中臣王
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中臣王(なかとみおう、生年不詳 - 大同2年(807年)11月)は、平安時代初期の皇族。光仁天皇の孫か。官位は従四位下・侍従。
出自
[編集]系譜は不明だが、従四位下に直叙されたとみられることから、二世王とみられる。年代的には光仁天皇の孫の代に当たる。
経歴
[編集]桓武朝にて従四位下・侍従に叙任されたのち、延暦18年(799年)6月に左大舎人頭を兼ねる。同年9月に斎宮・布勢内親王が伊勢大神宮へ群行する際、参議・藤原乙叡とともにこれを監送した[1]。
大同2年(807年)に伊予親王の変が発生すると、中臣王は連座して拷問を受けるが罪を認めなかった。そのため、藤原仲成・薬子兄妹は平城天皇を唆して大杖で打たせたため、中臣王は背中がただれ崩れて死亡したという[2]。
官歴
[編集]『日本後紀』による。