アルブレヒト3世 (バイエルン公)
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アルブレヒト3世 Albrecht III. | |
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上バイエルン=ミュンヘン公 | |
ボヘミア王位を拒絶するアルブレヒト3世。19世紀の絵画より | |
在位 | 1438年 - 1460年 |
出生 |
1401年3月27日 神聖ローマ帝国 バイエルン・ミュンヘン公国、ヴォルフラーツハウゼン |
死去 |
1460年2月29日(58歳没) 神聖ローマ帝国 バイエルン・ミュンヘン公国、ミュンヘン |
埋葬 |
神聖ローマ帝国 バイエルン・ミュンヘン公国、アンデクス |
配偶者 | アグネス・ベルナウアー |
アンナ・フォン・ブラウンシュヴァイク=グルベンハーゲン | |
子女 | 一覧参照 |
家名 | ヴィッテルスバッハ家 |
父親 | 上バイエルン=ミュンヘン公エルンスト |
母親 | エリザベッタ・ヴィスコンティ |
アルブレヒト3世(Albrecht III., 1401年3月27日 - 1460年2月29日)は、上バイエルン=ミュンヘン公。エルンストと妻エリザベッタ・ヴィスコンティの子。
生涯
[編集]1429年にヴュルテンベルク伯エーバーハルト3世の娘エリーザベトと婚約していたが、密かにアグネス・ベルナウアーと結婚した。激怒した父は1435年10月にアグネスを殺害、アルブレヒト3世は上バイエルン=インゴルシュタット公ルートヴィヒ7世の元に逃げ込んだが、11月に和解、1437年にブラウンシュヴァイク=グルベンハーゲン公エーリヒ1世の娘アンナと結婚。翌1438年、父が死去して上バイエルン=ミュンヘン公となった。1440年、ボヘミア王即位を薦められたが、拒絶した。
1455年、アンデクスにベネディクト会修道会を設立。1460年にミュンヘンで死去した後、アンデクスに埋葬された。
家族
[編集]アンナとの間に10人の子が生まれた。
- ヨハン4世(1437年 - 1463年)
- エルンスト(1438年 - 1460年)
- ジギスムント(1439年 - 1501年)
- アルブレヒト(1440年 - 1445年)
- マルガレーテ(1442年 - 1479年) - マントヴァ侯フェデリーコ1世・ゴンザーガと結婚。
- エリーザベト(1443年 - 1486年) - ザクセン選帝侯エルンストと結婚。
- アルブレヒト4世(1447年 - 1508年)
- クリストフ(1449年 - 1493年)
- ヴォルフガング(1451年 - 1514年)
- バーバラ(1454年 - 1472年)
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