F-2 (航空機)
F-2はF-1支援戦闘機の後継機として開発された日本の航空自衛隊支援戦闘機。主契約企業は三菱重工業でロッキード・マーチンとの共同開発である。日本及び本機の特殊な事情により、およそ120億円と高価な戦闘攻撃機となった。米国生産分として1機当たり47億円が支払われていると言われる。
正式な愛称はないが空自パイロットなどの間ではバイパーゼロとよばれることもある(バイパーとはF-2のベースとなったF-16の非公式の愛称で、ゼロは零戦をもじったといわれる)。またアメリカ軍パイロットからは「フェイクファルコン」(「ニセF-16」の意味)と呼ばれている。
開発経緯
次期支援戦闘機計画
日本では1980年代はじめからF-1支援戦闘機の後継機の開発に着手した。これが次期支援戦闘機 (FS-X) 計画である。この計画の中で、FS-Xには以下の性能が要求されたと言われている。
- 空対艦ミサイル4発装備した状態で戦闘行動半径450海里を有すること。(ここで言う戦闘行動半径とは、戦闘行動を想定して定められた諸元によって飛行可能な距離を指している。)
- 短距離空対空ミサイルと中距離空対空ミサイルをそれぞれ2~4発装備できること。
- 全天候運用能力を有すること。
- 高度な電子戦能力を有すること。
機体の構想は幾つか候補が上がっており、双発ジェットエンジンと双垂直尾翼、前方カナード翼など、時代を先取りしている進歩的な機体予想図が出来上がっていた。既存機ではこの要求全てを満たせる機体が無く、また国内の航空産業の発達のために完全な国産戦闘機として開発することを予定していため、防衛庁の開発推進チームは国内重工業各社と共に、国内開発によってどれだけすばらしい戦闘機が開発できるかを、防衛庁内部の米軍機推進派や大蔵省(現財務省)を納得させるために、80年代半ばから新聞などのマスメディアを利用した大々的な宣伝を行った。しかし、そこに記載された国産新技術は未だ計画中のものばかりで、実用化できる目処が立ったものはわずかだった(このような眉唾物の宣伝はアメリカではしばしば行われている)。
ところがこれは誤算であった。当時は日本の対米黒字が膨張し、自動車やハイテク産業が急成長した次期であり、アメリカでは対日批判が高まっていた(アメリカの貿易赤字は、米政府の高金利政策などが強く影響し、日本だけの責任とは言い切れないが、アメリカ政府は巧妙に日本だけに怒りが向くように工作した)。このうえ、日本が素晴らしい戦闘機を独自開発して、最後の牙城である航空産業を脅かす存在になることを恐れたアメリカ企業は、人種差別的な反日団体やそれに賛同する政治家や商務省と手を組んで、官民を挙げた大々的な日本叩き、所為ジャパン・バッシングを展開した。
このアメリカの反応に防衛庁の国産推進派は衝撃を受けた。なぜなら、F-1開発の際は全くの無風状態で、何の注文も受けなかったからである。しかし、F-1のころは日本の自動車や電子部品、家電製品はアメリカへの攻勢を強めたばかりで、アメリカ人もそれほど危機を感じていなかったのである。それから10年以上が経ち、時代が大きく変わったことに国産推進派は気が付かず、国内向けとはいえ大々的に宣伝してしまったのである。
ジャパン・バッシング
そこで防衛庁は、海外の既存機(F-16、F/A-18、トーネードIDS)と選考と言う形で競わせ、選考の結果、国産戦闘機を採用する事になったと言う青写真を描いた。しかし、ペーパープランと既存機を比べること自体が不当と言う批判が海外の航空機メーカーから上がったため、既存機を再設計し要求された能力を活性可能かと言う形の打診を行い、各メーカーとも可能であると回答した。
