専門家で、料理人や料理研究家の意見はそれほど当てにはならないと思います)
但し、「洋食」について「いわば日本で再構成された外来風の食事システムである」とか「多分に日本的な要素がふくまれている」のような説があるのであれば、素直にそのまま(信頼できる情報源の記述に基づいて)紹介すべきです。ことさらに「洋食と呼ばれる料理の中には純粋な西洋料理も含まれる」のような反対説を記述してバランスを取ろうとすることは(「純粋な西洋料理も含まれる」と明確に言っている出典が見つからない限り)不適切だと思います。--Dwy 2011年3月13日 (日) 16:05 (UTC)[返信]


Dwyさんへ
バランスを取ろうというのとは少し違います。国語学者による定義自体が、洋食という言葉の中に、西洋料理の意味が含まれているという証明に他なりません。そういった事実が存在しなければ、そういった定義は生まれていないでしょう。
議論がごっちゃになっていますが、単に「洋食」の意味と、いわゆるイメージ的な「狭義」の洋食の中に、“純粋な西洋料理が存在するか否か”の議論が混在しているから、話がややこしくなっているのだと思います。


料理人でも、明治時代に横浜居留地で外人コックの下で西洋料理を身に付けた荒田勇作氏は、有名な著書『荒田西洋料理』の序文において、「近代我が国の洋食界も、世界の水準以上に発達し…」と記述したり、『西洋料理人物語』(中村雄昂著)では、“日本におけるフランス料理の普及に貢献した”としてフランスから表彰された名シェフの関塚喜平氏について、「外人の屋敷に手伝いに行っているうちに、洋食を覚えた」と書かれていたり、また同書では「日本一の洋食店は帝国ホテルではない、築地精養軒である」という記述があったりと、特に日本的な西洋風料理に限定せずに「洋食」という言葉が使用されています。
こうした、複数の国語辞典や書籍が示すように、単純に「洋食」という言葉は、西洋料理を含んだ、幅広い意味で使われている、それだけのことです。


「洋食」という言葉の中に、日本的に独自に発展した料理を指す、狭義での「洋食」という用法がある、という感覚もよくわかります。しかし、その狭義での「洋食」の料理の中に純粋な西洋料理があるかどうかという話は、議論のレベルが違う話しなので、それは各料理の項で論じるようにしましょう…。(議論の混同を招いた原因は自分なので、偉そうにいえることではありませんが・・・;)


バランスという観点では、一般的に広い意味で用いられている言葉に対して、一部の人間が提唱している狭義の解釈を長々と記述するほうが、偏重していると思います。わずかな出典を示しただけで、料理の専門家は「洋食」を狭義の意味にしか使っていないとか、現在はそうした言葉遣いが一般的だというような記述の方が不適切だと思います。(そういう説がある、という記述なら問題ないと思います)
私の記述は、反対説というより、記述に偏りがあるから、一般的な言葉の意味を確認的に添えたものです。(それに、狭義の「洋食」の定義についても、議論すれば相当意見は分かれると思います。例えば、「パン」にあうのが西洋料理、なんて言うと、シチューのように両方合う場合はどうなのかとか、フォアグラのソテーはごはんに合うとか、狭義の中でも深い議論になると思います)


