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紀百継

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
紀 百継
時代 平安時代初期
生誕 天平宝字8年(764年
死没 承和3年9月19日836年11月1日
官位 従二位参議
主君 桓武天皇平城天皇嵯峨天皇淳和天皇仁明天皇
氏族 紀氏
父母 父:紀木津魚
兄弟 百継、是継、継勝、最弟乙魚、魚員
綱麻呂、諸綱
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紀 百継(き の ももつぐ)は、平安時代初期の公卿右兵衛督紀木津魚の長男。官位従二位参議

経歴

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桓武朝では、右衛士少尉近衛将監と武官を歴任し、延暦20年(801年従五位下に叙せられた。平城朝に入っても、近衛将監から左/右衛士佐と武官を務める傍ら、越後介上野権介越前介と地方官を兼ねた。

弘仁元年(810年)に発生した薬子の変に際して左衛士佐から右近衛少将に転任する。以降、弘仁2年(811年)従五位上、弘仁3年(812年従四位下・右近衛中将、弘仁8年(817年)従四位上、弘仁12年(821年正四位下嵯峨朝において急速に昇進し、弘仁13年(822年従三位に叙せられ公卿に列した。また、この間近衛中将・兵部大輔右衛門督等の武官を歴任し、美濃守相模守と地方官を兼帯した。

その後も右衛門督を務めながら淳和朝でも累進し、天長8年(831年正三位、天長10年(833年従二位に至り、仁明朝承和2年(835年)には71歳で参議に任ぜられた。承和3年(836年)9月19日薨去享年73。最終官位は参議従二位。

官歴

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注記のないものは『六国史』による。

系譜

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脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m 『公卿補任』
  2. ^ 『日本逸史』
  3. ^ a b 鈴木真年『諸系譜』第1冊,紀朝臣

参考文献

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