紀宇美
表示
時代 | 奈良時代 |
---|---|
生誕 | 不明 |
死没 | 天平勝宝5年10月5日(753年11月4日) |
官位 | 従四位下左衛士督 |
主君 | 聖武天皇→孝謙天皇 |
氏族 | 紀氏 |
父母 | 父:紀麻呂 |
兄弟 |
宿奈麻呂、男人、宇美、 奈賀岐娘 |
子 | 広純 |
紀 宇美(き の うみ)は、奈良時代の貴族。大納言・紀麻呂の子。官位は従四位下・左衛士督。
経歴
[編集]聖武朝初頭の神亀3年(726年)従五位下に叙爵。天平10年(738年)5月右少弁の官職にあった際、右大臣・橘諸兄に従って伊勢大神宮へ神宝を奉献し[1]、同年閏7月右中弁に昇進する。翌天平11年(739年)従五位上。天平17年(745年)正五位下、天平19年(747年)正五位上、天平20年(748年)従四位下に叙せられるなど、聖武朝末に急速に昇進を果たした。またこの間に、讃岐守・左衛士督などを務めている。
孝謙朝の天平勝宝5年(753年)10月5日卒去。最終官位は散位従四位下。
官歴
[編集]『続日本紀』による。
- 時期不詳:正六位上
- 神亀3年(726年) 正月21日:従五位下
- 天平10年(738年) 5月24日:見右少弁。閏7月7日:右中弁
- 天平11年(739年) 正月13日:従五位上
- 天平17年(745年) 正月7日:正五位下。9月4日:讃岐守
- 天平19年(747年) 正月20日:正五位上
- 天平20年(748年) 2月19日:従四位下
- 時期不詳:左衛士督[2]
- 天平勝宝5年(753年) 10月5日:卒去(散位従四位下)