李堪
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李 堪(り かん)は、中国後漢末期の人物。関中にて千余家の勢力を抱えていた豪族。本貫は司隸河東郡[1]。
建安16年(211年)、馬超・韓遂らと共に反乱を起こしたが、曹操軍による挟撃を受けた際に戦死した(潼関の戦い)[2]。
物語中の李堪
[編集]羅貫中の小説『三国志演義』では、韓遂配下の手下八部の一員[3]。曹操配下の徐晃・朱霊によって背後に陣営を築かれ、形勢不利となると、馬超・韓遂に曹操との講和を勧める。その講和を進める最中、馬超と韓遂は賈詡の反間計によって対立。韓遂らが馬超暗殺を謀議しているところに、馬超が斬り込み、そこにさらに曹操軍が襲撃をかけて、乱戦となる。李堪を馬超が追いかけ、それをさらに于禁が追いかけて、馬超に向けて矢を放ったが、馬超が回避した矢が李堪に当たり、戦死に至る[4]。
吉川英治の小説『三国志』では、
脚注
[編集]- ^ 陳寿撰、裴松之注『三国志』魏書 張魯伝注『魏略』 s:zh:三國志/卷08#張魯
- ^ 『三国志』魏書 武帝紀 s:zh:三國志/卷01
- ^ s:zh:三國演義/第058回
- ^ s:zh:三國演義/第059回