源長猷
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源 長猷(みなもと の ながかず、生年不詳 - 延喜18年9月29日(918年11月5日))は、平安時代前期から中期にかけての貴族。清和天皇の皇子。官位は従三位・刑部卿。
経歴
[編集]清和朝の貞観15年(873年)同じ清和天皇の皇子女である長淵・長鑒・載子とともに源朝臣姓を与えられて臣籍降下し、左京一条一坊に貫附される。
陽成朝の元慶3年(879年)一世源氏としての蔭位により无位から従四位上に直叙される。光孝朝の仁和2年(886年)繁子内親王が斎王として伊勢神宮へ群行する際、中納言・在原行平らとともに送斎内親王使を務めた。
のち、醍醐朝で刑部卿を務めたほか伊勢守・近江守などの地方官も兼ね、この間の延喜6年(906年)には従三位に叙せられ清和源氏として初めて公卿に列している。延喜18年(918年)9月29日薨去。最終官位は刑部卿従三位。
官歴
[編集]注記のないものは『日本三代実録』による。
- 貞観15年(873年) 4月21日:臣籍降下(源朝臣)、貫隷左京一条一坊
- 元慶3年(879年) 11月25日:従四位上(直叙)
- 仁和2年(886年) 8月14日:送斎内親王使
- 時期不詳:刑部卿
- 延喜6年(906年) 正月7日:従三位[1]
- 延喜7年(907年) 2月19日:伊勢守[1]
- 延喜8年(908年) 日付不詳:近江守[1]
- 延喜17年(917年) 8月5日:見伊勢権守[2]
- 延喜18年(918年) 9月29日:薨去(刑部卿従三位)[3]
系譜
[編集]『尊卑分脈』による。