アメリカでは日本叩きが一層激しさを増していた。市民の間で日米開戦論までが大っぴらに語られるまでに極まっていた。アメリカ議会には実質日本製品だけに法外な関税をかけることを認めるスーパー301条がしばしば話題に上り、日本政府に対して圧力をかけていた。アメリカ企業の重役、官僚、閣僚が次々に来日し、スーパー301の発動をほのめかしながら、日本露骨な圧力をかけ、FSX開発を諦めるように促した。また米軍も、「日本の独自開発は兵器共通運用性に懸念が起きる」として米軍機の採用を促した。もちろん、米軍の後ろにも米国企業がいることは明らかである。
防衛庁は国内開発の道を模索してきたが、FSXを揺るがす最大の事件が起こった。この頃、ソ連の潜水艦の音が聞こえにくく、原因はスクリューの開発に使用された東芝製の機器が原因だとして、日本政府を厳しく追及した。確かに東芝は同様の機器をノルウェーに輸出しており、ノルウェーからソ連に流れてしまっても不思議は無い。しかし、どうしてそれが日本の責任になるのか、アメリカ側はヒステリックに「対共産圏輸出禁止に違反した」と叫ぶばかりで、正当な理由や、またその証拠は軍事機密をいいことに一切提示せず、スーパー301をちらつかせて日本政府を脅し続けた。日本は独自の情報網を持たないために、真偽が確認できないまま、アメリカの言うがままに東芝の社員を逮捕させた。
この東芝機械事件によって、アメリカの日本に対する態度はさらに高圧的になり、米軍は日本企業の見学と称して、堂々と日本の航空企業を調査することができた。これによって、アメリカは日本の技術力をかなり正確につかむことができたといわれる(それはすなわち、日本の軍事力を正確に掴んだに等しく、防衛面では危機的な問題である)。その上、肝心のジェットエンジンが国内開発できないことが明らかとなり、日本政府はもはやなすすべも無く、アメリカの言うがまま、アメリカの意見を無条件に受け入れることとした。つまり、FSXの国内開発の放棄である(この一連の経過は、日米FSX戦争と呼ばれたり、黒船来航以来3度目の日本降伏と言った人もいた)。
日米共同開発
アメリカ側の提案によって、既存の米軍機を基準に日本側で独自の改良を施すこととなった。ベースになる戦闘機の候補としてF-15E、F-16C、F/A-18が上がり、当初は双発機の採用が検討されていたが、最終的には単発のF-16改造型を開発ベースラインとすることが決定された。
防衛庁が安全のためにこだわったはずの双発エンジンの2機種が選定されなかった理由として、F-15Eは高価すぎ且つ国産技術を採り入れる余地があまり無いこと、F/A-18は艦上機であるために必要以上の機体構造強度を有し、重量の面で不利と考えられたと言われている。その一方、F-16は単発機であるものの、国産技術を採り入れる余地も比較的多く、価格の面でも有利と判断された。ここで開発分担率を日本60パーセント、アメリカ40パーセントとして、アメリカ生産分は現地で組み立て、日本に輸入することに決定した。
F-16を元にFS-Xは開発されることになったが、アメリカでは「高性能なF-16の技術を日本に渡すことは無い」という意見まで飛び出した。もちろん、日本の国内開発を認めるわけではなく、F-16をそのまま買わせよ、ということである。しかし、高度な電子部品などは日本が全て自力開発することになっており、この意見には日本関係者が皆あきれ返ったという(電子部品は完成品を輸入するようにアメリカに進められたが、それでは当初の目的である技術育成に全くつながらないとして、防衛庁は国内開発にこだわった)。
FSXは一見、F-16 Block40/50と全く違いが無いように見えるが、主翼面積の拡大を始め、更なる低抵抗化など、機体設計は全面的な見直しを受けている。先端技術が多く盛り込まれており、日本の戦闘機として初のアクティブ・フェイズド・アレイ・レーダーの装備や、外板だけでなく内部の構造部材までも炭素系複合材(CFRP)で一体成形した主翼、日本独自のFBW(フライバイワイヤ飛行制御)技術による高機動性能などがある。だが、これらの独自技術は、共同開発の協定時にアメリカへ全て公開するよう義務付けられていた。アメリカはすでに一昔前の機体を譲り渡すことで、日本が長年温めてきた技術を、「ただ」同然で移転することができたうえ、米国生産分は日本が代金を支払うのだから、日米のどちらが得をしたかは言うまでも無い(かつての不平等条約となんら変わらない協定だったのである)。
