コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

アグネス・フォン・ブラウンシュヴァイク

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
アグネス・フォン・ブラウンシュヴァイク
Agnes von Braunschweig
アグネスと夫オットー2世

出生 1201年
死去 1267年
埋葬 神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国
バイエルン公領、シェイエルン修道院
配偶者 バイエルン公オットー2世
子女 エリーザベト
ルートヴィヒ2世
ハインリヒ13世
ゾフィー
アグネス
家名 ヴェルフ家
父親 ライン宮中伯ハインリヒ5世
母親 アグネス・フォン・ホーエンシュタウフェン
宗教 キリスト教カトリック
テンプレートを表示

アグネス・フォン・ブラウンシュヴァイクドイツ語:Agnes von Braunschweig, 1201年 - 1267年)は、ライン宮中伯ハインリヒ5世とその最初の妃アグネス・フォン・ホーエンシュタウフェン(ライン宮中伯コンラートの娘)の間の娘。ヴィッテルスバッハ家バイエルン公オットー2世の妃。

生涯

[編集]

アグネスはライン宮中伯ハインリヒ5世の3人の子女のうちの末子である。父の2番目の妃アグネスはヴェッティン家の下ラウジッツ辺境伯コンラート2世の娘であった。アグネスの姉イルメンガルトはバーデン=バーデン辺境伯ヘルマン5世と結婚し、兄はライン宮中伯ハインリヒ6世である。

アグネスは1222年に後にバイエルン公となるオットー2世と結婚した[1]。この結婚によりヴィッテルスバッハ家はライン宮中伯領を継承し、1918年まで同家が保持した。また、この時からバイエルンとライン宮中伯の紋章に獅子が加わった。

1231年にオットー2世の父ルートヴィヒ1世が死去し、夫オットー2世がバイエルン公位を継承し、アグネスはバイエルン公妃となった。

オットー2世は皇帝フリードリヒ2世との対立が終わった後、1241年ホーエンシュタウフェン家の陣営に入った。娘エリーザベトはフリードリヒ2世の息子コンラート4世と結婚したが、このためにオットー2世は教皇より破門された。

オットーは1253年11月29日に死去し、アグネスはその14年後の1267年に死去した。アグネスは夫と同じくシェイエルン修道院に埋葬された。

子女

[編集]

アグネスとオットー2世は31年間の結婚生活で、5人の子女をもうけた。

脚注

[編集]
  1. ^ Bumke 1991, p. 483.

参考文献

[編集]