酒井忠禮
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時代 | 江戸時代後期 |
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生誕 | 安永8年2月5日(1779年3月22日) |
死没 | 文政4年7月23日(1821年8月20日) |
戒名 | 常智院殿光誉勇照義仁大居士 |
墓所 | 東京都新宿区袋町の光照寺 |
官位 | 従五位下、大学頭 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家斉 |
藩 | 出羽松山藩5代藩主 |
氏族 | 左衛門尉酒井家分家 |
父母 | 父:酒井忠順、養父:酒井忠崇 |
妻 | 正室:水野忠体の娘(酒井忠崇の養女) |
子 | 忠方、甲斐庄正誼 |
酒井 忠禮(さかい ただのり)は、出羽松山藩5代藩主。左衛門尉酒井家分家5代。本家である庄内藩主・酒井忠温の次男・酒井忠順の長男。
略歴
[編集]寛政6年(1794年)4月24日、先代藩主の忠崇の婿養子となる。寛政10年(1798年)11月26日、忠崇の隠居で跡を継いだ。藩財政再建のために文政3年(1820年)から専売制を実施したが、失敗して翌年に廃止する。他にも荷出役銭を徴収するなどしたが、効果はなく失敗に終わる。その失意のうちに文政4年(1821年)7月23日に43歳で死去した。跡を長男・忠方が継いだ。
系譜
[編集]父母
正室
子女