FSXは1995年10月7日に一号機の初飛行に成功、XF-2と名づけられた。この試作機は4機作られ(1・3号機は単座、2・4号機は複座)、1996年1月9日には単座型がF-2A、複座型がF-2Bの名称となることが決定、2000年9月25日に量産初号機が納入された。予定よりも数年遅れた配備であり、防衛計画に多大な損失を与えたことは言うまでも無い。
欠陥の発覚と実戦配備
しかし、あまりに内外の注目を浴びたF-2は、航空機開発では不可避である初期不具合についても、マスコミの注目を集める結果となった。レーダーは当初の予定の3分の1程度の距離でしか航空機を探知できない、敵機をロックオンして高機動をすると外れてしまうなど、迎撃戦闘機としての運用において致命的な不具合が報道されている(これは対艦攻撃向けに仕様を策定していたので、双方が高速で移動する際のフィルタリング能力が不足していたのが原因と言われている。もちろん、本来の任務である艦船の識別では問題はでていない)。また、同時期に開発されたAAM-4を運用できない事を問題として指摘されているが、双方の開発リスクを軽減させるために後日装備にしたと言われている。
レーダーについては、ソフトウェアの改修等によってある程度の解決を見ており、最近になり実戦配備が開始された。又、AAM-4運用には専用の指令装置の搭載が必要となるため、AAM-4搭載改修計画ではレーダー、機体、双方の改修が行なわれる予定。また試作段階においては主翼構造部位に微小な「ひび」が入ったり、特定の非対称運動を行った場合に垂直尾翼に予測値を超える荷重がかかる問題もあったが、こちらは設計変更による強度増加や飛行制御プログラムを調整し、性能を低下させることなく解決済みである。
三沢基地の第3飛行隊を改変したことを皮切りに、FS(支援戦闘機)飛行隊のF-1とF-4EJ改を置き換えている。
調達予定の変更
防衛庁は予算削減を受けた平成16年(2004年)度の新防衛大綱によって、戦闘機、戦車、護衛艦を現在より大幅に削減する方針を打ち出した。戦闘機については要撃・支援と用途別に2つに分かれているところを統合し、多目的戦闘機としていく予定である。
F-2については、1機120億円以上(機体自体は90億円未満であるが、アメリカ製造費用が上乗せされるためこの金額。そのため、主契約企業であるはずの三菱の受け取り額は50億円にも満たない)と非常に高額なこと、予定の能力を発揮できないことなどを理由に調達を中止することを決定した(防衛庁はF-2プログラムが失敗であったと認めたに等しい)。平成18年度くらいまでの調達分は既に三菱と契約したため、製造した機体は購入する予定だが、最終的には130機(F-2Aが110機、Bが20機)の導入予定が、F-1の77機は上回るものの、合計98機まで削減された。このため、開発費が上乗せされた一基当たりの平均価格は150億円を軽く超え、F/A-22並の200億円に迫ると思われる。
結局、日米共同開発で得られたことは、独自開発は声高に宣伝してはいけないことと、アメリカを怒らせてはいけないということに終始した。
スペック
- 全長:15.52m
- 全幅:11.1m
- 全高:4.96m
- 空虚重量:9527kg
- 最大離陸重量:22100kg
- 最高速度:M2.0
- 航続距離:約4000km(フェリー時)
- エンジン:石川島播磨重工/GE社製 F110-IHI-129 ×1
- 推力:131kN(=13430kgw)