また、しつこいようですが、狭義の洋食の中に純粋な西洋料理が存在するか否かについても、いわゆる「洋食」の中に西洋料理は古今東西一切存在しない、と言い切れる根拠はありますか?それも個人的意見ではありませんか?「存在する」という明確な根拠がないからといって、「存在しない」ことの証明にはなりません。この議論は、ここですべきことではないと書きましたが、その先入観が議論の混戦を生じさせてる原因だと思うので、一応確認させていただきたいと思います。経験則や感覚的な判断であるならば、それこそ個人的意見や独自研究ではないでしょうか?
その根拠が示されるのであれば、そもそも議論する必要もないと思うので…--Newgrander 2011年3月17日 (木) 16:24 (UTC)[返信]
お互いのポイントが少しずれていると思うのですが、私が言っているのは、記事の記述には出典が要るということと、出典に基づいて記事を書く場合には余計な分析や解釈を入れてはいけないということだけです。つまり、「洋食と呼ばれる料理の中には純粋な西洋料理も含まれる」と書きたいのなら、はっきりそう言っている出典を見つけてくる必要があるということです。
国語辞典の定義は非常に簡潔なものですから、「洋食と呼ばれる料理の中には純粋な西洋料理も含まれる」の出典としては必ずしも充分ではありません。国語辞典の定義から論理的に考えればそういう結論になるというのは分かりますが、それは必ずしも国語辞典の著者の考えではないかもしれません。私が想像するに、国語辞典の著者に「こういう議論があるんですが?」と聞いたら、「いや、そういうことまで考えて書いた定義ではありません」と言う可能性が高いような気がします。つまり、「洋食と呼ばれる料理の中には純粋な西洋料理も含まれる」というのは国語辞典を読んだ読者の判断であって、国語辞典の著者がそのように言っているとは必ずしも言えないと思います。
荒田勇作や中村雄昂の著作についても、その本を読んだ読者が「著者はそういう意味で洋食という言葉を使っている」と解釈しているだけで、著者自身が「洋食と呼ばれる料理の中には純粋な西洋料理も含まれる」と言っているわけではありません。そういう「読者の解釈」は、ウィキペディアの記事には書くべきではないと思います。
念のために申し添えますが、私個人的には、純粋な西洋料理も含めて「洋食」と呼ぶ人もいることは分かっています。でも、そういう個人的な考えは(ちゃんとした出典が別にない限り)Wikipediaの記事には書けないものだと思っています。
それから、ついでにひとつお願いしたいのですが、「ヌーベルキュイジーヌ以降フランス料理店で出されなくなった古典的フランス料理が洋食として扱われることがある・・・」についても出典が必要ですので、誰がどこで発表した説なのか記述していただけるとうれしいです。--Dwy 2011年3月18日 (金) 17:26 (UTC)[返信]


「洋食」と呼ばれる料理の中に純粋な西洋料理も含まれる」という話と、「西洋料理も含めて洋食と呼ぶ人がいる」という話は全く別の話だと思います。前者についてはDwyさんのおっしゃられることは理解できます。ただし、「含まれない」ということも個人的考えにすぎないので、それについても出典がない限り書くべきでないと思います。
後者については、狭義の「洋食」と呼ばれる料理に純粋な料理があるどうかとは関係なく、単に言葉として西洋料理含んで幅広く「洋食」という言葉遣いがされている、というだけの話ですから、国語事典や、荒田勇作氏や中村雄昂氏の著作で十分出典になっていると思います。それに対して、書き手の意図まで推察して指摘をすること自体が、Dwyさんの個人的考えによる行きすぎた指摘だと思います。
例えば荒田勇作氏の記述について言うと、著者の荒田勇作という人は、外人ホテルで西洋料理を身に付け、大ホテルやフランス料理店の料理長を歴任し、ヨーロッパの調理師協会との窓口をされ、勲五等瑞宝章も受けられた高名なシェフです。その人が、自著の西洋料理書の序文に「洋食界」という言葉を使ったとすれば、それは自身が身を置いている西洋料理界を指していると考えるのは日本語として当然のことで、解釈の介在する余地がないことです(料理の中身の話ではなく「洋食」という言葉の意味する範囲の話として)。そこに違う解釈が生じるのは、「洋食と西洋料理は別物だ」という個人的な考えを持った人だけが感じる、穿った解釈だと思います。(それでも、荒田氏が「日本的な西洋風料理界」を意味して「洋食界」と書いたという可能性はゼロに等しいと思いますが…)


出典の示し方については、それ自体激しい議論になることなので難しい話だと思いますが、現実的には、トンデモ論の書籍や引用元自体が信憑性の低いものでない限り、その正当性をwikiの本文中で徹底証明しながら書かれている記事のほうがまれでしょう。ことに料理の話でそれを求めると、おそらく全ての記事が出典不足です。Dwyさん自身「個人的意見」と断りを入れられてはいますが、国語事典で「洋食」の意味に西洋料理が含まれることがはっきり示されていることに対して、“そうとは限らない”という解釈をすること自体、個人的な考えに基づく不確かな指摘だと思います。そういった指摘をするのであれば、まず「世間で洋食と呼ばれている料理の中に西洋料理は存在しない」という根拠を明示した上で指摘をすべきことだと思います。異論を唱える根拠が、個人的意見やご自身の家庭体験というのでは適切でないと思います。指摘自体が余計な解釈によるものであれば、そもそも「洋食に西洋料理が含まれているか否か」の議論すら不要なことで、本来なら出典云々の話ですらないと思います。ただ、議論になったため、止むを得ず余分な記述が増えているのが実情です。しかしそれも、恣意的に意味を狭ようとする偏った記述をなくせば、対立する余分な記述も不要になるでしょう。


