グイード1世・ディ・スポレート
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グイード1世・ディ・スポレート Guido I di Spoleto | |
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スポレート公 | |
在位 | 842年 - 860年 |
死去 |
860年 |
配偶者 | イッタ・ディ・ベネヴェント |
子女 |
ロチルデ ランベルト1世 グイード3世 |
家名 | ヴィドー家 |
父親 | ナント伯ランベール1世 |
母親 | イタリア王ピピンの娘? |
グイード1世・ディ・スポレートまたはグイドーネ(Guido I da Spoleto / Guidone, ? - 860年)は、スポレート公(在位:842年 - 860年)である。息子にイタリア王でローマ皇帝となったグイード3世・ダ・スポレートがいる。ムラトーリ(en)の著書の843年の項には、グイードはスポレート侯をしていたとされており[1]、ブリツィオによればイヴレーア侯をしていたという。
生涯
[編集]834年にはロタール1世の側近の1人であったナント伯ランベール1世の息子として言及されている。840年の皇帝ルートヴィヒの死去により、ロタリンギアにあるメットラハの修道院を与えられた。シコーネ1世ディ・ベネヴェントの娘、イッタと結婚。
843年には839年のシカルド公の暗殺に続いたベネヴェント内戦に、義理の兄弟であるシコノルフォの求めに応じて介入した。様々な抗争において1度ならず仲裁人として介入を行ったが、結局ロタールの後継人ルートヴィヒ2世でなければ紛争を終結させることはできなかった。
846年にはサンピエトロの略奪を行ったサラセン人を、独力でラーツィオの外へ追いやることに成功した。
858年、グイードはカープア伯ランドーネ1世に対し敗北したアデマーロ・ディ・サレルノを支持し、この功によりカープア伯の兄弟であるランデルノルフォ1世・ディ・テアーノに奪われたリーリ渓谷とソーラとアルピーノの支配をまかされた。
860年に死去、長子ランベルト1世がスポレート公位を継承した。
子女
[編集]イッタ・ディ・ベネヴェントとの間に以下の子女をもうけた。
- ロチルデ - トスカーナ辺境伯アダルベルト1世と結婚
- ランベルト1世 - スポレート公(859年 - 871年、876年 - 880年)
- グイード3世 - イタリア王
脚注
[編集]出典
[編集]- Llewellyn, Peter. Rome in the Dark Ages. London: Faber and Faber, 1970. ISBN 0-571-08972-0.
- di Carpegna Falconieri, Tommaso. Guido, in Dizionario biografico degli italiani, 61, Roma: Istituto della Enciclopedia italiana, 2003, pp. 352-354.
関連項目
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