健磐龍命
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伝説
祖父である神武天皇の命をうけ、阿蘇山へ来た健磐龍命(タケイワタツノミコト)は、外輪山の上から目の前に広がる湖を眺め、その広大さに感心して、水をなくして田畑を造ろう、と考えた。
そこで、外輪山の一部を蹴破ろうとしたが、一度目に挑戦したところはなかなか蹴破れなかった。それは、山が二重になっていているからで、以後、その場所は「二重(ふたえ)の峠」と呼ばれるようになった。
別の場所で挑戦したら、今度は見事に蹴破ることに成功したが、そのはずみで健磐龍はしりもちをついてしまい、「立てぬ!」と叫んだ。以後、その場所は「立野」と呼ばれるようになった。
また、蹴破ったところからは、湖水が一気に西の方に流れ出て、数匹の鹿が流されてしまったことから、以後「数鹿流(すがる)が滝」と呼ばれるようになった。
湖水が引くと、底から巨大なナマズが現れ、湖水をせき止めていたので、健磐龍は刀でナマズを切り、ようやく湖水は流れていった。