私が言いたいのは、国語事典を代表に、世にあるあまたの書物、日常会話、ネットの記事etc...、「洋食」という言葉は幅広い意味で使われている、ということです。そこには、狭義の「洋食」の中に純粋な西洋料理が含まれているか否かなど、込み入った議論は関係ありません。一般の日本人のほとんどが料理の専門家でも料理マニアでもありません。「この味は日本的洋食のグラタンの洋食だ」「この味はフランス料理のグラタンだから西洋料理だ」とか考えながら食べ、言葉を使い分けてもいないでしょう。これは個人的意見というより常識的意見です。人の言葉遣いの真意を他人が一律に断定できるはずがないからです。そうした意味で、人が「洋食」という単語を言葉や文字にした時、西洋料理も含まれることがある、ということの出典としては、国語事典やいくつかの書籍で十分だと思います。
そこに、「洋食と西洋料理は別物だ」という判断を加えて、一律の定義におしこめようとすることは、個人的な言葉の解釈です。証明済みの日本洋食の例を並べたり、「ごはんに合うのが洋食だ」という思想家の書籍を紹介することは、事実として記述して良いと思いますが、それによって「洋食」の言葉の定義までは変わりません。色々な人が「洋食」という言葉を色々な意味に使っているのに、そこにいくら出典があろうとも一部の見解をもって全体定義まで狭め、西洋料理のことを「洋食」と呼ぶのは間違った表現であるとか、「洋食」と呼ばれた料理は全て西洋料理ではない、と思わせるような記事にすることは、独自研究以前にただの暴論でしょう。


正直にいえば、個人的には私自身も、「洋食」という言葉を用いる場合、日本的な西洋風料理のことを指して呼びます。ただ、それは私が「料理マニア」だからであり、世間一般では「洋食」という言葉を料理人ですら曖昧に使っているので、中立的な記述にしたいだけです。マニアな人だけが暗黙の了解をもって共感するような記事は不適切だと思います。
西洋料理に対して「洋食」という言葉を用いる例について、日本で最高レベルの西洋料理を提供されていた(とされる)「帝国ホテル」を「洋食店」と書いた記述ですら出典にならないと言われれば、その検証には戦前の日本に西洋料理自体存在したか否かの論文になってしまいます。レシピまで言及すると、例えば老舗洋食店『東洋軒』さんでは、コロッケをフライせずオーブンで焼いて出すなど千差万別です。レシピを引用できたところで、それらを一律の定義に証明しながら料理関連の記事を書いてなんていられないし、他の記事でもそこまでやってません。
もちろん、といって「洋食は西洋料理だ」という記事にしましょうと言っているわけではありません。だから私は、様々な意見を併記する体裁や、物事を断定しない記述にしましょう、と最初から申しているわけです。「洋食とは日本的な西洋風料理」という考え方を否定するものではなく、それも「洋食という言葉の色々な解釈の一つ」としているだけです。


おそらく私は「洋食=西洋料理」論者と思われていて、Dwyさんもそう見なして議論されていると思いますが、そうではありません。履歴をよくお読みいただければわかると思いますが、議論のはじまりとなったOtkoygさんが全否定論者で、「洋食とは日本的な西洋風料理だけを意味する」と断定する以外は認めないため、それとの議論の流れ上、こうしたスタンスになっているだけです。なお、ヌーベルキュイジーヌ云々については、Sibazyunさんへの3/7への返答で書いているので、そちらをお読みいただければと思います。簡潔に言うと、削除するつもりです。--Newgrander 2011年3月18日 (金) 22:58 (UTC)[返信]
ShikiHでございます。Newgranderさんにお伝えします。このページでかなりの変更をなさいましたが、ノートページの再編集は慎重になさって下さい。詳しくはHelp:ノートページ#投稿済のコメントへの修正などをご覧下さい。--ShikiH 2011年3月19日 (土) 09:14 (UTC)[返信]
ShikiHさん
確認しました。直前の修正でもよろしくなかったのですね…申し訳ございません。以後気をつけます!--Newgrander 2011年3月19日 (土) 14:16 (UTC)[返信]
私は別に「洋食=日本的西洋料理」vs「洋食=西洋料理」で論争しているつもりはありません。「ただ、Wikipedia:検証可能性Wikipedia:独自研究は載せないの立場から、信頼できる出典の記述に準拠して、余計な分析や解釈を加えない記述をお願いしているだけです。洋食=日本的西洋料理」の記述だけにしろと言っているわけではありません。
いつまでもノートで議論してもきりがありませんから、蛮勇を奮って記事を編集してみようと思います。みなさんが不適切と思われる箇所は差戻しや修正をしていただいて結構ですが、記述を追加される方向での編集をされる場合は、できるだけ出典を明記していただきたいと思います。--Dwy 2011年3月19日 (土) 17:15 (UTC)[返信]


