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ワッラーダ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ワッラーダ
ولادة بنت المستكفي
ズィーリー朝
続柄 ムハンマド3世庶子

全名 ワッラーダ・ビン・アル=ムスタクフィー
出生 994年
グラナダ王国コルドバ
死去 1091年3月26日
グラナダ王国、コルドバ
父親 ムハンマド3世
母親 ムハンマド3世のキリスト教徒の女奴隷
宗教 イスラム教
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ワッラーダ・ビン・アル=ムスタクフィー(英語:Wallāda bint al-Mustakfi、アラビア語:ولادة بنت المستكفي、994年 - 1091年)は、アンダルスのウマイヤ朝ムハンマド3世の王女で、女流詩人としても知られている。

人物

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父親は家臣の裏切りで殺害されたが、彼女はその身分と美貌と才知で人々に尊敬された。熱情的で優しさを備え、気さくな身のこなしを好んでヴェールを嫌った。髪は赤毛がかった金髪、肌は白く、瞳は青だった[注釈 1][1]

ワッラーダ自身も詩人であり、自作の詩を服に刺繍していた。コルドバに大規模な文学・芸術サロンを構築し、多くの詩人や芸術家を保護して11世紀アンダルシアの文化の興隆に務めた。コルドバの彼女の邸宅では、詩人や散文家たちが競い合ったという。当時最高の詩人と言われたイブン・ザイドゥーン(アブル・ワリード)は彼女を称える詩を贈呈し、イブン=ザイドゥーンと彼女の恋物語が多くの相聞歌として残されている[2]彼女は女性に向けて愛を歌った詩をも書いたことで知られている。[要出典]

脚注

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注釈

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  1. ^ イブン・バッサームによる記録[1]

出典

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  1. ^ a b 関根 1979, pp. 134–135.
  2. ^ 関根 1979, pp. 135–137.

参考文献

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  • 嶋田襄平「ワッラーダ」(『アジア歴史事典 10』(平凡社、1984年))
  • 関根謙司『アラブ文学史 - 西欧との相関』六興出版、1979年。 

関連項目

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