本文の修正内容については特に異論はありません。一箇所だけ、ShikiHさんからの指摘に基づいて、広義・狭義の説明の中身について加筆しました。
ただ、wikiの方針に基づいて余計な分析や解釈をしないとか出典を明記するという観点で言えば、Dwyさんの判断基準にも多分に余計な分析や個人的解釈が含まれているので、ことさら強調されることではないでしょう(笑)。それだけを求めたら現時点でも出典のない解釈や記述だらけです。検証可能性はwikiのルールですが、「それだけだ」と協調されるのであれば、議論やジャッジする際にも個人的解釈は持たれないほうが良いと思います。
wikiのルールに基づいて指摘をするだけなら、ノートとはいえわざわざ個人的意見を用いて指摘をする必要はありませんよね?ただ、その個人的意見を批判しているのではなく、現実的には一般認識と思われることは出典がなくても適度にスルーしてるのが多くの記事の実態で、現にDwyさんの今回の修正でも適度にスルーされてるし、その判断はさすがのバランス感覚だと思いましたが、その一般認識は人によって違い、Dwyさんにとっての常識が万人の常識とも限らないので、「全てwikiの編集方針に基づく」と強調しすぎると、自己矛盾を引き起こしていますよ…
ルール無視を肯定しているわけではありませんが、wikiでの出典についての基準は不明確なので、出典の妥当性でも議論が起きたり出典の羅列合戦になることもあり、それで全ては丸く収まりません。とはいえ、wikiの編集方針をタテにとることは私もしますし、編集方針を無視して良いなんて思っていませんが、色々な意味で協調しながら良い記事にしていきましょう…!今回は勉強させていただきました。--Newgrander 2011年3月22日 (火) 13:52 (UTC)[返信]
Wikipediaでの出典についての基準は結構明確ですよ。ただ、日本語版ではちゃんとルールを知っている人は少ないし、それをちゃんと守ろうという人はもっと少ないということだと思います(英語版などではもう少ししっかりルールに基づいてやっているようですが)。
検証可能でない記述は除去してよいというルールから言えばもっとバサッと除去しまくっても良いところですが、その後また記事に加筆していく人が今よりましな記述をしてくれるという保証もないから、とりあえず今はあまり力まないで妥協しておこうというところです。
これまでの議論の中でパン粉のこと等々いろいろ個人的な解釈を言いました。でもそれは、Newgranderさんが「出典にこう書いてある」とおっしゃるから、「それはNewgranderさんの個人的な解釈であって別の解釈も充分可能だ」と言うために、私の(一応まともな説として成立しそうな)解釈を示しただけです。自分の個人的な解釈が客観的な立場から見て正しいと主張したわけではありませんし、ましてやそれを記事に書こうとしたわけでもありません。その点はご理解いただきたいと思います。--Dwy 2011年3月22日 (火) 17:46 (UTC)[返信]

3/4時点における編集について

保護措置から半月以上経過し、その間に議論の当事者各々から出典が示されたことと、第三者の方々のご意見を踏まえ、議論の双方意見を中間的なバランスの文章量で併記する形に編集いたしました。

なお、議論の中に、宣伝云々の話があったので、そのあたりの記述はあえて削除しました。(論点がブレて議論が複雑化する危険性を感じたため)ただこれは、もともと私が書いた記事ではないものが含まれているため、他の方が再加筆されたとしても反論はいたしません。

細かな加筆・修正はともかく、大幅な改編・削除を行う場合は、ノートでの協議を経た上で行うことを提案いたします。著作権上の問題があるといった場合でない限り、差し戻しや、一方的に片側の意見を削除する行為はwikiの編集方針に反するので、異論がある場合はまずノートでお願いいたします。

また、細かな修正や整理でも、偏った意味になるような恣意的な改編は、ノートで協議した上で行なっていただきますようご協力をお願いいたします。

これらは、wikiの編集方針にのっとった考え方であり、中立的な観点、宣伝の禁止、過剰な内容の整理という観点から、一方の意見を削除したり、特定の企業の宣伝と思われる記述や、偏った内容を多量に加筆してはならない、というルールに基づいています。--Newgrander 2011年3月4日 (金) 16:25 (UTC)[返信]

ShikiHでございます。表現上の問題ですが、広義、狭義という言葉遣いはこれでいいのでしょうか? (洋食は)「広義においては西洋料理全般を指し、狭義においては日本で独自に発展した西洋風の料理を指す。」広義といえば狭義に含まれているものを含みますから、この定義からすると日本独自に発展した料理も西洋料理に含まれます。ハヤシライスなども西洋料理に含まれる、でよろしいでしょうか? 念のため確認したいので、教えてください。--ShikiH 2011年3月6日 (日) 18:30 (UTC)[返信]
ShikiHさん。コメントありがとうございます。
おっしゃられる通りですね。ご指摘を受け、書いた私もおかしいと感じました。ハヤシライスなどは西洋料理には含みません。従って、「広義では、西洋料理や日本で独自に発展した西洋風料理などを意味し、狭義では、日本で独自に発展した西洋風料理のみを指す」といった表現が適切かと思いますが、いかがでしょうか。
そもそも、編集合戦になっていなければ、シンプルに「洋食とは、西洋料理全般、あるいは日本で独自に発展した西洋風の料理のこと」くらいで良いと思うのですが、議論中の現時点ではどうしても説明くさい記述になってしまいます…。--Newgrander 2011年3月7日 (月) 14:45 (UTC)[返信]

「概要」節中の長文について

3月7日現在の記事で見ています。「概要」節に次の記述がありますが、長文であることも手伝って、意味がよく分かりません。引用のあとに疑問点を列挙しますので、それらを改める方向で編集したいただけると幸いです。[引用開始]しかし、1960年代から台頭するヌーベル・キュイジーヌ(ポール・ボキューズによる「新しい料理」)以降、それ以前のフランス料理と近代的なフランス料理とでは料理が大きく変わり、グラタンやクリームコロッケといった古典フランス料理は、日本のフランス料理店では提供されることが少なくなっているため、そうした料理はフランス料理であっても「洋食」と扱われる場合もあるなど、必ずしも明確に区別はされていない。[引用終了]。疑問点1: ヌーベル・キュイジーヌはフランスで始まった潮流と思うが、それと「日本のフランス料理店では・・・」の関係が不明。この潮流が日本にも波及したということか。疑問点2:日本のフランス料理店では提供が少なくなっている(ように変化している)という根拠。疑問点3:たとえ疑問点2が真実であっても、グラタンやクリームコロッケは、「日本のフランス料理店では提供が少なくなってから初めて洋食とよばれるようになった」と読めるが、本当か。疑問点4:何が明確に区別はされていないのか、が長文であって不明。--Sibazyun 2011年3月7日 (月) 04:31 (UTC)[返信]

ShikiHでございます。内容の真偽はわかりませんが、この部分の文章の推敲なら、以下のようではいかがでしょうか。

「しかし、ヌーベル・キュイジーヌ(新しい料理)が1960年代から擡頭したことによってフランス料理は大きく変わった。それが日本に伝わり、グラタンやクリームコロッケといった古典フランス料理が日本のフランス料理店で提供されることは少なくなったた。このため、これらの料理は「洋食」であるという考え方がでてきた。洋食とフランス料理との区分は必ずしも明確ではない。」

「と」は引用に、「など」は列挙するときに使うのはよいのですが、判断の根拠を示すような使い方をすると確かに不明確なときがあります。--ShikiH 2011年3月7日 (月) 09:37 (UTC)[返信]
ShikiHさん、ありがとうございます。意味はわかるようになりました。後は、「・・・は少なくなった」を要出典とすればよいかもしれませんね。--Sibazyun 2011年3月7日 (月) 10:49 (UTC)[返信]


Sibazyunさん。ご意見ありがとうございます。
ご指摘については、ほとんどご尤もと思います。ただこれは、自分とOtkoygさんが編集合戦になってしまったため、説明的に加筆してしまったもので、現在の議論の流れからすると削除しても良いと感じました。
なお、疑問点4については、「現在では西洋料理はそれぞれの国名で呼び、日本的な西洋風料理のことを「洋食」と区別するのが一般的である」という意見があったので、それに対して、必ずしもその区別は明確でない、と記述したものです。(グラタンやシチューのように、西洋料理でありながら洋食と呼ばれている料理が存在するため)
この部分については、主に私が加筆した部分なので、ご指摘をもとに私の判断で修正させていただこうかと思います。フランスのヌーベルの潮流が日本の西洋料理界も大きく変え、古い西洋料理が洋食と呼ばれるようになっていったことは事実だと言いたいところですが、その出典まで加筆・列記していくともはや洋食の概要ではなく「日本の西洋料理史」になってしまうので、削除したほうがすっきりすると考えました。
それに、議論をしていて、洋食の中に西洋料理の存在を証明するのも、洋食の中には日本的な西洋風料理しか存在しないと証明するのも、どちらも検証不可能なことだと感じました。フランスの料理書のグラタンのレシピを掲載したのはかなり明確な根拠だと思ったのですが、使ってるパン粉が洋式のものを使ってるのか、日本式のものではないのか、といった議論にまでなると、もうどこかのレストランにレシピと使用食材のメーカーまで開示してもらわないと収拾がつきません。パン粉論議をはじめたところで、全国のレストランのパン粉が全てこうだと、どちら側の主張ともに立証するのは不可能ですし、クリアにするのはどの道無理だと思いました。
従って、「近年においては、フランス料理は「フランス料理」、イタリア料理は「イタリア料理」というように、各国の国名で呼び、「洋食」とは日本で独自に進化した西洋風の料理を指すものとして区別される、という見解がある。しかし、西洋料理と同じ調理法で作られたグラタンやシチューなども「洋食」として扱われている場合もある、という見解もあるため、その言葉の使われ方は人によって見解が様々である」というような記述でいかがでしょうか。せっかくShikiHさんに推敲していただいたのに、申し訳ありません。--Newgrander 2011年3月7日 (月) 14:45 (UTC)[返信]
Newgranderさん、この部分は、文意がわかっても「要出典」物と考えていたため、大幅な簡単化については反対しません。ただ、上記の記述では、「近年においては」は「区別される」にかかるのか「見解がある」にかかるのか、あるいは(文法的にはおかしくても)次の「見解が様々である」にかかるのかが未だはっきりしませんので、その点をよろしくご考慮ください。なお、全体構成では、歴史年表より概説部分が先でもよいような気がします。--Sibazyun 2011年3月7日 (月) 15:49 (UTC)[返信]
Sibazyunさんへ。「要出典」ものとなることには異論はございません。まず、「近年では西洋料理と洋食とは区別されているのが一般的」だとする意見は、そもそも私の意見ではないので、文章を整理した結果残していますが、その根拠はどこにも示されていないので「要出典」となるのは妥当と考えます。「洋食の中にも西洋料理が存在する」ということについては、グラタンやシチューなどがもともと西洋料理であることを別のところで出典を示して説明しましたが、日本のグラタンが西洋のものと同じかどうかの証明がされていないとの意見もあるので、これも「要出典」とされても妥当と考えます。
歴史の節については、私が挿入したのではないため、そのままにしていました。自分も、概要⇒歴史のほうが良いと思います。--Newgrander 2011年3月8日 (火) 15:07 (UTC)[返信]


公平な記述のため

明らかに主観的な記述を削除しました。食の専門家の説が、(いわば素人の)言語学者の説でひっくりかえるというのは、どういうヒエラルキーでしょうか。事実は事実だけ記述すればよろしいので、判断するのは読む人です。ほかにもいろいろ修正したいですが(悪文の推敲など)、しばらく我慢します。また荒れますので。--Otkoyg 2011年3月8日 (火) 13:21 (UTC)[返信]

Otkoygさんは、まず議論の相手の質問および第三者の意見にきちんと反応してください。会話や合意形成を無視して一方的に書き換えるから「荒れる」のです。Otkoygさんに必要なのは我慢ではなく、合意形成を目指して対話をすることだと思います。ご協力のほどよろしくお願いいたします。--Newgrander 2011年3月8日 (火) 14:31 (UTC)[返信]